なんでもない家

夏生 夕

第1話

「戻りましたー。」


「はい、おかえりー。今日どこだっけ、ブルーハイツ?」


「そうっす。402号室。」


「は?また?この間決まったところだよな。」


「だったんですけどねー…。」


西区の公園脇にある、ブルーハイツ。その402号室にはいわくがある。

と言っても、いわゆる事故物件ではない。心理的瑕疵を生じさせるような何かが起きたのでもない。

ただ、ただ何故か住人が居着かない。内見で好感触だったはずが、短くして物件の再検討を申し出てくるのだ。長くて2ヶ月、早くて3日。

同建物内はどこも同じ間取りだし、築年数こそ長いが、リノベーションと一部備え付けの家具が売りとなって他の部屋は満杯だ。

一体何故402号室だけ。

契約変更となった部屋主たちは、一様に「なんか、嫌な感じがする。」となんともふわっとした理由しか言わなかった。「ずっと見られている気がする。」「夜に突然、物音がする。」と言った者もいたが、考えられる理由などあるはずもなく担当者の頭を悩ませている。


「今回はもう、内見で断られました。いきなりバッとこっちを振り向いたと思ったら、俺の後ろらへんとか見始めちゃって。

『なんか見られてる。』って。」


「またか…。西脇くん何も感じないの?」


「内見前には掃除に入ってるし、出入りは何度もしてるんですけど、なぁんにも。」


「君が鈍いだけじゃなくて?」


「俺が行くのは昼間ですからね。」


「内見だっていつも昼間だろうよ。」


「あぁそうか、夜に何か起きてるってこともあるか…。」


「聞いてる?まぁいいや、じゃあもう泊まってみればいいじゃん。」


「確かに!」


「え、冗談」


「いい加減決まってほしいんですよ、あの部屋。いいとこなのに。

分からないままじゃ気味悪いし。ちょっと大家さんにご連絡してきます!」


西脇と呼ばれた若者はスマホを手に取り、管理用PCのある部屋へ入っていった。


「…若人に幸あれ。」




夜。

402号室のど真ん中に寝袋姿で転がる西脇はスヤスヤと寝息を立てていた。


「ねぇ、ちょっとどういうこと。なんでこの子がここにいるの。」


「あれよ。さっき昼間の内見で断られたってスミさんに話してたんだけど、理由が知りたいって泊まってるらしいわよ。」


「なにそれ、ほんと健気な子ね…。」


(スミさん、って…大家さん…?)


ヒソヒソと色めいて聞こえる、聞こえるような気がする話し声に西脇の意識が少し覚醒した。

誰か、いる?


「んー、?」


「あっ、馬鹿。声が大きいのよ、起きちゃうじゃないの!」


「あんたでしょうが声が高いのは!」


「いやどっちもうるさいよ。まじで。」


増えた。声らしきものが増えた。気がする。しかし何故か目が開けられない。金縛りのような体の重みは無いのだが、瞼だけが重い。


「それにしてもかわいい寝顔ね。やすらか。」


「昼間あんなに働いてりゃ、疲れるんだろ。」


「なんだ、あんただって心配してんじゃないの。」


「うるさいな。だってこの人が掃除してくれてるから、僕らが綺麗なままなんじゃん。倒れられたら困るでしょ。」


「素直じゃないわね。」


瞼が開かない理由はひとつ。きっと夢なのだ。

西脇はこれを夢だと思うことにした。なにかとなにかが西脇の頑張りをネタに喧嘩している夢。


「あぁ次の内見いつかなぁ。西脇くんにまた会いたいものねぇ。」


「本人、今そこにいるけどね。」


(でないと、このなにかが俺の名前を知っていることに説明がつかない。うん、そうだ。これは頑張りが報われてほしい俺の潜在意識が見せている夢だ。)


その証拠に、ラップ音など突発的な音は聞こえない。むしろ静かにしろと牽制し合っている。突然物音がする、という報告とは合わない。


「でも会いたいからって部屋主を毎回追い出すの、西脇くんを困らせていないかしら。」


(なんか聞き捨てならないこと言ってるな…。)


「でももう少し!あと少しだけこの爽やかさを浴びたい!だから許して西脇くん!」


「いい迷惑かもね、ほんとに。」


「でも実際、ロクなのが来ないじゃない。物も乱暴に扱う住人ばっかり。あたしなんて足で引き出し閉められたんですけど!?」


「そりゃ雑なのは腹立つけどさ。」


「でしょう。昼間の内見だって西脇くんがせっかく一生懸命話してあげてるのに大した返事もしないで、何様なのよ。思わず睨みつけちゃった。」


「あんまり目立つことしないでよ。」


ひたすら穏やかに過ぎる時間に、いつの間にか西脇は再び寝息を立てていた。




「ってことがありました。」


朝、西脇が上司に昨晩のお泊まり会について報告した。


「西脇…あの部屋に囚われすぎて疲れてんだよ、休め、今日はもう帰れ…。」


若者の肩に手を置いて上司は言った。


「それか、もう君が住めよ。」

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