07. 有象無象の思惑

 ここ数日、聖都の繁華街の賑わいは何時もより少し落ち着いて見える。原因は、サンデルカ大神殿が発端となっている「邪神の化身」騒ぎだ。

 街中の人々がその話題を噂し合っている傍らを、一人の草臥れた様子の男がそ知らぬ振りをしてとぼとぼと横切っていった。

 男の仕事先の同僚達もずっとその話をしている。何でも、邪神の化身は「聖都に災厄を齎しに来た。」とか何とか。「噂のお陰で街の雰囲気が一気に悪くなった。」とも言っていた。彼から見れば、何時もとそんなに変わらないように見えるのだが。

(だがしかし、普段あからさまに幸せそうな阿保面晒してる連中が、始終不安気にしている様は少し気分が良いかな。もういっそのこと、本当に災厄とやらが起きちまえば面白いのに。この街が可笑しくなっても、日頃から災厄状態の俺には良くも悪くも大した影響はないんだろうし。ああ、そういう意味では俺は勝ち組なのかな。ははは。……まあ、どうでも良い話だが)

 こうして歪な笑みを浮かべた男は、常日頃彼が忌み嫌う雑踏の中へと消えていった。



   ◇◇◇



「なるほど、こういう手があったか」

 サンデルカ大神殿の一室――高位の神官のみが使用することを許された憩いの場で、一人の中年神官がそう言って手を打った。

「まあ、これに近い手は我々も常に打ってきてはいたのですがね」

「いやいや、神意を体現した神託の巫女の言葉だからこそ重みがあるのですよ」

「全く以ってその通り。普段は目の上のたんこぶに過ぎない気狂いの女が、今回に限って上手く働いてくれたものですなあ」

「それを下位の神官や信者達の前で口にしないで下さいよ」

「分かっておるよ」

 まるで雀の群れのように、神官達は姦しく喋り合っっている。

 話題は、既に先日の出来事となっている「邪神の化身」の出現とその対策について。ただし、彼等の対策は当の「化身」に対するものではない。仇敵である王宮派に対して、だ。

「いやいや、貴方は勘違いをしていらっしゃる。神託の巫女はああ見えてよく頭の回る方だと私は思っておりますよ。この度の神託も彼女の奇策。このサンデルカ大神殿に所属する高位の神職として相応しい有り方ですよ」

「それも我々の援護射撃があってこそ。あの女一人では何も出来やしませんよ」

「全て計算の内なのではないですか? ともあれ、これを気に王宮派も大人しくなってくれればよいですがな」

「そう上手くは行きますまい」

「後は我々の働き次第、で御座いましょう」

 数人の神官から笑い声が起きる。彼等は既に自軍の勝利を確信しているのだ。

「そう言えば、邪神の娘に付き添っていた神官はどうなりました?」

「神託の巫女の指示で神殿兵団が捕縛したとのことです。今は地下牢に……」

「可哀相だが、最悪彼には犠牲になってもらうことになりますな」

「そうですなあ。当の娘の方は?」

「未だ」

「うむ……」

 未だ解決しない不確定要素が一つ残っていた。しかし、神官でありながら神託を信じない彼等は、アミュが「邪神の化身」であることも信じてはいなかった。故に、その不確定要素を然して重要視することもなく、「所詮田舎者の小娘に何も出来やしまい」と問題が起こるまでは捨て置くことにしたのである。



   ◇◇◇



 王宮の片隅――政を行う本宮や王族達の生活の場である後宮からも離れた、日が余り差さず人が殆ど訪れない、そんな場所にシドガルドの住む離宮はあった。とても第一王子に宛がわれたものとは思えない寂れた住まいだ。

 その有様だけ見ても、彼がこの王宮でどのような立場であるかが、事情を知らぬ者にさえ想像が付いてしまうだろう。

「サンデルカ大神殿は『邪神の化身』の出現について、『王宮が神々と大神殿を蔑ろにしている為に発生した事態だ』と強く非難し喧伝して回っています。その言葉を真に受けた一部の民衆が、貴族階級の人間やその家人達に危害を加えたり、小規模の暴動を企てたりと、既に幾つかの問題も発生し始めているようです。今は小競り合い程度のものですが……。如何致しますか?」

 病床に伏せっているシドガルドに命じられ、側近のアルカがここ数日の宮中と城下の様子を報告する。

「アルカ……」

 枯れ果てた様な声が、シドガルドの喉から搾り出された。アルカはそれに、ただ「はい」とだけ答えた。

「今日は何日だ」

「殿下? まさか、また!」

「何日かと聞いている!」

 青褪めるアルカに、シドガルドは強い口調で問い質した。

「聖国暦八三五年、虫月の十日でございます」

「……」

(七日間の記憶が飛んでいる)

 何時もの記憶障害だ。元凶は当然――。

「今日はこのままお休みになられますか?」

「ああ」

「畏まりました。では、準備をさせましょう」

 そう言ってアルカは逃げるように寝所を立ち去った。

 彼の足音が聞こえなくなったのを確認したシドガルドは、拳を寝床に叩き付けた。丈夫な寝床は病人のか弱い力を受けて、ほんの少し音を上げて揺れた。

「……奴め!」

 呪いを込めた様な声音で、シドガルドはもう一人の自分を罵った。

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