06. 日神宮

 サンデルカ大神殿東域――大神殿の外壁よりやや内側に位置する場所に、天帝を祀る本殿や内務所、神託所にも引けを取らない程の規模を持つ建物群が存在する。

 その場所は主に神託によって選出された「神の化身」――「神子」と呼ばれる――が代々生活の場として使用しており、時には祭事も執り行われていた。

 当代の神子は一人だけ、地方豪族出身の娘が日神カンディアの化身として存在している。故に、その建物群は現在「日神宮」と呼称されていた。

 神子は神聖な身である為、常時は一般参拝者のみならず、王侯貴族や高位神官であろうともおいそれとこの場所に立ち入ることは出来ない。しかしこの日、静寂に包まれているべきこの場所にも、神託所を中心とした喧騒の余波が伝わってきていた。

 忌々しげに窓の外を眺める日神の神子マーヤトリナの背後から、近侍の神官が日神宮の受付より上がってきた報告を述べる。

「神子様、神託所から使いの者が参っているようです」

「追い返して」

 間髪入れず、マーヤトリナはそう返した。

「神子様……」

 神官が困ったような声を漏らすのが聞こえた。

 マーヤトリナは予てより神託所を目の敵にしている。否、正確には神託の神子ミリトガリを蛇蝎の如く嫌っている。

 その気持ちはこの神官にも分からないではなかった。実際、彼自身苦々しく思ってはいる。それ程迄に神託所は横暴が過ぎるのだ。

 神託所の発言力は非常に強い。「神託」の名の下に管轄外の部署の仕事にまで無意味に口を挟んでくる。日神の神子を長に頂くこの日神宮にまでもだ。当代の神託の巫女は特にその傾向が顕著であった。

 しかし、今のマーヤトリナの返しは余りに感情的過ぎた。恐らくわざとそういう風に見せているだけなのだろうが。

「用向きは何?」

 神官の内心を知ってか、マーヤトリナは何事もなかったかのようにそう尋ねてきた。

 それに答えて、神官もやはり何事もなかったかのように報告を続ける。

「大神殿内に不審者が現れたそうで、異変があればお伝え頂きたいとのことでした」

「何でそれを神託所が言ってくるのよ。そういったことは、神殿兵団の仕事でしょう?」

「さあ、それは……」

「また『神託』、か」

 呆れ果てる。神託所の伝家の宝刀のような物だ。

「まあ、良いわ。承知した、と伝えて」

「畏まりました」

(ミルトガリ――あの女、今度は何を……?)

 マーヤトリナは訝しげに神託所の方へ視線を向けた。

 その時、窓外の下方から微かに彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「神子様、マーヤトリナ様」

「……! 誰です?」

 姿を確認しようとするも植え込みの陰に隠れているらしく、その正体が分からない。

 近侍の神官達の何れとも異なる男の声だった。世俗の者や他の神官達からすれば、雲上の身分である彼女のすぐ側に断りもなく近付き、直接声を掛けてくる――それが神託所の追っている者かはともかく、不審者であるのは確実だった。

 よくも警備が厳重なこの日神宮の中枢まで入り込めたものだ。大声で人を呼ぼうと勢いよく息を吸い込んだマーヤトリナだったが、慌てて姿を現した相手を見て目を見開いた。

「しっ! どうか余り大きな御声をお出しになられませぬよう」

「貴方、殿下の……! ――入って」

 薄々事情を察したマーヤトリナは、日神宮でも自分と一部の高位神官しか知らない秘密の裏口から彼等をこっそりと自室に招き入れた。

「申し訳御座いません。失礼致します」

「『不審者』って、貴方達のこと?」

 両者共、室外の者に気付かれぬよう声を潜めて言葉を交わす。

「正確には、彼女です」

 そう言って男は自分の背後に従っている少女に視線を向けた。マーヤトリナは思わず「え?」と声を上げる。

「『彼女』って……まだ、子供じゃないの!」

「ええ、そのように見えますね。そして、その『子供』を今、神託所が神殿兵団を駆り出し血眼になって探しています」

 見知らぬ人間と視線が合ったことに戸惑った少女は、以降目を伏せて物も言わない。見るからに内向的な、人馴れしていない娘だ。

「我が主の言葉をお伝えします。『暫くの間、内密にこの娘を預かって頂きたい。誰にも口外せぬように』と」

 男の放った「我が主」という言葉に、マーヤトリナは一瞬固まった。そして少々悩んだ。

 沈黙が続く間、男もまた黙し答えを待ち続けたが――。

「それがあの御方の願いなら、お引き受け致しましょう」

 期待通りの言葉を受け取れた男は、漸く緊張が解けた表情をした。

「期限は?」

「そちらは追々」

「そうね、そうでしょうね。あちらの出方を見なければなりませんものね」

 逆にマーヤトリナの顔には緊張の色が浮かんでいた。男は、本来ならば無関係である筈の彼女に重荷を背負わせてしまうことを申し訳なく思ったが、彼の第一は自分の主人である。途中で変心するようなことは一切なかった。

「外はこういう状況ですし、今日はもうお引取り頂いた方が宜しいでしょう。何かあればこちらから連絡させて頂くかもしれませんが、宜しいかしら?」

「もちろんですとも。その場合は私――アルカ宛にご連絡頂ければお取り次ぎ致します。我々から連絡を差し上げる場合は、今日のように神子様に直接?」

「ええ、可能ならば。何処に人の目があるか分かりませんもの」

「畏まりました。それでは、くれぐれも宜しくお願いします」

「ええ、貴方も気を付けて」

「お気遣い有難うございます。御前、失礼致します」

 そう告げると、男は入室に使用した出入り口から出て行った。彼の身分は確かだ。不審者扱いされている少女を手放せば、周囲を警戒することなく主人の部屋まで戻ることが出来るだろう。

「さて、と……」

 大きな溜息を一つ吐くとマーヤトリナは少女の方へと振り返り、頭の天辺から足の爪先まで眺め回した。

 女性は長髪が主流という聖都の風俗に逆らい、少女の髪は肩に掛かる位の長さしかない。服装は粗末な布地を使った旅装で、やはり聖都の意匠とは違うようだ。

 それがミリトガリの気に触ったのだろうか。この聖都には遥か辺境からも多くの人々が巡礼や交易等の為に訪れるというのに、そんな態度で果たして高位の神職として大丈夫なのだろうか。

 そんなことを考えていると、次第に胸の内のむかつきが増してきたので、マーヤトリナは再度大きく溜息を吐いた。

 ともかく、だ。

「こちらへいらっしゃい」

 少女を自分の側に置くに当たって、やるべきことが幾つかある。

 日神宮の主――日神の神子マーヤトリナは、まず自身が信用できると判断した近侍の神官や巫女達を呼び出すことにした。



   ◇◇◇



 マーヤトリナからの神官達への状況説明が終わった後、アミュは彼女の命令を受けた巫女達によって連れ出された。

「貴女の髪は目立つから、まずはかつらを選びましょう。気に入った者があれば言ってね。それから、服も変えないと。使用人用でも良いかしら?」

「大丈夫です」

 アミュの眼前には様々な色のかつらやかもじの入った箱が置かれている。また、周囲を見渡せば部屋中に意匠の似た服が掛かっていた。

 この部屋は恐らく彼女達の更衣室なのだろう。しかし、目の前のかつら類は何の為に用意されている物なのだろう。サンデルカ大神殿の女性達は、何か他人に正体を隠さねばならないような疚しいことでも行っているのだろうか。

 アミュは箱の中から一つ、適当に拾い上げてみた。焦げ茶色の腰辺りまでの長さがあるかつらだ。

「それが良いの?」

「あ、はい」

 ただ選んだのではなく見ていただけだったのだが、余り相手を待たせる訳にもいかないと思い、アミュは肯定の意思を示した。

 被ったかつらを整えてもらっていると、部屋の中に三十代くらいに見える巫女が一人、沢山の衣服を抱えて入ってきた。

「服を追加で持って来たわ。着方の難しい物じゃないと思うけれど、自分で着替えられる? 手伝いましょうか?」

「自分で、大丈夫です」

 丁度良い大きさの服を一着選ぶと、巫女達はアミュの付き添いに残った二人を除き、皆持ち込んだ衣服の片付けや日神の神子への報告の為に出て行ってしまった。

 変装が完了したアミュは再度マーヤトリナの私室に連れて行かれた。

「まあ、可愛らしいこと」

「……」

 素直に喜ぶマーヤトリナとは裏腹に、アミュの面持ちは暗い。未だに自分の置かれている状況が把握できずに混乱している為だ。ここがどこで、目の前にいる女性が何者なのかも、まだ誰も説明してくれてはいないのだから。

「これで当面は大丈夫、かしら? ……ところで早速だけど、少し事情を聞いても良いかしら。思い出したくないかもしれないけれど」

「えっと……」

 今一つ状況を把握できていないのは相手も同様らしいが、彼女は果たして真実を語っても良い人物なのだろうか。

 だが相手もアミュの心中を察したようで、自分から名乗り出てくれた。

「ああ、そうね自己紹介を忘れていたわ。いきなり、知らない人にそんなことを言われても、安心して話せる訳がないわよね。私の名はマーヤトリナ。日神宮の神子を勤めさせてもらっているわ。神託の巫女ミリトガリとは、まあ犬猿の仲よ。だから、安心して文句言って良いわ。告げ口なんてしないから」

「『日神宮の神子』――日神の化身様!」

 聞かなければ良かったかもしれない。辺境の村出身のアミュでも知っている、高貴な身分の人物ではないか。

「ご無礼を……!」

 アミュは思わず跪いた。

「頭を上げなさい。 貴女は無礼なことなんて何もしてはいないわ」

「でも……」

「申し訳ないという気持ちがあるのなら、先程の質問に嘘偽りなく答えて頂戴。そちらの方が私は嬉しいわ」

「……はい」

 確かにその通りなのだろう。それに地位のある人物だ。真実を話せば力になってくれるかもしれない。

 その逆の可能性もあるのだと思い至らない程に追い詰められていたアミュは、聖都にやってきた経緯や神託所で起こったこと、見知らぬ若者に救われたこと等をマーヤトリナに話して聞かせた。

 流石に過去天界に行ったことまでは、不信感を持たれる可能性もある為、語らなかったが。



「なるほどね……」

 アミュの話を聞き終えたマーヤトリナは腕を組んで俯いた。頭の中で話の内容を反芻しているようだ。

 その沈黙にアミュは少し不安感を覚えた。他人と接触する機会が少なく、話すことはとても苦手だ。そんな自分が、ちゃんと相手に理解可能な説明ができたのであろうか。

 しかし、そんな心配は全く無用であった。

「こんなこと、初対面の貴女に話すのもどうかと思うのだけれどね。私、ミリトガリの予知能力を余り信用してないのよ」

「え?」

 マーヤトリナは聞き捨てならないことを言った。

「彼女の神託は偽物なんじゃないかってね。その疑いを持っている人は、私以外にもいるみたいよ。大神殿内部でもこんな状態だから、外部――特に王宮はもっとでしょう。王宮派は誰も彼女のこと信用してないんじゃないかしら」

「神子様はその、『王宮派』でいらっしゃるのですか?」

 マーヤトリナの「王宮」という言葉を聞き、ふと白銀の髪の若者が言っていたその言葉を思い出す。

「いいえ、そういう訳ではないのだけれど……。そうね、どちらかと言えば私は『シド王子派』かしら」

「『シド王子』?」

「貴女を助けて下さった御方がシドガルド様よ。この国の第一王子であらせられる。……教えてもらわなかったの?」

「あ……」

 漸く知ることが出来た若者の正体に、アミュはマーヤトリナの身分を知った時と同様の衝撃を受けた。どうしてこう立て続けに――。

「私、またご無礼を……」

 深く深く沈み込むアミュを見て、マーヤトリナは思わず噴き出してしまった。

「大丈夫。あの方は貴女をお叱りにはならなかったのでしょう? 気分を害してはいらっしゃらない筈だわ」

「そうでしょうか……」

「そうよ。あの御方はそんな些細なことでお怒りにはならない。だって、とても心優しい人なんですもの。――私の王子様は」

 最後の一言を発する時、マーヤトリナは今迄見せなかった表情を見せたが、その場にいる何者も彼女の感情の変化に気付くことはなかった。

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