第31話 気になるのに



 下校途中、道路橋で出会った霧生きりう先輩に、いきなり抱きしめられた。


 その骨張った感触に動揺しながらも、私——彩弓あみは呆然と立ち尽くしていた。


「……どうしたんだ? 霧生先輩、寒いのか?」


 ようやく我に返った私が口にしたのは、そんな言葉だった。


 すると、霧生先輩はますます強く抱きしめてきて、私は完全に動けなくなる。


 突然の出来事に困惑する中、霧生先輩は落ち着いた声で口を開く。

 

「違う。どうすれば伝わるんだろうな、この厄介な気持ちが」

「どんな気持ちなんだ?」

「団長を溶かして飲み干したい」

「ええ!? 恐ろしいことを言うな!」


 私が身震いしていると、霧生きりう先輩は小さく笑った。


「たとえだ」

「わかりにくいぞ」

「そうだな。俺もよくわからない。だが好きだと言ったところで団長はわからないだろ?」

「嫌いよりは好きのほうがいい」

「そういう話じゃない」

「なら、どういう話なんだ?」

「俺の自宅に来れば、思い知らせてやれるぞ」

「それはダメだ」

「じゃあ、ここで思い知らせてやろうか?」


 言って、霧生先輩は私の唇に指で触れてきた。


 するとなぜか心臓がドキドキして、恥ずかしい気持ちになる。


「や、やめてくれ」

「ちょっとはわかるようになってきたか?」


 写真で見た自分の姿が脳裏のうりにちらついて、なんだか落ち着かない私だったが——そんな風に動揺する私の顎を霧生きりう先輩が持ち上げた、


 ――その時だった。


「……ムム?」


 道の先を歩く姉の姿を発見して、思わず霧生きりう先輩の手を振り払った。


「なんだ?」

「あれは……姉さんと一緒にいるのは、伊利亜か?」


 珍しいツーショットを見て気になった私は、電柱に隠れながらこっそり姉を見守った。


「団長、どうかしたのか?」

「姉さんと伊利亜が一緒にいる」


 姉たちの様子をうかがう私の元に、霧生先輩もやってくる。


 さきほどのくすぐったい気持ちはいつの間にか消えていた。


「ほう、意外な組み合わせだな——団長は気になるのか?」

「もちろん気になる」

「それは姉が心配なのか? それとも伊利亜が気になるのか?」

「どっちもだ。ついていくぞ」

「ちょっと待て」

霧生きりう先輩も早く!」

「俺も行かないといけないのか?」


 私は霧生きりう先輩を連れて姉のあとを追った。


 姉たちが向かったのは、自宅マンションの方角だった。


「よし霧生きりう先輩、私たちも行くぞ」

「行くってどこにだ?」

「私の家だ」

「行っていいのか?」

「かまわない。来てくれ」


 私が手を引くと、霧生先輩は驚いた顔をしていた。


 そして私は自宅の前まで来るとドアノブに手をかける。


 恐る恐る中をうかがうと、玄関にはやはり、うちの学校の制靴があって、伊利亜が上がったようだった。


「ただいま」


 リビングを覗くと、姉はコの字ソファで伊利亜と向かい合って座っていた。


 そして私がリビングに入るなり、姉がこちらを振り返る。


「おかえりなさい、彩弓ちゃん。今日は早かったのね」

「ああ、今日は友達を連れてきた」

「……こんにちは」


 霧生先輩を紹介すると、姉は手を合わせて顔を輝かせた。


「あら! あなたはこの間、彩弓ちゃんがさらわれた時に一緒にいた子ね」


 訴訟団体に捕まった時のことを言っているのだろう。愛想良く笑う姉の隣で、伊利亜は憮然ぶぜんとしていた。


「姉さんはどうして伊利亜と一緒にいるんだ?」

「気になる?」

「別に……私は気にならないぞ!」


 本当はものすごく気になるのに、なぜか私は素直になれず、霧生きりう先輩を連れて自室に向かった。

 



「気になるからついてきたんじゃなかったのか?」


 私の部屋を見回しながら、霧生先輩が訊ねる。

 

 メルヘンなぬいぐるみが山ほど飾ってある部屋を見られるのは、少し恥ずかしい気もしたが——気にしないふりをして私は答える。


「……聞いてはいけないような気がしたんだ」

「お前、もしかして」

「なんだ?」

「いや、やめておく」

「どうしてだ?」

「お前はそのまま気づかなくていい」

「なんの話だ」

「それより、なんだこの小さい服の山は」

「伊利亜ジュニアの服だ」

「伊利亜ジュニア?」

「この猫のぬいぐるみの衣装だ」


 愛しの伊利亜ジュニアを見せてやると、霧生きりう先輩は目を丸くする。


「これは……伊利亜?」

「何を言うか! 可愛いジュニアをあいつと一緒にするな」

「なんだ、やっぱりそういうことか」

「だからどういうことなんだ!?」






 ***





 

 彩弓が霧生にぬいぐるみを見せていた頃、リビングでは伊利亜が彩弓の部屋に続くドアをじっと見つめていた。 


「ふふ、彩弓あみちゃんのことが気になる?」


 見透かしたように言う友梨香に、伊利亜はまぶたを伏せる。


「いえ、とくには」

「このままだと、ウンギリーに取られてしまうぞ」


 意地を張る伊利亜に、友梨香は腕を組んで低い声を落とす。一瞬で空気が変わった友梨香だが、伊利亜は動じなかった。


「……取られるも何も、団長が誰を選ぼうと、俺には関係ありません」

「何を拗ねているんだ?」

「俺は拗ねてなんか……」

「まあ良い、騎士は皆、良い子ばかりだからな。誰にやってもかまわぬ」

「……」


 伊利亜が黙りこむと、友梨香は人差し指を立てて愛らしく笑う。


「けど、やっぱり彩弓ちゃん自身が決められるようになってほしいわね。流されて付き合っても、後悔するのは彩弓ちゃんだもの。だ、か、ら、」

「なんですか」

「ちょっと覗いてみない? 彩弓ちゃんたちの様子を」

「それは」

「怖いなら、あなたは見なくていいわよ」

「怖くなんか……ないです」


 伊利亜が躊躇うように言うと、友梨香はそんな伊利亜の腕を引いて、彩弓の部屋のドアをそっと開いた。

 

 ドアの隙間から見えたのは、霧生と人形遊びをする彩弓の姿だった。


 伊利亜が呆れた顔をする中、彩弓の声が響く。




「——おいジュニア、どうしてお前はジュニアなんだ」

「……ぶっ」

「こら、お前の番だぞ! ちゃんとしろ」

「わかった。……お前こそ、どうしてジュニア二号なんだ」

「それは私がジュニアのクローンだからだ。だが力では負けないぞ! こいつめー!」


 彩弓が持っていた伊利亜ジュニア二号を、霧生の人形にぶつけて弾き飛ばすと——霧生が吹き出す。


「ぶっ、あはははははは」

「笑ってないで、ちゃんと戦え!」

「あはははは! く、苦しい……」

「もう、遊んでくれるって言ったのに」

「わかったわかった。じゃあ、場所を変えるか」


 言って、霧生は彩弓を背中から抱きしめるようにして、人形を動かす。その恋人のような距離感に、遠くで見つめていた伊利亜が唇を噛む。


「これじゃあ、戦いにくいだろうが」

「そうか?」


 彩弓が不満げな顔を向けると、霧生はおかしそうな顔をしていた。




 彩弓の部屋で人形遊びが続く中、友梨香は一緒にドアの隙間から覗いていた伊利亜に声をかける。


「……まあまあ、いい雰囲気ね。ウンギリーはなかなかのやり手だわ」

「……」

「そんな顔するなら、あなたも混ぜてもらいなさいよ」

「……嫌です」






 ***







 夜になり。存分に人形遊びを楽しんだ私——彩弓は、マンションの外に霧生先輩を見送りに出ていた。


「今日は楽しかったぞ」


 私が素直な感想を伝えると、霧生先輩は破顔する。

 

「そうか、それは良かったな」

「またジュニアで遊ぼうな」

「そうだな。団長となら、人形遊びも悪くない」

「次はミュージカル風にするから、歌の練習してこいよ」

「ミュージカルだと? あははは……団長は本当に面白いな」


 そんな風に霧生が爆笑する中、ふいにマンションから人が出てきたので、私はとっさに避けるが——横を通ったのは伊利亜だった。


「――あ、伊利亜。お前も帰るのか?」

「……ああ」

「また学校でな!」

 

 私が手を振ると、伊利亜の方からため息が聞こえた気がした。

 





 ***

 





 霧生先輩と遊んだ翌週の月曜日。その日は朝から清々しいほどの快晴だった。


 だが天気とは裏腹に私の心は氷河期を迎えていた。


 返却されたテストが過去最悪の点数をたたきだしていたからだ。


 自分の席で答案用紙をくしゃりと握りつぶした私は、何もなかったかのように口笛を吹く。だが姉の反応を考えるだけで肝が冷えた。


 そんな感じで私が冷たい汗をかく中、教室のドアがガラガラと開く音がする。


 ふと視線をあげると、教室に入ってきたのはルアだった。


「おはよう、彩弓」


 ルアは私の机までやってくると、目を逸らしながら挨拶をする。


 その顔を見た瞬間、私は嬉しさのあまり立ち上がっていた。


「おお、今日は珍しくルアの方から来てくれたんだな」

「だって、友達なんでしょう?」

「ああ、友達だ! 認めてくれるのか?」

「そうね。私気づいたのよ」

「何がだ?」

「騎士たちが欲しければ、あなたを手に入れればいいのね」

「私をか?」

「そうよ。だから私決めたわ、騎士団はあなたごと手に入れることにしたの」

「よくわからないが……私はルアの友達だ」

「だから覚えておいて、これから私はいつだって団長の力になるわ」

「そうか! 私もいつだってルアの力になるぞ!」

「じゃあ、またお昼休みにね」

「ああ! お昼は一緒に食べような」




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