シノマギア

@knkw

第1話 28% unmatched 〜氷像の視線〜

 永く、悲しい夢を、俺は見る。

 冷たく、恐ろしい現実に、私はいる。


 今から俺が見るのは、悲しい死。

 今から私に訪れるのは、恐ろしい死。


 誰が俺?

 誰が私?


 関係ない。俺も私も、間も無く死ぬのだ。


 意識が覚醒する。

 ここは――どこだ?

 ひどく寒い。俺は、私は、どのくらいここにいるのだろう。

 棚に段ボールが積まれるここは、倉庫だろうか。


 首を左に傾け、ゆっくりと正面に回す。

 左の壁にかかった壁掛けの時計は午前五時を示していた。


 そうか、俺はここにきてまだ数秒も経っていない。

 そうか、私がここに来てもう五時間も経っているのか。


 もう、限界だ。


 全身に力が入らない。

 正面の扉、その隣の黄色と黒のストライプのレバー。あれは中から扉を開けるためのものだ。あそこにさえ辿り着ければ、私は助かるのに、私はもう動けない。


 私はここで死ぬのだ。

 諦めたように、眠るように、車座の姿勢で首の力を抜くと、視界を黒い髪が覆った。それに任せて、瞼を閉じる。


 怖い。

 怖い。怖かった。

 寒さに麻痺した思考でも、それだけは確かにあった。


 死ぬのも怖いけれど、なにより殺されるのはもっと怖かった。

 人の悪意によって死ぬということが、とても恐ろしい。


 一体、私はいつ出ることができるのだろう。

 いいや、こいつは出ることはできない。俺は知っている。


「――? ――! ――!」


 突然、冷凍倉庫は外から開かれる。

 扉には一人の男が立っていて、私に掴み掛かる。


 誰? 私はこんな人知らない……。

 誰だ? こんな奴、関係者リストに無かった。


 壁掛け時計が一分進む。


 俺の、こいつの、私の視界は遠ざかり、やがて闇に落ちる。


 死に、沈む。


 ※


画像


「これがシノマギア……じゃあ、あの人が今?」

「そうだ、隣に眠る死者……大暮葉子の死の間際を体験している。彼女が死ぬ寸前に何を見て、何を感じて、何を思っていたのか。シンカーという被験者が、あの装置、シノマギアで死者とシンクロすることによりそれは可能となる」

 半径五メートルほどの円形の真っ白な空間に二つ並べられたベッド。その一方には女の死者が、もう一方には男の生者が寝かされていた。共通するのは、頭をコードの絡まるギアで覆われていることくらいだ。

 それをマジックミラー越しに別室から覗き見るのは、またも二名の男女。30代後半ほどの女性はグレーの上等なスーツ。彼女より十歳ほど若い男性は、皺の少ない白いシャツを着ていた。

「シンカー、覚醒します!」

 部屋内でモニターと睨めっこをしていたうちの一人が顔を上げて叫ぶ。

『――!』

 すると突然、マジックミラーの向こうで眠る男性が、悪夢から飛び起きるように手足をばたつかせて、その身を起こす。部屋は防音らしく、音は一切、こちら側には聞こえない。

 荒い息を繰り返す男性はヘッドギアを乱暴に剥ぎ捨てる。そこへ、気の弱そうな笑みを浮かべた小太りの所長が、ミネラルウォーターのペットボトルを差し向けていた。

『――』

『――――』

『――』

 二人は何やらを話し合うと、所長は手元のタブレットを操作する。数秒もせずに、通知音が近くで響いた。

「行くぞ、志島」

「あ、大貫さん! もう行くんですか!」

 大貫と呼ばれた女性――大貫悠雅――は、志島と呼ばれた男性――志島雪彦――を連れて、ここ、警視庁捜査特殊課を後にする。

 部屋を出る直前、志島がふと振り返ると、モニターの一つはある数値を示していた。


 “28% unmatched”


「ここからは私たちの仕事だ。シノマギアを使って得た情報を基に捜査を進める」

 警視庁のパーキングに停められた車に乗り込みながら、新人である志島に大貫は説明を始める。

「でも! 死者の記憶なんて本当に当てになるんですか?」

「当てになるかどうかを確かめるのも、私たちの仕事だ。シノマギアはまだ試作段階。そのテスターが私たち特殊課。他に何か質問は?」

 志島がシートベルトを絞めるより先に車は発進する。比較的新しい車種らしく『シートベルトが着用されていません』というアラートまで鳴り響く。大貫は無視していたが。

「捜査って言ったって……俺、まだ事件の概要も知らされてないんですが」

「着くまでこれ見てろ」

 モタモタとシートベルトを取り付けている志島の胸元にタブレットが押しつけられる。既にロックが外され資料が表示されている。大貫はどこまでもせっかちらしい。


 事件の概要はこうだった。


 ※


 5/21(昨日)の朝九時、T大の女学生、大暮葉子の遺体がO食品工場第五冷凍倉庫にて、警備員高倉順一により発見された。

 死因は凍死。

 現場となった冷凍倉庫のある食品工場はすでに移転が決定されており敷地内に職員はおらず、侵入者を警戒する警備員が一人いるのみだった。

 被害者大暮葉子が侵入したのは【0時ちょうど】。敷地の入り口監視カメラに映り込んでいるのが確認された。

 被害者はその後、おそらく敷地内を移動したあと冷凍倉庫内へ侵入し、発見まで倉庫内にいたと思われる。

 警備員は0時の交代のために、倉庫の前にある詰所にいなかったこともあり、その間の移動と侵入は容易である。

 また、冷凍倉庫に鍵はかかっておらず、外からも中からも開けることは可能。


 ※


「……は? 冷凍倉庫に鍵はかかってなかったんすか?」

「そうだ。正確に言えば、外から鍵をかけることはできる。だが、人が閉じ込められる危険があるため、【中からは鍵なしでも開けることができる】。事件発覚直後は閉じ込められた事故である可能性があったが、これによって事故説は消えた」

「だったら、自殺……ですかね」

「かもな。だが、生前の彼女にその様子はなく、遺書なども発見できなかった。だからこそ、シノマギアが使われることになったんだ」

「シノマギア……」

 志島は思い出す。大暮葉子の遺体と並んで眠る、男の姿を。


 シノマギア。それは死者の【死の間際】を覗き見る装置。

 人間は身の危険を感じるとその記憶を深く脳へ焼き付ける。俗にトラウマなどと呼ばれるそれだが、自らに訪れる死すら、脳は強く焼き付けている。

 そこに着目し、機能が停止した脳からも記憶を読み取る装置、シノマギアが作られることになった。


「シノマギアの“sin ”は罪。“magia”は魔法。合わせてシノマギア。あるいはかつて絶滅した翼竜、シノマクロプスと装置を意味するギアを合わせて――」

「いや、ダジャレっすよね。死の間際、の。ダジャレ先行で名付けられてますよね。そのあとで意味をくっつけようとしてますよね。めちゃくちゃ苦労してる跡が見えるんですが」

「私もそう思う」

 車は住宅街へと進む。

 ナビも使わずによく迷う様子もなく進めるものだと志島は関心する。

「で、俺たちどこ向かってるんすか?」

「羽生浩平の家」

「誰っすか」

「警備員」

 せっかちはいいが、全然説明をしない人だ。

 志島は閉口するが、おや、と思う。

 遺体を発見した警備員の名は、“高倉順一”。

 今出た警備員の名前は、“羽生浩平”。

 名前が違う。

「二枚目を見ろ」

 コツコツ、と大貫の整えられた爪が、タブレットの右端を示す。スワイプすると、顔写真と共にプロフィールが現れた。

「羽生浩平、35歳、警備員……事件前日、17時から24時までの担当……すか」

「シノマギアで見た記憶に、そいつが出てきたらしい。被害者が死ぬ直前……【朝5時ちょうど】だとさ。被害者が壁掛け時計を見ていたことで分かった。こいつは関係者リストになく、事情聴取もされていない。だからこれから行くんだよ」

「なるほど……でも、よかったっすね。死ぬ直前に時計を見たってことは、死亡時刻はかなりはっきりしてる訳っすから。だけどそうか、0時に入って、朝5時……5時間も冷凍倉庫にいたんすね」


「そうだ。普通人はマイナス20℃の冷凍倉庫では1時間以上も生きられない。どういう理由があったかはわからんが、相当頑張ったんだな」


 志島たちを乗せた車からは、やがて羽生の住む一軒家が見えてきていた。


 ※


「お疲れ様、小鳥遊くん」

 四方を白い壁で囲まれた、ベッドが二つと機械が一つ立つのみの部屋で、ベッドの一つに腰掛ける小鳥遊と呼ばれた男は所長の顔を見上げる。

「今、捜査官二人が君が見たという羽生の家に向かっているよ」

「そうですか。まあ……その警備員が犯人だという確証もありませんがね」

「いや、わからないよ。何せ彼は第一発見者でありながら、その場から逃走してるわけだからね。何かを隠してることは明らかだ」

 小鳥遊はせっかく上げた顔を、再び俯かせる。

 視線の先には、ヘッドギアをつけたままの女、大暮葉子が眠り続けている。永遠に。

「気になってることが、一つあります」

 小鳥遊は呟く。

「この子の視線の向き……少し妙でした。意識が混濁した中、自分のいる場所を確認するために、倉庫の【左半分】しか見なかったんです。普通……全部見ませんかね」

「さあ、それは僕にはわからないよ」

 所長の、初老にさしかかり目立ちつつあるシワが歪んで笑う。

「まあ、そうですね……そんなことより、この子のヘッドギア、そろそろ外してあげましょう。このままは……可哀想だ」

 所長は頷き、ヘッドギアに手をかける。

 小鳥遊が目にした時は、その頭はすでにギアで包まれていたため、全体を見るのは初めてだった。

 それは外され、中から死してなお艶やかに輝く、茶色の髪が現れた時、小鳥遊は目を見開いた。


「所長……捜査官二人に連絡してくれ! 彼らは今、犯人と接触している可能性がある!」


 ※


画像


「で、話ってなんですか?」

 志島と大貫は差し出されたコーヒーに口をつける。

 目の前の男、シノマギアで見たとされる羽生は、あまり眠れていないのか疲れの溜まった顔で二人の刑事に向き合った。

「単刀直入にいいます。羽生さん、事件を目撃しましたね」

 志島の言葉に、羽生は明らかな動揺を見せた。シノマギアは、正しかった。

「流石……警察は優秀ですね」

「話してくれますね。昨夜から今朝にかけて、何があったのか」

 羽生は頷く。

「昨日、実は俺、警備を交代する時になって帰るのが面倒になって、詰所で少し眠らせてもらったんです。あそこには畳があったし……朝五時ちょっと前になって目が覚めたので、帰ろうと詰所を出て倉庫前を通りかかったら違和感を感じて……中を覗くと、人が倒れてて……」

「あなたが見たのは、大暮葉子さん一人ですか?」

「それは、その……」大貫の確認に、羽生は一瞬言い淀んだが、やがて「はい」と首を縦に振った。

「なぜ、通報しなかったんですか?」

 志島が加えて訪ねた、その時。

「あなた……?」

 廊下から、女性が一人顔を覗かせていた。

 長い黒髪が特徴的な女性だった。

「どうしたの? その人たちは?」

「あ、すみません……こちらは警察の、志島さんと大貫さん。こちらが、家内の……」

「真希です」

 羽生はお互いを紹介する。

 真希もおずおずと頭を下げた。

「あなた、何をしたの?」

 女性は不安げな顔で羽生を問い詰める。

「昨日、帰りが遅いと思ったら……まさか!」

「ち、違う! 俺は何もしてない!」

 ちょっとした修羅場が始まる。そう思った志島は慌てて二人の間に入る。

「まあまあ……羽生さん、よければ後ほど、一緒に来ていただけますか。続きはそちらで……」

 コクコクと羽生は頷く。

「すみません、でしたら先に行って待っていてもらえますか。私は少し、家内と話すので」

 その場にいて欲しくないらしい。無理もないだろう。

 大貫と志島は、羽生の家を出て、コインパーキングに停められた車へと向かう。

 そして、車のドアに手をかけた、その時。

 大貫の電話が鳴った。

「大貫です。所長……はい、はい……なんですって?」

 ただならぬ気配に、志島も視線をそちらへ向けた。大貫は顔を歪め、先ほど出てきたばかりの羽生宅を睨む。釣られてそちらを見る。

「あっ!?」

 すると、羽生宅の玄関ドアが勢いよく開かれ、中から羽生と真希が飛び出した。

 羽生は手元に光る何かを握り、乱暴に抱きしめた真希を自らの車に押し込める。そして車は車道へ飛び出していく。

「ヤバい……あれ、刃物だ!」

「追うぞ!」

 返事も聞かずに車に乗り込んだ大貫はドアが閉まる間もなく車を発進させる。志島は車席の下部に仕舞い込まれたパトランプを取り出し窓から屋根へと取り付けるとスイッチを入れる。途端にけたたましいサイレンが響き渡る。

「どうしたんすか!」

「犯人が逃げた!」

 ようやく志島は事態を認識し、無線のスイッチを入れ、応援を求め発報する。


 ※


 前方の車はやがて人気のない高架下をくぐるが、その先は行き止まりだった。

 乱暴に停車させると、運転席の扉から羽生が真希を引き摺り出すようにして転がり出る。その首元に包丁を突きつけたまま。

「う、動くな!」

 羽生は降り立つ刑事二人に吠える。

「少しでもこっちに来てみろ……こ、この女を……殺すぞ!」

 腕の中で震える真希に、羽生は包丁をひたひたと当てていた。

「ひっ……いやあっ、あなた、どうして! どうしてよおっ!」

「お前も騒ぐんじゃねえ! し、し……死にてえのかっ!」

 刺激すれば、彼女の白い肌に刃物が突き立てられる。それはあり得ない話ではない。

「わかった、俺たちは動かない。だからその女性を離してくれ」

 志島は拳銃に伸ばしかけていた手を離し、大貫と共に両手を上げる。

 その場に訪れる、こう着状態。

 羽生も大貫も、志島も誰も何も言わなかった。

 キン、と張り詰めた空気だけを、ぬるい風が攪拌していた。


 突然、その高架下に一つの影が舞い降りた。


 それはひらひらと紙切れのように、しかし羽生の頭へと一直線に落ちていくと、予想していなかった彼の頭を包み込んだ。

「がぁっ!?」

 それは、コートだった。

 誰が? そんなことを考えるよりも早く、志島は地面を蹴る。

 コートを取り払うのに手間取る羽生を押し倒すと、真希を解放し、包丁を取り上げる。そのまま腕を後ろ手に組ませると、手錠を取り出し――。

「羽生浩平! お前を――」


「殺人、そして拉致監禁の容疑で逮捕する」


 冷たく告げるその声は、背後の大貫のものだった。


「――【中島真希】、大暮葉子を殺したのは、お前だな?」


 彼女は、羽生から解放された真希の腕に、手錠をかけていた。

「あ、あぁあ……!」

 志島が組み伏せたままの羽生は、未だまとわりつくコートの中で、啜り泣きを始める。


「あ、あ、ありがとうございます……! ありがとうございます、ありがとう、ございます……!」


 志島は顔を上げる。

 そこには、陸橋の手すりから身を乗り出してこちらを覗く、所長とシノマギアに接続されていた男が、こちらを見下ろしていた。


 その間ずっと、羽生はありがとうと繰り返していた。


 ※


画像


「では、一から説明してもらおう。小鳥遊日人、君はシノマギアで何を見たのか?」

 薄暗い会議室で、五人の男たちは尋ねる。

 彼らと違い椅子も与えられず立ったままの小鳥遊と、同じく立ち尽くす所長。

「そして――何故、中島真希を犯人と断定したのか」

「はい」小鳥遊は姿勢を正し、言葉を紡ぎ出す。


「自分が見た、被害者の死の間際。それはこのようにまとめられます。

・被害者は、倉庫の左半分を眺めた。

・その際、被害者は倉庫に鍵がかかっていないと認知した。

・壁の時計は五時を示していた。

・被害者の視界を、黒い髪が覆った。

・被害者が死ぬ間際、羽生浩平が現れた。

 ――以上です。

 ここで疑問視されるのは、【何故被害者は、冷凍倉庫内から死ぬまで出なかったのか?】です」


「自らを殺そうとする犯人が、倉庫の外にいるかもしれないと考えたからでは?」

 男の一人が言う。

「いいえ。それはあり得ません。倉庫の外は警備員の詰め所があります。犯人がいるならば警備員に見つかっています」

「その警備員が、犯人だとは考えられないのか?」

 続けて一人が言う。

「それもあり得ません。犯行は、警備員が交代するタイミングで行われました。警備員の一人が犯人ならば、自分一人が勤務する時間帯で行うはずで、わざわざ他の警備員が現れるタイミングは選びません」

「では、何故被害者は密室でもない冷凍倉庫から出なかったと?」

 畜生、小鳥遊は歯噛みする。こいつら全員、わかってて聞いてやがる。わかっていて、揃って道化を演じているのだ。


「……冷凍倉庫から出なかった理由、それは【警備員に見つかることを恐れた】からです」

「被害者である大暮葉子が?」

「いいえ……【犯人である中島真希が】です。事件当時、あの冷凍倉庫には、【犯人と被害者の二人が、揃って中にいた】んです。被害者の大暮は、警備員を恐れた中島によって、冷凍倉庫内の内側から閉じ込められていたのです」


 ほう、などとわざとらしい感嘆の声が聞こえる。小鳥遊は不愉快だったが、顔に出ないよう力を込めた。


「流れはこうです。犯人である中島真希は、食品工場に大暮葉子を呼び出した。そこで二人は口論になり、殺意を感じた大暮は冷凍倉庫へと逃げ込み、それを中島は追うようにして中へと続いた。しかし、その直後に警備員が詰め所へ戻ってきてしまったために、犯人と被害者は出るに出れなくなってしまった」


「ちょっと待った」一人が手を挙げ、小鳥遊を遮る。

「君は犯人が冷凍倉庫に居たという前提で話しているが、その根拠は何かあるのかね」

「あります。それは【被害者の死亡時刻】です」

 ため息を堪え、質問に答える。


「警備員が詰め所に居ない時間帯に冷凍倉庫に入ったとすれば、入室時刻は0時ちょうど。しかし、マイナス20℃の冷凍倉庫では、防寒具無しなら1時間も生きることはできません。ですが、自分がシノマギアで見た被害者の視界に映っていた時計は朝の五時を示していました。被害者は、なぜ5時間も生きることができたのか? 答えは一つ。【犯人と被害者が、体を温め合っていたから】だと考えられます。

 加えて、茶髪の大暮葉子の視界に【黒髪】が映り込んでいたこと、そして視線を右へ移すことはなかったことから、中島は大暮を、【右から抱きしめるようにして暖をとっていた】と考えられます」


「では、警備員の羽生浩平が見たのは被害者の大暮だけではなく、同じく犯人である中島の、二人だったと?」

 小鳥遊は頷く。


「羽生浩平はおそらく、二人を助けようとしたはずです。シノマギアで見た記憶でも、彼は困惑した様子でした。しかし、おそらく中島はその際、羽生を脅迫したのでしょう。羽生は死体となった大暮を放置せざるを得なくなり、彼女はそのまま羽生の家へと身を潜めた。【黒髪の女と警備員が接触し、そのまま姿を現さないこと】から、自分は羽生宅に犯人となる女が潜んでいると推測しました。

 そして、そこへ本日、捜査官二人が現れ、逃げ場がないと悟った中島は、羽生を犯人に仕立て上げようと目論み、逃亡劇を演じさせた……以上、これが事件の顛末です」


「ど、どうでしょう……シノマギアは確かに、事件の解決へと貢献したかと思われますが……」

 小鳥遊の報告が済んだと思ったらしい所長は、かなり後退している額から滲む汗をハンカチで拭き取りつつ、五人の男たちへと訪ねた。

「それは、これから検討する。君たちは下がって良い」

 死ぬほどの思いをして事件解決に尽力したはずだが、それだけを告げられると小鳥遊たちは薄暗い会議室を追い出されるようにして出ていく。

「は、はは……あの人たちはああ言っていたけど、君がこの事件に大きく貢献したことは確かだから……」

 聞いてもいないことを、所長が話す。

「別に、気にしていません」

 小鳥遊はまっすぐ前を見つめて、廊下を歩く。


 別に気にしていない。それは、確かだった。

 小鳥遊の目的はそこにないからだ。


 あの五人の中に、妹を殺した犯人がいる。


 それを見つけ出し、殺すためなら、どんな辱めも受けてやる。


 ※


「結局、痴情のもつれとは……」

 同時刻、報告書をまとめながら志島はぼやく。

 逮捕された中島と殺された大暮は、同じ大学で同じ教授を取り合う関係にあったらしい。

「女、怖え〜……そしてなにより、二人の険悪な関係を知ってて放置してた教授も、怖え〜! そしてさらに何より、助けようとしただけなのに脅迫されて犯人にされそうになった羽生さん、不憫すぎる〜!」

「志島、うるさいぞ。それに、犯人にしかけたのはお前だ。気をつけろよ」

 大貫はスマートフォンを二代持ちしてソーシャルゲームを同時にプレイしていた。そこから聞こえる派手な曲と効果音の方がよっぽどうるさいと、志島は言ってやりたかったが、飲み込んだ。

 代わりに、別の話題にシフトしてみる。

「そういえば、あの人……小鳥遊さん? がシノマギアに接続されている時、モニターに【28% unmatched】って書いてありましたけど……あれってどういう意味っすか?」

「ん? ああ、あれか」

 思惑通り、大貫はスマートフォンをスリープさせ、志島へと向き直る。

「あれは、シンカーである小鳥遊と、シンク先である死体との適合率を表した数値だ。【28% unmatched】ってことは、適合率が28%で、二人は全然違う人間だ、ってことを意味してるわけだ。今回の大暮葉子とは、性別も年齢も役職も違う。同じ人間ってことぐらいしか共通点がないわけだ」

「え? いいんすか? たった28%の適合率で」

「ああ、むしろその方がいいんだ。シンカーが体験するのは、【死】そのものだからな。適合率が高い相手の死の間際を体験してしまうと、自分自身が死んだのだと体が勘違いしてしまう。プラシーボ効果……とでもいうのかな」

「じゃあ、たとえば……もしも適合率100%の相手の死の間際を体験してしまったら?」

「ああ、そうだな。【100% fullmatched】、そんな相手の死の間際を体験したなら――」


「――小鳥遊日人は、死ぬだろうな」

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