第33話 聖女候補と田舎町ヴェリテル


 窓には激しい雨と風が打ち付けている。

 整った顔立ちを不快そうに歪める息子の姿に、父であるダレンはかすかに口元を緩める。外では公爵令息としてふさわしい態度を取り、令嬢たちから羨望の視線を集める息子カイルが感情的になるのは、妹であるエレノアのことのみだ。

 だが、そんな父ダレンの微笑みにカイルは苛立つ。


「聖女を語る偽物が現れたのに、なぜそのように落ち着いていられるのですか? エレノアが聖女であるのはほぼ確定でしょうに」

「……では、その偽物はエレノアが聖女と認められることを避けるにはちょうどいいだろう。聖女と認定されれば、待っているのは王族との婚姻、それに聖女としての責務だ。娘を正道院へ送る理由となった者たちに、利用させる気はない」


 カミラが伝えた手紙によると、白い狐の顕現、そして不可思議な魔法が使えるようになったという。ただでさえ、聖なる甘味の復活に力を貸したエレノアへの注目は高まっているのだ。今、このときに聖女を語る者が現れたのはコールマン家としては好都合である。


「カイル、お前は私がその聖女候補と周辺の者について、調べていないと思っているのか?」


 その言葉にハッとしてカイルは、父の顔を見る。

 先程のカイルとは異なり、余裕さえ感じさせる微笑みを湛えた父ダレンだが、瞳の奥は笑ってはいない。むしろ、父は先程の自身よりも聖女候補という存在を不快に思っているのではないかとカイルは思う。


「ヴェリテルという田舎町ゆえ、情報が王都まで届かずにいたようだが……なかなか興味深い者たちらしい」


 机の引き出しからダレンは資料を取り出す。

 聖女候補という存在がエレノアにとって、どのような影響を及ぼすのかはわからない。そのためダレンは情報を収集したのだが、どうにもヴェリテルという町と聖女候補には不穏な気配がする。

 窓の外の激しい風雨はまだ続くことだろう。

 妹であるエレノアにとって、この聖女候補がどのような影響を及ぼすのかとカイルは深いため息を溢した。




 ヴェリテルという田舎町をカイルは初めて耳にした。

 父から手渡された資料を読み進めるカイルの眉間にはどんどん皺が寄っていく。

 目立たぬ片田舎であるヴェリテル、だがそこの正道院では王都や周辺都市とは異なり、過剰な信仰が行われているらしい。


「このことを中央の正道院は把握しているのでしょうか?」

「していたら、聖女候補など誕生していないだろうな。宗教と政は密接になりやすいが、ヴェリテルの町では信仰会が力を大きく持ち過ぎているようだ」

「聖女を利用し、中央でも力を持とうとしているのでしょうか……」


 歴史的に考えて、聖女という存在が信仰会の力を高めてきた状況もある。

 しかし、アスティルスでは信仰会以外の宗教も存在している。かつて、聖女を誕生させた信仰会が、王族に匹敵するほどに力をつけたことがあった。

 だがその結果、国内で争いが起き、民が傷付け合う結果となったのだ。

 なぜかそれから数年間は土地が枯れ、災害も発生した。神の怒りに触れたのではとの伝承が残っているほどである。

 それ以来、王家は宗教と政をしっかりと分け、聖女と呼ばれる者と婚姻をした。

 おそらくは力を分散する目的があったのではと推測されているが、現在でも信仰会は、そのバランスを崩さぬように注意を払っているはずだ。


「それは聖女候補とやらが、どれほどの力を持っているかにもよるな。エレノアのように膨大な魔力量や白い狐の存在があれば、信憑性もある。だが、単に自分たちで選んだだけでは王都では候補としてすら扱われないだろう」


 聖女となるには信仰会の選定を経てその後、国が認めたものでなければならない。国と信仰会、どちらもが認めることで存在が揺るぎないものとなるのだ。

 ここに公式ではないが、民の強い支持も選定には大きな影響を与える。

 聖女とは民にとっても、国や信仰会に対しての信頼を高める存在なのだ。

 

「その善し悪しは別として、先程おっしゃっていたように、偽聖女候補の存在はエレノアから注目を逸らす効果があるかもしれませんね」

「聖女となれば自由もなくなり、国や信仰会に利用され、王族との望まぬ婚姻を迫られる。エレノアにとって利点はないに等しい」


 王に忠誠を誓う貴族としては問題のある考えだが、妻レイアが他界したときにダレンは思い知ったのだ。いかに高位の立場にあり、その仕事が評価されようとも、家族を守ることすら叶わない。そんな無力さはダレンの生き方や考えに大きな影響をもたらした。

 自分の傍らで母の死に涙を湛えるカイル、そしてまだ言葉も話せないエレノアが彼の全てであると気付かされたのだ。


 かつての聖女を記述した書にあるのは、耳当たりの良い言葉ばかり並べられている。政治や貴族に縁の乏しい民であれば、純粋にその内容を信じられたであろう。

 だが、自身の娘や妹が聖女になると考えたときに思うのは、聖女となった者たちの心である。聖女の活動や存在を語る書にも正道院の話にも、聖女であった者たちの思いは書かれていないのだ。

 

「国も信仰会も民も、社会が聖女に望むのは利益だろう。だが、聖女にとってどうあることが良いのか、それを知る者はいない」

「…………エレノアにとってどうあることが良いのでしょうね」


 ダレンもカイルも自分の家族が聖女の可能性がなければ、聖女にとって何が良いのかという考えを持つことはなかったであろう。

 彼らもまた貴族の一員であるのだ。

 

「聖女にとってどのような形が望ましいのか、それを今、安易に答えを出すことは出来ない。だが、ヴェリテルに現れた聖女候補がどのような人物か、そしてその裏で動く者がどんな意図かを探る必要が出て来たな」

 

 激しい風雨は一向に収まる気配がない。

 窓を打ち付ける雨と暗い空は、近付いてくる不穏を暗示したように思え、カイルを不安にさせる。

 エレノアに連絡を取ろうにもこの天候では魔法鳥は飛ばせないのだ。

 遠く離れた妹に災難が降りかからぬよう、カイルは父ダレンと共に、不審な動きを見せる田舎町ヴェリテルとそこから誕生した聖女候補を調べていくと決意するのだった。



*****



 異様な熱気が高まるその空間で、少女は静かに祈っていた。

 本来、信仰会の祈りは立って、瞼を閉じて胸元に右手を添えて祈るというシンプルなものだ。

 しかし、今この場で祈る姿はそれとは異なる。

 素足のままの少女はうずくまるように祭壇に向かい、額を地面につけている。細く小柄な体が冷たい床に伏せている姿は、良識ある者ならば痛々しく映るだろう。

 だが、この場にはそのような思いに駆られるものはいない。

 注がれるのは興奮に満ちた目、閉ざされた祈祷舎に渦巻くのは熱気だ。

 祭壇も祈りの形も全て信仰会のものとは異なっているが、彼らは自分たちを正当な信仰会の信者だと認識している。

 古くからこの荒れた地で自らを制し、信仰を深めてきた自分たちこそ、中央で贅を尽くしてきた者たちよりも神に近い存在、そう信じて生きてきた。

 この地、ヴェリテルが恵まれぬのは神からの試練なのだから。

 

「聖女候補ウィローさま! 正道院長ヒューズさま!」

「なんと神々しいお姿なのでしょう!」

「ウィローさま、この地をお救い下さい!」


 小さな祈祷舎に興奮する人々の声が上がる。

 それは聖女と男を称えるようであり、救いを求めているかのようにも聞こえた。

 床にうずくまる少女の前には大柄な男が立っている。

 民の声やその興奮に満足げに頷く姿は正道院長としては華美な装飾と服装を身にまとう。信仰会の考えは自給自足を基本とし、神が与えた自然と共生することにある。

 そもそも信仰会は正道院長となる者を女性しか選ばない。

 研修士として正道院に務めるのは女性たちだからである。男性は修行士と呼ばれ、別の施設で活動するのだ。

 信仰会の上層部には男性も多いが、正道院長を名乗る彼はそれに当てはまらない。本来、彼は数年前にこの村に訪れた者でしかない。

 聖女と呼ばれる少女ウィローは床に這いつくばり、顔すら上げない。その前に立つヒューズは不遜な態度で微笑むと両腕を高く掲げた。

 その姿に人々は静まり返るが、視線は期待と熱を持ってヒューズに注がれる。


「ここにいる少女、ウィローはこの地で献身的に祈りを捧げた。純粋で無欲なウィローは他の誰よりも聖女となる資質を備えていると言えるだろう」


 先程の自身への称賛にも、今のヒューズの言葉にもウィローが心を動かした様子はない。ただひたすらに祈りを捧げているだけだ。

 床に這いつくばるように祈りを捧げる彼女の前で、尊大な態度を崩さないままヒューゴは宣言をする。

 それはここに集う人々が期待している言葉だ。


「ここに私、ギル・ヒューズは宣言する。ここにいる少女ウィローは聖女であると!」


 ヒューズの言葉に薄汚れた小さな祈祷舎には割れんばかりの大歓声が響く。喜びで頬を染める者、涙を溢す者と皆、それぞれに自らの気持ちを表す。

 そんな中でも聖女と言われた少女ウィローは祈りを捧げ続けたままである。



 異様な光景を遠く離れた場所で震えながら見つめる者がいた。

 かつて彼女は正道院長として、ここを管理し、研修士や訪れた者を導く立場にあった。だが、今は彼女の存在を気にかける者は誰もいない。

 歓喜で涙を溢す者たちがいる中、彼女は自身の不甲斐なさと今後への不安で涙を静かに流す。


「イライザさま……私はどこで道を間違えてしまったのでしょうか」


 震える小さな声は大歓声にかき消され、彼女以外の者に届くことはなかった。



 

 


 

 

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