第2話 領民の裏切り

「……が……か分からん。……この先どうするつもりだ、ヨハネス」

「仕方ないだろう。……のことは以前から……に」

「そうか、気をつけろ。帝国兵たちは、まだ……」

 すぐ近くから聞こえる密やかな話し声に、コーデリアは目を覚ます。

うっすらとまぶたを開けば、見知らぬ部屋と天井が見えた。

(ここは……)

「よかった。目を覚ましたのかね、お嬢さん」

 聞き覚えのある低い声とともに、白い髭(ひげ)に顔の半分を覆われた、小柄な初老の男がのぞき込んでくる。

 コーデリアのよく見知った顔だった。

 長年、レグルス家の主治医をつとめた老医師だ。

「……カルバン先生?」

 カルバン医師の隣に立つ、亜麻色の髪に青い瞳の、コーデリアの父と同年代の男性にも見覚えがある

 父の部下で、副領主のヨハネスという男だ。

「ヨハネスさんも……どうして」

 コーデリアは体を起こしかけて毛布がずり落ち、自分がベッドの上で寝かされていたことに気付く。

(牢……じゃない。どうして? 私、捕まったはずじゃ)

 周囲を見回せば、そこは牢獄ではなく、狭いが清潔に整えられた部屋だった。

 手足には包帯が巻かれ、返り血と泥だらけだった服は、いつの間にか白い寝間着にかえられている。

「ここは、どこなの?」

 ベッドから降りようとする彼女に、カルバン医師はいかめしい顔を更にしかめて制止した。

「いきなり動いてはいかん、お嬢さん。しばらく安静にせんと」

「だって私、帝都にいたはずなのに」

「落ち着いてください。ここは私の屋敷です、お嬢様」

 混乱するコーデリアをなだめるように、ヨハネスは声をかけた。

「ヨハネスさんの屋敷? なんで……?」

 老医師とヨハネスは彼女が眠っていた間の出来事を語る。

 日付を聞けば、自分が王都で気を失ってから三日も経っていたと知って、コーデリアは愕然とした。

 今朝、見知らぬ男がカルバン医師のもとに、眠ったままのコーデリアを馬車で運んできたという。

「その人って、どういう」

「さあ、私たちも見知らぬ顔でした。歳は三十ほどの背の高い男で、おそらく伯爵と親しかった貴族でしょう。お嬢様の治療費を支払うと、名乗りもせず、すぐ去っていったんです」

 コーデリアは縫い合わされた額の傷を、指でなぞる。

 あの日、帝都で見物人に石を投げられ、背後から何者かに殴られ――あれから今に至るまでの記憶が、すっぽりと抜けている。

 あの後、誰かが助けてくれたのだろうか。

 それとも「奴隷だ」とコーデリアを捕まえたのは、あの場から彼女を逃がすための狂言だったのだろうか。

 帝都では、赤髪や赤眼を持つ者は奴隷になる。

 この帝国で、赤とは邪神や魔獣を象徴する色だ。

 至高神と敵対し、民を苦しめた数多の邪神。

 その中で、最も忌み恐れられる「名もなき赤竜」は、その名の通り深紅の鱗とたてがみを持つ。

 赤竜だけでなく、邪神のしもべである魔獣たちも皆、暗闇で赤い目を光らせる。

 ゆえに赤髪や赤眼を持つ者は邪神の分身、あるいは邪神の呪いを身に宿し、世に災いをもたらす不吉な存在とみなされてきた。

 親に捨てられ、運よく生き延びても、社会になじめず奴隷に身をやつす。

 貴族階級の者ですら、貧しい家の者なら人買いに売られる。

 そうでなくとも徹底的に人目から隠され、幽閉されて生涯を終える者も珍しくない。

(確かに逃亡奴隷を捕まえたふりをすれば、あの時、見物人たちに疑われず、私を連れてあの場を離れることができた。でもあんな状況で、危険を犯してまで一体誰が……?)

 危険を承知で自分を助け、さらに帝国の目をかいくぐって帝都を脱出する。

 そんな芸当ができる人物に、全く心当たりはなかった。

 困惑するコーデリアに、ヨハネスは続ける。

「お嬢様だけでも、ご無事で良かった。レグルス家の者たちはすでに――」

「やめろ、ヨハネス」

 ヨハネスの言葉を、老医師がたしなめるようにさえぎった。

 ヨハネスが言わんとしたところを察し、コーデリアは顔を強張らせる。

 すでに「魔女」の一族への粛清は、始まっていた。

 親族だけでは済まない。

 レグルス家に関わった者たちまで、場合によっては厳罰を受ける。

(あの日、確か父さまたちは……)

 固く目を閉じ、コーデリアは記憶をたどる。

 屋敷が襲撃を受けた日、父はコーデリアと母が待つ屋敷に帰ってくるところだった。

 その時、兄弟子のエリクや何人かの討伐隊員は、父と行動を共にしていた。

 コーデリアは共に剣を学んだ兄弟子や、討伐隊の者たちの安否が気がかりだった。

「じゃあ……エリク兄さんや討伐隊の皆は、どうなったんですか?」

 コーデリアの問いに、老医師は険しい顔で首を横に振る。

「エリクを含めてあの日、伯爵といた者たちは一人残さず殺されたらしい」

 改めて突き付けられた現実に、少女は息が詰まりそうになった。

 二人のやり取りを眺めていたヨハネスが、気まずそうに話題を変える。

「と、とにかくお嬢様は運が良い。昨日まで帝国の兵たちは、伯爵家の屋敷やここ周辺を捜査していたんです。けれどお嬢様を見つけられなかったためか、最低限の監視だけを置いて、街道周辺に捜索を移したばかりでした」

 コーデリアはうつむき、毛布をきつく握りしめた。

 両親も兄弟子も殺され、姉が「魔女」として処刑されたのは現実なのだと、思い知らされる。

 姉を助けに、命がけで帝都まで走ったはずなのに。

 本懐も果たせず、自分だけがのうのうと生き残った。

(私が生き残っても、なんの意味もないのに)

 考えなければならないことは、山ほどある。

 なのに、ヨハネスの話が半分も頭に入ってこない。

「どうして、こんなことになったの? 姉さまが魔女だなんて、そんなわけがないのに、あんな酷い方法で……」

 老医師は痛ましそうに目を伏せ、薬湯で満たしたコップをコーデリアに差し出した。

「我々も何が起きておるのか、さっぱり分からんのです。お嬢さん、さぞ無念でしょうが、滅多めったなことは考えんことです」

「そうですよ。あなたを匿っていることが知られれば、我々の命も危うい。数が減ったとはいえ、まだこの辺りにも兵たちがいます。私が許可するまで、この部屋から決して出ないでください」

 ヨハネスが不安そうに釘をさす。

 コーデリアは薬湯のコップを手にしたまま、ぽつりと尋ねた。

「……どうしてヨハネスさんは、私を匿ってくれるんですか?」

 ヨハネスは柔和な顔に、困ったような笑みを浮かべた。

「以前からお嬢様の事は、伯爵から託されておりました。自分の身に何か起きた時は、娘を頼むと」

「父さまから? でも」

 コーデリアの反論を遮るように、ヨハネスは続けた。

「伯爵もお嬢様も貴族でありながら、自ら剣を持ち、いつ如何いかなる時も領民を魔獣から守ってくださった。我々は今こそ、レグルス家の恩に報いる時です」

 コーデリアの胸に広がったのは、わずかばかりの安堵と、それを上回る不安と罪悪感だった。

(いいのかな。だって、私は……)

 黙り込んだ少女を横目に、カルバン医師は机に広げていた荷物を片付け、鞄を肩にかける。

「また来ます。今はとにかく何も考えず、体を休めることです」

 そう念を押し、老医師は部屋を後にした。

 ほどなく入れ替わるように、焦げ茶のドレスをまとった三十代ほどの女性――ヨハネスの妻・アニスが着替えを持ってくる。

「お嬢様、お加減はいかがですか?」

 青い目を細め、優しげに微笑むアニスに、コーデリアは曖昧に頷いた。

「娘のドレスしかなく申し訳ありませんが、お着替えを」

「い、いえ。この服のままで……」

 このような事態になっても尚、伯爵令嬢として丁重に扱われている自分に、どうしようもない後ろめたさが襲ってくる。

 自分は「魔女の妹」として、帝国から追われる身だ。

 魔女は本人だけでなく一族の全てが、大人から子供まで一人残さず処刑される。

 家族や親戚だけでなく、場合によっては関係者さえ無事ではすまない。

(いつまでも、ここにはいられない。だって――)

 コーデリアはひっそりと、カーテンの隙間から窓の外を窺う。

 西へと傾き始めた太陽が、早くも山際に差しかかろうとしていた。

(私には、助けてもらう資格なんてないんだから)


***


 寝室で夕食を済ませると、コーデリアは髪を後ろでひとつにまとめて結ぶ。

 窓を開け、バルコニーを足場に地面に飛び降りた。

 音もなく着地したその時、屋敷から聞き覚えのある、甲高い声が響く。

「なんであんな子を匿うの、お父様。しかも、私のドレスまで使わせるって……。もし誰かに知られたら、私たちまで罰せられるのに」

「仕方ないだろう。伯爵から、あの娘のことを頼まれていたんだ」

 ヨハネスと、彼の娘のリリアナの声だった。

 コーデリアは足音を立てないよう壁に近寄り、耳を澄ませる。

「はあ? ソフィア様ならともかく、あの捨て子を?」

 コーデリアはいたたまれなさのあまり、目を伏せる。

 リリアナの言う通り、コーデリアは「捨て子」だ。

 赤子の頃、森に捨てられていたところを、この地を治めるグレンゼ伯爵に拾われ、伯爵家の養女となった。

「そう言うな、リリアナ。あの娘を引き取る報酬は、伯爵からもらっている。ほら、見ろ」

 苛立いらだたしそうな娘を、ヨハネスはどこか楽しげな声でなだめる。

 カタン、と何かを開けるような音が聞こえ、コーデリアはふと窓から部屋の中を覗いた。

 造りは古いが、そこそこの広さのある書斎だ。

 飴色にくすんだ書斎机に腰掛けたヨハネスと、机に両手をつき、父親を見下ろす亜麻色の髪の少女。

 ヨハネスが書斎机の引き出しから、いくつもの宝飾品をつかみ出す。

 その中のひとつ、大粒のガーネットを三重に連ねた首飾りに、コーデリアは息をのんだ。

(あの首飾りは、まさか……)

「すごい!」

 リリアナの目が輝く。

 対照的に、コーデリアは沈痛な表情を浮かべた。

 魔獣の瞳を連想させることから、この帝国では赤い宝石の価値はさほど高くない。

 暗黙のマナーとして、公の場で身につけることも避けられている。

 それでも伯爵夫人だった母が、深紅のルビーがコーデリアの瞳とよく似ているからと大切にしていた品だった。

 宝飾品に興味はないコーデリアだが、その首飾りだけは彼女にとって特別な、何物にも代えがたい母の形見だった。

「もう少しの辛抱だぞ、リリアナ。あんな気味の悪い赤髪の忌み子なんか、いつまでも匿っておくつもりはないからな」

「もう少しって?」

「あの娘に懸賞金がかかるまでだ。魔女の妹だ、じきに莫大な賞金がつく。それまで隠しておけばいいさ」

 コーデリアは胸が急激に冷え、固まってゆくのを感じた。

(……何が『レグルス家の恩に報いる時』だ)

 彼らが自分を引き取ったのは、伯爵だった父への忠義ではなく、金が目的だった。

(こんな奴らを守るために、私たちは命懸けで魔獣と戦っていたっていうの!?)

 自分はただの孤児だと、コーデリアは分かっている。

 伯爵令嬢だった頃から素性の不明さと赤髪赤眼を理由に、彼女は周囲の者たちから疎まれてきた。

 家族やごく一部の親しかった人間を除き、赤い瞳とまともに目を合わせる者などいなかった。

 それでも少女は幼い頃から剣をふるい、領民を守るために魔獣と戦ってきた。

 そうすればいつか、きっと自分を受け入れてもらえる日がくると、心のどこかで思っていた。

「本当⁉ じゃあ私、新しいドレスと靴が欲しい!」

「いいぞ。あの忌み子を引き渡したら、いくらでも買ってやる」

 怒り、憎しみ、失望、悔しさ――混沌と渦巻く感情を押さえ込むように、少女はぐっと腹に力を込める。

(分かっていたはずなのに。伯爵家の養女という肩書きがなければ、私はただの忌み子で孤児だと)

 自分は一体、何を期待していたのだろう。

 怒りの後に虚しさがこみ上げ、乾いた笑いが漏れた。

 窓を叩き割って部屋に入り、引き出しの中身を強奪するか、少女は逡巡する。

 せめて母の首飾りだけでも、取り戻したい。

 しかし騒ぎを起こせば、すぐ帝国兵が駆けつけるだろう。

 今、捕まるわけにはいかない――

 コーデリアは二人に背を向け、足音を立てないよう、その場を立ち去った。

 庭木に隠れながら、ひと気のない裏手にまわる。

 レンガ造りのへいをよじのぼり、外へ出た。

 物陰に身を潜め、周囲を窺った、その時。

「そんな寝間着でどこへ行こうというのだね、お嬢さん」

 低くしわがれた声が、背後から響く。

 とっさに振り返った少女は、ランプの白い光に思わず目をしかめた。

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