【短篇】幽霊屋敷

笠原久

あるオカルトライターの体験

 なかなか雰囲気のあるお屋敷だった。


 三方を切り立った崖に囲まれ、崖のうえには竹やぶが生えている。そのせいで、お屋敷は日の光が差さず陰気な雰囲気をかもし出していた。


 春の陽気でぽかぽかしているはずなのに、屋敷の周辺だけジメジメしている感じだ。


 屋敷そのものも古ぼけていて、手入れがまともにされていない。外壁にはツタが這っていて、壁も窓も薄汚れていた。


「お気に召しましたか」


 管理人だという男は抑揚のない口調で訊いた。痩せた青白い男で、顔色が悪く、目の下のクマが特にひどい。スーツもだいぶくたびれている。


 私は笑みを浮かべ、カメラを構えた。


「素晴らしいところだと思います。いえ、私が言うと、失礼に聞こえるかもしれませんが……」


「お気になさらず」


 管理人はそっけない口調だ。


 私がこの屋敷の噂を訊いたのは、先月のことである。山奥の廃ビルに幽霊が出るというので、取材に出かけたのだ。


 ところが実際に行ってみると、ビルはとっくの昔に解体されていて、なんの成果も上げられなかった。おまけに帰りのバスが事故って横転、命からがら帰宅するというありさまだった。


 気晴らしにネットを見ていたら……ちょうどこの幽霊屋敷の話を知ったのだ。すぐさま不動産屋に問い合わせると――これまたビンゴ!


 あの屋敷は本当に出るからやめたほうがいい、と電話口で何度も説得され、あきらめきれず店舗まで押しかけると、「頼むから帰ってくれぇ!」と悲鳴のような懇願とともに塩まで撒かれる始末……。


〔こりゃあいよいよ本物だぞ〕と私は興奮を抑えきれず、何度も頼み込んだ。


 そして、最終的にこの管理人だという男を紹介されたのだ。常にうつむいていて、私を見るときも上目遣いになる。表情の変化にとぼしく、ポケットに手を入れ、猫背で歩く若い男。


 所作そのものはとても静かで、特に歩く音がいっさい聞こえない。


 普通だったら不気味さに恐れをなすところだろうが……私はむしろ、わくわくしていた。実にそれっぽいじゃあないか!


 私は高揚する気分そのままに、屋敷にむけて歩き出した。


「中のほうも、見せてくださるんですよね?」


「当然ですよ」


 相変わらず足音を立てず、男は先頭に立った。私はついて行き、いよいよ屋敷の内部へと足を踏み入れた。


 そして――正直なところ、がっかりした……。


 確かに、外側は雰囲気があった。いかにも出そうな気配がした。しかし、見たところ屋敷の内側はごく普通の集合住宅といってよかった。


 元は金持ちの別荘だったというこのお屋敷は、各階の個室をそれぞれのアパートメントにしている。


 入ると共有のエントランスホールがあり、住民の憩いの場にするためかイスとテーブルが何脚もそろえられている。奥には緑の芝生に覆われた裏庭、あるいは中庭まで見えた。


「向かって右手が食堂、左が大浴場に続く廊下です」


 管理人はそう説明したが、私は心ここにあらずだった。思った以上に、内部は明るい雰囲気で、幽霊屋敷らしさなど微塵も感じられないのだ。


「あら?」


 そして追い打ちをかけるように、きらびやかな美女が現れた。幽霊屋敷にまったく似つかわしくない、露出の激しいドレスを着たスタイル抜群の美しい女性である。


 豊満な胸に色っぽい足、布越しでもわかる煽情的なお尻……ホラーや幽霊譚より、スパイ映画かなにかに出てきそうな人物だ。


「新しい住人?」


 彼女は、まるで金持ちが暮らすエリアにうっかり迷い込んでしまった貧乏人でも見るかのように、不躾な視線で私を見た。


「いえ、その、私は――」


 私が返答する前に、美女はフッと息を吐いて、


「なんでもいいけれど、汚さないでよ?」


 と、嫌悪感を隠そうともせずに言って、お屋敷を出ていくのだった。私はかつかつとヒールの音を鳴らして歩く彼女の後ろ姿をただ黙って見送ることしかできなかった。


「行きましょうか」


 半ば呆然としている私をうながして、管理人は歩き出した。


 私が今日、内見する予定の部屋は四階にある。金持ちの別荘を改築した物件だけあって、しっかりエレベーターがある。


 廊下も部屋も、内部は見事に掃除が行き届いていた。


 エレベーターも清潔で、汚れひとつなく、ホコリも見当たらない。廊下の窓も――外側の汚れはなんだったのか? と呆れてしまうほどピカピカで、透き通ったガラス越しに美しい春の陽気を伝えていた。


 管理人が案内してくれた部屋もそうだ。家具こそないが、玄関も、洗面所も、キッチンも、バスルームも、トイレも……どこをとっても新居のようなきれいな部屋だった。


 あらかじめ設置されているエアコンさえ新品だ。


 幽霊など出そうにもない。私はカメラで写真をとることさえ忘れて、立ち尽くしていた。


「こちらが四◯三号室の鍵です」


 不意に、管理人が鍵を押しつけてくるものだから、私はびっくりしてしまった。


「いやいや! 冷やかしだと怒るかもしれませんが、私は住むつもりはなくてですね、あくまでも幽霊が出ると聞いて取材に――」


「存じていますよ」


 管理人は有無を言わさぬ調子で、鍵を私の前で揺らす。


「ここは幽霊が住む屋敷ですからね。あなたにお渡ししておきます」


「本当に出るんですか……?」


 まさか、この男が幽霊だとでもいうのか? だが、だからといって幽霊屋敷に住むつもりは――


住民ですから」


 いぶかしく思う私の困惑をよそに、管理人は鍵をしまうと私の隣に歩いてきた。そうしてスマホを取り出し、一枚の写真を撮影した。


「何が見えます?」


 相変わらず抑揚のない口調だ。私は唖然として、スマホの画面に見入った。


 やせ細った顔色の悪いスーツ姿の男の隣に、血まみれで壊れたカメラを持つ男が写っていた。


 左側の頭がへこんでいるうえに眼球が片方飛び出していて、顔の肉が半分以上そげてなくなっている。左半身の傷が特にひどく、腕が変な方向に曲がっていた。


「先月」


 と、管理人はスマホを操作して、ネットニュースの記事を私に見せつける。


「バスの横転事故で、運転手と乗客が亡くなっています」


 見えますか、あなたの名前です、と彼は画面を指で示した。


「運転手のほうはすぐに成仏したようですが、乗客のほうは自分が死んだことに気づかず、不動産屋に電話をしたり直接店に訪れたりしていました」


 管理人はあらためて鍵を取り出し、


「さすがに電話口ではわからなかったようで、不動産屋は最初、気づかなかったそうです。ただ、店を訪れたときは大騒ぎで、塩まで撒いたのになんの効果もなく、僕のほうに話がまわってきたんです」


 彼はもう一度、私の目の前で鍵を揺らした。


「あなたもこの屋敷に興味津々のようですし、ちょうどいいでしょう。ひとまず、その姿をなんとかしましょうか。大丈夫です。一階で会った女性を覚えていますか? 彼女みたいに、がんばれば美男美女になることもできます。霊体は実体と違って、意外と融通が利きますから」


 どうぞ、と管理人は鍵を渡してきた。私は放心状態のまま、鍵を受け取ることしかできなかった。(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短篇】幽霊屋敷 笠原久 @m4bkay

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ