Epilogue

 今日は、いつもとは違う散歩ルートを通ってみよう。足がいつもの道へ向かおうとしているのを止め、方向転換をしようとしたその瞬間、振り向きざまに誰かにぶつかってしまった。


「すみません」

 

 僕は慌てて謝罪の言葉を口にした。ぶつかってしまった相手は割と若い女性だった。ざっと見たところ、勢いがなかったことが幸いしてか、互いに怪我はない様子だった。


「いえ、私の方こそ」


 そう謝る女性は、まるで結婚式のブーケかのような真っ白な花束を、腕に大切そうに抱えていた。

 

「あ、お花、大丈夫でしたか?」

 

 つぶれていたら大変だと思い問いかければ、女性は花束を軽く確認してから「大丈夫です」と頷いた。

 

「これから大切な人のお見舞いに行くんです」


 照れくさそうにそう語る彼女は、花に負けないぐらい美しかった。それにしても、お見舞いにジャスミンの花束とは。華やかなその花束を僕はしげしげと見つめてしまう。

 

「お見舞いにジャスミンって、珍しいですよね?」


 じっと花束を見つめながら、僕は問いかけた。

 

「ですよね。でも、私にとっては、大切な意味があるんです」


 そう微笑む彼女の笑顔から、これからお見舞いに行く相手はきっと、彼女にとって大切な人なんだろうな、と察しがついた。おそらく、花自体に思い入れがあるか、花言葉に意味があるのだろう。

 こういう時、ジャスミンの花ことばがパッと思い浮かべばスマートなのかもしれないけれども、あいにく僕はまだそこまでの花マニアにはなれていない。

 

「伝わるといいですね」

 そう微笑みかければ、彼女も素直に微笑み返してくれた。

 

 最後に互いに一礼だけして、僕たちは反対方向に歩き出した。

 花、か。

 そこでようやく、僕はそもそも気晴らしに花屋へ行こうと思って散歩に出たことを思い出した。これじゃあ、本末転倒だな、なんて自嘲しながら、僕は彼女が来た道を歩く。

 

 最近、家に花を飾れていなかったんだよな。そんなことを考えながら、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 久しぶりに花を買って、飾ってみるのもいいかもしれないな。再び大きく息を吸い込むと、鼻腔を微かな花の香りがくすぐった。

 店先であいさつしてくるガーベラを横目に、ゆっくりと店の奥へと歩みを進める。

 今日は、どの花にしようか。

 さっきの彼女みたいにジャスミンも良いけど、どうせ自分の部屋に飾るだけだし、珍しく派手なものにしてみてもいいかもしれない。そう吟味し始めた時、店の奥から見知った顔が現れた。

 

「あれ? 君は」

 

 僕がそう声をかければ向こうは驚いたように小さく飛び上がった。

 

「あ、お疲れ様です」

 

 ひどく上ずった声で彼はそう言うと、とっさにズボンのポケットに両手をしまった。

 僕の主演テレビドラマの主題歌を担当してもらった縁で数回顔を合わせただけの僕たち。互いの顔と名前は知っているけれども、それ以上のことはほとんど知らない。そんな相手と花屋で偶然出くわす。なんとなく、気まずい。

 お互いにどんな言葉を続けようかと考えあぐねていたその時、タイミング悪く店員が彼の注文した花を届けに来た。

 大ぶりの白と赤が目を引く、ポインセチアの花束だ。

 

「彼女に?」


 不自然にならないように意識しながら問いかけると、彼は首をぶんぶん、と振って否定する。

 そんなに必死に否定したら、むしろ余計に怪しまれるぞ、なんて思いながら僕は苦笑した。

 

「か、彼女なんて、いません」


 明らかに動揺はしている声に、なんだかこちらが悪いことをしているような気分になる。

 

「その、昔の、なんていうか、友人の、結婚式で」


 しどろもどろな説明が、彼の言葉と真実が異なることを物語っている。おそらく、花束を贈る相手は昔の友人ではなく、昔の恋人または想い人なのだろう。ある意味で、正直な青年だ。


「そう。そのご友人、幸せになれると良いですね」

「はい。えっと、じゃあ、お先に失礼します」


 そう言って彼はそそくさと店を後にした。相当気まずかっただろうな。まあ、これからもっと気まずい時間が続くんだろうけれども。

 そんなことを思いながら、僕は再び花と向き合う。

 過去の女性、ねえ。

 ぼんやりとそんなことを考えながら花を眺めていると、1つの花が、目に留まった。

 

「すみません」

 

 自然と、僕は店員さんに声をかけていた。

 僕にしては珍しい、衝動買いだ。

 

「このダリア、お願いしたいんですけど」


 


「あれ? 今日なんかあったの? その恰好」

 

 結婚式が終わってから、披露宴には出席せずに仕事へと出向いた。今日はテレビ局で音楽番組のリハーサルだ。

 早々に仲間から服装の指摘を受け、俺は小さくため息をついた。

 

「今日は、元カノの結婚式だったんだ」


 何でもないことのように言いながら、ジャケットを近くの椅子の背もたれにかける。

 

「元カノの結婚式とかさ、気まずくない?」


 水の入ったペットボトルを渡しながら、彼は問いかける。

 

「まあな。でも俺の中でけじめ、つけたかったからさ」


 素直にそう告げればふーん、とさして興味もなさげな反応が返ってきた。何なんだよ、こいつ。心の中で悪態をつきながら、ペットボトルのキャップをひねった。

 

「気まずいって言ったらさ、結婚式行く前に寄った花屋で、この間のドラマでお世話になった俳優さんに会っちゃってさ」

「うわー、それ気まず」

「本当に、空気が地獄だったわ。違うタイミング出会えたらさ、反応全然違ったんだけどな」

「確かになー」


 そんな会話をしていると、リハーサル室の準備ができた、とスタッフさんが教えてくれる。

 廊下を歩いていると、唐突に仲間が笑い始めた。「どうした?」と訊ねれば、「いや、」と腹を抑える方をパシリ、と叩く。

 

「ってか、わざわざ結婚式の前に花屋行ったんだ? お前が花屋にいる姿とか、そうぞうできねー」

 

 ゲラゲラと笑いながら「お前が、花屋」などと叫ぶ仲間の脇腹に肘鉄をお見舞いする。

 なんなんだよ、こいつ。ってか、この部屋、冷房効いてないな。急にめっちゃ熱くなってきたぞ、特に顔のあたりが。

 近くを歩くスタッフさんが、ちらちらとこちらの様子を窺っているのが分かる。


「あのー」


 唐突に、後ろから声をかけられて振り向くと、売り出し中の人気若手俳優の、あー、名前がすぐ出てこないな、とにかく、人気の俳優さんが立っていた。

 

「いきなりすみません。その花屋って、近くにありますか?」


 思いもよらない人物からの思いもよらない言葉に、俺はしばらく無言で相手を見つめてしまった。


「いや、ちょっとオレも花屋に行きたい用事があって、たまたまお二人の会話が聞こえちゃって」


 気まずそうに頭の後ろを書く彼を、俺はただ見つめてしまった。

 すると、彼はすぐにばつの悪そうな表情を見せた。

「すみません、やっぱり忘れてください。オレ、自分で探すんで」


 そう言って去っていこうとする背中を、俺は慌てて呼び止めた。


「あの、レシート、あるんで」


 俺はポケットをまさぐり、今日の花屋でのレシートを取り出した。

 

「ここです」


 そう言ってレシートを渡せば、目の前の彼は笑顔でお礼を言った。


 数日後、再び偶然すれ違ったテレビ局の廊下で、俺の教えた花屋で花を買ったことを彼は教えてくれた。

 ご丁寧に彼が見せてくれた写真には、アイリスの花が写っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花物語 佐竹りふれ @L_Satake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ