第26話 分かれない

 真菜子の衝撃の告白と同時、茉莉は階上でする激しい足音を聞き取った。鴨はそこで結婚式を中断した。ナギサと新田も口づけの手前で止まって、互いに抱き合って足音の恐怖に震えていた。モノノケ三人衆も険しい顔して、新郎新婦を庇うように立った。


 次の瞬間には、モノノケダンスフロアのドアが強く開け放たれ、赤黒い装束に身を包む集団が侵入してきた。彼らは気味の悪いことに、実に規則的な列をフロアで作った。鴨は眉をしかめて仲間達の先頭に立った。そのとき、列の隙間からぬるっと長髪の大男が姿を現した。男は目元に刻まれた濃い皺を伸ばして、気色悪い笑みを浮かべたのだった。


「はじめまして、ですかな?モノノケダンスフロアの皆さん。私は、八百の会・幹部の乙部おつぶと申します。今晩、我らが出向いたのはそこにいる人魚に用があるからです」


 そう言うと男は奥にいるナギサに目配せした。ナギサは喉からひゅっと声を出して、新田にしがみついた。鴨は乙部に詰め寄った。


「君達の要件など把握済みだ。醜い者どもめ、彼女の血肉が欲しいだけなんだろう!?」


「これはこれは、話が早くて助かります」


 冷たい、低い声。そのとき茉莉は男の声が、あのスピーカー越しのものと同一人物と気づいた。そして真菜子をハッとして見つめた。


 彼女は眉を下げて、こちらに視線もくれなかった。まるで、無言で「分かってくれ」と要求しているようだった。しかし茉莉はそこで食い下がらず、真菜子の肩に掴みかかった。


「嘘でしょう!?東条さん、あなたもしかして最初からナギサちゃんを狙っていたの?ねぇ、答えてくださいよ!何か言って__」


「教祖様に何をする!?小娘!」


 その瞬間、乙部は駆け出して茉莉を薙ぎ払った。投げ出された茉莉を、鴨はすかさず抱き止めた。


「大丈夫か!?ミス・マリ」


「はい……。ありがとうございます」


 茉莉は鴨に頭を下げると、彼の手を借りてよろよろと立ち上がった。そして、真菜子に自身と同じ赤装束の羽織を着せている乙部を睨んだ。乙部はその視線に気づくと、ふんと鼻を鳴らした。


「なんですか?その目は。あなたは、我らが敬愛する大教祖・真菜子様に乱暴を働こうとしたのですぞ?」


「なによ、教祖って。なによ、真菜子様って。人魚達は、あなた達の下らない夢のために死んでいったの?……。」


 茉莉は抑えきれない怒りに眉を小刻みに動かしながら、真菜子を見つめた。彼女は一瞬躊躇したのち、胸元から拳銃を取り出して茉莉に向けた。その血走った目から雫が一つ、また一つと落ちていく。


「近づかないで。四辻さん、分かってほしい。愛する人に置いて行かれる恐怖を。私は不老不死の身を手に入れたけど、和泉さんはただの人間。死んじゃうの。あの人を生かすには人魚の肉を手に入れるしかないの!」


「殺された人魚達にだって、きっと大切な人達がいたよ!」


 そう言うと、茉莉はナギサを指さした。


「ナギサちゃんだって、新田さんとずっと一緒にいたいんだよ!東条さんと同じなんだよ?何もわかってないのは東条さんの方だよ!」


「黙っててよ!」


 その瞬間、真菜子は半狂乱になって叫んだ。それと同時に、引き金に誤って指がかかってしまい、弾丸が放たれてしまった。一瞬のことであった。気づいたときには、茉莉の目の前には床に血の池を作った鴨が倒れていた。どうやら茉莉を庇った様子である。


「マスター!?」


 茉莉は鴨に駆け寄って、その身を揺らした。けれども、彼は痛みに顔をしかめて「逃げろ」と口にするだけである。茉莉は冷や汗をだくだくと流しながら、何度も鴨を呼んだ。一方で、真菜子は拳銃を持ったまま呆然としている。


 茉莉は既にパニック状態であった。愛する者を失ってしまう。家族を亡くした茉莉にとって、その苦しみは痛いほどわかってしまう。そして、それは二度と経験したくない感情であった。しかし、無力な自分には何もできない。茉莉は唇をぎゅっと噛みしめた。そのとき、茉莉は自身の後ろに迫った手に気付いた。


「な、何するの?」


 次の瞬間には茉莉は乙部の肩に担がれていた。彼女は乙部の背を強く叩いたが、びくともしない。そこで赤装束に拘束され、動けなくなっていたモノノケ三人衆のなかからアッカが何とか飛び出してきた。


「茉莉姉ちゃんを離せ!コノヤロー!」


 アッカは盥を乙部の頭部に投げた。しかし彼はいとも簡単に避け、盥は間抜けた音を発して虚しく転がった。続けて乙部はアッカの首に手刀を下ろして、彼女を気絶させて茉莉と同じように抱えた。茉莉は肩越しに、意識のないアッカの頬を撫でた。


「アッカちゃん!しっかりして!」


「大人しくしてください。あなた達は人質になるのですから」


「人質ですって!?」


 茉莉は目を丸くした。すると乙部は不敵に笑って、蹲る鴨を見下ろした。


「もし、人魚を取り返しに来たら、この子達はどうなるでしょうねぇ。私達は長らく人魚をバラシてきたもので、拷問には精通している身です。おっと、安心してください。人魚の解体が済んだら、無事にお返ししますので」


「ふざけるな……。下衆め、彼女達に何かしてみろ!?殺してやる!」


 鴨がぎっと歯を食いしばったが、乙部は一つ冷笑しただけであった。そして彼は仲間に目配すると、ナギサに襲い掛かった。年老いた新田の腕から容易く奪われるナギサ。彼女は必死に抵抗したが、直ぐにも八百の会が持ち込んでいた狭い水槽に押し込まれた。


「ナギサを返せ!返してくれ!」


 新田はナギサに向かって走りだそうとした。しかし、その瞬間苦虫を嚙み潰したような表情で胸を押さえ始めた。そうして、そのまま膝から崩れ落ちて倒れてしまった。


「シンイチ?シンイチ、ダイジョブ!?シンイチ!」


 ナギサの啜り泣きが聞こえる。茉莉は目を閉じて、両耳をふさいだ。もう何も聞きたくない、何も見たくない。一体、自分達が何をしたのだろうか。ただ、一人のモノノケの祝言を挙げてやりたかっただけ。それを、全て何も知らない誰かさん達の「永遠」と「愛」によって粉々にされたのだ。


 最後に茉莉が見たのは、放心したまま乙部に肩を抱かれてモノノケダンスフロアを出る真菜子の後ろ姿だった。

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