【KAC20242】春が来たなら、わたしたちは

水城しほ

春が来たなら、わたしたちは

 今日、わたしは幼馴染のアルヴァと共に、王都であるエベルタの街を歩いていた。生まれつき豊かな魔力を持ち、かつ難関試験を突破した者だけが入学を許される「王立アーリエ魔法使い養成所」へ合格を果たしたわたしの、春からの新居を見に行くためだ。

 古びたレンガ造りの趣ある建物が延々と立ち並び、でこぼこの石畳で舗装された緩やかな坂道は王城へと続いており、国中から集まった商人たちが店を構える大通りは活気にあふれていて……わたしが暮らす国境付近とは明らかに違う風情のエベルタを、好ましいとは思うのだけれど、喧騒に不慣れなのでどうにも落ち着かない。本来ならば雑踏を歩いたりなどはせず、この石畳の中央を馬車で通過していくのが、貴族であるわたしたちの常だ。しかし今日は「ついでだから街中を見て回ろうよ」とアルヴァが言ったので、私たちは平民の装いで並んで歩いている。一年前から養成所に通うにとっては、もはや珍しくもない光景だろうけれど、わたしはこれから「平民と同じ目線の世界」に慣れていかなければならない。養成所が掲げる「魔法使いはみな対等」という教えの下、ひとたび制服に袖を通せば、わたしは「貴族」ではなくなるのだ。

 散策の後は、アルヴァの家と付き合いのある商会が選んでくれたお家を、ふたりで見に行くことになっているのだけれど……正直、あまり気が乗らない。このまま散策だけで帰りたいくらいだ。わたしは女子寮に入寮するつもりだったのに、どうしてこうなったのかと言うと、全てはうちの両親が夫婦そろって「魔法バカ」であるせいだ。

 養成所の卒業生でもあるうちの両親は、在学中は寮の消灯時間にさんざん悩まされてきたのだと言った。どれだけ学習に没頭していようと、時間がくれば強制終了。それでは理解が中途半端になってしまうと、養成所の近くに住まいを借りることを勧めてきた。それだけならまだしも、既に男子寮にいるアルヴァが同じ悩みを口にしたため、お父様もお母様も「じゃあアルヴァーンもエルーナと一緒に暮らせばいい」と、年頃の異性に向かってありえない提案をゴリ押ししてきたのだ。わたしが十五歳でアルヴァが十六歳、いくら親同士が親しいといっても、普通なら「変な噂が立たないように」と引き離されてもおかしくないのに。

 しかし、いくらうちの両親が許しても、わたしたちの属する貴族社会で「未婚の男女がふたりで暮らす」など、決して許されるわけがない。わたしの祖父にあたるファリアッソ辺境伯や、アルヴァの父であるセルヴァーン第三王子ならば、このとんでもない提案を絶対に止めてくれるはずだ――そう確信を持っていたのに、みんながみんな揃いも揃って「魔法使いはそういうものだからねえ」みたいな調子だった。どうも「魔法使いになる」ということは、これまでに身に着けてきた「貴族の常識」を、欠片も残さず捨ててしまわなければならないらしい。


「エル、浮かない顔だね。同居人が僕じゃ不満なのかい?」


 アルヴァが美しい銀髪をかきあげながら、わたしの顔をそっと覗き込む。端正な顔が不安そうに歪んでいる。不満といえばそうなのだけれど、それは決して相手がアルヴァだからではない。わたしはアルヴァのことが大好きだし……ずっと兄のように慕ってきた、だけど今ではそれ以上の感情も持っている、ひとつ年上の幼馴染。一緒にいられて嬉しい気持ちだってある。きっとアルヴァはこれまでと同じように、わたしの心を守るように、ただ穏やかにそばにいてくれるのだろうし。

 ――だけど、だからといって簡単に「二人きりで暮らせるなんて幸せ!」とはならないでしょう!? だって、それって、おはようからおやすみまで一緒にいるってことなのよ!? 今暮らしているお屋敷ほどの広さもない、メイドも付けて貰えない状態で、うっかり顔を洗う前の姿とか見られちゃったらどうするの!? こんなにはしたない女性だったのか……なんて、あっさりと幻滅されたらどうすればいいの!?

 取り乱したい気持ちを抑えて、深呼吸をする。アルヴァはますます不安そうな顔になった。溜息だと間違われたのかもしれないと思って、わたしは慌てて否定した。


「ち、違うのよアルヴァ。あなたのことが不満というわけではないの。だけど、一緒に暮らしたりなんかしたら、嫌われちゃうかもしれないから……」


 どう伝えればいいのか迷って、それだけを言葉にする。するとアルヴァは目を丸くして、それから吹き出すように笑い、なるわけないよとわたしの頭を撫でた。


「どうしてそんなことを思うの? 僕はどんなエルのことも大好きなんだよ、知らなかった?」

「……知ってたけど」

「だったら、何も心配しなくていいじゃないか。もしかして料理や掃除ができないから? そんなのすぐに覚えるし、どうしてもできないことは僕がするよ。僕だってこの一年で、ある程度はできるように……」

「違うわ、そうじゃないの。お料理だってお掃除だって、お母様にきちんと教わったもの」


 そう、生活上の不安はないのだ。わたしのお母様はもともと平民だから、普通の貴族なら使用人に任せてしまうようなことも、自分で手早くこなしてしまう。わたしも家を出ることが決まってから、しっかりと教えて頂いたのだ……特にお料理は、魔法学にも応用できることがたくさんあるのよ、って。

 つまりわたしの憂鬱ゆううつは、贅沢ぜいたくにも「好きな人との同居生活に対する不安」だけだということになる。優秀な先輩がマンツーマンで勉強を教えてくれる毎日なのだと捉えれば、ありがたがるべきなのかもしれないけれど……ああ、うちの両親の狙いは、きっとそこにあったんだな。どこまでも魔法バカというか、魔法に人生を捧げてるような人たちだから。

 アルヴァは何かを察したように、成程と小さく呟いて、そっとわたしの手を握った。心配いらないよ、と微笑みながら。


 手を繋いだままエベルタの街を歩き回り、アルヴァのお気に入りのお店などを見て回ったあと、新居候補のお家に足を向けた。そこは養成所に近い裏通りにあり、建物は古く質素な石造りで、だけど庭はそこそこ広かった。以前は王室ゆかりの魔術師が研究室として使っていて、退任後は弟子と二人で暮らしていたのだそうだ。

 アルヴァに促されて建物の中に入ると、こまめに手入れがされていたのか、思っていたよりは空気がこもっていない。間取りは厨房と食堂が一体化したような広間を中心に、個室向きのお部屋がふたつ、立派な魔法炉やかまどのある作業室がひとつ。各室にはエベルタ独自の「水魔法を利用した配水管」が引き込まれており、好きな時に好きなだけ水を汲むことができるので、井戸水を汲み置きする必要がない。もちろん照明も光魔法式のものが設置されているので、面倒なオイルランプを使う必要もない。すごい、さすが王都だ。貴族の屋敷でもないただの家屋にこれだけの設備が整うなんて、わたしの暮らしてきた国境地域ではまず考えられない。エベルタ育ちのアルヴァには、何でもないことなのだろうけど……こういう時、アルヴァとの格差を感じてしまう。同じ「貴族」という枠組みの中でも、アルヴァは王族の血を引く高貴な存在で、わたしは田舎者のレッテルを貼られがちだ。おじいさまの就いている「辺境伯」という地位は王国にとって非常に重要なものだし、決しておじいさまを軽んじているわけではないのだけれど……わたしに全く縁談が来ないのは、貴族社会の中で格下に見られているせいだと思う。たぶん。王城の舞踏会にも何度か招かれたけど、わたしの相手をしてくれるのは、いつだってアルヴァひとりだけだし。アルヴァには大量の「ご令嬢」が群がってくるのにね。

 余計なことを考え始めたわたしが一人で勝手に落ち込んでいると、ちょっとこっちに来てくれるかな、とアルヴァが手招きをしてきた。言われた通りに廊下へ出てみると、壁に不自然な隙間があった。

 顔を見合わせたあと、アルヴァがその壁をグッと押した。案の定そこは隠し扉で、内部は意外と広く、大きな本棚がいくつも据え置かれている書斎となっていた。前の住人が遺したらしいその魔法書の山には、知らない言語で書かれたものもあるけれど、わたしでもわかるような高価なものも大量に含まれていた。


「素晴らしい、宝の山だ……僕がこれを揃えようと思ったら、いったい何十年かかるんだろうな……」


 アルヴァが感嘆の声をあげる。仮にも王族である彼がこんなことを言うのだから、おそらく希少なものも多いのだろう。しかし、こんなにも価値あるものをそのままに学生へ家を貸し出すなんて、商会の方では問題にならないのだろうか?


「アルヴァ、これ、商会の方はご存じなのかしら?」

「おそらく気付いてないと思うけど……まあ『前の住人の残したものは自由にお使いください』って言われてるから、自由に読んでいいんじゃない?」


 売り払ったりするわけじゃないんだし、と続けたアルヴァの視線は本棚に釘付けのままで、今すぐにでも読みふけりたいと思っているのが見てとれた。わたしと一緒じゃなかったら、迷わずに本棚へ手を伸ばしていただろう。気持ちはすごくわかるけれど、棚ひとつ分をざっと読むだけでも、何日かかるかわかったものじゃない……つまり、この宝の山を堪能するには、たくさんの時間が必要なのだ。


「ここに住もうよ!」


 そう口にしたのは、二人同時だった。

 魔法バカなのは、わたしたちも同じなのかもしれないな……なんて思って、なんだかおかしくてたまらなかった。


 真っ直ぐに中央広場近くの商会事務所へ寄り、家を借りたい旨を伝えてから、どこか浮ついた気持ちのままで広場のベンチに腰掛けた。近くのパン屋さんから香ばしい匂いが漂ってきて、アルヴァがくるみパンを買ってきてくれた。わたしのいちばん好きな食べ物を、アルヴァはちゃんと知ってくれている。受け取ったパンはまだ温かくて、お腹がすいちゃう匂いがした。

 広場のベンチに二人で並んで座って、焼きたてのパンをかじって……ああ、こんな穏やかな日々が、これからずっとずっと続いていくのかな。アルヴァと一緒に過ごす毎日は、きっと幸せなものになるんだろうな――抱えていた不安はどこへやら、今は期待で胸がいっぱいだった。

 だけどアルヴァは裏腹に、エル、と不安げな声を出した。


「ねぇ、エル。本当に良かったのかい?」

「え、何が?」

「その……僕と一緒に、暮らすこと。いくら希少なものだからって、魔法書ごときで我を忘れてしまうような僕だけれど……」


 つい「今更それを聞いちゃうの?」なんて言いそうになったけれど……これはきっと、茶化してはいけない言葉だ。いつだってわたしを導いてくれる、頼りがいのある兄のような存在のアルヴァが、今は真剣な顔をして、わたしの言葉を求めている。

 ああ、そうか、そうなんだ。今までずっと、わたしばかりが甘えてきたけれど、アルヴァだってわたしと一歳しか違わない、ただのひとりの男の子なんだ。

 急にその事実に気が付いて、わたしは心の奥底で、何かの覚悟が決まったような気分だった。これからは「対等」なのだから、アルヴァの不安はわたしが消してあげなきゃいけないんだ。アルヴァがずっと、わたしにそうしてくれていたように。


「アルヴァと一緒じゃなきゃ、嫌なの」


 わたしがそう答えると、アルヴァは安心したように頬を緩め、よかった、とゆっくり息を吐いた。


「僕とエルはこれから、これまでにないくらい長い時を、一緒に過ごすことになる。知らなかった顔を見せ合って、嫌われてしまわないかって……エルは、それが不安だったんだね?」

「うん、そう」

「僕も同じだ、エル。だけど僕は、どんなエルのことも大好きだ。嫌いになんかなるはずがない……エルも、同じ気持ち?」

「同じよ。わたしだって、どんなアルヴァのことも大好き」


 そっと、彼の肩に頭をあずける。はしたない振る舞いだとはわかっているけれど、今だけはいいよね……宝飾のない質素な服を着て、街の広場でくるみパンを買い食いしているわたしたちは、ありふれた年頃の男女でしかない。春がきて、養成所の制服に袖を通せば――きっと、これが、当たり前のことになるんだ。

 パン冷めちゃうよとアルヴァが笑うから、わたしも笑いながら姿勢を正し、大口をあけてくるみパンに齧りついた。そんなわたしを見たアルヴァは、幸せそうに微笑んで、春が楽しみだねと囁いた。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20242】春が来たなら、わたしたちは 水城しほ @mizukishiho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ