【35】優しい時間

 放課後になり、部室へ向かうルイスは、緊張していた。


 そう、彼自身もエステルに頬キスしてしまったことに、あれからかなり動揺していたのだ。


「(とりあえず、普通に。普通にしておかないと……)」


 エステルの誕生日のエスコートは上出来だったと自分でも思う。


 ただ、最後にキスを返しても良かっただろうか?、いや、あれは返さないと逆に失礼だろう、でも、やはり頭を撫でて返したほうが良かっただろうか……などとずっと気にしていた。


 指先でこっそり、自分の唇に触れる。

 エステルの頬、そして自分の頬に触れた唇の感触を思い出して赤面する。


 頬へのキスなどは、パーティなどに参加したら、子供の場合は親戚同士や友達同士など、親しい間ならまったくないわけでもない。

 

 ないけれど、エステルは……


 特別だ。


 正直にうれしい。

 心がぽかぽかする。


 そんなフワフワした気持ちで部室の前までやってくると、向こう側からエステルがちょうどやってくるところだった。


「あ……」

 エステルがこっちに気がついた。


「よう、エステル」

 ルイスは微笑んで挨拶した。


「る、ルイス先輩、えと、えと、ごきげんようで、ございまス! 土曜日はありがとうございましたたた!」


 ?


 なにか喋り方がおかしくはないか?

 どこかで見たことがあるような気がする態度だが。

 まあ、それはいいとして。


「いや、こちらも楽しかった。ありがとう。ところでエステル? どうした? すこし頬が赤いようだが」

「えっ! そうでしょうか。今日は日差しがよかったので焼けたのかもしれません」


「……?」

 ルイスは外を見て確認した。


 雨がパラパラ。空はどんより。


 ジョークか? ちょっとわからない。困った。


 その様子に気がついたエステルは言った。


「ふぁ、ああ、なんだか、雨降ってますね、あははは。何言ってるんでしょうね! 部室に入りましょう!! ごふっ!」


 べしん……。


 なんと扉を開けずに部室に入ろうとして、エステルは扉に顔面をぶつけた。


「おい、大丈夫か? ちょっと見せてみろ」

「ふぇ……っ!?」


 ルイスが片手でエステルの顔を上に向かせると、エステルの顔は固まった。


「大丈夫だ、擦りむいたりはしてない。……ついでに、失礼するぞ」


 ルイスはエステルのひたいに手をあてた。


「熱はないみたいだ。よかった、土曜の外出で風邪でもひかせたのではないかと、心配した」


「(し……しぬ!!)」


「大丈夫デス! 健康デス!」


「……本当に大丈夫か?」


 心配そうな顔のルイスにじっと顔をのぞきまれる。


「ジョブ、deathっ!!」

「それ発音、何語だ? 珍しいな。そういう冗談いうの」


 ルイスは笑ってエステルの頭を撫でた。


「はい、death……」

 

 ルイスはそんなエステルの様子をみて、クスッと笑い部室の扉を開けた。


「今度は扉を開けてから入れよ、ほら」


 ルイスは中に入るように促した。


「は、……はい、ありがとうございますっ」


 エステルはカクカクしながら中へ入った。


*****


「雨がパラパラしているから、今日は部室の中でできる作業にしようね、みんな」


 アートが美術部員全員に向けて、そう言った。

 晴れていれば気分転換に道具を持って外へでる部員もいるのだ。


 部員たちは、冬のヴィオラーノの芸術祭に向けて作品を作り始めていたり、または個人で応募するコンクールの作品を作っていたり、ルイスのようにまったりと自分の作品を作っている者もいた。


 エステルも最近ルイスを描いていたので、ルイスはエステルに声をかけた。


「エステル」

「は、はいっ」


 ルイスに促されて、お互いの座る位置を話し合う。

 しかし、エステルが不自然にカクカクしている。


「……? エステル、さっきからどうかしたのか?」

「い、いえ? いつもどぉりですけどっ」


 それを見ていたカンデラリアが、あちゃーと眉間を揉んだ。


 しょうがない、今日は割って入るか――そう考えてカンデラリアは二人に声をかけた。


「ねえ! 今日は私も混じっていいかしら? 私も一緒に描いて!」


 エステルに後ろから抱きついて、カンデラリアがルイスに言う。


「カンデラリア様が? 別に構わないですが、どういう構図にしましょうか」


 ルイスは今までエステルしか描いていない。

 だから正直どうしていいのか、案が思いうかばなかった。


「そうねえ、私とエステルが……えっと、こうやって二人で並んで座ってるところ、描いてくれない? ほら、私も数年後にはヴィオラーノへ行くから、エステルと二人で並んでる絵が欲しいわ」


 そして椅子を並べてエステルを座らせ、その横に自分も座り、エステルを軽く抱き寄せる形にする。


「……カンデラリアおねえさま……」


 エステルがうるうると瞳を潤ませた。

 エステルは、カンデラリアに抱きしめられると、安心できて、すこし落ち着いた気分になった。


「ルイス先輩! 私もカンデラリアお姉様との思い出作りたいですっ」


 エステルは、正直助かったと思ったがカンデラリアがヴィオラーノにそのうち行ってしまうことを実は寂しく思っていたので、ルイスに素直にお願いできた。


「……ふむ、そうか。やってみよう」


 ルイスは抱き合う二人に内心、


 羨ましい!!


 と思いつつ、それを了承した。


「面白そうだね、僕も描こう」


 椅子をもって、アートもやってきた。


「まあ、アート様も描いてくださるのね。エステル、うれしいわね」

「はい!」


 カンデラリアがギュ、とエステルの手を握るとエステルはニッコリ笑った。


 それを見たルイスも、今までエステル1人だけ描いてきたが、エステルと誰かを一緒に描くのも悪くないものだな、と温かい気持ちになって木炭を手にした。


***


 木炭がこすれる音が部屋に響く。


 エステルはカンデラリアの手をギュッと握りながら、自分を描いてくれているルイスを見た


 とてもドキドキする。

 ずっと見ていたくなる。


 いま、モデルをしながらずっと彼を見ていられることに気がついた。

 ……とても貴重な時間に感じられる。


 今までずっとルイスを描く時に費やした時間を、……なんてもったいない過ごし方をしていたんだろう、と思えてくる。


 そして、カンデラリアがいてくれた事がとても心強かった。

 アート部長の眼差しも優しい。


 ここは、なんて優しい空間なんだろう。


 ドキドキしていた鼓動は段々と落ち着いて、逆に心地よくなってしまったエステルは、いつの間にか眠ってしまった。


「あらら。ふふ」

 カンデラリアは優しくエステルの肩を抱いた。


*****


 木炭画を描き終えたルイスとアートが、お互い作品を見せ合う。


「へえ、ルイス君。エステル以外を描いたのを初めてみたけど、いいね。君はやっぱり才能あるよ」


 アートに褒められる。


「部長ほどは描けません」

「はは、そりゃ年季が違うからね」


「まあまあ。二人で見せあってないで、わたくしにも見せてくださいまし。今動けませんの」


 エステルがもたれかかってるのを抱いているカンデラリアがそう言った。


「あ、すいません。エステルは、やはり疲れてたんですね。部室に入る前から様子がおかしかった」


 ルイスが木炭画を持って二人に近寄る。


「……こんなこと初めてよねえ。なんでこんなに疲れちゃったのかしら? お休みの日になにかあったのかしらね? ふふふ」


「……そ うかもしれませんね。こちらが出来上がった絵です。ご覧ください」


「あら、私まで可愛く描いてくれたのね! 感動だわ。正直、私なんてへのへのもへじで描かれるかと思ったわぁ」


「へのへの……?」


「(あ、いけね)いえ、なんでもないわ。ありがとうルイス。ねえ、ついでにちょっと、代わってくれない?」


「はい?」


 カンデラリアはエステルを起こさないように、そっとルイスと交代した。


「えっ(なにこの状況)」


 エステルがルイスにもたれてスヤスヤ。


「じゃあ、ルイス。あとはお願い。帰りましょう。アート様」


「そうだね。じゃあルイス、部室の鍵はここにおいておくから、あまりにも遅くなるようならエステル起こして帰るんだよ」


「……ちょっと、待ってくださ」


 ルイスが言い終わらないうちに、美術部員は全員、おさきー、と帰宅していった。


******


 ……これは、どういう状況だ!


 エステルはルイスにもたれて、スヤスヤと寝息をたてている。


「う……」


 寝顔が可愛いすぎる!!


「……これは、絵に描きたい、な」


 思わずポツリと漏らした。


 しかし、心臓にも悪い。


「……」


 ルイスは目を逸らすように真っ直ぐ正面を向いた。


 いつのまにか窓の外は結構な雨だ。


 外の雨音が結構響いているのに、他に人のいない美術室はとても静かな気がした。

 雨の音にまざってたまに小さな壁時計の音がする。


 左半身が、熱い。

 オレは火属性で。

 熱を操ることもわりと得意だ。

 そのオレが、暑い、エステルがもたれている左半身を中心に熱い。


「……」

「……」

「……」


 どれくらい時間が経っただろう。30分は経ってないはずだ。

 そろそろエステルを起こさなくては。


「え……エステル、エステル」


 声をかける。

 返ってくるのは、スウスウという寝息。


 しょうがない、揺するか。


 ゆっくりとエステルが倒れないように、エステルのそーっと左肩に手をまわして……


「(うあっ!! 肩を抱いてしまったぞ!! しかし、これは不可抗力だ! しょうがないのだ!! こうしないと、エステルが倒れる!! だからしょうがない!!)」


 そしてエステルのほっぺたを軽くペチペチ叩いた。


「エステル、エステル、起きるんだ」


「ん……あ、ルイスせんぱ……あれ、私、寝てたんですか?」

 寝ぼけまなこだ。


「そうだ。もう皆帰ったぞ」

「……やだ、ごめんな……………え」


 エステルにすれば、目が覚めたら、ルイスに肩を抱かれているこの状況――


「ひゃあああ!?」


 そう叫び声をあげて、エステルはルイスの腕からもイスからもコロッと転げ落ちそうになった。


「あ、こら」

 

 床に倒れる前に、ルイスがエステルを抱きしめるように支え、思わずエステルもルイスに抱きついてしまった。


「うええええっ!」

「ああ、す、すまん、そのこれはわざとではなく……」

「わ、わかります! 大丈夫deathっ!」


 ふたりとも顔が真っ赤だ。


 ルイスは椅子にエステルを改めて座らせた。


「あ、は、はははい……えっと。たしか私はカンデラリアさまとモデルを」


「そうだ。お前は途中で寝てしまった」

「う……そ、そうだったんですね。でも何故ルイス先輩が?」


「カンデラリア様がもう少し寝かせてやりたいから、オレに代われ、と言ってオレにお前を預けて、先に帰ってしまわれた」


「(カンデラリアおねえさまああああああ!!!)」


 顔を真っ赤にして床を見つめるエステルにルイスは言った。


「エステル、土曜日はかなり疲れさせてしまったか?」

「あっ、いいえ! とんでもありません! 日曜日はゴロゴロしてましたし……あっ」

 

 令嬢的にゴロゴロしてた、というのはちょっと恥ずかしかったらしく、しまった、という顔をするエステル。


「はは。そうか。オレもゆっくりしてた。同じだな」


 ルイスはそんなエステルが可愛くて、頭をなでた。


 エステルは、頭を撫でられて嬉しかったが、ふと思った。


「(……なんだか、妹みたいだ……あ、ひょっとして。そうか……後輩だもの。そっか、そうだよね……。だから優しくしてもらえてるんだよね)」


 エステルは自分でルイスの優しさを、そのように考えると納得できる気がして、そして胸が痛かった。


「そうだ、今日の木炭画、ほらおまえにやる。カンデラリアはアート部長が描いたものをもらうそうだ。ただ今日は雨が降っているから持って帰れないな」


「! ありがとうございます。 わあ、うれしい。そしてルイス先輩が、私以外の人を描いているのを初めてみました。なんだ、私以外の人も上手じゃないですか!」


「そうか? カンデラリア様は描くのが難しかった。でもお前に気に入ってもらえる絵になったなら良かった」


 ルイスは柔和に微笑んだ。


「と、とても……その、ステキな、絵です」


 絵は確かにステキなのだが、今のエステルはそのルイスの微笑みのほうに目をとられていた。


「(わ、私は、いもうと……いもうと)」


 エステルは、平静を保とうと、それを念じたが、そう思うとせつなかった。


「やはりどこか元気がないな。早く帰ってゆっくり休んだほうがいい。さて、馬車まで送ろう」


 ルイスが立ち上がって、自分とエステルのカバンを持った。


「あ……ありがとう、ございます」


 馬車まで送って、ルイスは言った。


「また、明日な。雨が降っていてすこし寒いから……風邪ひくなよ」

「はい。ルイス先輩も、お気をつけて」


「エステル、その」

「?」

「また、よければ。どこか……休日に遊びに行こう」

「は……はい、ありがとうございます」

「(ニコ)」

「(うっ!)」


 る、ルイス先輩、あんな風に笑う人だったかしら?


 エステルは挨拶して、馬車に乗り込んだあと脱力した。


 ……妹扱いだからあんな風に気軽に誘ってくださるのよ。


 でもせっかくだから甘えさせてもらおう。

 今はまだ大事な方はいらっしゃらないようだから……いいよね。


 カンデラリア様も、ともかく今は普通にしてなさい、と言ってたし。


 ……そばに、いたい。


 エステルはそんな風に考えながら、馬車の外の雨を眺めるのだった。


 一方ルイスもその頃、馬車から雨を眺めてたが、


 ――また、エステルと遊ぶ約束をしてしまった。

 うれしい、今度はどこへ行こう。


 こっちは浮かれポンチだった。

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