【4】 パンをとってやらないこともない。
入学式も始業式も終わって、数日経ったある日の学院。
昼休みのチャイムが鳴ると、ルイスは同級生の男子と食堂へ向かった。
この学院の食事は、持参弁当もしくは食堂、購買でパンや弁当の購入となる。
プライベートルームと言って、学院に自分のサロンを持ち、そこで昼休みを過ごす令息令嬢もいるが、それはかなり高位の貴族の子だけに限る。
ルイスはその高位貴族の子にあたるが、同級生と食堂へ行くことが多かった。
友達と昼食を取るのは楽しいし、食堂メニューが屋敷で出される味とはまた違った風味なので、楽しめた。
同級生と購買の前を通ると、すごい人だかりを見かけた。
購買は購買で人気メニューがある。
それはもう、身分を気にしない無礼講といわんばかりの争奪戦だ。
「こんなにもみくちゃになってまで、食べたいメニューがあるのか……?」
「珍メニューが売ってたりするからな。単純に楽しいんだろ」
「珍メニューね……」
ルイスはどんなに気に入ったメニューであれ、あんな状態になってまで購入したいとは思わないタイプだったので、彼らの気持ちはわからないな……と眺めながら歩いていた。
しかし。
彼はそのもみくちゃの群れの中に、オレンジ色の髪が交ざっているのを見つけてしまった。
「……」
そのオレンジ髪は、その小さなタッパで果敢(かかん)にも争奪戦に加わろうとして踏み出し、そしてすぐにはじき出されていた。
「悪い、ちょっとオレ用事できたから、先に行っていてくれ」
「え、おい、ルイス?」
ルイスは同級生にそれを告げると、昼食合戦の中に突進した。
*****
エステルは、珍しいものが好きな方だった。
伯爵領を出て、王都にある屋敷からこの学院に通い始めたこの春。
見るもの触れるものが全て珍しくてワクワクしていた。
そして、購買に売っている食料品に心を奪われた。
箱(ボックス)に入ったコンパクトな食事。
自分の屋敷では出されたことのないような、パン類。
とりわけ、ぬいぐるみのネコや犬のような顔で中にクリームが入っているパンを見た瞬間、購買の魅力に取り憑かれてしまった。
――きょ、今日こそ勝ち取るわ!!
しかし、店のカゴを片手に、パンコーナーに突っ込むオレンジ髪の小動物は、いとも簡単にその群れから排出される。
「……(唖然)」
あれ? 私いま、この群れに飛び込んだわよね? どうして、どうして元の位置に戻っているの?
そう思って、もう一度飛び込む。しかし気がつくと、押し出されている。
「……な、なんてこと」
良く見れば、自分より背丈も大きく力の強そうな上級生ばかりだ。
――勝てない。
エステルは敗北を認めた。
諦めて、人だかりのないコーナーへ向かおうとした時、腕を取られた。
「諦めるのかよ……」
「はいっ!?」
見ると、自分の腕を取ったのは――ルイス=ヴィンケルだった。
彼女の中で、完全に『天敵』として記憶に刻まれている少年だった。
ひぃっ!?
「は、放してくださ」
「どれを狙っているんだよ……」
「え、あ!?」
気がつけば、争奪戦の群れに連れ込まれていた。
「取ってやらないこともない……!! 早く言え!! (トングカチカチカチカチ)」
「ふぇあぁ!? そこの、パスタサンドと……犬の形のクリームパンです……」
ルイスは手早くトングでそれをかすめ取ると、エステルのかごへ放り込んだ。
ルイスは目を閉じて脳内で呟いた。
「(よし、ミッションコンプリート)」
ルイスは、キッと目を見開く。
「他は!!」
親切のつもりで言っているが、その彼の表情は凶悪だった。
「ひぃ……ないです……」
エステルは、親切にされた……と思いつつも涙目だった。
彼女にとっては、トラウマを刻まれた相手である。怖いに決まっている。
「チッ……。早く並べよ」
辛辣にそう言って、エステルを会計の列に並ばせると、ルイスは、購買から去っていった。
「……。 あ、ありがとうございま、した……?」
ルイスの遠くなっていく背中に、エステルは小さな声でお礼を言うのだった。
エステルは会計を終えて、自分の教室に戻り、自席に座ると、紙袋を開いた。
中には可愛いワンコのパン。チョコで出来たつぶらな瞳がこちらを見つめているようだ。
気持ちがほっこりした。
「……」
そこでルイスを思い出す。
「怖かったけど……」
でも、親切にされた。
訳がわからない。
あの人、私が嫌いなんじゃなかったかしら?
??
???
エステルは、どうにも腑に落ちない気持ちで、昼食をとるのだった。
一方、ルイスは、中庭をズカズカと周回していた。
――とりあえず、助けてはやれたよな?
相変わらず態度は……最悪だったかもしれんが。
致命的な言葉も出さなかったはずだ。
それにしても、テンパりすぎだろう、オレ……。
クソ、関わらないようにしようと思ったのに……。
助けたはずなのに、自分の行動に落ち込んだルイスは、中庭のベンチに座り込んだ。
中庭では、生徒たちが楽しそうにランチしている。
……オレもメシ、食わないとな……けど。
さっきまで確かに腹は空いていたはずだが、食欲がなくなっていた。
「――あら? ルイス君?」
凛とした美しい声が自分の名前を呼んだ。
「……カンデラリア様」
声をかけてきたのは、カンデラリア=ジョンパルト公爵令嬢だった。
少しウェーブのかかった艶やかな黒髪がふわりと風に揺らされる。
タレ目がちの切れ長の目は、人形のように整った長いまつげが縁取っている。そしてその瞳の色はまるでアメジストのような美しい紫色だ。
少し前までは、ルイスも彼女を見て、その美しさに目を惹かれていた。――その彫像のように完璧な美しい容姿に見惚れない者はいないだろう。
完璧な美少女だ。
しかし、それもエステルと出会ってからは何も感じなくなっていたルイスであった。
むしろそれは、女子全体に言えるのだが。
エステル以外の女子がどうでもよくなってしまった、というか。
カンデラリアは、ルイスの横に座って、ランチボックスを膝においた。
彼女がランチボックスを開くと、中にはサンドイッチが詰まっていた。
「お食事ですか」
学院内に身分差は持ち込まないことにはなっているが、それでもやはり身分の違いに自然と敬語になる。
「ええ、ルイス君はもう食べたの?」
「あ、いえ。……忘れてました。オレ、食堂行かないと」
そう、まだ午後の授業がある。食欲はなくとも何か食べておかなくてはならない。
「はい」
「もふ」
失礼します、と伝えようと口を開いた所に、サンドイッチが突っ込まれた。
「ふふ、ちょっと量が多いの。よかったら半分食べて」
ルイスは、口に入ってしまったものはしょうがないので、そのサンドイッチは食(しょく)した。
「ありがとうございます。ですが――」
クラスメイトとは言え、レディと2人きりでランチするなんて、まだ7歳とはいえ、あまり褒められた事ではない。
ルイスは断ろうとしたが、カンデラリアはそれを許さなかった。
「いいじゃない。昼休みも、もう残り少ないわよ? 何をぼんやりしていたのかは知らないけれど。お食べなさい」
ルイスはふと、女子と2人でランチするなんて初めてだな、と思った。
……エステルと昼食をとれないだろうか。
いつか……ランチを一緒にしてみたいな……。
いや、無理だろうけど……。
何やら目の前で楽しそうにしている公爵令嬢が目に入りつつも、彼はエステルのことを考えていた。
それからしばらく、ルイスは昼休みに購買をチェックしてエステルの補佐をした。
ルイスは罪滅ぼしと親切のつもりで、さり気ないつもりではあった。しかし。
エステルの方は彼を不気味に思い、必死に自分でパンを取れるように脳内シミュレーションをした。
その結果、1ヶ月もたたないうちに、エステルは自分で欲しい物を勝ち取れるようになり、ルイスの助けは必要なくなった。
つまり。
彼らは、接点がなくなった。
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