幽霊さん、成仏お願いします。

柚城佳歩

幽霊さん、成仏お願いします。


僕が務めている不動産屋には、ちょっと変わった部署がある。

それは──



* * *



「ただいま戻りました」

九十九つくもくん、おかえりなさい。外は寒かったでしょう。何か飲みますか?」


物件情報のプリントで分厚くなったファイルとカバンを両手にゼロ課に戻ると、先輩であり唯一の上司でもある課長の四十万しじまさんがすかさず声を掛けてくれた。

怜悧な顔立ち、ピッシリとかきっちりなんて言葉が似合いそうな四十万さんは、その印象通り厳しいところもあるけれど、視野が広く気配りも仕事も出来る憧れの人だ。


「今日は、先日内見希望されたお客様の対応だと意気揚々と出掛けていったようですが、いかがでしたか?」

「大学進学を機に一人暮らしを始める予定というお客様で、ご希望にも一番近く、ほとんど決まりかけていたんですけど……」

「もしかして」

「……はい。突発的案件です。それでそのままゼロ課うちが引き継ぐ事になりました」


“ゼロ課”。ゼロ課というのは社内での通称で、正式名称は“幽霊対応課”という。その名の通り、幽霊や霊的現象全般を対応する部署だ。

社員は僕と四十万課長の二人だけ。

配属当初、四十万さんに僕たちの他に人はいないのかと聞いた事がある。


──私としても人員を増やしたい気持ちはありますが、そもそも“視える事”が大前提ですからね。九十九くんが来てくれた事すら奇跡的です。


そう言われた時はごもっともすぎて「ですよねぇ」としか返しようがなかった。

とは言え扱っている物件はたくさんあっても、実際に幽霊絡みで動く事は頻繁にはない。

だから普段は他の部署の社員と共に通常の不動産業務と並行して仕事をしている。


「今日九十九くんが行ったところは、事前に下見した際は特に問題ないと言っていた部屋ですよね」

「はい。なのでお客様にもご案内したんですけど、なぜか急におじいさんの幽霊がすーっと壁から通り抜けてきてそのまま座っちゃって」

「まさかお客様は視える方だったんですか」

「いえ……。視えてはいなかったんですが、なんだか敏感な人だったみたいで。フォローする間もなく遠回しにお断りされちゃいました」


こうなっては見なかった事にして放っておくわけにもいかない。

早速退去願いならぬ成仏願いのために、ゼロ課として動く事になった。




翌日。

件の部屋へ様子を見にやって来た。

昨日のおじいさんはただの通りすがりであってくれという願いは、ドアを開けて数秒で打ち砕かれる事になる。


「あのぉ、こんにちは。少しお話を伺ってもいいでしょうか?」

「…………」

「すみません、僕の声聞こえてますか」

「…………」

「もしもーし」

「…………」


おじいさんは部屋の真ん中で目を閉じて胡座あぐらをかいたまま動かない。

幽霊にも眠るという概念があるのかはわからないけれど、眠っているのか、それとも単に僕の声が聞こえていないのか。呼び掛けに応じる気配はない。

例え相手が幽霊でも、目の前の人に無視され続けるのはなかなか精神的にきついものがある。


僕も四十万さんも、幽霊はただ視えるというだけで、お祓いみたいな特殊な力があるわけじゃない。

だから部屋から出て行って欲しければ、生きている人間相手と同じく交渉するしかないのだ。


「あの!おじいさん!話を!聞いてください!」

「ん?もしやずっとワシに話し掛けておったのか。それはすまなんだ。よもや声を掛けてくる相手がいるとは思わなくてな。電話でもしてるのかと思っていたわ」


何回目かの呼び掛けにやっと気付いてくれたおじいさんは、名前を源次郎げんじろうというらしい。

薄くなった白髪頭に紺色の甚兵衛姿、頑固そうな顔付きのわりに話してみると気さくな人だった。


こちらの事情を説明すると二つ返事で了承してくれ、もしかしたらこれは歴代最速解決かも、なんて思ったけれど、現実はそう上手くはいかないもので。


「いつの間にかここに戻ってきてしまう?」

「そうだ。このマンションが建つずっと昔に住んでいた場所だからかのぅ。家がなくなっても、気付くとここに戻ってしまうんだ。他に行く宛もないしな」

「あの、ここへ来てしまう理由とか成仏出来ない事に心当たりはありませんか?」

「そうだな…………、あぁもしかしたら」

「あるんですか!心当たり」

「孫とな、約束した事があったんだ。大きくなったら将棋の百本勝負をやろうと。でも孫が成長する前に、ワシがぽっくり逝ってしまってな。一度の対局すら叶わなかった」

「そうなんですか……」


今、お孫さんがもし将棋を指せるようになっていたとしても、源さんの事が見えないんじゃどうしようもない。他の事で心残りがなくなる手伝いが出来ないかと考えていた時。


「お前さん、将棋は出来るか?」

「将棋ですか。やった事ないです。でも突然どうして」

「いや、孫の代わりと言っちゃあなんだが、誰かが相手してくれたら満足してあの世に行ける気がしてなぁ」


ハハハと笑う源さんを見ていると、確かにそうかもと納得してしまう気持ちになってくる。

というより、今は他に糸口がないとも言える。


「僕でよければお相手しますよ。最初は教えてもらわないとですけど、大まかなルールはチェスと似てるんですよね」

「なんだお前さん、チェスはやった事あるのか」

「上司が好きで、以前にルールを叩き込まれた事がありまして……。時々一緒にやるんですよ。まぁいつも僕が負けちゃうんですけど」


何はともあれとにかく一度やってみようと、スマホで将棋アプリをダウンロードしてみたものの。


「弱い。話にならん。これでは全く勝負した気にならんぞ。それにこのアプリというのもなぁ、やはり将棋は将棋盤で実際に駒を指してこそじゃないか?」

「そう言われても、急には無理ですよ。将棋盤だってないですし。それに実物があっても源さん触れないんじゃないですか」

「駄目だ駄目だ、修行して出直してこい!」

「えぇー……」


という感じに、まさかの長期戦の様相を呈してきてしまった。




将棋も含めて僕ではどうしようもないので、一度ゼロ課に戻り四十万さんに報告すると。


「将棋で成仏?それならば然程無茶な要求でもないですね」

「でも僕じゃ全然相手にならなくて。出直してこいとまで言われちゃいました」

「このまま九十九くんの成長に期待してお任せするのもよいのですが、あの物件は場所もよく人気も高いですからね。そう悠長な事も言っていられません。わかりました、こうしましょう。その源次郎さんというのを連れてきてください」

「えっ、ここにですか?」

「はい。その場から動けない地縛霊というわけでもないのでしょう?要はあの部屋に居座られなければいいのです。成仏云々はその後また考えましょう」




また翌日、あの部屋へ行くとやっぱり源さんはそこにいた。そして四十万さんの言う通り、源さんは移動に何の問題もなくゼロ課の部屋へとやってきた。


「初めまして、四十万といいます。九十九くんから話は聞いています。私も将棋は未経験ですが、よければ一度お相手お願いしても?」


そう言うと四十万さんはどこからともなく年季の入った将棋盤と駒を取り出した。


「おお!」

「わっ、どうしたんですかこれ」

「会社の倉庫にあったんです。誰のものかはわかりませんが、ゼロ課で使いたいと言ったら快く譲ってくださいました」

「それって不用品を押し付けられたんじゃ……」

「そうとも言えますが、今必要なのは確かです。さて源次郎さん、早速ですが一局お願いします。九十九くんは源次郎さんのサポートをしてください」

「は、はい!」


斯くして始まった将棋の対局は、素人の僕が見てもなかなかに接戦の勝負だったと思う。

経験の差か年の功か、勝った事もあって源さんも満足そうな表情だ。

流石は四十万さん。これならきっと源さんも成仏出来る──。


「……駄目だな」

「え?源さん、何がです」

「四十万さんと言ったか。そっちの兄ちゃんと違って、あんたとの勝負は面白かった!久々に白熱したよ」

「ありがとうございます」

「でもなぁ、何か違うんだよ。別の部分が物足りないっつうかな、なんだろうなぁ」


そう言うと源さんはうんうん唸りながら腕を組んで考えだした。

時間にして数分後、閃いたとばかりに膝を叩いて立ち上がった源さんは真っ直ぐに僕を見つめてきた。


「わかったぞ!お前さんじゃなきゃ駄目なんだ」

「な、何がですか」

「対局の相手だよ!ワシは孫と勝負の約束をしたと言ったろう。将棋を教えるところから始め、成長を見守り、段々と強くなっていった先での百本勝負だ。だからそちらの四十万さんのように最初から強い相手では、勝負に満足は出来ても成仏するための心残りとは違うという事だな」


そんな。もしそうならこの案件は……。


「九十九くん」

「……はい」

「見たところ源次郎さんは放っておいても悪霊にはなりそうもないですし、心残りもわかりました。残念ながら私ではお手伝いは難しそうなので、引き続き九十九くんにお願いします。成仏目指して頑張ってください」

「そんなぁ……」


もしまた源さんがあのマンションへ戻ってしまう事があっても、すぐにゼロ課へ移動してもらうという事で物件的には問題解決。

でもそれ以外の部分ではここからが本番だ。


仕事の合間、僕は源さんから将棋のレクチャーを受け、少しずつ、そして本当にたまにだけれど源さんからも褒められるようになってきた。

それでも源さんの成仏までにはまだまだ時間が掛りそうだ。先はとても長い……。

以前の対局がよほど面白かったのか、源さんと四十万さんは今も時々一緒に将棋を指している。

年の離れた将棋友達が出来たとばかりに源さんは嬉しそうだ。


一つ良い事があったとするなら、ゼロ課の仕事で困った事が起きた時、源さんも知恵や手を貸してくれるようになった事だ。

少し面倒くさい相手でも、源さんが睨みを利かせると、自分で言ってて悲しくなるくらいにはナメられやすい僕の話も大人しく聞いてくれる。

正直これはすごく助かっている。

僕と四十万さんだけだったゼロ課の部屋が、源さんというちょっと変わった新メンバーも増えて前よりも賑やかになった。


幽霊絡みの案件は、ゼロ課にお任せください!




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幽霊さん、成仏お願いします。 柚城佳歩 @kahon

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