子どもたちに「ふるさと」と思える場所を作りたい。

川線・山線

第1話 私たちの「家探し」

「私、子供たちに『故郷』と思える場所を作ってあげたいねん」


と、妻は私に言った。


もうすぐ長男坊が幼稚園に入園する年齢になるころだった。私もいわゆる「修業期間」を終え、新しい場所で仕事を始めることがほぼ決まっていた。修業時代は社宅に住まわせてもらっていたが、集合住宅ゆえ、時にトラブルに直面することもあった。そういうトラブルを避けたい、と思うと、「家」を購入し、そこで長く住んでいくことを考える時期かもしれない、と思った。


私と妻の気持ちは、「家を買おう」ということで一致した。二人の気持ちが一致すれば、後はどの物件を選ぶか、ということになる。


「家を買う」と思い立ってからは、いくつかの不動産屋さんにお願いして、いくつもの家を見せてもらった。最初は、社宅のある地域での中古物件を紹介、内見させてもらった。


住宅の内見は結構面白いものだった。どの家にも「いいところ」もあれば「もう一つ」というところもあった。


最初に見せてもらった物件は、小さな庭のある一軒家。各部屋も広く、日当たりも良かったのだが、残念なことに階段が「急」だった。ジェットコースターの「最初の下り」を思わせるような印象だった。階段は広い玄関につながっているのだが、手すりがなければ怖くて落っこちそうなのに、手すりをつけることができる構造ではなかった。これでは、いつか誰かが階段から落っこちてしまう、と考えた。4歳と2歳の男の子が住むには、この階段は危険すぎる、と思った。残念ながら却下、であった。


また別の家。駅から近く、広さも十分だったのだが、駅から近いせいだろうか、野良のハトがこの辺の家に集まるのだろう。ベランダを見るとハトの糞でひどいことになっていた。これでは洗濯物を干すことができない。ここも駄目である。


府が中心となって開発した住宅地にも見学に行った。さすがにそこに行くには車が必要だったので、レンタカーを借りて訪問した。新たに開発した地域であり、しかも府が開いた場所である。家1軒当たりの広さも十分で、建てられている家も有名なハウスメーカーが手掛けたものだった。もちろん注文住宅も可能である。その中の1軒、私はものすごく気に入ったのだが、妻の「鉄道が通っている地域がいい。駅から徒歩圏内がいい」という強い希望に負けてしまった。少し名残惜しいが、ここも縁がなかったようだ。


新しい職場となるであろう地域の不動産屋さんを訪れ、予算と希望を伝えて、いくつか内見させてもらった。


その中の1軒は、比較的いい感じだった。玄関先の松の木と、和風の玄関がよくマッチしていて、いい雰囲気だった。築年数がたっているので、屋内はそれ相応に痛んではいるが、ある程度手を加えれば、悪くなさそうな印象だった。妻も、あまり悪くない印象を受けていたようだ。ただ、この家を買って、改築しようとすると明らかに予算オーバーとなる。うーん、なかなかうまくいかないものだ。


また別の家も見せてもらった。昭和30年代後半、広範に開発された大規模な宅地である。開発地域内には4つほどバス停があり、宅地の奥まったところにその家はあった。築年数は古いが、建物は広くて、小学校もそこから歩いて200mほどのところにあった。ただ、予算が合わなかったこと(その家を買うだけで目いっぱい。改築にはお金を出せない)、小学校は近いが、中学校が遠く(2.5kmほど離れている)、実際に子供を通学させるとなると大変なこと、そして、駅からは遠くて、バスに乗らないと簡単には駅に行けないことが問題だった。


残念なことに妻は乗り物酔いをしやすい体質である。買い物に出かけたり、駅に出かけるためにバスに乗らなければならない、となれば彼女にとっては「乗り物酔い地獄」となる。ということで、ここは妻から強く却下されてしまった。


また別の家。駅前から徒歩圏内であり、駅前は大きなショッピングタウンと、古くからの商店街が並立している便利な場所であった。建物は3階建てで、屋根裏に物置がある実質4階建ての家だった。そのお宅には、まだ人が住んでおられたので、挨拶しながら内見させてもらった。外から見ると、屋根には時代の最先端、太陽電池が設置されており、ある程度の電気はそこから供給できること、売電も単価が高いころだったので、「光熱費は安いよ」という不動産屋さんからのおすすめ物件だった。


おうちの方に断り、あちこちを見せていただいた。印象は悪くない、と思いながら、最後に「屋根裏の物置」を見せてもらった。「こういう場所は、子供にとっては『楽しい秘密基地』になるんだよなぁ」と思いながら、拝見させてもらったら、大きな問題が見つかった。


おそらく「大黒柱」になるのだろう。屋根を支え、家の中心を貫く1本の柱。太陽電池が悪さをしたのかもしれないが、この「大黒柱」と思しき柱に裂け目がはいっていた。


「これはダメだ!」と思った。お住いのご家族の方には「内見させていただきありがとうございました」と挨拶し、案内してくれた不動産屋さんの車で店舗に帰った。。その場では何も言わなかったが、帰宅後妻には、「大黒柱が裂けていた」と伝えた。


そんなある日、新聞に折り込み広告が入っていた。新しい勤務先から、数駅ほど離れた地域にある、有名住宅メーカーの分譲地。数か月前に第1期分譲があったことを住宅雑誌で知っていたのだが、明らかに予算オーバーだったのでスルーしていた場所だった。今回は3軒が分譲される、とのことだった。


「住宅購入の勉強として、見に行くのも悪くない」と思い、妻に声をかけ、家族みんなで出かけることとした。物見湯山、お散歩気分である。


広告では、最寄駅から「バスで行く方法」と「徒歩で行く方法」の2つが記載されていた。ということは、「徒歩で駅までアクセス可能」ということである。「駅まで徒歩や自転車でアクセスできるところがいい」という妻の希望は叶えられそうな場所であった。ただその広告には「徒歩では登り坂が続きます」とわざわざ書いていたことが気になっていた。


私と妻、そして幼稚園に通う前の二人の子供で駅から歩き始めた。広告に書いてある通り、駅からしばらく行くと、ひたすら上り坂が続いた。


「坂、登り切ったかなぁ?」と思うと、さらにきつい坂が待っている、ということが続いた。子供たち二人は、お散歩気分で楽しそうだし、若いから元気だ。しかし、30代後半の夫婦二人については結構きつい運動だった。


ここがピークかなぁ、という曲がり角を曲がると、しばらく平地が続いた。このまま進んでいけば目的地かなぁ、と思っていたが、平地のつきあたりの交差点に着くと、そこから、これまでの坂道とは比べ物にならないくらいに厳しい上り坂があった。


「マジか…」


と思わず心の中でつぶやいてしまった。手にした広告を見ると、この坂を登るらしい。いや、坂を登る、ではなく山登りだろう、これ?というほどきつい坂道だった。その坂は、家族みんなそれぞれのペースで登ることにした。そして、登った先に、「営業所」を兼ねた分譲家屋があった。


営業所に声をかけ、見学に来たことを伝えた。分譲される3軒のうち、営業所として使われている家が一番安く、そこを狙っていたのだが、もうそこは売れてしまった、とのことだった。残りの2軒はその家より1000万円ほど高い。


「厳しいなぁ」と思いながら、営業の人の話を聞いた。「きっつい坂」は難点だが、住宅地としては悪くはないこと。周囲の環境は良いことなどを聞いた。きつい坂ではあるが、駅まで徒歩でアクセスできる、ということは妻にとっては大きなポイントだったようだ。


私も、妻も気になることがあった。この地域には大きな活断層が通っていることが分かっていることだった。営業マンにその断層について聞いてみた。


「なるほど、ご心配ですね。でも、この活断層が原因で地震が起きれば、この地域だけでなく、周囲の市町すべてが崩壊しますね。わははは」


とのことだった。まぁ、考えればその通りである。


今回分譲の3件のうち、一番安い家は売却済、真ん中の価格の家は一家族が内見を終え、購入の最終の返事を待っている状態、とのことだった。残っているのは、一番価格の高い家であった。値段を考えると「グハッ!」とダメージを受ける。


「内見していきますか?まだ建築中ですが、今日は仕事をしていないので、中に入ってもいいですよ」と営業マンがおっしゃってくれた。お言葉に甘えて見せていただいた。


もちろん住宅の専門家ではないので、建築中の家を見て、その良しあしが分かるわけではないのだが、成り行き上、内見もさせてもらった。


何となく妻は乗り気であった。朝、家を出るときには物見遊山、家を買うときの勉強となれば、と思っていたのだが、「縁」というのはこういうものかもしれない。


「もし、お気持ちがあればお早めに連絡くださいね」


と営業マンから名刺をもらい、住宅地を後にした。妻は、


「近くのスーパーを見てみたい」


と希望し、徒歩圏内にあるスーパーまで歩いていき、スーパーの見学をしていた。


朝一番で家を出たのだが、結構時間がかかり、スーパーを出たときには、季節が冬だったせいもあり、日は沈み、冷たい雨が降っていた。


「帰りはバスに乗ろうか」


と私が提案し、傘をさして家族4人、バス通りをバス停に向かって歩いて行った。バス通りはまっすぐ進んで、少し曲がりながら下った先にバス停があった。曲がっているところからは視界が開けており、その町の夜景がとても美しかった。


「あぁ、ここ、金銭的には結構背伸びやけど、悪くないかもしれない」


と思った。


それから1週間後、妻と何度も相談した結果、営業の方に、「購入を決めました」と連絡をした。私は修業時代にためた貯金をほぼ全額吐き出し、妻も、独身時代の貯金を崩して頭金を払い、私は「グハッ!」と言うほどのローンを抱えて、その家を購入した。


子どもたちはこの家で、幼稚園から過ごし、もう巣立ちの年齢を迎えている。彼らの『故郷』は妻が意図したとおり、ここなのだろう。ここに越して来たばかりの時は、同じような年齢の子供たちがワイワイと遊んでいたが、それもずいぶん昔のことになってしまった。時の経つのは早いものである。


ちなみに、最後のとどめの様にあった、あの急な坂。地元では有名で、タクシーに乗り目的地を伝え、「あの『急な坂』を登ってください」と伝えると、「わかりました。あの『急な坂』を登るのですね」と通じるのである。

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子どもたちに「ふるさと」と思える場所を作りたい。 川線・山線 @Toh-yan

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