【KAC2024②】ともだちハウス

千織

ともだちハウス

ブラック会社を辞めた。

体を壊したからだ。

体を壊したという理由がなければ退職届さえ出せないくらい、俺は気弱な男だ。



会社近くにアパートを借りていた。

就職の際、買ったビジネス本に書いてあったのだ。


”新卒はライフアンドワークバランスなんて甘い!若いうちにしかできない経験、やっていい失敗がある!仕事100%でちょうどいい!通勤で時間を無駄にするな!さっさと帰って勉強するのがデキる1%の勝ち組!”


そういう内容だった。



俺は、意識高い系…というほどではないが、特に趣味もなかったので、仕事に打ち込みたいと思って、ビジネス本の言う通りにした。



どんなに帰りが遅くなっても、五分あれば家に帰れる。

ギリギリまで寝ていられる。

雨や雪も関係ない。

大震災の時ですら、停電で信号はつかないしガソリンの供給に不安があって皆が家から離れられない中、俺一人、歩いてのこのこと会社に行った。



だが、結局、1%の勝ち組にはなれなかった。


勝手に売上目標は吊り上げられ、会議では詰められた。

新人が来てもすぐ辞めるから、教えるのに費やした時間はいつも無駄になる。

会社の時間だけでは足りずに、家に仕事を持ち帰る。

会議での言い訳資料づくりだ。

休日出勤は当たり前。

休日だったとしても、翌日のタイムスケジュールが分刻みで、うまく仕事が回るか不安で気が休まらない。

そんな毎日だった。



”人生を変えたければ、あなたの時間の大部分を占めているものをやめましょう。”


そう本に書いてあったのを見た。

なら、俺は、仕事だ。

この一節との出会いで、仕事を辞めようと思えた。



♢♢♢



ようやく会社を辞めれたんだ。

貯金は少ないが、引っ越しだけはしようと思っていた。


昔一緒に働いていたパートの奥さんとスーパーで会った。

生活圏が同じだから、時々出くわすのだ。

ちょうど良かったので、退職の報告をする。


辞めて良かったと思うわよ、若いんだから、またまだチャンスはあるんだし。


と、慰められる。


引っ越しをしたいと話したら、とある大家さんを紹介された。


『ともだちハウス』というのをやっているらしく、大家さんと直接話をして進められるらしい。

話だけではよくわからなかったから、連絡先を聞いて、電話をしてみることにした。



正直、名前は怪しいと思った。

宗教関係だろうか?

ただ、その時、俺のメンタルは本当にボロボロだった。

パワハラ上司や、部下との軋轢で人間不信になっていたのだ。

だから、優しかったパートさんの紹介ならいい大家さんなんじゃないかと、すがる思いだった。



電話をすると、優しそうな声の男性が出た。


実は、引っ越しについては思い立ったくらいで家賃の希望も立地も何も考えていなかった。

ともだちハウスにしても、ホームページすら見ずに電話をしたので、男性から色々聞かれて何も答えられなかった。


仕事なら、あり得ないことだ。


”相手のことを読み込んでいくことが礼儀だろ。勉強不足な奴に次は無いから。”


と、上司に言われたことを思い出す。

そう言われて準備しているうちに時間はなくなり、取引先やお客さんに会うのが怖くなっていった。



「すみません…紹介されてすぐ電話をしたもので、何もわかっていないんです…。」


『ああ、そうでしたか。いいですよ。良かったら、近々内見に来ませんか?その時にお話ししましょう。』



男性は優しくそう言ってくれた。

それだけで俺は涙が滲んだ。



♢♢♢



約束した日時に、指定されたアパートに行った。

この大家さんは、アパートを何軒か持っていて、とりあえず、今の場所から近いところを見ることにしたのだ。



駐車場に近づくと、大家さんらしき男性が手を振って誘導してくれだ。


無事に駐車して、挨拶をする。


自分の中で大家さんと言えば、勝手にお年寄りのイメージだったが、男性は若々しかった。

40代後半か、せいぜい50歳くらい。



アパートの中に入ると、こじんまりしつつもキレイだった。

新築らしい。



「タバコ吸いますか?」


「いえ、吸いません。」


「なら良かった。ここは禁煙にしてるんです。あ、電話で聞けば良かったですね。もしタバコを吸うなら無駄足をさせるところでした。」


大家さんは、うっかりうっかり、と言って笑った。


人がミスすると、こちらもホッとする。

相手がデキる人だとこちらも間違えられない、と緊張してくるからだ。



「場所は、ここの他だと…。」


と言って、地図を見せてくれた。

再就職先が決まってないので、結局どこのアパートでも同じだ。

ここなら街中の職場なら自転車で行けるし、遠ければもう車になるからちょっとした距離の違いは関係ない。



こういうとき、色々調べたり比較するのを、俺は面倒だと感じてしまう。

それをやるようにと上司から叱られた。


”売上足りないんだから、経費を削るしかないだろう、真剣に調べろよ!”と。


興味もないままネットを調べ、報告するのだが、上司はサラッと見ただけで、調べなくてもわかるような理由で決めたりする。



…会社を辞めたのに、日常のちょっとした場面で会社のことを思い出してしまう。

ノイローゼだ。



俺があまりに暗い顔をしていたせいか、大家さんが心配した。


「具合悪いですか?ちょっと寒いですよね。」


「あ、すみません。大丈夫です。仕事を辞めたばかりで、疲れが溜まってるんです。」


あ、しまった。

無職だと家を借りられないかもしれない。



「そうでしたか。仕事って、知らず知らずのうちに無理してしまいますからね。内見終わったら、うちに行きましょう。家賃のこともそこでお話ししますから。」


貸さないわけではなさそうだ…。

まあ、家賃を吊り上げて、間接的にお断りされるかもしれないが。



♢♢♢



大家さんの家は、アパートの向かいにあった。

温かいお茶やお菓子を出してくれる。

ありがとうございます、と言うが、自分でも驚くくらいテンションが低い。

なんというか、心が動かなくなっているのだ。


昔の俺は、もっと感謝を込めてありがとうが言えるはずだった。

いつの間にこんな人間になってしまたんだろう。


俺は、その事実に悲しくなって、さっき会ったばかりの大家さんの前で泣いてしまった。




「辛いことがあったんですね。」


「すみません…本当に…。久しぶりに人に優しくされた気がして…。」


別に、会社の全ての人が悪い人だったわけじゃない。

ただ、なんとなく、この大家さんが、俺のことをただのお客さんじゃなく接してくれているような気がしたのだ。

どれも大したことじゃない。

大家さんにとっては、通常運転かもしれない。

でも、俺にその温かさが沁みた。



「特にいつからいつまでとかもないんで、住みたくなったらでいいですからね。なんなら、”ともだちハウス倶楽部”に来てみませんか?」


「…なんですか、それ…。」


「”ともだちハウス”は建物の名前ではなくて、私の思い…みたいなものなんです。もっと気の合う人たちで、気楽に楽しいことできないかなーみたいな感じ。で、そういう気持ちの人が主催する思いつきの集まり、それが”ともだちハウス倶楽部”。」



大家さんはチラシ…というか、ただのメモ書きだが、予定を見せてくれた。

大家さんの家の空いている部屋でやるらしい。


味噌作り体験

アロマ作り

DVD鑑賞会

天体観測


どれも楽しそうだった。

その中に、ひとつ興味深いものがあった。


小説を書く会


読むんじゃなくて、書く。

昔、ブログを書いていたのが楽しかったことを思い出した。



「あの…これに参加したいのですが…。」


「わかりました。SNSやってます?主催の方を紹介しますよ。」


こうして、俺はまず”ともだちハウス倶楽部”に参加することにした。



♢♢♢



集まりの日時に行くと、三人の女性がいた。

大体いつもこの三人で活動するらしい。

男一人でちょっと気は引けたが、それ以上に小説を書くことへの好奇心が勝った。



部屋は長机に座椅子で、お菓子を広げたりお茶を飲みながら、ぐだぐだしつつ書く…というスタイルだ。


三人のうちの一人が小説家で、講座も開いているらしい。


何か書きたいものがあるのかと聞かれたが、何もない。

また手ぶらで来てしまった…。

”自分の考えくらいまとめて来いよ。俺の時間なんだと思ってんの?”

また、上司の声が聞こえる。



「すみません…素人すぎて…。こんなんじゃ、何も書けないですよね…。」


「小説が書けない人なんていませんよ!こちらの二人も、つい二ヶ月前からやり始めたんですから。」


作家先生は明るく励ましてくれた。


「私も全然書けないと思ってたんですけど、なんとか一作できましたよ。この空間、マジすごいですから。」


茶髪の女性が言った。


「私も小説なんてどうやったら…と思ってたら、ハマってしまって。今じゃ書かないと死ぬ!ってレベルです。まあ、悲しいことに、湧き上がる話はみんなBLなんですけどね…。」


眼鏡の女性が笑って言った。



みんな始めたばかりだと知って、心が軽くなり、色々話をしてみた。

小説の作り方、他の作品の鑑賞ポイント、他の作家さんの活動の様子など、どれも面白い話ばかりで、あっという間に時間が過ぎて行った。



先日、作家先生の締切が終わったらしく、その打ち上げが近々予定されているらしい。

良かったら来てください、と誘われた。

打ち上げの雰囲気は今のような感じで、美味しい料理と酒が追加されるだけです、と言われた。


彼女たちのパワフルな勢いに、俺は憑き物を落とされた感じがした。



♢♢♢



まもなく、俺はともだちハウスに引っ越した。

家賃は前の住まいの半分になった。


小説を書く会にも毎回参加して、少しずつ書けるようになっていった。

投稿サイトを勧められてやってみた。

すごい時代だと思った。

こんなに書きたい人と、書ける人がごろごろいるなんて。

あのまま働いてばかりいたら、知らずじまいだっただろう。


読んでもらえると嬉しくて、毎日の生活でネタを探すようになった。

すると、今までの何でもないことに意識が向くようになって、日常が色づいたように感じた。

今では、会社で辛かったことも小説に書けるくらいになっている。



「ちょっとこの日空いてるかな?夜逃げした人の荷物処分を手伝ってほしいんだけど。」


大家さんはそんな時でも変わらずにこやかだった。



-完-

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