9「望みを問う」

「あたしは、あたしの夢を叶えるためだけに、確固たる意志を持ってここにいる」


 そう宣言した祥子さんは続けざま、平気な顔をしておかしなことを言った。


「鳴海少年は霊薬擬きを呑んだ。彼の身に宿る月印のおかげで疑似的な不死状態になってるはずだから、少なくともすぐに彼が死ぬことはない。それに燕貝だって月印を手に入れるためにここに来ているわけだから、しばらくは大丈夫よ」


 このヒトは、いったいなにを言っているのだろうか。

 大丈夫? そんなわけがない。だって、いくら死ななくたって──。


「鳴海君は‼ 独りでっ! 戦ってるんですよ‼ 祥子さんのために‼ 私のために‼ たった独りで‼ なのにどうしてなにもしてあげないんですか‼ どうして戻って助けてあげようって話にならないんですか⁉」


 憤りをそのまま吐き出すと、すぐにはっとする。

 ちがう。これは八つ当たりだ。間違ってる。彼女に言うことじゃない。だって私が本気でそう思っているのなら、祥子さんを無視して後戻りするべきなんだから。

 自分でもわかる誤った論理を、彼女が指摘する。


「じゃあ、あんたは戻ればいい。そしてなにも為せないまま死ねばいい。鳴海少年は強いわよ。光子分解が……とか、霊薬擬きが、とかじゃない。あの子はきっと必要なら人を殺せるわ。事実あの子は玉枝を殺し、燕貝も殺そうとしたもの」


「……」


「対してあんたはどうなのよ。親殺し? ハッ。笑わせんなよクソガキ。あんたの母親が死んだのは、あんたの親自身の選択じゃない。あんたの父親が死んだのは、だれのせいでもなく病気のせいじゃない」


 だってのに──と、奇妙な怒りに震えた声で彼女は私を責め立てた。


「あんたは中途半端に自分を責めて、そのくせイワカサに〈月堕〉の情報を流してアイツに殺しを強要していた。あの夜だってそうじゃない。玉枝が五十人近い部隊を率いて鳴海少年を殺しに来ていた」


「──」


「そんな状況で鳴海少年が夏休みに入ってからずっと深夜徘徊を続けていたせいで、彼の居場所が掴めなくなっていた。だからあんたは、イワカサの光子分解に頼って〈月堕〉の事務所を爆破して、雑魚どもを一掃する道を選んだ」


「それ、は……」


 ダメだ。彼女の告げるひと言ひと言が、重たい衝撃を伴って私を撃ち続ける。

 自分でもわかっていた矛盾だ。自分でもわかっていた話だ。

 でも、考えないようにしていたんだ。

 親を殺した罪悪感から逃れるために、鳴海君を守る。その選択肢が、また新たな屍を築くことになるなんて、わかりきっていたんだ。

 あぁ、そう。つまるところ。私は──。


「笹貫郁子。あんたはとっくの昔に狂ってたのよ。いつだって、今だって、あんたの行動原理は逃げることだけ。だから覚悟も決意も足りなくて、それゆえに力が無い。鳴海少年を守りたいなんて言いながら、行動に移せない。だれかに背中を押してもらえないと動けない。卑怯で醜い愚か者。それがあんたの正体よ」


「……なんで、」


 なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ。怒りよりも先に、悲しみだけがある。悔しさもある。でも、反論なんてできなかった。

 だって彼女の言ったことは、すべて正しかったから。

 押し黙る私を見て、祥子さんは深い溜息を吐いた。さっきまで私を睨みつけていた彼女は一転し、苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「……黙ってないで言い返しなさいよ。はぁ……気分悪いわね。これだからガキは嫌いなのよ。ガキなりに論理があるんなら、それを語れっての」


 ぶつくさ言いながら頭をガリガリ掻いた彼女は、唐突に私の頬を打った。

 パチン。弱い破裂音が地下通路中に響いて、私は目を見開いた。でもそれは、いきなり叩かれたからじゃなくて、彼女は叩いたくせに私の頭を撫で始めたからだった。


「なに、を……えっ、えっ?」


「ごめん。とは言わないわよ。これは罪と罰の話なのよ。望みを賭けた奪い合いの話なのよ。結局は意志の強さがものを言う戦いなんだから。あんたみたいになんの望みもないヤツが混ざれるような夜じゃない」


 だから──と、彼女は小さく微笑んだ。


「あんたは、逃げなさい。町はずれに廃ホテルがあるわ。あたしが改装してそれなりに住めるようになってる。そこにいる造健の傷が癒えるまで待って、広陵町を出て行きなさい。各地を転々として、あたしや鳴海少年のことは忘れて生きなさい」


 だって、あんたはまだ、子供なんだから。

 甘く優しい囁きは、悪魔の告げる誘惑だった。逃げる。逃げ続けた私が、さらに逃げ続ける。奇しくも、かつての母の言葉と重なる台詞に心臓が跳ねる。


 本当は、おじいちゃんに会ったとき、一番に伝えたかったんだ。

 私はお母さんを殺しました。自殺するくらい苦しめて、追い詰めてしまいました。だから、笹貫の名を名乗ることすら許されない大罪人です。どうか私を恨んでください。どうか私を責めてください。どうか私を、殺してください。

 そう言ってしまえば、きっといくらか楽になれると思ってた。

 生きるために旅立つ鳴海君を言い訳にして、私は死出の旅路に赴いた。


 でも──おじいちゃんが私の姿にお母さんの面影を見たから怖くなった。

 旧姓、高宮宗助との結婚を反対された笹貫朱音は、実父である笹貫造健との縁を切ったと聞いている。でも、それでもお母さんはおじいちゃんを愛していたんだ。その証拠がこの名前。彼女は結局、お父さんを婿に迎えて笹貫の名を遺す道を選んだ。

 そして同じように、おじいちゃんもお母さんを愛していた。

 私が罪を告白すれば、おじいちゃんは悲しむだけだ。おじいちゃんが私を殺せば、彼はその罪を背負うことになるだろう。

 果たしてそれは、本当に正しいことなのだろうか。


 ──なんて、これもまた、言い訳に過ぎない。

 正直に告白するのなら、私はただ、死にたくなかっただけ。

 まだ、鳴海君と一緒に居たかった。


「……祥子さんは、」


 問いかけは無意識。

 零れ出た声は駄々をこねる子供みたいに高く、涙に濡れていた。


「なに?」


 溜息交じりの返答に、私は言葉を重ねた。

 あるいはこれが、私の答えになるだろう。そう、確信していた。


「あなたは、なんのために戦いますか?」


 沈黙は刹那。芯のある声で、どこか熱に浮かされたように彼女は言った。


「あたしはね、イワカサを愛してるの」


 恥ずかしいことを大真面目に言った彼女は、夢を見るまま熱く語った。


「千三百年。忘れるには十分すぎる時間よ。かつての事実は御伽噺へと変質し、流れる時の濁流がすべてを押し流して行ってしまった。けれど。けれどね、彼はたった一つを除いてすべてを抱え続けてきた。愚直で愚昧な男の末路が、あんな姿であるものか。あたしは、許せないの。好きだからこそ、アイツの孤独が受け入れられない」


 だからこそ、と彼女は結論を告げた。


「あたしは──イワカサが諦めたたった一つのために生きてやるって決めたのよ」


 続けた彼女の言葉の意味は、どうにも判然としなかった。

 けれども、そこに込められた意志だけは、はっきりとわかった。


 気がつけば、私の頭に置かれた彼女の掌の熱を感じていた。だというのに、真夏のくせに私の身体は震えている。そういえば、いつもこうだったな、って思いだした。

〈月堕〉と対峙するたびに、お母さんたちのことを考えるたびに、私は震えてきた。

 それでもずっと立ち続けてきたのは、いったいなんのためだったのだろうか。

 まだ、答えは出ない。けれど、それでも私はまだ──。

 震えながらでも、立っていたかった。


 優しく微笑むの彼女の眼が、再三私に問いかけるのだ。

 ──お前はなにを望むのか。

 望み。そんなものは、罪人である私が抱いてはいけないのだと思ってきた。

 でも。


『望みを賭けた奪い合い』

 祥子さんはそう言った。奪うということは、奪われる人間が生まれるということだ。望みをかなえる人の足元には、いつだって望みを叶えられなかった人の死体や血が広がっているものなのかもしれない。

 望んだことが罪ならば、失うことが罰なんだ。

 つまるところ、望むことと罪を犯すことは等号で結びつけられる。

 ならば私は、せめて誠実でありたいと思う。

 長い沈黙。夜の底。月明かり道標さえ届かない。

 そんな中に、彼女の問いが木霊した。


「──笹貫郁子は、なにを望むのかしら?」


 私の答えは、あの夜に、とっくに決まっていたのかもしれない。

 そう思ったから、答えた。


「私は──」


 祥子さんは破顔して、そして一つだけ教えてくれた。

 この、長い夜の終わらせ方を。

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