6「はぢを捨つるは、贋作の鉢」

 きっと私は、ここで死ぬ運命なんだと思う。

 でもべつに、私は運命って言葉を信じているわけじゃない。ただ、世の中にはどうしようもなく避けられないことがある。

 そんなことを思い知ったのは、〈憑落〉に入って、初めて人を殺したときだった。


「鳴海君っ‼」


 気がつけば、折れた脚の痛みも忘れて叫んでいた。

 彼の背中が遠ざかっていく。もう、手を伸ばしたって届く距離じゃない。

 戦いに向いていない彼は、まっすぐ珂瑠の元に──死に向かって駆けていく。

 決着は一瞬。きっときっと、あの頼りない速度で動く身体は崩れ落ちて、憎い珂瑠の哄笑が響くだけ。鳴海君は死に、そしてそのあと私も殺される。

 私が死ぬぶんには構わない。覚悟だってしているし、当然の結果だと受け入れることだってできる。でも──。


「ど、どうしよう。どうしようどうしようどうしよう……」


 でも、鳴海君が死ぬのだけは許せなかった。

 彼を守ることで、笹貫家の悲願が果たされる。そのためだけに、私はこれまで〈憑落〉に潜入して、鳴海君襲撃の情報をイワカサに流してきたんだ。

 でも多分、それだけじゃない。焦げ付くようなこの気持ちはそんな損得勘定で湧き上がるものじゃない。もっと個人的ななにかのために、私はここまで生きてきた。

 もはや、恥も外聞も捨て去って、みっともなく地を這った。

 少しでも鳴海君の傍に行きたくて、だから手を伸ばし、喉を小さく鳴らした。


「ま、待って。行かないで。私を。独りにしないで」


 口にした途端、私はやっと気づいた。

 きっと私は、彼を救うことで自分自身を救いたかったんだ。

 月の都に生まれたために、命を狙われる鳴海高。

 笹貫家に生まれたために、命を賭けて使命を全うする私。

 生まれ持った宿命に縛られる私たちは、きっとよく似ていただろうから。


 あぁでも、そっか。結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。

 罪人である私は、人殺しである私は、救われてはいけない。

 幸せになっちゃいけない。許されたいと願ってはだめ。

 だから私は、全部、諦める。諦めるから、代わりにせめて──。

 

「なるみ、く……い、いやだ」


 ──鳴海君には生きていて欲しかった。


「瓜丈高ォ‼ 今ッ! ここでェ‼ 月印をォ──俺にッ‼ 寄越せェエエエ‼」


 破顔大笑。快哉を叫ぶ珂瑠──千三百年の妄執にとり憑かれた化け物に、鳴海君の命が踏みにじられる。その瞬間を、私は見た。


「──」


 真正面からぶつかり合う二人。寸前、回避しようとしたのか鳴海君は軽くジャンプしたけれど、そんなことに意味はなかった。珂瑠の放った拳はまっすぐに鳴海君の腹に突き刺さり、水っぽい破裂音を響かせた。


「……ぉ、あ」


 掠れた嗚咽と共に、彼の身体がぎゅっと強張る。バチャバチャと粘性の液体が地面に散らばる。何度も嗅いだ濃密な死の匂いが、風に乗って私の鼻腔をくすぐった。

 腹を刺し貫かれた鳴海君は身体をぶるりと震わせて、でも、倒れることもできないで、苦しそうに呻くだけ。


「……嗚呼、産まれてきてくれて、罪を犯して、この地に来てくれてありがとう」


 肩越しに見える男の顔が狂気に染まり、その瞳を爛々と輝かせた。

 興奮を押さえつけることすらままならず、うっとりと、珂瑠は囁いた。


「かくして、俺は真なる不老不死に成るのだなァ……」


 犯した罪には、正当な罰を。

 人……母を殺し、父を見殺しにした私は、それゆえに──。


 ──また、守りたかった人の死を、瞳の奥に焼き付けた。


 今になって思えば、〈憑落〉幹部として与えられた御鉢の称号は、まさしく私にぴったりだった。

『竹取物語』において、仏の御石の鉢を持ってくるよう言われた石作皇子は、偽物のただの鉢をかぐや姫の元に持って行き、一目で嘘を暴かれたという。

 それは私も同じだった。〈憑落〉を裏切っていたことは玉枝にバレていた。だからこそ、私は不完全な霊薬擬きを呑んで、それに気づくことすらできずに恥を晒した。

 私は最期までバカで愚かで、どうしようもなく役立たずだ。


 でも。

 掠れた確かな笑い声と、目も眩むような極光を浴びたのは、その瞬間だった。


「…………かかったな、間抜け──光れ」



    ●●●



 決着は一瞬で着くだろう。だって俺弱いもん。あんなゴリラに勝てるかよ。

 とりあえず衝動的に駆けだしたけれど、それ自体に意味はない。

 だから、目を閉じる。真っ暗闇にはなんの景色も映らない。走馬灯すら見えてくれない。ただ、闇の中で怪獣が歩くみたいな地響きが木霊するだけ。

 珂瑠とかいう化け物が走り寄ってきているのだろう。


 恐怖は無かった。というのは大嘘。超怖い。死にたくない。痛いのヤダ。

 でも、これ以外に道がなかった。

 俺はバカで弱くて情けなくて、だからまっすぐ走ることしかできなかった。


「瓜丈高ォ‼ 今ッ! ここでェ‼ 月印をォ──俺にッ‼ 寄越せェエエエ‼」


 地響きの中に、そんな声が混ざった瞬間、俺は軽くジャンプした。

 イワカサが言うには、心臓の右わきに収まる月印をぶち抜かれたらすぐに死んじゃうらしいので、身体を動かし着弾地点をずらしておく。


「……ぉっ⁉ あぁ……っづうぅうぅ」


 腹に強い衝撃。背骨が折れた。気がしなくもない。わかんない。痛みはすぐに全身に広がって、どこが痛いのかわかんなくなる。閉じたままの両目から大量に涙が零れて、痙攣を起した身体は勝手に暴れて、そのたび腹からぐちゅぐちゅ音が鳴る。 

 息を止めたまま、身体に力を入れたまま、俺はそれでも目を閉じる。

 目を閉じて、祈るだけ。


 ──光子分解とは、万象を光に分解し、操る異能だ。


 さっきは不発に終わったこの力。今使わなくっていつ使うんだよ。

 イワカサが光子分解を使うのを二度、俺は見ている。そのときの状況を再現しろ。

 足りないなら寄せ集めろ。届かないなら手を伸ばせ。己を鼓舞して珂瑠を殺せ。


「……嗚呼、産まれてきてくれて、罪を犯して、この地に来てくれてありがとう」


 あのとき、イワカサは玉枝に触れていた。

 あのとき、イワカサは燕貝に触れていた。

 分解対象に触れること。

 それが必要な条件ならば──


「かくして、俺は真なる不老不死に成るのだなァ……」


 情報を遮断するために閉じていた目を開く。 

 目の前には陶酔に浸る珂瑠の顔。睨みつけ、それだけを想う。俺の腹に突き刺さる太腕を掴む。溢れる俺の血で滑る。それでも握りつぶさんばかりに力を籠める。

 触れ合った肌を通じて、ヤツの身体の輪郭を捉えた。


「ふひっ、ひひぃ……はっ。かかったな間抜けェ……──光れ」


 気がつけば、俺は笑っていた。

 それはきっと、確信していたから。

 長くて、長くて、辛くて苦しかった夜が終わると。


「光れェ‼」


 絶叫に呼応して、全身の力が抜けていく。

 傷口から、口から、目から、腕から指から身体から──。

 薄青色の光が零れ落ち、乱れ舞い、融け合い、混ざり合う。

 そして珂瑠の身体に纏わりついて、目を剥くヤツの顔を覆い尽くした。


「──きさッ」

 

 多分、まだ少しだけなにかが足りなかったのだろう。

 光は珂瑠の全身を包み込むには至らずに、その上半身だけを分解していく。そうしてついに、中空に漂う発光体は闇を切り裂く流星と化した。

 あとに遺ったものは、赤黒い血を吹き出す下半身だけ。それはゆっくりとぐらついて、粘着質な音を発して倒れ込んだ。


「……終わった」


 響いた声が自分のものだと気づくより早く、俺も血だまりに倒れ込む。

 途端に嵩を増してく眠気に抗えず、ゆっくりと目を閉じようとしたとき、


「や、やだっ死なないで‼ お願いだからっ‼ 私をっ、私を独りにしないでよ!」


 そんなふうに縋りつく彼女に、「ごめん」と言いたかったんだけれど。

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