【即入居可!】立地東京駅真下・バストイレ別・家賃7.5万円の1Kダンジョン

木元宗

第1話


 一人暮らしの男は普通の部屋が欲しかった。特筆すべき利便性も設備も価格も無い、そこを選んで借りる理由なんて職場から近いぐらいしか浮かばないだろう、そういう日常の中に埋没する部屋。だってのに不動産屋が紹介して来たのはダンジョンだった。


 そう、今や日本のあちこちで発見されまくり、冒険者を名乗る恥ずかしいいい歳した大人(※主に男)や、進路や勉強から逃げる為に少年(※主に男)達がこぞって繰り出し、結果的にはその未知が暴かれ、実は地球の地下にはゲームみたいな世界が広がっていたなんて夢のある発見が一通りされた後は飽きられ、今やレトロブームの残党のようにあちこちで放置されている馬鹿広い地下迷宮。その地下迷宮の住人、つまりモンスター達が貸し出している物件の一つだった。その中でも、ダンジョンを区画で分け、そのそれぞれを一つの部屋としてアパートやマンションみたく貸し出しているものでは無く、ダンジョン丸々一つを一戸建てみたいに扱い住民を探しているという、本当に呼び込む気があんのかと言いたくなる形の物件。そう、中古ダンジョンマスター募集中みたいな、一生誰も来ねーよと嗤笑ししょうすべき一軒家。いや、一部屋。いや、どっちでもいい。


 男は当然断った。かつてのダンジョンブームは日本を越え世界中を熱狂させたが、中古ダンジョンマスターのブームなんて聞いた事が無いし、ダンジョンがモンスターにより資産運用されていたなんて事も初めて聞いた。


 然し不動産屋は男に熱弁した。ブームはこれから始まるのだと。うちがその先陣を切り、あなたがその伝説の目撃者になるのだと。それに地下という性質上、信号も踏切も、渋滞も事故による遅延も一切無関係に目的地へ辿り着けるという圧倒的な利便性があるのだと。そして不動産屋は、ある戸建てダンジョンの資料を提示した。立地は男の職場から徒歩五分かつ、東京駅の真下。家賃は一万円。


 男は内見に来た。決してその立地と破壊され尽くした価格に、目が眩んだ訳では無い。特筆すべき利便性に着目したのだ。


 ダンジョンの玄関は路地のマンホールだった。下水道じゃねーかと男は帰ろうとしたが、マンホールの振りをしたダンジョンの入り口だった。蓋を開ければ洞窟のような手掘りの通路が現れ、お年寄りにも優しい緩やかな階段が手すり付きで伸びている。壁の両脇には松明が赤々と燃えて列を成し、暖色の電灯のように温かくダンジョンを照らしていた。


 不動産屋は男を先導し階段を下りると、平坦になった通路を歩き出す。然し中古でも地下迷宮。地図も無しに辿り着けるのだろうか。ていうかどこに向かっているのか。ダンジョン丸々一つが戸建てとして貸し出されている訳だが、まさかその全てを回ろうと言うのか。なるべく入り口から近い、住むには丁度ちょうどいいエリアをピックアップしてくれと事前に伝えているのだが、通路は分岐したり曲がりくねるばかりで、部屋と呼ぶべき広さを持つ空間に出会えていない。男がそう不審がっていると不動産屋は、「おかしいなあ。いつもこの辺で部屋が出て来るんだけど」なんて零す始末。今時ダンジョンに潜ってるだけで痛いのに遭難なんて冗談じゃない。男は帰ると不動産屋に告げようと、その肩に腕を伸ばした。


 その時、男の右手の壁に穴が開く。大人が行き来出来るぐらいに広い。まるで道。その先には松明に照らされた円形の広場があり、背を向けた誰かが立っている。誰かは壁に備えられた大量のレバーへ手をやり、「ほ」、とか「よ」とか言いながら上下させていた。


 何が起きたのか分からない男はその様を眺める。男の異変を感じ振り向いた不動産屋は、男につられる形でレバーをガチャガチャやっている誰かに気付くなり目を丸くした。


「アイフィさん? そんな所で何を?」


 そう言うなり不動産屋は、誰かへ近付いていく。置いて行かれるのはまずいと感じた男は慌てて続いた。然し思考力が戻って来た事により、別の不安を覚える。一軒家として貸し出されているが、腐ってもここはダンジョン。不動産屋は親しげに「アイフィさん」と発していたが、どう聞いても日本人とは思えない名前。もしやあの人影とは、モンスターなのでは?


 ダンジョンブーム時代に危険なモンスターは倒され、今やダンジョン内にいるモンスターは友好的な種族しか残っていないと聞くが、冒険者(笑)なんてやった事が無い男にとっては信憑性もへったくれも無い。熱狂の影に沈んでいたが、モンスターに殺された冒険者も山のようにいた時代だ。


 もし危険な種族の生き残りがいて、破格の条件を餌に呼び込んだ人間を食べているとしたら? そうだそもそもこんな話おかしい。不動産屋も実は人間に化けているモンスターで、自分のような馬鹿を呼び込む為に人間社会に紛れ込んでいるんだとしたら? 然し不動産屋の導くままに付いて来てしまった所為で、引き返すにも道が分からない。それにもし下手に動いて思惑がバレたら、その場で食べられてしまうんじゃ?


 逡巡している内に広場へ踏み込んだ。不動産屋は「アイフィさん」の背後で立ち止まると、ゆっくりと男へ振り返る。


「お客様……」


「君が新たなマスターか!?」


 不動産屋を押し退けて男の目の前へ飛び出して来たのは、前を開けた白衣をひるがえす、若い人間の女だった。きっちりと纏められた長髪は几帳面そうだが髪色はアイスブルーな上に、白衣の下はストライプの入ったスーツにカラーシャツと全く真面目に見えない服装。然し顔付きは聡明そうで、そこに乗っかる無個性の丸眼鏡と相俟あいまって、矢張り誠実そうに見える。子供と言うまでの幼さは無いが大学生みたいなテンションで突っ込んで来たので、慌てて男が脇に退かなければ衝突していたが。印象はまるで纏まらないが、紛う事無き人間だ。


 女は目をきらきらさせて、男の右手を両手で包み胸の前まで持ち上げる。


「やるじゃないか! 同居していたモンスター達が出て行ってしまって暇で仕方無いから作った回廊操作装置で道順を無茶苦茶にして遊んでたのに、予約していた内見時間にほぼぴったりで現れるだなんて! なんて見込みのある奴を連れて来たんだ不動産屋!」


 女は不動産屋を見るが、不動産屋は呆れを浮かべていた。


「その装置でアイフィさんが僕らを連れて来たんですよ。偶然ベストタイミングでここに通路を繋いだから」


「何ィ!? なんて幸運! どっちにしたって新たなダンジョンマスターに相応しい! いつから住むんだ君! ええ!?」


 戸惑う男に不動産屋は助け舟を出す。


「お客様はまだ内見の途中です。ご案内する予定だったお部屋、どこに移動させたんですか」


「どこでもいいだろ部屋なんて幾らでもある! このダンジョンは電気、水道、ガス、インターネット、その全てがどこでも使える最強設備だぞ!? 地上に繋がる通路も蜘蛛の巣のように張り巡らせてあるし、都心部ならほぼどこにでも直通だ! 長距離移動用の地下用車だって用意してある! 暇だから呼んでくれれば私が送迎するぞ! 室内には洗濯機置き場もあるし、バスとトイレも別! 太陽光が届かないから洗濯物が乾かないだろだって!? これらの設備を作った私を嘗めるな、当然換気設備だって全ダンジョン内に配置しているからカビの心配はしなくていいが、太陽は作れないので部屋干し用洗剤使って扇風機でも回してくれ! そこは無理だ! 天才の私でもな! はっは! さあさっさと好きな部屋に住め! 住民は私だけだから遠慮しなくていいぞ!」


 怒涛のセールストークに圧倒されていた男は、やっと言葉を発した。「君は何者で、何故このダンジョンは存在している?」と。


「私は金持ちの家に生まれた地底人だよ。地下のある深さになってくると、ダンジョンだけじゃなく地上と似たような人間社会が形成されてるのは地上の君達も知ってるだろ? 地下社会の安全を守る為モンスターをダンジョンに隔離し管理する、地下迷宮管理者ダンジョンマスターで食ってた父の仕事を遊び半分に継いだんだ。今はモンスターが出払ってるから、名ばかり管理者マスターだけどね。暇過ぎて地上の人間向けに賃貸を始めたんだ」


 不動産屋が補足する。


「ダンジョンブーム時代に地上の僕らが踏破したダンジョンって、管理者マスターの高齢化や後継者不足により放置されたものばかりなんですよ。だから地上からでも見つかりやすい格好になっていて、危険なモンスターも野放しになってたんです。ここの管理者マスターであるアイフィさんはマメ……。っていうかものづくりが好きな方なので、ちゃんと全ての出入り口をマンホールに擬態させてますし、ダンジョン内の設備も一級品ですよ」


「ちゃんと内装すれば窓が無い事以外、地上の物件と変わらないしな!」


 アイフィはレバーだらけの壁へ駆け出すと、その一つを上げた。男の左手方向の壁に穴が開き、1Kの部屋が現れる。


 不動産屋は目を丸くすると、部屋へ歩き出した。


「あーこれこれ! これですよお客様! ダンジョン内で一番入り口から近いお部屋! 本当は歩いて三分も無いんです!」


 事前に示されていた資料通りの姿をしている部屋に、男もつい近付く。何の文句も無い、あの一万円の部屋だ。慎重に中を確かめるが、不審な点も無い。


 広場からアイフィの得意げな声がする。


「悪くないだろ! 私がよく使ってる部屋はダンジョンの最奥だから、大きな音を出しても聞こえないから問題無い!」


 いいんじゃないか? 再び男の心は傾いていた。奇妙な女はいるが部屋は要望通りだし、何なら送迎付きというサービスまであるようだ。それも落ち着いて見れば中々の美人。面倒な近所付き合いもしなくていいし、モンスターもいないし……。


「モンスターがいなくなって管理しなくてよくなったって事は、ダンジョン自体を閉鎖してしまえばいいんじゃないか? 維持費も必要無いし、それだけ平和になったって事だろ?」


 内見を終えて広場に出ながら、つい口にしていた。


 後ろから付いて来ていた不動産屋は動きを止め、アイフィは上機嫌のまま即答する。


「地下社会への侵攻が終わったら戻って来るから残しておかないといけないんだ。可愛い部下に寝床が無いと困るだろう?」


 意味が分からない男は固まった。


 アイフィはにこにこ顔のまま別のレバーを下ろし、広場に繋がる全ての部屋と通路を封鎖する。


地下迷宮管理者ダンジョンマスターで食ってた父の仕事を遊び半分に継いだと言ったが、当然そんな態度の奴に家業を任せ切る馬鹿もいなくてね。大真面目に継いだ妹が、我が一家を濡れ衣で没落させた商売敵と、そいつに手を貸した王族の騎士……。地上の君ら風に言うと政府の高官か。に、復讐がてらドンパチ仕掛けようとしてるから手伝いで向かわせてるんだ。という訳で何かと物入りでね。維持費も要るし金も要る。金とは多い方がいい。君が支出を減らす為、この物件を見つけたように。私が暇してるのはモンスター達の武装開発が一段落したからで、普段はあれこれ作るのに忙しい。という訳で、君にここの管理者マスターになって欲しい。何も知らない地上の馬鹿を、今後は一万円なんてボケた値じゃなく相場からちょい安いぐらいで引き込んで、一丁財を成してくれ。当然報酬は払う。アウトローな仕事は儲かるんだぜ」


 男の頭上で何かが蠢く。見上げると土を晒した天井から、粘性の高い緑の液体が染み出ていた。それはじわじわカーテンのように下りて来て、液体の奥から表面へぎょろりと目玉を飛び出すと、男を見下ろす。


「セキュリティ面の紹介をしていなかった。うちのダンジョンの警備を任せているスライムだ。この通り、いつでもどこでも駆け付けてくれる。触ったら骨ごと溶かしてくれるから、掃除も楽だよ」


 不動産屋も笑った。男の真後ろに立って、背にナイフを突き付けながら。


「家具もこちらでご用意させて頂きます。他にも何かご入用の際はお申し付け下さい」


「地下社会に興味があるなら今度連れて行ってあげるよ。ダンジョンブームの頃は地下の品とは、何でも財宝と呼んで喜んでくれたじゃないか。始末に困る盗品を捌くのに助かってたよ。ああ金の心配ならしなくていい。私の名前を出せば大抵譲ってくれる。今や地下社会の裏を牛耳るブラッドショーファミリーのボスの姉、アイフィ・ブラッドショーって言えばさ。宜しく。新たな地下迷宮管理者ダンジョンマスター。表向きには君が王さ」


 男は喋れない。滝のような冷や汗を流すだけ。


 最初はなから返事など聞く気が無いアイフィは、話は終わりだと告げる代わりに微笑んだ。


 その翌日、国内のあらゆる不動産サイトへ、こんな物件情報が一斉に掲載される。


 〝【即入居可!】立地東京駅真下・バストイレ別・家賃7.5万円の1Kダンジョン〟



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