五つ目の化物

月見 夕

暴風域の化物

『只今の拳闘の勝者は――“五つ目の怪物“!!』


 割れんばかりの歓声と怒声が、砂煙を伴って闘技場に響いた。地響きのように轟く空気と熱気を、拳闘の勝者である俺は背に受けて立つ。観衆の反応自体に興味はなく、ロバ由来の黒い垂れ耳を気怠く揺らした。

 縦に並んだ三つの右目と二つの左目でひと睨みすると、うるさい観客共はようやく黙った。五つの赤い瞳に映した奴らはどいつもこいつも賭けのことしか頭にない人間共だ。

 溜息をひとつ吐いて、足下の肉塊を見下ろした。今しがた屠ったばかりの黒い半人半馬ケンタウロスは、赤黒い血溜まりに静かに沈んでいる。

 泥色の頬に跳ねた返り血を雑に拭い、俺は闘技場の空に雄叫びを上げた。



 ◆



 この世に生けるもの共の身分は神の統べるところにある。

 すべての生き物とは一線を画し最上位に神族がいて、大きく離れて神獣、人、魔物、獣と続く。下層に位置づけられた者が上に立つことはあってはならないとされている。

 対して俺は最下層も最下層だ。

 ロバ、蜘蛛の化物、泥の魔物、奴隷に死罪人……神々の戯れで面白半分に成された、怖気が走るような交雑で生まれたのが俺だからだ。

 あらゆる生き物が俺を下に見、石を投げ、侮蔑の笑みを寄越した。この命に、見世物の畜生以下の価値すら与えられてはいなかった。


 状況が変わったのは、この「拳闘」が始まってからだった。神々は自らが生み出した生き物たちで新たな「お遊び」を思いついたらしかった。

 なんでも、神獣以下のすべての生き物たちの中で腕の立つもの同士で殺し合いをさせ、誰が最も強いか決めようというのだ。

 悪趣味極まりないが、最後に勝ち残った者に与えられる「景品」に、俺も含め皆目の色が変わった。

 それは「神の子の伴侶の座」だった。神は子を成す時、新たに他種族から生贄を取って神の眷属とし、異種間で血を分けなければならないという。拳闘で勝ち進み最後のひとりとなれば、元の生まれはどうあれその充分すぎる栄誉をえられるのだ。


 だから俺は心に決めた。

 差し出された神の子を、神の目の前で食い散らかしてやる。残忍な笑みを浮かべ、食べ残しの四肢を投げつけ「ざまあみろ」と宣ってやろう。

 それが俺を生み出した神々への復讐であり、ただひとつの俺の生きる意味となった。

 俺に流れる血が奴らにとって穢れていようと関係ない。この血は熱く滾り俺を奮い立たせる。それで充分だった。



 ◆



 闘技場内はケンタウロスの死体が黒い灰になり風に溶けて行ってもなおざわついていた。無理もない、生き物の最下層である混ぜキメラの俺が格上の神獣を沈めたのだから。

 特等の貴賓席に座す神のうちのひとりがそばの従者に何か耳打ちをしている。と、数十秒後には場内にどやどやと高貴なる血の有象無象共が現れた。

 数十、いや百はいるだろうか、名のあるらしい聖騎士、純白の角を掲げる聖馬ユニコーン、森の聖域に棲うという知恵の神樹の精……あらゆる神獣や聖人がこちらへ明確な殺意を向けている。

 どうやら神々はここで一気に俺を潰す気らしい。

「神にプライドはねぇのかよ」

 嫌気より可笑しさが勝り、気づけば笑っていた。耳まで裂けた口角の血を拭う。

 良いだろう。英霊だろうが聖獣だろうが、俺には関係ない。神の御前に辿り着くまで、目の前に立ちはだかる奴らは全員屠ればいいだけの話だ。


 開始の鐘が鳴るや、俺は迷わず敵陣へと駆け出した。

 盾を構えて迎え撃とうとした騎士の顔に挨拶代わりに音速の膝蹴りを見舞う。即座に頭が消し飛び純白の鎧は赤黒い血で汚れた。

 降り立った勢いですぐそばで慄く黒衣の大賢者に殴り掛かると、聖杖は派手に折れ飛んだ。祝詞を呟く前にその口に拳を叩き込む。そいつの歯は小気味よい音を立てて散った。

 鋭く折れた聖杖を力任せに放るとこちらに飛びかかろうとしていた三頭犬ケルベロスの頭は揃って串刺しになった。

 騎士団長が投げて寄越した毒の鎖鎌は口で受止め、逆に鎖ごと振り回して鎧の身体を地面に叩き付ける。いただいた鋭利な鎌を咥えたまま縦横無尽に駆け回ると向かって来ていた奴らは血飛沫を上げて崩れ落ちた。

 ああ愉快だ。化物の身体は膂力のたがを知らず、虐殺にこれ以上なく向いている。さあ怯えろ、上級の生命達よ。殺戮を娯楽とする狂った観客共よ。これがお前らが化物と呼び蔑み石を投げてきた男だ。化物として生きるしかなかった生き物だ。恐れるか、それとも哀れに思うか。だが俺の、俺に至るまでの先祖から連綿と続く苦しみはこんなものではないぞ。

 神の呼びかけに集結した英傑共の肉を潰し脚をもぎ目を穿ち脳漿を踏みにじり骨を砕き完膚なきまでにその人生を耐え難い苦痛で終わらせる。

 生温い返り血でずぶ濡れになり、俺は闘技場内でただひとり立っていた。

 凄惨な場内に辺りは静まり返り、棒立ちで見ているだけの誰かが「化物」とだけ漏らしたのを長い耳が聞き取った。賭けだなんだと騒いでいた連中の何人かはその場で吐いている。

 倒れ伏した聖獣共は誰も彼もが黒き灰に変わり、乾いた風に吹き消されていく。豚蝿が飛び交うような灰嵐のなか、俺は見晴らしのいい特等席に座す神々を仰いだ。

 見開いた五つの瞳に怯えた神々が映る。次はお前らだ。

 すると老齢の全能神も歴戦の闘神も知恵の女神も、慌てて席を立ち我先にと闘技場の出口へと急いだ。

 逃がすか、とそちらに爪先を向けると、観衆にも恐怖が伝播したのか尻尾を巻き悲鳴を上げて逃げ出した。

 そうしてあっという間に人っ子一人いなくなり、闘技場には累々と築かれた死体の山と、返り血に濡れた俺だけが残された。



 やりすぎてしまった。

 観客席を駆け上がり空っぽの神座を足蹴にした俺は溜息を吐いた。せっかく神を討つ絶好の機会だったのに、奴らは誰ひとり残っていない。

 ……いや、まだ誰か残っているな。数キロ先の物音も聞き逃さない垂れ耳が、誰かの衣擦れを聞き取った。すぐそばだ。神々の席の後ろ、その扉の奥に誰かいるらしい。

 もし神の子でも残っているのなら始末してやろう、と無遠慮にドアノブを掴み、扉を千切って背後に投げる。

 部屋の隅、天蓋に囲まれた中に誰かいる。小さな気配は子供のようだった。

 これは都合がいい。さあこの姿を見て震えるがいい。

 耳まで裂けた口を歪ませてカーテンを剥ぎ――俺は言葉を失った。

 そこにいたのは一輪の花のような少女だった。銀紗の如き長い髪は血の香る闘技場の風に吹かれてさららと揺れ、陽の光を内包したような双眸は柔らかく細められている。その身の放つ清らかな輝きは神格そのもので、目の前の少女が確かに神々の一族の血を引いているのだと確信させた。

 しかし血みどろの化物を目の当たりにして怯えない、この違和感は何だ。見ているようで見えていないような――

「……お前、目が見えないのか」

 合点がいってそう言うと、娘は恥ずかしそうにはにかんだ。

 この距離で血の匂いも感じていないようだから、視覚だけでなくいくつかの感覚が鈍いのか、それとも完全に失っているのかもしれなかった。

 いや、そんなことは最早どうでも良い。

 あまりの美しさに、しばし時が止まった。

「あなたが、私の」

 神の娘は、頬を赤らめて目を伏せた。殺意を抱かない瞳から、思わず目を離せなくなる。

 そして俺の首元に触れたかと思うと、返り血で汚れるのも構わず俺を抱き締めた。それはあまりに自然で、拳闘ではこの身に拳ひとつ当てさせはしなかったのに、たったひとりの少女は何事もなく俺に触れる。

 ちょっと待て。俺は五つ目の怪物で、あらゆる卑しい生き物との交雑種で、視界に入るだけで呪われると囁かれ続けていて――すべての忌まわしい記憶がリセットしてしまうほど、その手のひらは温かかった。

「不束者ですが、どうかその……よろしくお願いいたします」

 そう言うと少女は背伸びして、固まったままの俺に口付けた。柔らかな唇に、五つ目は揃って眩む。


 多分、いや間違いなく――この日、俺は初めて誰かに恋をした。

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五つ目の化物 月見 夕 @tsukimi0518

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