知らぬが罪なら

羽入 満月

その優しさは、誰のための

「もの静か」で「優しい」と、誰かが私のことをそう評した。

 そんなことない、と否定をしながらも、心のどこかでは「私は優しい人」だと思っていたのだろう。


 あの子も「優しい」と思ってた。

 いつも周りに当たり散らす人達と違って、いつも静かに我慢をしてた。

 だから彼女も優しい人。


 この世の中は、なんで優しい私達に優しくないんだろう。


 そんなふうに思っていたのに。


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 ある日の放課後。

 部活が終わって帰ろうとカバンを取りに教室へ戻ったときだった。

 教室には、彼女が一人。帰りの支度をしていた。

 私はいつものようにカバンの準備をして帰ろうとしたが、どうにも彼女のことが気になって、声をかけることにした。

 とりあえず、周りに誰もいないのを確認して、彼女にそっと話しかける。


「あ、あの」

「……」


 返事はなかった。

 当たり前だ。

 私から話しかけることなんてここ何年もなかったのだから。

 中学に入る前は、普通に話していたはずなのに。


「あのさ」

「……なに?」


 それは、授業の発言以外で久々に聞く彼女の声だった。


 ちょうど西日が差しているため、彼女の表情は影になっていてよくわからない。


 怒ってる?


 冷たい声に怯みそうになったが、ここは勇気を出さないと!


「なんか、さ。ごめんね」

「……なにが?」

「ほら、いろいろ、言われてるでしょ?私、何もしてあげられなくて」


 毎日何十回と彼女に向かって吐かれる「帰れ、消えろ、死ね」という暴言もそれ以外の悪口も、持ち物や授業で作った作品の破壊や盗みも、足を引っ掛けて転ばされたり、定規や下敷きに乗せて彼女に向かって飛ばされたりする消しゴムの切れ端も。

 知っている、気づいているのに何もできない。

 多分、それ以外の事もいろいろあるだろうけど、彼女はそれを毎日、二年と数ヶ月ひたすらに我慢しているのだ。


「別に謝らなくていいよ」

「で、でも」

「だって何もしてない訳じゃないでしょ」

「……え?」

「宿題を一番に出したら、隣に新しい山を作って出してる。その山に私が出したら上に載せない。バイ菌がつくんでしょ?給食だって、隅の席から順番に置いていきましょうのルールなのに、いつも私の分はないし、私が配膳したのはババ抜きのジョーカー見たく他人に押し付けあってる。私の存在を無視してる。ペアやグループを作るときは、最後に余って「入れて」って言いに来なさいよと悪態をついてるのを横で聞いてて、「入れて」言えば「そう言われてヤダって言えないでしょ」って悪態を付いてるのを聞いてる。他にも挙げようか?」

「あっ、いや……それは……」


 淡々と挙げられるそれらは、たしかに私達の日常だった。


 どうしよう。

 私は何もしてない。

 それに私は色々としていた。

 それらを自分が率先してやっているわけではないけれど、“なんとなく”、“雰囲気で”、”空気を読んで”、最終的には自分の意志で“選んで”る。


「ご、ごめん。私、そんなこと」

「考えてもなかった?」

「本当に…ごめんなさい」


 考えてもみなかった。

 頭の中が真っ白になる。

 もう、私はひたすらに頭を下げることしかできなかった。


「だから、謝らなくていいって。どれだけ謝っても私は許す気はないから。無駄なことはしなくていいよ」

「そんな、に?」

「“ごめん”、“いいよ”なんて園児みたいなやり取りで簡単に許してもらえるって思ってたの?」

「そんなこと」


 思ってなかった?考えてもみなかった?


 考えるのは、さっきからそんなことばかり。

 自分勝手なことばかり。

 そこに思いいたったら、ポロポロと涙がこぼれてきた。


「ねぇ、泣かないでよ」


 その言葉に首をふる。

 私は慰めてもらえるような人じゃないの。


 しかし、彼女の次の言葉に私は息をのんだ。


「泣きたいのはこっち。泣くことすら悪口の対象にして泣けなくしたのに、なんであなたは泣いてるの?あぁ、私に泣かされたって後から誰かに泣きつくの?それとも自分には寄り添って話を聞いて、慰めてる人がいるっていう自慢がしたいの?」

「ちが、違うの!そうじゃなくて……」


 大声で否定をしたものの尻窄みになってしまう。

 涙をこらえたくても、次から次へと溢れてくる。


「だから、もういいって。だって、明日からも特に何をするつもりもないんでしょう?もしかして、もう謝りましたって免罪符がほしいの?それか今日までごめんね、明日からも変更なしだけどごめんってこと?」

「あした、から?」


 今日この話を聞いて、気づいてしまって、明日から態度を一変して変えられる?


 ……私には、そんなこと


「できないでしょう?気弱で優しいあなたには無理でしょ」


 できない。

 それどころか、すでに彼女の顔を見れない。

 気まずい。

 明日学校に来れないかもしれない。


 そんな私の考えを見透かすように彼女が答える。


「休んだらね、日を追うごとに気まずさはどんどん

 膨らむよ。親にも体調悪いって嘘ついていたたまれなくなるの。それが嫌だって理由で私はここにいる。あと、それを理由に出てきた時にまた悪口言われるから。だから、寝れなくても起き上がれなも、ご飯が食べれなくても、吐いても、ここにいる。でも、それは私の矜持であってあなたに押し付ける訳じゃない」


 彼女がカバン背負った音わ衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。


「私は優しくないからね。ただもう何もかもめんどくさくなっただけ」


 あとね、と彼女は静かに続けた。


 この問題はね、

 すべてに甘んじて考えるのをやめた、傍観者であるあなた達のせいじゃない。

 声を上げるのをやめてすべてを諦めた私のせいじゃない。

 相談されたのに様子を見ようと何も対策をしない先生たちのせいじゃない。

 自分たちは何しても許されるみたいな考えのあいつらのせいじゃない。


 ガラガラ、ピシャンと教室の扉が閉められた。


 残された私は、途方にくれた。

 道に迷ったこどもみたいに。

 出口のない迷路に迷い込んだみたいに。




 知らぬが罪なら、知ってしまったあとは何になるのだろう。

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知らぬが罪なら 羽入 満月 @saika12

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