モンスターの憂鬱

杉林重工

モンスターの憂鬱

 怪獣ブンゴロガヌスには三分以内にやらなければならないことがあった。


 本当にあり得るのだろうか、自分が死なずに家族の元に帰れる方法が。正義の巨大ヒーロー〈サイレンマン〉を前に、怪獣ブンゴロガヌスは、その昆虫然とした爪同士を絡ませ思案した。


 カウント:3


『東京湾より出現した昆虫怪獣ブンゴロガヌスは、隅田川を北上して現在、浅草に到達しようとしています』

『現在、駒形橋には、怪獣を一目見ようとする人々や、避難する人々で混乱に陥っています』

『怪獣はレインボーブリッジをはじめとした進行上に存在するすべての橋を破壊しています』

『隅田川沿いの人々は、速やかに指示に従って避難をお願いいたします』


 海を跨ぐ巨大な竜を彷彿とさせる日本の名橋、レインボーブリッジを突き崩したのは、巨大昆虫怪獣ブンゴロガヌスから生えた二本の巨大な角だった。二十メートルを超す極太の突起は、コンクリートも鉄骨も鉄筋もワイヤーも、その上の車すら関係なく、全てを切り伏せ東京湾の奥底に沈めた。全長も四十メートルを優に超し、隅田川に入っては、黒光りする脚の一振り、或いはその腹で以て、時には示威するようにその角で、築地大橋、勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋を悉く破壊した。


 まるで、走り抜けるように、否、追い立てられるようなそのスピードに、人々は息を吞んだ。


「なんでずっと橋を壊すんだ?」

「川から出ないなら別に写真撮っていいだろ!」

「なんか大分ふらついてるように見えるぞ。大丈夫か?」

「こんばんちわー! 今ワタクチ様は隅田川でカイジュウちゃんとツーショを撮りに墨田川まで来てまーす」

「馬鹿ども! 逃げろ! 怪獣が来てるんだぞ! マナー違反だ!」

「怒鳴らないで! 子供が怖がります!」

「避難ケイサツ警報発令中」


 怪獣ブンゴロガヌスは隅田川をひたすら遡る。ただひたすら真っすぐに、そして時に、笑うように揺れながら、その巨大な角で、倒れ込むように厩橋を破壊する。


「ついに来るぞ!」

「どいて! 殺される!」

「揺らすな! 動画がぶれるだろ!」

「がんばれ、ブンゴロガヌス!」

「声入ってる?」

「声入ってる?」

「死にたくない!」

「怪獣がきてるんだけど!」


 駒形橋の上は熱狂と混乱に満ちていた。彼らとて、怪獣はそのうち川を登るのを諦めて、適当に神田川にでも入るものかと思っていた。或いは、


「〈シュバット〉はどうしたんだよ! 税金泥棒かクソ野郎共!」


 群衆の中の一人が絶叫した。そう、怪獣大国日本には、こんな時にこそ頼れるはずのエキスパートがいる。


「いるぜ! ここにな!」


 駒形橋のど真ん中、前にも後ろにも勧めなくなったタクシーの上に乗り、蛍光黄緑色の目立つベストを身に着けた女が応えた。彼女こそ、泣く子も苦笑いの政府直下の怪獣退治のエキスパートチーム『Savage Hunters Ultimate Beast Annihilation Team』略してS.H.U.B.A.Tこと〈シュバット〉の隊員であった。


「何やってんだ! 早く退治しろ!」男は蛍光黄緑色のベストの女を認めると、すぐに怒声を飛ばした。


「お前らが避難しねえからなんもできねえんだよべらぼうめ!」女はタクシーの上で地団太を踏み言い返す。


「勝鬨橋で倒せタダ飯ぐらいが!」


「なんだとこの黙ってきてりゃ」


「黙ってねえだろ!」


「なんだこのハゲオヤジ!」


 彼女はついに、腰に下げられた対怪獣用小型擲弾発射器〈ブラッシュマスター〉を手に取ると、こともあろうにその男に向けて狙いを定めた。


「おい! こいつ、また週刊誌に載るぞ!」


 男はやや慌てるそぶりを見せるが、それでも大声で噛みついた。


「やめてくださいオオタワラさん……」


 そんな彼女の足元に、眼鏡をかけた別の〈シュバット〉の隊員が現れた。人ごみを必死でかき分けたからか、目立つ黄緑色のベストがほとんどずり落ちている。


「おう、遅かったなァ、サキヤマ」


 オオタワラと呼ばれた彼女はふん、と鼻を鳴らすと〈ブラッシュマスター〉の砲口を空に向けた。


「あ、あんたこそ! 人に武器を向けちゃダメでしょう!」


 息も絶え絶えにサキヤマは、声を枯らして言う。


「うるせえ! おいお前ら! 早くしねえとこの橋、怪獣より先にこのオレがぶっ壊すぞ!」


 オオタワラの脅迫に、ついに民衆が屈した。というよりも、〈シュバット〉隊員が現れた時からすでに、野次馬や避難民は橋から逃げ去ろうと必死になっていた。彼らが来たということは、『そういうこと』なのだ。


「来週の文春が楽しみだな!」男は捨て台詞を残して逃げる民衆に加わった。その背中へオオタワラは唾を吐く。


「なんとでもいいやがれ! どうせオレ達がいなかったら、マスコミもお前も角川ごと滅んでんだよ!」


「文春の出版社は違いますよ」


「お前は細かいんだよそれでも男か!」


 がん、とオオタワラはタクシーを蹴り飛ばした。その様子に、サキヤマは首を竦めた。


「……でも、よく来たな。実家に帰るんじゃなかったのか。隊長のせいで自律神経がどうのって」


 顔を背け、少し照れたようにオオタワラは言う。


「それはオオタワラさんも一緒じゃないですか。こんだけパワハラ受けるなら基地の方がまし、でしたっけ」


 にやけた顔を隠すため、サキヤマは怪獣ブンゴロガヌスを見る。


「とりあえず、手持ちの〈ブラッシュ爆弾〉でやってみますか」


 サキヤマもホルスターから〈ブラッシュマスター〉を取り出す。


「そうだな。それと……」


 その時、彼女の声をかき消すような激しい音と、風が二人を襲った。見上げると、一台の〈シュバット〉専用戦闘ヘリコプター〈クイーン〉がホバリングしている。二人は自然と、ベストにつけられた無線機に耳を遣った。


『俺より早いとは恐れ入ったな。こちらイツミ。いつでも撃てるぜ』


 窓をよく見ると、手だけが外に出ていて、二人に向かって振られている。思わずサキヤマは手を振り返した。


『シノヤもいるぞ! 今浅草だけどな!』その言葉には苦笑いせざるを得ない。シノヤはいつも間が悪いのだ。


「まったく、お前達、もう出撃なんてしないんじゃなかったのか?」


 そして、その声はオオタワラとサキヤマの下、川の上からした。一隻の船がゆったりと川の流れに乗ってくる。その船首に、拡声器を口に当てた、眠そうな目の男が立っている。


「ロクトウ隊長!」サキヤマは目を輝かせ「あんたも引退って言ってたじゃねえか、ったくよお」と、オオタワラは目をこする。


「じゃ、遅刻のシノヤは置いといて、奴を浅草に乗せたら俺達〈シュバット〉未来永劫の恥と思え」


『相変わらず無茶言うぜ』「できますかね?」「もっと火力がありゃいいんだよ」三者三様愚痴が飛び出る。


「俺も偉い人から無茶言われてるから、黙んなさい」


『パワハラだ』


「見た感じ、大分不安定で、ふらふらしながら移動している。川から出ないのも、理由があるのかもしれない。とりあえずチャンスだ」


 ロクトウはそういって、一呼吸。そして、まっすぐ怪獣を見つめる。


「それでは、攻撃開始、三秒前」カウントダウンが始まった。


『三』


「二」


「一」


 同時、オオタワラとサキヤマの〈ブラッシュマスター〉が炸裂し、装甲ヘリコプター〈クイーン〉は怪獣用ミサイルを発射する。そして川を往く船〈黒鳥丸〉はメーザー砲を放った。そのどれもが怪獣ブンゴロガヌスを真っ白な閃光に塗り潰した。隅田川のど真ん中に、巨大な煙の塊が誕生した。


「やったぜ! 一昨日来やがれべらぼうめ!」オオタワラは思わずガッツポーズを決め、得意げに両手を突き上げた。


「いや、駄目ですよオオタワラさん、それはフラグ……」


 ――クソオオオオオオ!


 その声、否、音は、怪獣を覆う煙を一瞬で吹き飛ばした。川は波立、ロクトウは船首でひっくり返った。


『なんてこった、無傷か?』


 強風に煽られた〈クイーン〉を必死で制御しながらイツミは言った。


「あー、駄目だこりゃ。お前達、後は頑張ってくれ。以上」


 ロクトウは素早くそう判断すると、〈黒鳥丸〉をUターン。


「そんな、隊長!」サキヤマは悲鳴にも似た声を上げる。


「くそ、せめて後一発……」


 オオタワラは二発目を用意し、


『やっぱりこんなところ来るんじゃなかった!』と、イツミはしかし、怪獣ブンゴロガヌスへ機銃を斉射する。すると、ブンゴロガヌスはぴたりと動きを止めた。


「これは……」


 ブンゴロガヌスの様子がおかしい。オオタワラの手が止まる。


「あ。わかりましたよ」サキヤマは魂が抜けたかのように力なく言う。


『間に合わねえな』イツミはついに操縦桿から手を離した。


 ブンゴロガヌスの二本の角がびかびかと輝く。そう、怪獣が急に動きを止めた時は、いつもこうだ。三人が潔く諦めたのを知ってか知らずか、〈シュバット〉の面々が放ったどの武装の攻撃よりも眩い必殺技を、ブンゴロガヌスは繰り出した。


 ――その名を、ラートゥーム太陽光線。


 角の間から放たれた、まるで太陽でも落ちてきたような光に、その場の三人は思わず顔を覆った。〈シュバット〉の隊員は全員、遺書を用意する義務がある。丁度二か月前に更新したばかりだ。そういう意味では、三人とも禍根なく死ねるのだ。


 だが、その時はなかなか来ない。恐る恐る三人が手をどかし、隅田川の下流を見る。すると、目の前に真っ黒な壁があった。逆光に染まった大きな背中。これは、『巨人』だ!


「来やがったか。オレ達の最大のライバルが」


「でも、いつも助けてもらっていますから、なんも言えませんね」


『こいつさえいなけりゃもう少し言い訳が立つってのに』


 そう、三人の目の前に屹立する、巨人。宇宙の彼方P98星雲からやってきた人型の宇宙人。


「――〈サイレンマン〉の到着だ。お前ら、覚悟しとけよ」


 言葉とは裏腹に、気の抜けた拡声器の声が、隅田川に木霊した。


〈サイレンマン〉は真っ白な体に黒いライン、そしてなにより、その頭の形が『特徴的』だった。


 彼はまっすぐ、飛沫を上げてブンゴロガヌスに立ち向かい、その胴体を掴んで、崩壊した厩橋の袂に投げつける。ビルを、建物を、車を巻き込み薙ぎ払い、コンクリート片に変えて、ブンゴロガヌスは大地を転げた。その巨大な揺れは駒形橋も大いに揺らし、オオタワラはタクシーの上から振り落とされた。


 ブンゴロガヌスは何とか立ち上がり、両角を振り回して辺りをうかがう。どうやら敵である〈サインレンマン〉の姿を見失ったようだった。その隙を、〈サイレンマン〉が見逃すはずはない。彼はP98星雲から正義のためにやってきた宇宙警邏隊の一員だ。宇宙警邏隊仕込みのギャラクシーボクシング術を活用し、フリッカージャブをシャワーのように浴びせる。黒光りする頑丈そうなブンゴロガヌスの体も、その圧倒的な打撃量に屈してベコベコと凹む。それに気をよくしたのか、今度は怪獣のレバーあたりに蹴りを入れる。苦痛に仰け反ったそれへ、今度は喉元へ地獄突きを決める。ブンゴロガヌスは真後ろに倒れ込み、これまた景気よくビルを潰した。ワンサイドゲームだ。ブンゴロガヌスは陸に上がってから一度も〈サイレンマン〉の姿を捕えることなく、今まさにその生涯を終えようとしていた。


 ひっくり返ってなお、必死で起き上がろうとするブンゴロガヌスへ、余裕をもって〈サイレンマン〉はその巨大な角に手を掛けた――圧し折るつもりだ。だが、そのとき、その突起は大いに振れると、今度は自ら大通りを舐めるように動き、立ち上がった――なんと、その両角を両足にして。


「まさかあいつ、逆立ちしていたのか?」


 遠く、双眼鏡で戦況を眺めていたロクトウは呟いた。その通りだった。


 ブンゴロガヌスは今まで角だと思われていた突起で瓦礫の山を踏みしめ、顔だと思っていた部分を深く落とし、左脚だと思われていた部分を前に突き出し、右足だと思われていた部分を大きく後ろに引いて、拳を放つ構えを見せた。尻だと思われていた部分には確かに顔の意匠があって〈サイレンマン〉と相対す。


 最初に動いたのは〈サイレンマン〉だった。堂々と真正面から近寄ったかと思うと、一瞬、彼の下半身が消え去り、構えをとっていたブンゴロガヌスの側頭部を蹴りぬいたのだ。ソニックブームすら置き去りにした、まるで居合のような超音速の右回し蹴り。遅れて遠くのビルの窓ガラスが砕け散り、真下の車に雨と降る。だがしかし、ブンゴロガヌスはその魔刃を受け流し、側転の要領で回転し、再び逆立ちの姿勢をとった。これこそがブンゴロガヌスの狙いだった。今、再び両角を天に伸ばすブンゴロガヌスと〈サイレンマン〉は息がかかりそうなほど近い。そう、この超近距離から、あの必殺技――ラートゥーム太陽光線を放ったのだ。


 先ほど、隅田川上で撃った時とはわけが違う。防御不可命中必死の一撃だ。二本の突起、否、両足の間から放たれたラートゥーム太陽光線を真正面から浴びた〈サイレンマン〉が大いに吹き飛ぶ。今度は、彼が街をひっくり返す番だった。コンクリートとアスファルトが波打ち、津波のようにしてビルを飲む。


 全身から煙を上げ、よろよろと立ち上がる〈サイレンマン〉を、満足げにブンゴロガヌスは見る。だが、その時、〈サイレンマン〉の頭が真っ赤に光り出した。これには、遠くから宇宙人と怪獣の戦いを見守る〈シュバット〉の面々の顔が青ざめた。


「ダメだ! 〈サイレンマン〉は三分間しか戦えない! このままでは!」


 ――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんんんん!


〈サイレンマン〉の頭が真っ赤な光を上げて絶叫した。そう、〈サイレンマン〉の特徴的なその頭は、パトカーについている回転灯よろしく、光り輝き、警告音としてのサイレンを鳴らすのだ。


 ――クソオオオオオオ!


 それに呼応するように、ブンゴロガヌスも大地を震わせた。


 ブンゴロガヌスは、勝たなくてはならない。彼の上司にあたるグリフォン星人からそう言われている。だが、その一方で、つい先日、ほかならぬ〈サイレンマン〉から持ち掛けられた交渉が頭を過る。


『なあ、ブンゴロガヌスさんや、今度の戦い、負けてくれはしないかね。なあに、負けてくれたら、止めは刺さないよ。それどころじゃない。君の家族にも、手を出さないことを誓おう』


 ――ブンゴロガヌスには家族がいる。長男のスッカラガヌス、次男のコンガリガヌス、長女のケブリーヌ、妻のタマオガネーヌ。実は、来月には初孫が生まれる予定もある。ブンゴロガヌスは瓦礫とともに拳をきつく握った。


 このまま、適当に膝を、否、肘を屈せば、〈サイレンマン〉は見逃してくれる。


『おい、どうしたブンゴロガヌス。〈サイレンマン〉は弱っているぞ! もう一度お前の、太陽神の力を見せるのだ』


 グリフォン星人の声が聞こえる。だが、ブンゴロガヌスの体は動かなかった。


『どうした! 今までやられた同胞たちに報いるのだ。仇を取れ、ブンゴロガヌス!』


 確かにそうだ。今までに二十一体の怪獣達が〈サイレンマン〉に討ち取られた。飲み友達のセミチャン星人、同期のマッドジャンゴ、ゴロモ先輩。彼らのことを思うと、怒りで身が震える。

 

〈サイレンマン〉は体をふらつかせながら、しかし再び右手をだらんと垂らした宇宙警邏隊ギャラクシーボクシングのフリッカージャブの姿勢をとった。だが、あまりにも頼りない。今の彼は、見たことがないぐらい弱っている。ブンゴロガヌスは思った。確かに、今なら勝てる。


「なんかやばいところに入ったんじゃないか、顎とかに」


『残り、一分だぞ。このままでは……』


 しまった、ブンゴロガヌスは慌ててラートゥーム太陽光線のチャージを始めた。だが、すでに二回も使っていた影響で、なかなかチャージできない。


 ――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんんんん!


〈サイレンマン〉の警告音はどんどん大きくなり、警告灯の輝きが増すばかり。すでに人々はおろか〈シュバット〉すら避難済みである。


「あの爆弾宇宙人め、あいつは絶対、警告音出せば何をしてもいいって思ってるからな」


「でも、『大自爆』はひどいですよね。猶予は三分だけですし。また僕達、怪獣を三分以内に倒せませんでした」


「だけどあの火力さえあれば、オレ達〈シュバット〉だって、隊長も長官もぶっ殺せるのにな」


 戦闘ヘリコプター〈クイーン〉の中で、〈シュバット〉の隊員たちはそうぼやいた。


 そう、今から〈サイレンマン〉の必殺技、『大自爆』が始まるのだ! 〈サイレンマン〉は出現してから三分後、毎回毎回『大自爆』で敵を倒す。必殺にして大迷惑のヒーローなのだ。彼が現出して三分後、半径五キロ以内には塵すら残らぬ。


 ――間に合わない。ブンゴロガヌスの角、否、脚の付け根が熱に耐えられず融解する。そうだ、三分以内に決着をつけられなかった時点で、俺の負けだ。


「あーあ、素直にまけときゃよかったのにな。わしはお前に期待してたんだぞ。同じ孫を持つ同士、わしだってたまにはこれを使わずに勝ちたかったのに」


 それが、ブンゴロガヌスの聞いた最後の言葉になる。ちなみに、次の日のニュースの一面は『浅草壊滅』である。


 カウント:2


「ってことだ。わかっただろ、東京湾から橋を順番に分断して現れた怪獣ブンゴロガヌスは、いつも通り〈サイレンマン〉の『大自爆』で……」


「待ってください、だからって、なんでブンゴロガヌスは川を上って浅草に行くんですか? 普通に芝浦あたりから上陸すればいいじゃないですか!」


 スーツアクター鹿島銃郎は、監督の只口寅一へ噛みついた。今日は晴天。絶好の撮影日より。東京都と神奈川の丁度境目あたりにある自然豊かな緑川スタジオの敷地内には、大きな、あまりにも大きな隅田川を模したプールが設営されていた。レインボーブリッジから、駒形橋までの地形を完全に再現してある。二人は、その横の仮設テントの中にいた。春ながら、夏さながらの熱気が漂っている。


「……えっと、なんだっけ?」只口監督は隣の助監督に訊ねるが、彼もまた首をひねった。


「神尾さん呼びますか? 今日は珍しく現場にきてますよ」


「いいよ。追い返したばっかだから」只口監督は首を振った。


「よくありませんよ。わざわざ水の中通らないで、素直に芝浦から上陸して、橋なんて壊さずに浅草に行けばいいんです」


 危うくうやむやにされそうになり、鹿島は再び大声を出した。彼は、怪獣ブンゴロガヌスのスーツアクターなのだ。彼は、事前の打ち合わせとまるで違うセットや、そもそもシナリオが違うことに憤慨していた。


「でも、脚本にそう書いてあるし」


 只口は脚本をぱんぱん、と叩いた。黄緑色の表紙に包まれたそれには、『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第二十二話浅草WAR』と記載されている。


「でも、だからって、そりゃないですよ。せめて、カットを別々にしてください。プールって大変なんですよ! 最近じゃまったくやらないから、勝手もわからないし……」


「何言ってんだ!」


 突然、只口は怒鳴りだした。


「これからお前はあの隅田川のセットに入って、逆立ちしてブンゴロガヌスになるんだ。そして、プールに頭を沈めて息を止めながらレインボーブリッジと築地大橋、勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋、そして厩橋を破壊して、 ラートゥーム太陽光線を放った後、〈サイレンマン〉に引っ張れて陸に上がって、やられるんだよ! 『大自爆』で! 今回はこの一本撮りが命なんだよ! 長回しで怪獣の出現から最期を看取る、最高のシーンになるぞ!」


「死にますよ! その間ずっとプールに頭つけてたら!」


 只口の剣幕も恐ろしいものだったが、鹿島も大声で言い返した。


「できるって言ったじゃねえか! 学生の頃は潜水やってたから、三分間は息止められますって!」


「それは……」


 鹿島は唇を噛んだ。確かに半年前『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第十話クリスマスの罠』を撮影した時の打ち上げで、怪獣ゴロモの中に入っていたスーツアクター鹿島銃郎は、学生時代には潜水をやっていたことを自慢した覚えがある。


「あれを聞いて、ピンと来たんだよ。特撮シリーズで、今やるべきシーンはこれだって! CGじゃ出せない自然光の中で、プールを引き裂き橋を断つ、最高のシーンになる。最近ではスタッフブログやSNSで、裏話を公開してファンサービスするのも流行っているからな。この話をネットに流せば、盛り上がること間違いなしだ。それをみんな望んでいる」


 只口寅一はセットを指した。


「もう止められないぞ。なにせ、社長もこのシーンには期待している。社長だって、だから予算も降りたんだ。見ての通り、六話分の予算がかかってるんだ。あと、橋は替えがないから、リハーサルもしないし、見ての通りもうプールに水を張ってるか戻せない。一発OKで頼む」


「馬鹿だろ! リハーサルもないのかよ!」


「いいからやるんだよ! もう後には引けねえんだ!」


 ――パワハラだ。


 そう叫ぶ只口の体が震えているのは、怒りだけではない。これは、プレッシャーだと鹿島は直感した。彼の背中には、よくはわからないが、より高い層からの期待もかかっているのだ。鹿島は深くため息をついた。


「つまり、おれは、ブンゴロガヌスのスーツを着て、逆立ちしてプールに頭を沈めて息を止めながらレインボーブリッジと築地大橋、勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋、そして厩橋を破壊して、 ラートゥーム太陽光線を放てばいいんですね、三分以内に」


「そうだ。どんどんやれ。やればいいんだ」


 そういって只口は深く椅子に腰かけた。しかし、その足が激しく貧乏ゆすりしている。鹿島は黙って監督に背を向けた。やるだけのことは、やる。だが、どうなっても知らないぞ。鹿島はきつく拳を握った。と、彼は外で見知った顔を見つけた。


「あれ? 神尾さん、でしたっけ」


 テントから少し離れた場所。ブンゴロガヌスのスーツの傍に、何かの打ち合わせで見かけた人物がいた。神尾青銅。脚本家だ。彼はまるで初めて二日酔いになった大学生のように、地面にうずくまっていた。


「あ、ガポスだ」


 やつれた顔の彼は、鹿島の顔を見てそう言った。ガポスとは、『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第三話これがシュバット』に登場した怪獣だ。


「ああ、はい。ガポスは僕です」照れるように鹿島は言う。


「ガポスの演技はなかなかだった。あいつの特徴は、やっぱり二段変身だからな。あんたはガポスの二面性をよく演じた」


「いい仕掛けでしたね。スタッフさんも気合が入ってましたし。ま、今回ほどじゃないかもしれませんが」


「それは間違っている!」


 急に神尾青銅は立ち上がり、鹿島の胸倉を掴んだ。


「こんなはずじゃなかったんだ! なのにあの監督は間違っている! 僕の本を冒涜した! 許せない!」


 監督とは大声で張り合った鹿島が気圧された。青白い頬に血走った眼。それはまるで『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第九話降臨ピンクの宇宙人』に出てくるネブラン星人の様だった。


「ごめん、そうか。悪かった」


 意味も分からず鹿島がそう言いうと、神尾は素直に手を放した。


「でも、わかったんだ。監督じゃない。監督はブンゴロガヌスだ。僕はグリフォン星人を倒す」


 そういう彼の服の下に、赤い筒が何本も仕込まれているのを、鹿島銃郎は見た。が、気にしないことにした。これ以上神尾に関わると、ろくなことにならない。とっとと撮影の準備をしよう、そう思った。そんなものが、そこにあるわけがないのだから。


 撮影が開始されると、もう鹿島銃郎、否、怪獣ブンゴロガヌスを止めることができるものは誰もいなかった。一本撮り。長回し。


 レインボーブリッジを怒りの蹴りで破壊したブンゴロガヌスは、ごてごてのスーツながらに水を両手で切り、踏み抜き、橋へ向かった。ブンゴロガヌスは疾駆した。息が持つ間に、全ての橋を破壊しなくてはならないのだ。学生時代の潜水の最長記録は二分五十二秒。しかも今、自分は逆立ちでいて、このごてごてした角や小食のついたスーツを着たまま走らないといけないのだ。正直、二分持てば凄いだろう。


「大丈夫か? ふらふらだぞ」

「胃が痛くなってきた」

「怪獣の尻あたりから呼吸の泡出てるのはいいのか?」


 スタッフの心配する声など聞こえていない。こうして、ブンゴロガヌスはほとんど倒れるようにして、最後の厩橋を破壊した。角で破壊、なんて嘘だ。ただ、鹿島銃郎が、崩れた姿勢を、意地と根性で持ち直しただけに過ぎない。


「がんばれ、ブンゴロガヌス!」


「〈サイレンマン〉入ります!」


 もはやこの時、鹿島十郎に意識はほとんどなかった。ただ逆立ちで息を止めているだけ。その時、急に体が持ち上げられたかと思うと、今度は地面に叩きつけられる感覚があった。終わった、やったのだ! 三分間、息を止め切った!


 その達成感が鹿島を包んだ。あとは野となれ山となれ。〈サイレンマン〉に蹴られ殴られつつ、新鮮な空気を吸いながら、ついに喜び交えて両足で地面に立ち、空手の正拳突きの構えをとった。これから戦いが始まるのだ。しかし、その時、ふっ、と、鹿島の意識が途絶えた。


 カウント:4


「素晴らしいだろう! 伝説の三分間になった。これからもそうだ。というわけで、手短に頼むよ、神尾君」


 ダイケイプロダクション株式会社は、『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉』を始めとした様々な映像企画に携わる企業である。その社長室にて、その社長大景正義と、脚本家神尾青銅が相対していた。


 といっても、大景正義からしたら、相談や、或いは喧嘩ほどのものだとも思っていない。大景は、目の前のカップ麺にお湯を注いでいて、今ちょうど蓋を閉じた。そして、タイマーをセットする。大景社長の視界に、神尾は少しも入っていない。彼にとって、これから神尾が言うことすべてが、くだらないラジオの合間のCM以下なのだ。


「大丈夫です。そのカップ麺が出来上がるまでには終わらせます。僕にも三分以内にやらならなくてはならないことがあるんです。〈サイレンマン〉みたいにね」


「ほう。〈サイレンマン〉か。いいよなー、〈サイレンマン〉うちの主力商品だよ。儲けさせてもらってる。最近は中国でも人気だから、おもちゃの売れ行きもすごくてライセンス料がうはうはだ」


「それは当たり前です。〈サイレンマン〉は今までにない新しい、全てを破壊するヒーローですから。それより、僕が言いたいのは、脚本の話です。なんで脚本を変えたんですか? 二十二話の最後は、〈シュバット〉の攻撃でブンゴロガヌスが倒されるはずじゃなかったんですか」


 神尾は声を震わしてそういった。


「ああ、二十二話ね。君ねえ、ヒーローものなんだから、〈サイレンマン〉の『大自爆』で幕を閉じるに決まってるじゃない。変な脚本書く君が悪いよ」


「でも、今回は〈シュバット〉のメンバーがいろんなものに耐えかねて、一度分裂した後、それでも怪獣を倒すためにもう一度一致団結するのが山場の脚本だったんです。それなのに、橋のシーンだけ残すだなんて意味不明です。橋を破壊する意味、おわかりでしょう」


「いい画を撮るためだろ」


「違います! あれは、〈シュバット〉のみんなの心の分断を示すものです。それでも、彼らは最後の橋で終結して、戦うんです」


「知らんよ、そんなもの」


 心底興味なさそうな社長の言葉に、神尾は全身の毛が逆立つ思いだった。


「じゃあ、なんで中途半端に、〈サイレンマン〉とブンゴロガヌスの家族のエピソードを入れたんですか?」


「あれは事故だよ。途中でスーツアクターの鹿島君は意識を失うし、急に起き上がったと思ったら、たまたま〈サイレンマン〉の顎に蹴りが入っちゃったりしてさ。ぼうっとする芝居が増えちゃったらから、急遽エピソードを足したのさ。カメラを止めるわけにもいかなかったし、いい案だろう。僕が考えた」


 そう言って社長はにやにやと笑みながら、突っ立っている神尾を見上げた。


「あんな半端なエピソード、複線も何もないし、メッセージ性もテーマもない! 滅茶苦茶だ!」


「それでもさ、尺は埋めなきゃだろう。一本撮りの最高のシーンを作んなきゃいけない。だから、ナレーションを入れたんだ。三分間もあの締まらない戦いを見せつけられたら、お客さんは幻滅だ。ちなみに、ナレーションの声も僕。僕にも三分以内にやらなくてはならないことがあった、ってことさ」


「ふざけるな! お前に〈サイレンマン〉を語る資格はない!」


 神尾は激しく唾を飛ばした。


「だけど評判は良かったぞ。特撮でも珍しい長回しノーカットの一本撮り。スタッフブログとか監督のツイッターとかの裏話もトレンドに乗ったし、最高の盛り上がりだ。君の評判も上がってたぞ。ほんとは僕の手柄なのにね」


 そう言って大景社長は肩を竦めた。また怒鳴られるんじゃないかと思っていた彼だが、意外なことに、何も起きなかった。


「もうわかった。もうわかった! もうわかった。もうわかった……」


 神尾は急に声を落とした。


「最後に、一つだけいいですか」


「なんだい?」


「『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第二十二話浅草WAR』 何か、足りていませんでしたよね?」


「そうだったけ? はてさて、なんのことやら」


「これ、が、足りてないだろ」


 そういって、神尾は自身の上着をめくった。その下には、真っ赤な筒がみっしりと彼に巻き付いてた。


「それは……なんだっけ?」


「ダイナマイトですよ。本来、 『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第二十二話浅草WAR』 で使われる予定だったものです。あの日、監督にシナリオを変えてもらうよう直談判したら断られました。だから、奪ってきたんです。こっそり、セットからね」


「なんだって? 偽物だろう?」


 大景は目を丸くし、しかして動くことができなかった。腰が抜けて立てなかった。一方で、目の前の神尾は、真っ赤な筒、ダイナマイトから伸びた紐、すなわち導火線へ、ライターの火を翳した。


「やめろ、馬鹿!」


「最後の『大自爆』のシーンだけはありませんでしたよね。大自爆でブンゴロガヌスが倒されたことを、あなたのナレーションで伝えるだけで。そりゃそうでしょう。ダイナマイトは全部、僕が盗みましたから」


「何考えてるんだ、お前は!」


「〈サイレンマン〉は、自らを犠牲にして、怪獣達を倒すヒーローなんだ。それを、お前はわかっていない!」


「死ぬ気か、こんなもののために!」


 大景正義は、社長室に飾られたサイレンマンのフィギュアを指した。


「そうだ。僕はやるぞ。僕が〈サイレンマン〉だ。〈サイレンマン〉はちゃんと、礼儀に則って、警告もするし、猶予も与える優しいヒーローだ。僕もそうだ。もう三分経つだろう。お前が三分以内にするべきだったこと、もうわかっただろう」


 神尾はカップ麺を見下ろす。


「滅茶苦茶だ! それに、警告なんて……」


「これが僕の三分間『妄想顕学シリーズ〈サイレンマン〉第二十二話浅草WAR』 で忘れ去られた『大自爆』だ!」


 彼の絶叫が社長室に木霊し、ちょうど、カップ麺のタイマーがぴぴぴ、とアラームを鳴らした。それを打ち消すような大爆発が赤羽のビルの一室から大いに吹き出た。


 カウント:1


「という感じで進行すれば、ブンゴロガヌスさんは死なないで済むんです。どうです、いい考えでしょう」


 サイレンマンは、ちゃぶ台に広げた脚本を見せながら、ブンゴロガヌスに訊ねた。ブンゴロガヌスは思案した。確かに、この流れであれば、肝心の大自爆は行われず、ブンゴロガヌスはそのまま退散することができる。なにせ、ダイナマイトが存在しないのだ。


「確かに悪い話じゃないが、脚本に無理はないかね。なんか時間軸をシャッフルし過ぎてよくわからいことになっていないかい。お客さんに伝わらなきゃ意味ないよ」


「いいんですよ。ちょっと引っかかったり、瑕疵があるぐらいがこういう一発モノには大事だと思います。ライブ感ですよ」


「特撮でライブ感という言葉は諸刃の剣だぞ」ブンゴロガヌスは真剣な声色で言う。


「そもそもこのシリーズはオムニバスの雰囲気が強いんです。たまにはこういうのがあったっていい。メタ的な、ね。それよりも、毎回自爆しかしない間抜けなヒーローって言われるのも結構きついんだ。たまにはいいだろう」


「それはわかるが、僕だって作品に携わる怪獣の一匹だ。景気よく死ぬ覚悟だってある。いいホンならなおさらさ」


「じゃあ、やらないのかい? 君にとっても悪い話じゃないはずだ。家族がいるだろう。生きて帰る。これほど素晴らしいことはないはずだ。よく考えてくれ」


「三分以内に、かい?」


 ブンゴロガヌスは苦笑いを浮かべた。目の前のサイレンマンは、けたたましい警告音と回転灯を光らせ始めた。築四十年のぼろアパートの一室、真っ赤な夕日に染められたこの小さな部屋すら塗り潰す。ブンゴロガヌスは深くため息をつき、爪を絡ませ思案した。 怪獣ブンゴロガヌスには三分以内にやらなければならないことがあった。


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モンスターの憂鬱 杉林重工 @tomato_fiber

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