第36話 哀別
禁軍の司令官、ハルジオンが暗殺された翌日。治安維持機関の長官室は重苦しい空気が漂っていた。ソファに座って向かいあうネメシアとステラの顔色もこのうえなく悪い。
ハルジオンが暗殺されたあと、現場の片づけやテロリストの捜索、天帝、長老衆への報告、集まっていた住人たちへの説明、排除など、ネメシアたちは休む間もなく奔走した。おかげでほとんど眠る時間もないまま今にいたる。
「……まさか、あの厳戒態勢のなか暗殺を決行するとは思いませんでした」
ため息まじりに口を開いたのはステラ。
「そう、ですな。まさかあのような手でくるとは……」
ネメシアも目を伏せる。警護対象が暗殺されてしまったのは、言うまでもなく自分たちの失態だ。
「しかし、いくつか腑に落ちないことがあります」
「何でしょう?」
眉根を寄せて口を開いたステラにネメシアが目を向ける。
「まず、『緋色の旅団』がどうやって首都へ入りこんだのか。首都へ出入りするには、南北に一箇所ずつ設けられた門を通らなければなりません。それぞれの出入口には門番として衛兵が配置されており、アシュリー・クライスやシャーデー家の娘の手配書もまわっているはずです」
「たしかに……そうですな」
「もともと、首都に入りこんでいたという可能性も無きにしも非ず、ですが、それはリスクが高すぎる気がします」
もっともだ、と言わんばかりにネメシアが頷いた。
「それと、狙撃の現場と思しき中央博物館。昨日は公休日でしたが、何名かの職人は作業にあたっていました。なぜ、そこにアシュリー・クライスたちが入りこめたのか」
「職人の多くはドワーフでしたからな。女のエルフが現場に入ってくるだけで普通は止められると思いますが……」
「ええ。それともう一つ」
「魔鉱石、ですな」
ネメシアを真っすぐ見つめたままステラが頷く。
「そうです。矢じりに使われていた魔鉱石はわずかな量ですが、それでも魔鉱石をあのように使い捨てするとは信じられません。それほど、魔鉱石は希少性と価値が高いのです」
「やはり、どこかから資金提供を受けているのかもしれません。しかも、莫大な」
「そうですね。もしくは、魔鉱石を直接どこかから調達できている、ということでしょう」
「首都への出入りについては……門番の怠慢でしょうか?」
「アストランティアの門番はいずれもエリートですよ。怪しい者をそうそう見逃すとは考えにくい。手配書までまわしているとなればなおさらです」
腕組みをしたステラは、眉をひそめたまま視線を落とした。と、ネメシアが何かに気づいたようにハッとする。
「もしかしたら……門番のなかにアシュリーたちと通じている者がいたのでは……!?」
「……! たしかに、その可能性はあります……。ん、待てよ……? だとすると、工事中の中央博物館に入れたのも……」
二人が顔を見あわせて頷く。
「行政庁に使いを出し、門番と中央博物館の工事に関わっている者たちの情報を提出させます」
ソファから立ちあがったネメシアは、長官室を出ると大声で近くにいた職員を呼び寄せた。いくつか指示を出し、再びソファへ腰をおろす。
治安維持機関の拠点と行政庁はそれほど離れていない。求める情報はすぐ入手できるはずである。
待つこと二十分。職員の一人が長官室に複数枚の書類を携えて入ってきた。手渡してもらった書類をすぐさまローテーブルの上に広げると、ネメシアは目を大きく見開いて視線を這わせ始めた。
各出入口の門番は五名ずつ。一名ずつ確認していたネメシアは、そこに覚えのある名前が記載されているのに気づきハッと息を呑んだ。
「ま……まさか……!」
書類を手にとり、食い入るように凝視する。その様子を見たステラが怪訝そうに目を向けた。
「ど、どうしました、長官?」
「くそっ……! やられた!!」
手にしていた書類をバンッ、と乱暴にテーブルへ叩きつける。ワナワナと全身を震わせるネメシアの様子に、ステラは困惑した。
「どうしたんですか、長官!? もしかして、知っている名前でも……?」
「……こことここを見てください」
ネメシアが書類を指さす。そこには、南北の出入口、それぞれの門番をまとめる衛兵隊長の名前が記載されていた。
「ええと……北門の衛兵隊長がハギ、南門がカラミンサ。この二名が何か?」
「……どちらも、私と同時期に学園へ通っていました。そして、その二名はアシュリーと因縁がある」
「ど、どういうことですか!?」
ネメシアは、学生時代のある事件をステラへ聞かせた。アシュリーを迎えに来たデージーに因縁をつけていた、タチの悪いエルフが彼女の怒りを買ったこと。
そのあと三名のエルフは地面に頭をこすりつけて謝罪したが、アシュリーは彼らを完全に許したわけではなかった。
『デージーは許しても私はあなたたちの行いを許していないわ。いつか自分たちの行動で反省の意を示しなさい』
あのとき、たしかにアシュリーはそう言った。彼らが、あのときの約束を守っているのだとしたら? もしくは、あのときの約束を盾に協力を迫られていたとしたら?
ハッとしたネメシアは、別の書類に手を伸ばした。あのとき、アシュリーの怒りを買ったエルフはもう一名いる。
「やはり……そうか」
バジリスタ中央博物館の工事に関わる者の情報を記載した書類。そこに、工事責任者として書かれていた名前は、あのときハギやカラミンサと一緒にいたモカラだった。
「ハギ、モカラ、カラミンサ。おそらく、この三名がアシュリーの協力者です。『緋色の旅団』のメンバーが、堂々と首都へ出入りできたり、中央博物館に入りこめたりしたのもこの三名が手引きしたとしたら納得できる」
「何ということだ……! 長官、早くこの三名の捕縛を!」
「ええ!」
ネメシアは再び職員を呼びつけ、実働部隊に三名の捕縛を命じた。命令を受けた実働部隊が風のように街を駆け抜け、北門と南門、バジリスタ中央博物館へと向かう。が、この行動は結局徒労に終わった。
ハギとモカラ、カラミンサの三名は、すでに職場から姿を消していたのである。
――「ふぁ~」と、緊張感のないあくびの声が静かな室内に響く。あくびの主であるダリアに、ジュリアがジトっとした目を向けた。
「ちょっと、ダリア。だらしないわよ」
「う、うっさいなぁ」
学生時代から変わらぬ二人のやり取りに、アシュリーがクスっと笑みをこぼした。
「ダリアも昨日は頑張ってくれたし、疲れてるのよね」
「そうそう。さっすがアシュリー」
ジュリアから呆れたような目を向けられるも、ダリアは素知らぬ顔をしている。と、アシュリーがスッと表情をもとに戻した。
「ガーベラ、あの三名は?」
「あ、はい。昨日のうちに姿をくらませてるので、治安維持機関に捕縛されることはないかと」
「今はどこに?」
「一般の住人に扮して暮らしている団員がかくまっています」
頷いたアシュリーが、スッと息を吸いこみ、そしてゆっくりと吐いた。
「……ハルジオンは仕留めたし、いよいよ次は天帝よ」
アシュリーの言葉に、ダリアとジュリア、ストック、ガーベラ、ザクロが力強く頷いた。
「やっと……やっと、ここまで来たわ」
目を伏せて、絞りだすように言葉を紡ぐアシュリー。
「……目的が一緒とはいえ、個人的な復讐にあなたたちを巻き込んじゃったわね。ごめんなさい」
「や、やめてください団長!」
「そうですよ、何言ってるんですかっ」
途端にザクロやガーベラが慌て始める。
「私たちを含む『緋色の旅団』の団員は、誰もが団長と同じような目に遭わせられています。あの憎き天帝によって」
ザクロが膝の上でぎゅっと拳を握る。彼は、先祖代々暮らしていた土地をある日いきなり追い出されたという。しかも、抵抗した者は一人残さず皆殺しにされたのだとか。
「団長のおかげで、打倒天帝がやっと現実のものとなるんです。ほんと、団長には感謝しかありません」
「……そう言ってくれると、ありがたいわ」
アシュリーがかすかに頬を緩める。
「で、アシュリー。これからどう動く?」
「天帝を殺すまでの絵図は描けているわ」
全員が「さすが団長」と言わんばかりの眼差しを向ける。
「でも……その前に、一つどうしてもやっておかなきゃいけないことがある」
そう口にしたアシュリーは、静かに天井を見あげたあと、ゆっくり目を閉じた。
――『緋色の旅団』の新たな拠点は、通りに面した二階建て商店の地下にある。
深夜、街の人々が寝静まったあと、アシュリーは建物の屋根に座って夜空を眺めていた。頬を優しく撫でてゆく風に心地よさを感じながら、真っ暗な空に浮かぶ三日月を見つめる。と、そこへ――
「アシュリー様っ」
満面の笑みを携えてやってきたのは、美少女オーガのデージー。
「デージー。ごめんね、こんなところに呼んじゃって」
「大丈夫なのです。アシュリー様とお二人でお話しできるの、デージーはとても嬉しいのです」
隣に腰をおろし、にっこりと笑みを浮かべるデージー。その顔を見て、アシュリーの胸にチクリと針で刺したような痛みが走った。
「アシュリー様っ。デージーにお話しとは、何なのですか?」
「……うん」
アシュリーがキュッと唇を噛みしめる。一つ、軽く深呼吸をしたアシュリーは、デージーのほうへ向きなおった。
「あのね、デージー。私たちは、いよいよ天帝と最後の戦いに入る。私の考えでは、何の問題もなく天帝を倒せるわ。でも、物事には確実、なんてことはないの」
真っすぐにアシュリーを見つめながら、デージーがコテンと首を傾げる。
「おそらく、敵は私たちが首都に潜伏していることを把握している。頭が切れるヤツもいるみたいだしね。だから、もしかすると、拠点が襲撃されたり、あなたが危険に晒されたりといったこともあるかもしれない」
昨日、デージーがいなくなったとき、アシュリーは不安で胸が張り裂けそうだった。デージーを失うかもしれない恐怖に駆られ、冷静な思考力も欠いていた。
「だから……デージー。少しのあいだ、ここを離れて隣国へ避難していてほしいの」
「イヤなのです!」
デージーが即答する。その大きな瞳には涙が浮かんでいた。
「デージー……お願い。私は、あなたを危険に晒したくないし、絶対に失いたくないの」
「イヤなのです!! デージーは、デージーは……ずっと、ずっとアシュリー様と一緒にいるのです!」
「デージー……!」
ボロボロと涙をこぼし始めたデージーを見て、アシュリーの頬を熱いものが伝った。
「お願い……デージー……! 私も、あなたと離れるのはツラいわ。でも、ダメなの。昨日、あなたがいなくなったとき、私はとても怖かった。もう、あんな思いをしたくないし、あなたが危険な目に遭うのも絶対にイヤなの……!」
アシュリーはデージーを抱きしめたまま言葉を紡いだ。
「あうう~……デージーは……デージーは……! うああああああああん……」
「ごめんなさい、泣かないでデージー……! ほんの少し、ほんの少しのあいだだから……すべてが片づいたら、必ずすぐ迎えに行くから……! 私のお願いを聞いて……!!」
「あああうう~……あああああうううう~……」
「必ず、必ず迎えに行くと約束するから……それに、ザクロをお供につけるから。ほんの少しだけ、オーガの国に身を寄せててちょうだい……」
えぐえぐと泣き続けるデージーの頭を、そっと優しく撫でる。そして、おもむろに空を見あげた。
「ほら、デージー。見て」
しゃくりあげながら、デージーがそっと夜空に目を向ける。そこには、きれいに弧を描く三日月の姿があった。
「離れても、きっとあの月は見えるわ。あの三日月、にっこり笑っている口もとみたいに見えるよね。あの月をみたら、私が笑っているって思って。私も、三日月を見てあなたの笑顔を思いだすから」
「アシュリー様……」
「きっと……迎えに行くから。私、今までデージーとの約束を破ったことないでしょ? だから……少しのあいだだけ、待っててくれないかな?」
「……わがりまじだなのでず。でも、ざみじいのでず……でも……がまんずるのでず……」
涙を流しながら、何とか言葉を紡ぐデージーを、アシュリーは再び強く抱きしめた。そのぬくもりを忘れないように、体に覚え込ませるように、強く強く抱きしめた。
「少し、風が強くなってきたね。先に戻っててくれる? 私は、もう少しだけここで考えごとをしたいから。すぐに部屋へ行くわ」
服の袖で涙を拭ったデージーは、コクンと頷くと屋根から降りていった。デージーの気配がなくなったのを確認したアシュリーは、屋根の上で両膝を抱えこみ背中を丸めた。
小刻みに震える背中。アシュリーは声を押し殺して泣いた。声が漏れないように、口もとへ腕を押し当てたまま嗚咽し続けた。
屋根にほど近いテラスの柵にもたれかかり、ため息をつく二人。ダリアとジュリアだ。
「はぁ……あんなふうに泣くくらいなら、離れなきゃいいのに……」
「……泣くほど愛おしい存在だからこそ、よ」
いまだ止まぬアシュリーの嗚咽を聞きながら、二人は小さく息を吐いた。
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