第8話 襲撃

講演や発表会など、さまざまな用途で使用される大講堂は学舎とは独立した場所に建っている。


とは言っても、学舎と大講堂は渡り廊下で接続されており、距離もそれほど遠くはない。ぞろぞろと大講堂へと移動する生徒たちを視界の端に捉えながら、アシュリーは再度胸が高まるのを感じていた。


大講堂のなかへ足を踏み入れると、途端にむわっとした熱気が肌にまとわりついてきた。もともと換気性がよくないうえに、大勢の生徒が収容されているためだろう。こんなところへ天帝陛下をお呼びしてよいのだろうか、とアシュリーは不安に駆られた。


教師たちもアシュリーと同じ思いだったのか、大急ぎで大講堂の窓を開放している。これで多少はマシになるだろう。


大講堂に備えつけられてある座席へ腰をおろしたアシュリーが、胸に手をあてて大きく深呼吸を始める。隣に座ったネメシアが、その様子を見て苦笑いを浮かべた。


気持ちを落ち着かせたアシュリーは、大講堂のステージへと目を向ける。まだ壇上には誰もがいないが、そこへ天帝陛下が立つと想像しただけでも胸が躍った。


何せ、天帝陛下が学生たちへ直接言葉を贈ってくれるなど、異例中の異例である。気持ちが高まらないほうがおかしい。


と、にわかにざわめきが大きくなる。ステージの袖から学園長が現れたためだ。


「ええー、静粛に」


学園長を務める老齢のエルフ、パニカムはハンカチで額の汗を拭いながら、大講堂に集まった生徒一同を見渡した。


「ええ……もうご存じの通りですが、本日、サイネリア・ルル・バジリスタ天帝陛下が本学園へ視察にいらしてくださいました。そのうえ、天帝陛下は国の未来を担う若者たちのために、直接言葉を贈りたいと仰ってくださったのです」


「おお……!」とどよめく生徒一同。天帝陛下から直接お言葉をいただけるなど、これ以上の名誉はない。


「今さらではありますが、天帝陛下は崇高なる種族ハイエルフであり、小さな町から大国バジリスタを興したした建国王でもあらせられます。本来なら、その御身を目にするだけでも身に余りすぎる栄誉であるのに、直接お言葉までいただけるなど、後世まで語り継げるほど名誉なことと言えるでしょう」


真剣な表情で学園長の言葉に聞き入る生徒たち。アシュリーも「うんうん」と先ほどから頷いている。


「名誉なことゆえに、感情が昂ったり思わず声を出したりする生徒がいるかもしれません。しかし、それらは厳禁です。天帝陛下のお言葉を遮るようなことがなきよう注意してください。また、陛下がお話しになっているとき下を向くのも禁止です。それから……」


さすがに、生徒たちも「まだあるのか」とうんざりし始めたそのとき――


「学園長、もうそろそろよいのではなくて?」


透き通るような美しく凛とした声が大講堂に響きわたったかと思うと、ステージの袖から美しい女性が出てきた。天帝、サイネリア・ルル・バジリスタである。


「は、ははっ! 大変申し訳ございません!」


「ふふ、謝る必要はないわ。でも、生徒たちには私の言葉を伝えたくて集まってもらったのに、学園長であるあなたが長々と話をしていてはみんな飽きてしまうのではなくて?」


自分より遥かに年下に見える天帝に恐縮しきりの学園長。実際は、天帝のほうが遥かに年上ではあるのだが。天帝から軽く咎められた学園長は、恐縮しきりながらいそいそとステージの袖へと足を向けた。


「国立バジリスタ学園の皆さん。私が天帝、サイネリア・ルル・バジリスタです。こんにちは」


にっこりと微笑みながら挨拶をする天帝に、全生徒が心を鷲掴みにされた。手の届かない雲の上の存在であるというのに、親しみさえ感じさせる挨拶。よい印象を抱かないはずがない。


「今日は、私のわがままで急遽学園へ視察に来ました。国の未来を担う若者たちがどのように学んでいるのかを知っておくのも、統治者たる私のやるべきことだと思ったからです」


誰もが微動だにせず天帝の声に耳を傾ける。アシュリーやネメシアの表情も真剣そのものだ。


「皆さんもご存じかもしれませんが、最近はバジリスタを乱そうとする犯罪組織の活動も活発になっています。私たち大人も犯罪組織の全容解明や摘発に全力を注いでいますが、状況はあまりよくありません。バジリスタの未来を担う皆さんが勉学に励み、より優れた存在へ昇華、進化することが、ひいては犯罪組織の縮小や壊滅につながります」


そうだ、天帝陛下の仰る通りだ。アシュリーはグッと拳を強く握りしめる。もっともっと勉学に励み、天帝陛下のお役に立てるような存在に私はなる。そして、この国を乱そうとする輩は絶対に私が排除するのだ。


もともと、天帝陛下の役に立てる存在になることを目指していたアシュリーだったが、天帝の話を聞いてより一層その気持ちが強くなった。その後も、アシュリーは天帝が口にする内容を一言一句真剣に聞き取り続けた。


「――と、長くなってしまいましたが、私はバジリスタの未来を担う皆さんに多大な期待を寄せています。頑張って勉学に励み、早く私たちを助けてくれるような存在になってくださいね。それでは、私の話はこれで終わりに――」


天帝陛下が話を終えようとした矢先に、それは起きた。大講堂の高い天井に設置されている二箇所の天窓が砕け、硝子の破片やモルタルなどの欠片とともに、何やら黒い影がステージのすぐそばへ降ってきた。そして──


「天帝サイネリア、覚悟!!」


「死ね! 天帝!」


天から降ってきた二つの影、それは人のように見えたが、頭部からは二本の角が生えている。オーガだ。一名のオーガは手にした剣で天帝へ斬りかかり、もう一名は少し離れた場所から魔法を放つ。


突然の出来事に、たちまち大講堂のなかはパニックに陥った。天帝の護衛を務める近衛兵が彼女の盾となるべく立ちはだかり、学園の教師は生徒を直ちに避難させようと行動を起こす。


あまりにも想定外な出来事に、アシュリーはほとんど動けずにいた。そして、そんな彼女の目の前で、天帝を襲った二名のオーガは一瞬にして骸となり大講堂の床へ転がった。


一名は近衛兵が斬り捨て、もう一名は天帝自ら魔法で捻じ伏せたのである。


襲撃者は退けたが、まだ何があるか分からない。天帝は近衛兵や側近に囲まれたまま大講堂をあとにした。生徒たちも、教師が主導していったん教室へ戻らせた。

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