第7話 天帝

ランタナが口にした言葉の意味を、一瞬理解できなかった生徒たち。誰もがぽかーんと口を開けて呆けていたが、やがて悲鳴にも似た歓声が教室内に広がった。なかには涙を流している者もいる。


生徒たちの反応は当然だ。この国において、天帝陛下は雲の上の存在である。間近で見られる機会など、生涯を通じてあるか分からない。


「ほ……本当に……? 天帝陛下が……?」


ワナワナと全身を震わせるアシュリー。幼いころより、天帝サイネリア・ルル・バジリスタの伝記を繰り返し読み、いつかそばにお仕えしたいと心から願っていた彼女にとって、ランタナが口にした言葉は夢のような内容だった。


やがて休憩時間が終了し、全生徒が教室に戻ってきたので、再度ランタナは天帝陛下が視察に訪れることを伝える。そして再び沸き立つ教室。ちなみに、すべての教室と職員室が同じような状況だったようだ。


ランタナの話によれば、天帝陛下は各教室で授業の様子を視察するらしい。と言っても、教室のなかへは入らずに廊下側の窓から見るに留めるようだ。さすがに全教室を巡るのは時間的に難しいのだろう。


そして一時間後。いよいよ、アシュリーたちが待ち望んでいたときがやってきた。


授業が始まってもまったく集中できないアシュリー。廊下側で物音が聞こえるたびに視線を向けてしまう。なお、いつも通りの授業風景を視察したいと天帝陛下が望んだとのことなので、過度なリアクションはできない。


どうしよう。さっきから胸の高鳴りがまったく止まない。周りに聞こえてしまうのではないか、というくらい心臓がバクバクしてるんだけど。落ち着け、落ち着くんだ私。


目を閉じて、何度も深呼吸を繰り返す。あまりにもアシュリーの挙動が不審だったのか、前の席に座るサフィニアが幾度となく振り返り怪訝そうな目を向けてきた。と、そのとき――


教室の外から小さな話し声が聞こえた。鈴のように透き通る美しい声。アシュリーは、わずかに顔を廊下に向け、窓の外へ意識を集中させた。


間違いない、天帝陛下だ! 


アシュリーの心臓がドクンと大きく波打った。


どうしよう、お姿を拝見したい……! でも……!


おそらく、教室内の誰もがアシュリーと同じことを考えていた。クラスメイト全員の顔が、微妙に廊下側に向いている。そしてついに――


ゆるくウェーブがかかった、目が眩むようなブロンドの髪。どこまでも清楚で透明感あふれる白い肌、天帝である証の紋章をあしらった豪奢なドレス。バジリスタを一代で興し、千年以上にわたり統治してきた天帝、サイネリア・ルル・バジリスタの臨場である。


窓越しでも分かる圧倒的な存在感。悠久のときを生きるハイエルフであるのに、見た目は二十代の人間女性とほとんど変わらず、尋常でない美貌も兼ね備えていた。


興奮のあまり呼吸が荒くなるアシュリー。激しく波打つ心臓は今にも喉から飛び出しそうであった。


ああ……! あれが天帝サイネリア様……! まさか、これほどお美しい方だったなんて……!


自然と瞳から涙が零れおちた。幼いころから強い憧れを抱き続け、首都の国立学園で学ぶ決心を抱いたきっかけにもなったお方なのだ。アシュリーの反応はごく自然なものであった。


なお、天帝サイネリアも生徒たちが窓の外へ意識を集中させているのに気づいたらしい。にこりと天使のような微笑みを携えると、教室内の生徒たちへ軽く右手を振ってくれた。


生徒たちが舞いあがってしまったのは言うまでもない。天帝はアシュリーたちの教室をすぐ通りすぎてしまったが、生徒たちの興奮は冷めやらなかった。


庶民が決して目にすることはない、天帝陛下の御身を目にすることができただけでなく、微笑みまで向けられたのだから当然である。


アシュリーは感動のあまり思わず嗚咽しそうになったが、何とか我慢した。が、ほかの生徒や教師まで感動のあまり嗚咽している様子を見て、無理しなけりゃよかったと後悔した。


授業が終わってからは、案の定クラス中が大騒ぎである。まるでお祭りのような騒ぎようだ。普段は厭味ったらしくいけ好かないサフィニアや、浮つくことが少ないネメシアまでもが興奮していた。


「いやぁ……天帝陛下、とんでもなく美しい女性だったな……。それにオーラもヤバかった」


「ええ、ええ! お姿はほんの少ししか拝見できなかったけど……まとっている空気だけで素晴らしいお方だと分かったわ!」


ネメシアの言葉に何度も頷きながら、アシュリーは早口でまくし立てる。このような彼女の姿を見るのが珍しいのか、ネメシアはやや引き気味だ。


クラス中の生徒が、天帝陛下の姿を拝見できた余韻に浸っていたのだが、このあとさらに彼ら彼女らを驚かせる事態が発生した。


何と、天帝陛下が生徒たちに直接ありがたいお言葉を贈ってくれるというのだ。再び沸きあがる生徒たち。それに伴い、自動的に次の授業は中止となり、生徒たちは教師に急かされながら大講堂へと移動を始めたのであった。

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