第2話 バジリスタ

寒い――


ベッドのうえでぶるりと体を震わせたアシュリーは、薄暗いなか手探りで毛布を掴むと、勢いよく肩のあたりまで引きあげた。


まだベッドから出たくない。が、そろそろ起きないとマズい。このまま二度寝したら、高い確率で遅刻してしまう。


「……あり得ない。この私が遅刻なんて」


毛布にくるまったまま、ぼそりと独り言を呟いたアシュリーは、意を決したようにベッドの上で跳ね起きた。


やはり寒い。もうすっかりそんな時期だ。村はきっと雪が降っているだろうな。アシュリーは、遠く離れた故郷の村に思いを馳せた。


半身を起こしたまま両足をベッドからおろし、天に向かって思いきり伸びをする。ちらりと鏡を見やると、主張が少ないささやかな胸部を突き出している自分の間抜けな姿が目に入った。


……気にしない気にしない。胸が小さいのは私のせいじゃない。これは遺伝だ。私だけでなく、エルフは基本的にみんな貧乳なのだから。


無理やり自分へそう言い聞かせたアシュリーは、ゆっくり立ちあがると台所へ向かう。


軽く食事をとって、登校する準備をしなくては。


アシュリーが通う学び舎は、国立バジリスタ学園。バジリスタの未来を担う、優秀な若者を育成するための教育機関だ。


バジリスタ――


天帝、サイネリア・ルル・バジリスタが頂点に君臨する多種族共存国家である。ハイエルフの天帝が統治するこの国には、エルフにドワーフ、獣人、人間、オーガなどさまざまな種族が暮らしていた。


アシュリーはバジリスタの首都から遥か東北に位置する、辺境の村を飛び出し首都で一人暮らしをしている。


それもこれも、学園で勉学に励み天帝陛下の役に立てるエルフになるためだ。千年以上生きていると言われる伝説のハイエルフ、天帝サイネリアは慈愛の心と崇高なる理念のもと、バジリスタを強国へと成長させてきた。


幼いころから、天帝に関するさまざまな書籍を読み漁っていた彼女は、いつからか強く美しい天帝陛下に強い憧れと畏敬の念を抱くようになっていた。


だから、親族の反対を押し切ってまで村を飛び出し、首都のバジリスタ学園へ通い始めたのである。


軽く食事をとり終えたアシュリーの視界の端に、書きかけの手紙が映りこむ。昨晩、家族へ手紙を書いていたものの、途中で眠くなってしまったんだった。


「……学校から戻ったらまた書くか。てゆーか、父さんも母さんも、クローバーもちゃんと返事書いてよね」


面倒くさがりでマイペースな家族の顔を思い浮かべ、思わず苦笑いが漏れる。そうこうしているうちに家を出る時間になってしまった。


「ええと、忘れものはなし……っと。じゃあ、行ってきまーす」


誰も返事をしないがつい習慣で口から出てしまう。まあ、もうすっかり慣れっこではあるが。


一人暮らし用に借りている小さな家の玄関扉を閉めたアシュリーは、学園へと続く道を小走りに駆け始めた。



「おはようー」


「おはよっ」


「おはようございまーす!」


「はい、おはようさん」


校門の付近では、生徒同士が朝の挨拶をかわしながらそれぞれの教室へと向かっていた。


何とか間に合った。ほっ、と小さく息を吐いたアシュリーが校門をくぐる。


「ねぇ、見て見て。アシュリーさんよ」


「本当だわ。ほんとキレー……それに、学園始まって以来の天才なのでしょ?」


「そうよ。先生方も、将来はきっと国の中枢で活躍できるエルフになるって言ってたわ」


たちまちアシュリーへ向けられる羨望の眼差し。男子生徒の多くは彼女に下心丸出しの視線を飛ばしているが、女生徒の多くは彼女の聡明な頭脳に強い憧れを抱きキラキラした目を向けていた。


アシュリーが天才なのは事実である。もともと、辺境の村で育ったためまともな教育など受けていなかったが、学園に通い始めてすぐに頭角を現し始めた。


あらゆる教科で抜群の頭脳を披露し、教師のなかには「国の宝」とまで口にする者もいる。それほど、アシュリーの頭脳は天才的であり突出していた。


「よう、アシュリー」


慣れているとはいえ、四方八方からジロジロと見られ辟易へきえきとしていたアシュリーの背後から、野太い声がかけられる。


「ああ、ネメシア。おはよう」


「おはようさん」


ネメシアと呼ばれた男は、ニカっと人懐っこそうな笑顔を浮かべる。


「何だぁ? ずいぶんと疲れたような顔してんなぁ」


「まあね」


「人気者はツラいねぇ。天才児のアシュリーさんよ」


皮肉っぽい言い方をしたネメシアの前に立ったアシュリーが、威嚇するようにその顔を見下ろした。


「お、おい。俺を見下ろすんじゃねぇよ」


「だったら朝からイラっとすることを口にしないことね」


身長百六十五センチのアシュリーが、身長百五十センチのネメシアを見下ろす。なお、二人は同年代であるが、身長はアシュリーのほうが高かった。


そんなやり取りをしている二人を見た一部の生徒が、顔を寄せあいヒソヒソ話を始める。


「ねぇ、ちょっと見てアレ。どうしてドワーフがアシュリーさんと気軽に会話してんの?」


「ほんと、やーね。アシュリーさんが優しいからって調子にのって」


二人のやり取りを見ていたエルフの女生徒たちが露骨に顔を歪める。嫌悪感を隠そうともしていない。


そう、ネメシアはドワーフである。元来モノづくりに長けた種族であるが、近年はモノづくりだけでなく、さまざまな未来を思い描き勉学に励む者も増えていた。


なお、ネメシアが特別に嫌われているわけではない。この国においては、エルフがヒエラルキーの頂点に君臨するのだ。


ドワーフとエルフはもともと仲がよくないこともあり、バジリスタにおけるヒエラルキーは下位に位置する。


と言っても、明確な身分制度が存在するわけではない。国も学園も、原則として差別は禁止している。だが、それでもドワーフに対しあたりがきついエルフが多いのは紛れもない事実だ。


「ちっ……! うざってぇったらねぇや」


ペッと唾を吐きそうな勢いのネメシアが胸の前で腕を組む。丸太のように太い腕。大きく盛りあがった肩。まさに筋骨隆々と言うにふさわしい体躯。


アシュリーが天才的な頭脳の持ち主だとすれば、ネメシアはバジリスタ屈指の体力、怪力の持ち主である。


幼少期には、強盗目的で自宅に押し入ってきた三人の虎獣人を、たった一人で皆殺しにしたとの伝説もあるくらいだ。


「……ここで言い合いしてたら目立つだけね。あ、もう時間的にヤバいわよ、急がなきゃ!」


「な、マジか!」


「ええ。じゃあお先に」


「ま、待ちやがれ!」


くるりと踵を返したアシュリーは、一目散に校舎の入り口へと駆けてゆく。ネメシアも慌てた様子で彼女のあとを追いかけるのであった。

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