連鎖 ~月下の約束~

瀧川 蓮

第1話 始まりの旅人

もう少し計画的に進むべきだった──


何度そう思ったか分からない。じりじりと肌を灼く太陽の熱を忌々しく感じつつ、男は澄んだ湖の水を両手で掬った。冷んやりと心地よい水を顔に叩きつける。ここ最近で一番の贅沢だ。


「ふぅ〜……気持ちいい……!」


顔だけでは満足できず、頭から水をかぶる。服も濡れてしまったが、そんなことどうでもいい。むしろ、旅の汚れが落ちるというものだ。


チャポン、と何かが跳ねる音が聞こえそちらへ目を向ける。


「おお。アプカルルか」


視線の先では、アプカルルが気持ちよさそうに泳いでいる。人間のような見た目の上半身と、魚のような下半身をもつアプカルルは、きれいな湖にしか住まないことで有名だ。


それにしても、かれこれどれくらい歩いただろうか。まさか、飛翔魔法の使いすぎで魔力を使い果たすとは。


美しい銀髪から水を滴らせながら、男はそばにあった岩へ腰をおろす。


さて、どうするか。そもそも、ここがどこなのかまったく分からない。


普段は里にこもりきりで、他種族が暮らす地域へ足を運ぶことも少ないため土地勘もまったくないのだ。と、そのとき──


「……む? 誰だ?」


気配を感じ振り返った視線の先にいたのは、複数の青年。と言っても人間ではない。長く尖った耳と、強い警戒心を宿した瞳。エルフだ。


「おお……エルフか」


「……ここで何をしているんですか? ここは我々が暮らすリエッティ村が管轄する地域。勝手な立ち入りは……!?」


青年エルフが言葉に詰まり、次第に顔が驚きに染まってゆく。自分が口をきいている相手がどのような存在なのか、認識したようだ。


「あ、あなたは……もしかしてハイエルフですか?」


銀髪の男は岩から腰をあげると、両手のひらをパタパタとふりながら笑みを浮かべた。敵意がないことを示す合図だ。


「ああ。私はハイエルフのクレオメという。旅をしているうちに方角を見失い魔力も尽きそうになり、ふらふらと歩いているうちにここへ辿り着いてしまった」


「そ、そうだったのですか。ですが、ハイエルフの方々が里から下界に降りてくるとは……」


「ああ。私は変わり者でね。同胞からは変人とバカにされているよ」


屈託のない笑みを浮かべるクレオメから、至高の種族と呼ばれるハイエルフ特有のおごりはまったく窺えない。


「な、なるほど。とりあえず村までお越しください。旅の疲れも癒さなくては」


「おお、それは助かる。ここはお言葉に甘えよう」


丁寧に接してくれるエルフの青年に、クレオメは好感を抱いた。もっとも、エルフにとってハイエルフは上位種族であり、雲の上の存在であるため、丁寧に接するのは当然なのである。


「ええと、君の名前は?」


「私はクローバー・クライスといいます。村長には私から話しておくので、ぜひ私の自宅でのんびりしてください」


「いやあ、本当に助かるよ。あ、それはそうと、この村が属するのは何という国なんだい?」


複数国の国境が複雑に入り混じる地域を通ってきたため、今自分がどこにいるのかまったく分からない。


「ここはバジリスタ。あなたと同じ、ハイエルフであられる天帝、サイネリア・ルル・バジリスタが治める国です」


隣に並んで歩くクローバーが、誇らしげな顔をクレオメへ向ける。一方、その言葉を聞いたクレオメの眉がぴくりと跳ねた。


「バジリスタ……。そうか、ここが……」


「おお、やはりご存じなのですね!」


嬉しそうにはしゃぐクローバーを見て、クレオメは苦笑いするしかなかった。たしかにバジリスタのことは知っている。というより、ハイエルフなら誰もがその名を知っているはずだ。


「ここは首都から相当離れた小さく辺鄙な村ですが、首都のアストランティアはそれはもう素晴らしい繁栄ぶりなのだとか」


うっとりとした様子で話し続けるクローバー。


「実は、私の姉が首都の学園で学んでいるんです。いつか天帝陛下のお役に立ちたい、と。姉はとても頭がいいので、必ず夢を叶えるんだと思います」


「へえ、それは凄いね」


「それに、この村もこれからもっと発展すると思いますよ」


「それはどうして?」


「ふふ、お耳を……」


腰を折ったクレオメに、そっと小声で耳打ちするクローバー。話を聞いたクレオメの顔に、わずかな驚愕の色が浮かぶ。


「それが本当なら凄いね。繁栄間違いなしだ」


「そうでしょう?」


再び歩き始めたクレオメは、少し思考を巡らせる。そして──


「なあ、クローバー。秘密を教えてくれた代わりと言っちゃなんだが、私もとっておきの秘密を君に教えてあげよう」


「え、何ですか?」


「君たちが敬愛している天帝のことさ。だが、この話は決して他言しないほうがいい。それが君たちのためだ」


目をぱちくりとさせるクローバー。聞いていいものかどうが、判断がつかないといった表情を浮かべている。が、結局好奇心には勝てなかったようだ。


クレオメがクローバーの耳元へそっと顔を寄せる。


「君たちが敬愛する天帝。実は、あの子は…………」


「な、ななっ……!!?」


話を聞いたクローバーが思わず後ずさる。その顔は真っ青になり、全身を小刻みに震えさせていた。


「う、嘘です……そんなこと! あ、ありえない……!」


「本当のことだよ。我々の同胞のあいだでは有名な話さ」


ガクガクと全身が震え始めたクローバーは、そのまま力が抜けたように地面へ崩れ落ちる。驚いた仲間が駆け寄り声をかけるが、クローバーの耳にはまるで届いていないようだった。

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