父子の葛藤

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 宮女たちには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは世子様を着替えさせること。そして、王の御前に行かせることだった。

 幸い今日は御機嫌麗しいようで宮女たちの仕事は容易く進んだ。そういえば、昨夜の沐浴も素直にしていた。

 このところ世子の御心は落ち着いているようだ。

 これまでは、彼はあれこれ周囲を手こずらせていた。突然、暴れだしたり、酒を飲んで女たちを侍らせて乱痴気騒ぎを起こしたりした。

 特に世子が嫌ったのが着替えと沐浴だった。毎朝、服を着せるのに侍女たちはひと苦労した。

 本来、彼は、賢くておとなしい優しい子だった。

 幼い頃から利発で、学問を始めると教えたことはすぐに覚え、父王を喜ばせた。

 だが、息子が成長していくに従いお互いの間に少しづつ溝が生じ始めた。

 世子は個性的な感性をしていて、他の子供たちとは少し異なった表現をする少年だった。

 それが時として父親の怒りを買うことがあった。

 普通の父子ならば、共に過ごしているうちに互いの気質や性格などを理解し受け入れるようになり、信頼関係を築いていくようになるだろう。また、周囲が善意の人々だけならば、上手く両者を取り持って良い方向に導いて行ったに違いない。

 だが、王と世子という立場は、世間の親子のように共に暮らすことは殆どなく、周囲には常に“他人”の存在があった。そして、彼らは主人である王や世子に善意で仕えている者ばかりではなかった。


 生母が王宮のお針子だった父王は、本来、玉座とは遠いところにいた王子だった。

 だが、朝廷内での派閥争いが激しかった時代だったため、彼のもとに王位が転がり込んできたのであった。

 それは、自身の力ではなく、さまざまな思惑を抱いた者たちに担がれた形で実現した。

 新王は、こうした者たちに気遣うことなく自身の考えるままに政事を行っていった。

 相変わらず、朝廷内は幾つかの派閥に分かれていて、勢力争いを展開していた。王は、これらの派閥の力関係を利用して巧みに政局を運営した。

 生母の身分ゆえ、王子と言っても苦労して来た王は、民の生活の安定を常に念頭に置いて政務を行った。お陰で民の暮らしは良くなり、人々は穏やかな日々を送ることが出来た。

 全てが順調に進んでいるように見えた。だが、不幸は突然起こるものである。

 跡継ぎである世子が幼くして世を去ってしまったのである。聡明な子であったため王の落胆は大きかった。

 歳月は流れ、七年後、ようやく待望の男の子が誕生した。

 王が大喜びしたのは言うまでもない。

 子供が一歳の誕生日を迎えた日、世子となり後継者になることが決定した。

 先代の世子同様、彼も賢い子供だった。そのため、王は彼に過大な期待を寄せた。

 だが、そのことが幼い身には負担となり、少しづつ心身が病んでいった。

 それに加え、朝廷内の者たちが自身の勢力拡大のために父子の間を裂くような動きを見せた。

 そうした者たちは、世子の些細な過ちを過ちを誇張して王の耳に入れたり、その他、様々な世子に不利なるようなことを告げた。

 政事には的確な判断を下せる王も子息に対しては、上手く対応出来なかった。

 耳に入る言葉を疑わしく思っても、目の前にいる息子の態度、言葉使いがそれを肯定してしまうのだった。

 父親のこうした接し方が更に世子を追い詰め、遂に病んでしまったのだった。


「世子様がお戻りになりました」

 今日も王への朝のご機嫌伺いは無事に済んだようだった。世子宮の人々はほっとした。

 帰宅した世子は、息子の世孫のところに行き、抱き上げた。その有様は善き父親のそれだった。

「世子さまの病は完治したのかも知れない」

 世子宮の人々はこう呟き始めた。中には、朝廷内の複雑な状況の下で自身を守るためにわざと狂者のふりをしたのではないかと言う者もいた。

 とにかく世子さまの御心身が良いことは喜ばしいことだった。


「今日もお健やかだったな」

 出仕した官吏たちは口々に世子の状態が良いことを肯定的に言った。だが、内心にはそれぞれの思惑を秘めていた。

 世子さまの病が治れば主上との関係もよくなるだろう。こう願い、期待する者がいる反面、世子を排除しようと次の手を画策する者もいた。

 後宮のある側室の部屋では、そうした相談がなされている最中だった。

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父子の葛藤 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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