銀行強盗と警部

@vantherra

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「お前はすでに包囲されている! 大人しく投降するんだ!」

 耳をつんざく割れたスピーカーの音が強盗に向かって放たれた。

 時刻は午後四時。強盗は一時間ほど前、窓口が閉まる寸前の銀行に包丁を持って押し入り、立て籠もっていた。

 警察は俊敏な初動を見せ、非常通報ボタンが押された5分後には所轄の警察署からわらわらと警官が押し寄せ、非常線を張った。さらに遅れること三十分、県警から人質交渉に当たるため、警部が臨場した。


 警部はマイクを持って犯人に呼びかけていた制服警官に一旦やめさせると事情を尋ねた。

「君、強盗犯人は一体どういう人物だね?」

 制服警官はビシッと敬礼すると報告を始めた。

「ハッ。強盗犯は近所に住む40代の男であります。半年前に勤めていた会社が倒産して現在無職。包丁のようなものを所持している模様です」

「立て籠もっているということは人質がいるのか?」

「行内の様子が見えないので現在のところ不明です。犯人からの要求も未だありません」

「なるほど……人質はいる前提で動くしかないな。支店長は?」

 すぐ脇に控えていた三つ揃いのスーツに七三分けという絵に描いたような銀行マンがおずおずと出てきた。

「支店長でございます。この度はとんだことで……」

「ご苦労さまです。いま強盗が立て籠もっていると聞いたのですが、行員の方は中に?」

「いえ、それが、強盗が包丁を出した時、窓口の者がすぐさま非常ベルを押しまして、その直後に他の者も脱出したものですから、中には強盗以外に誰もいない筈なのです」

「誰もいない?」

「ええ、中には私ども行員が5人いましたが、上手く脱出できまして。何度も点呼をしましたから間違いありません」

「じゃあ強盗は中で何をしているんだ……?」

 支店長は警部が自分に向かって問いかけたのかと思ったが、どうやら独り言だったらしいと察して自分の任されている銀行の方に目をやった。

「よし、とりあえず人質がいるのかいないのか分からんが、犯人の要求を聞かないと始まらんな」

 警部はそう言うと、自分の携帯電話から目の前の銀行の代表番号へ電話をかけた。

 しばらくして犯人が電話を取り、交渉が開始した。警部はスピーカーをオンにして、周囲の人間に交渉の内容が分かるようにしている。

「まずはお互いの状況を確認しよう」

 警部が切り出すと、犯人はいきなり怒鳴った。

「要求は金だ! それから外国に逃げる飛行機を手配しろ」

「わかった、金と逃亡手段が欲しいんだな。その前に確認したいことがあるんだが、君は今、人質をとっているのか?」

「もちろんだ」

「人質はどんな人か、教えてもらえるかな」

「人質……というかその……黒いやつだよ」

「黒い?」

 警部が反復すると、向こうの受話器からガサガサというノイズと、「ニャー」という鳴き声が聞こえてきた。

 警部の周囲の誰もが、なんとはなしに視線を向けていた警部の携帯電話から目を離すと、そばにいる人間と視線を交わし、驚きの表情を見合った。中にはにやけている者までいる。

「猫……かあ。困ったな」

 警部が心底困った、という顔で天を仰いだ。支店長がすかさず横から袖を引っ張るので、警部は電話のマイク部分を手で塞いだ。

「警部さん! 人質どころか猫をその……人質に取っているんだったら、今すぐ突入してくださいよ!」

 決して大きな声を出しているわけではないが、切羽詰まっているのはよく伝わってくる。きっと平時の業務があれこれ山積みになっているのだろう。普段から書類仕事に埋もれがちな警部は察するところだったが、まあまあ、と支店長をなだめた。

「支店長、交渉は私に任せて下さい。悪いようにはしません」

「だって相手は猫ですよ! 人質にすらなっていないじゃないですか」

「考えてみてください。警察は現在、人間さえ良ければ良い、という段階にはないのです」

 突然風呂敷を大きく広げた警部に、周囲の警官たちですら驚きの表情を見せている。

「とりあえず人間さえ良ければ……良くないですか? 私たちにも生活がありますし」

 食い下がる支店長に対して、警部は落ち着き払って続ける。

「もし、もしですよ。これから突入して、その際にネコチャンが犠牲になることがあったとしましょう。そうしたら我々警察のみならず、御行は世界の猫ファンの仇敵になってしまいますよ。少なくともこれから御行で口座を開こうという猫ファンはいなくなってしまうかもしれませんし、現在口座を開いている人たちが解約しに窓口へ殺到、取り付け騒ぎなんていうこともあるかもしれません」

 支店長はぐう、と喉の奥から謎の音を出すと黙ってしまった。屁理屈であることは重々承知であるものの、実際にそうなった時に責任が取れるかと言われれば取れない。というか取りたくない。可能ならまだ出世もしたい。

 支店長の沈黙の委任を受け、警部はまた携帯電話で犯人と交渉を始めた。

「よし、君のところに黒い猫がいるのはわかった。どんな様子だね?」

 急に話を再開されたにも関わらず犯人は真面目に答える。

「ええっと、今は俺のそばでこっちをじっと見ているよ」

「しっぽはどんなだね?」

「しっぽだと? まっすぐ上に立ててるよ」

「なるほどそうか。それは大変だ」

「えっ」

 犯人が驚く。

「いいかね、よく聞くんだ。君はその猫を人質に取っているつもりだろうが、実際はそうではない」

 周囲の警官たちや支店長も犯人と同様に驚いているが、それを無視して警部は続ける。

「実際に人質に取られているのは君の方だ。危険な状態だ」

「ど、どういうことだ」

 電話の向こうで犯人が受話器を握りなおす音が聞こえる。

「猫がしっぽを上に向かってぴんと立てているのはな、目の前の獲物を狙っているサインなんだ」

「そう……なのか?」

 犯人は明らかに疑っているが、その脇からゴロゴロと猫が喉を鳴らす音が聞こえてくる。

「聞いたかね、今の音を! 猫がその音を出す時は、コウモリと一緒で獲物の距離を超音波で正確に測っているのだ。猫は見た目は小さいかもしれないが、我々が一対一では絶対に勝てない肉食動物だから気をつけろ」

 警部が説明していると、犯人が突然がさごそと音を立て、悲鳴を上げた。

「うわっ、ちょっ!」

「どうした!」

「猫が俺のももを……手で押し始めたんだ」

「それはいけない。猫のその動作は、私たち人間が肉を買ってきて料理する時に、ハンマーで叩いているのと一緒だ」

「そんな……俺を安くて筋ばっかりの肉だって言っているのか」

「残念ながらそうだ。これはつまり、もうすぐ食ってしまうぞというサインだ。我々は急いで君を救出するからな」

「分かった、任せる」

 警部以外の周囲にいた人間は、こんなふざけたやり方で本当に上手く行くのかと半信半疑で見守っていたが、犯人が恭順の意を示してきたことに色めき立った。警部の指示をかたずを呑んで待つ。

「よし、じゃあ君の安全を確保するために、まず包丁を遠くに投げるんだ。これは猫に対して敵対する意志がないことを示すためだ」

「わかった」

 犯人が言った直後、銀行の中から金属が硬いものに当たった音が聞こえた。包丁を投げ捨てたらしい。

「よし、包丁を捨てたな。それじゃ私が中に入って猫を退治するから、君はその場で大人しく指示に従ってくれ」

 言うが早いか、警部は電話を切ると、一人ですたすたと歩いて銀行の中へ入っていった。制服警官や支店長など、警部を囲んていた面々は、ただあっけに取られて警部の後ろ姿を見守るだけだった。


 翌朝、地元スポーツ紙の一面は目尻の下がり切った警部と、その胸に抱かれた大きな黒猫に飾られた。見出しはこうだ。「お手柄警部、死傷者ゼロの猫質救出劇だニャン」

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