沈黙の黙示録

山樫 梢

沈黙の黙示録

 天使ラグエルには三分以内にやらなければならないことがあった。神から与えられた重要な使命を果たすのだ。


 人類を滅亡させること。手段は問わない。


 神からこの大任を仰せ付かったのは一年前。余裕は充分にあったはずだが、先延ばし先延ばしにしてきた結果、残された時限は後わずか。

 ラグエルがこの任務に迷い悩んできたのは人類を憐れんだから――ではない。仲間の中には人類滅亡に否定的な者たちもいたが、ラグエルは違う。諸手もろてを挙げて賛成していた。環境を汚染し懲りもせず争いを繰り返す人間の身勝手さは目に余ると考えていたことに加え、連中が増やしすぎた植物のせいで花粉症を患っていたのだ。慈悲などない。

 そんなラグエルが頭を抱えた原因は指令の「手段は問わない」という点である。何でもいいと言われて本当に何でもよかったためしがあるだろうか。ここはやはり、命題を通してラグエル自身もまた試されているに違いない。

 すなわち、神にセンスを問われている。

 それを裏付けるかのごとく、この役目を狙っていた同僚からは「さぞかし斬新な滅亡模様を披露してくれるんだろうな?」と嫌みたらしく言われる始末。

 奴の鼻を明かし、そうきたかと神が思わず膝を打つような滅亡をプロデュースしなくては!


 ラグエルはこの一年、革新的な人間の滅ぼし方を追求し続けてきた。

 大洪水は二番煎じなので論外。地震・雷・火事・疫病・異常気象・隕石・人工知能の暴走・悪霊の氾濫・怪獣の出現・宇宙人の侵略・巨大ロボットの襲撃・ゾンビ・サメ……色々と発案はしたものの、どれもありきたりでこれだというものがない。


 残り二分。

 検討し続けた結果、方針だけは定まった。この身は大量の花粉でじわじわと苦しめられているのだ。天変地異で一息に片付けるよりは、軍団レギオンを送り込んでじりじりと追い詰めるやり方が似付かわしいだろう。

 ラグエルは終末実行アポカリプスシステムに「軍団レギオン」と入力し設定を済ませる。後は使徒を選定してその名を告げるだけ。そうすれば自動的に生成された軍団レギオンが下界へと送り込まれる。

 だが、肝心の何を遣わすかが決まらない。天罰であると人間どもが自ずと察するようなものが望ましいのだが。


 終末実行アポカリプスシステムが警告音を鳴らし、カウントダウンを始めた。

 残り一分。


 いけない、急ぎ決定を下さねば……!


 極限まで追い込まれた脳内に稲妻のごとく妙案が閃く。まさに天啓。それを口にしようとした刹那、ラグエルの鼻がむずついた。薬の効き目が切れてアレルギー症状がぶり返したのだ。

<8・7・6……>

「ぶぅわっふぁろぉ!!」

 堪えきれずにくしゃみが飛び出し、折角浮かんだ案も飛沫と共に吹き飛ぶ。同時に、秒読みを告げていたシステムが沈黙した。

 ラグエルはくしゃみの勢いで下を向いたまま青ざめる。神の定めた日程は絶対。一秒の遅れも許されないというのに!

 人類より先に私が終わった。釈明のしようのないしくじり。堕天使にも劣る駄天使。斯様かように内心で己を罵倒し続けるラグエルの絶望を打ち払うように、ラッパの音が轟き自動音声アナウンスが流れる。


軍団レギオンが選定されました>

<これより人類の殲滅せんめつを実行します>


 どういうことだ!?

 ラグエルは耳を疑い、弾かれたように顔を上げる。

 モニターにはシステムが受託した軍団レギオンの名前が表示されていた。

 [バッファロー]

 ラグエルの脳内に壮大な宇宙の情景が広がった。ややあって察する。先程のくしゃみがそのように音声認識されてしまったのだと。


 バッファローとは水牛を指す呼称であったが、アメリカバイソンなどの他のウシ族を同様に呼ぶ地域もある。終末実行アポカリプスシステムが送り込むのは一体どのバッファローであろうか。

 ――などと現実逃避に陥ったラグエルだが、何にせよ牛は牛に違いない。そしてもはや、決まってしまったものは覆せないのだ。


 モニターが下界の様子を映し出した。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが、人々の命を、築かれた文明を、残さず破壊しつくしていく。

 予想外の要因ながら予定通りの滅亡の訪れ。

 ラグエルは何ともいえない面持ちでその様子を見守り続けたのだった。


 †


 主の神意を推し測ることもなくただ命じられたままに人類を滅ぼすなど、非情極まりない!

 ラグエルを糾弾するべく詰め掛けていた天使たちは、姿を現した当人の様子を目にして言葉を呑んだ。

 赤く腫らした目をこすり鼻をすすって消沈するラグエルのさまは、壮絶な葛藤の上に苦渋の決断を下したのであろうと思わせるに十分な悲壮感を漂わせていた。――実際は花粉による症状だったのだが。


 責める気を削がれても、疑念は尽きない。

 なにゆえ軍団レギオンにバッファローが選ばれたのか?

 意表を突く選出に天界はどよめき困惑し、天使たちの話題はこの件で持ちきりとなった。多くの者が昼夜を問わずラグエルに群がり説明を求めたが、当のラグエルはひたすらに沈黙を貫くばかり。

 その真意を追求せんと、噂が噂を呼び数多あまたの憶測が生まれた。

「ラグエルが牛好きだから」

「否、逆に大の牛嫌いであろう」

「何らかの隠喩メタファーであるに違いありません」

「ステーキが食べたい気分だったのでは?」

 議論は活発に交わされども、真相にたどり着く者は現れず……。


 かくして、使徒がくしゃみによって決したことは人類の存在と共に闇に葬られた。窮地を切り抜けたラグエルであったが、仲間内で「牛天使」という不本意な称号を与えられたことで密かに「モー!」と憤ったという。

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