第16話「大魔術師の助言」
地下室の大会議室「
会議が終わった後、長たちは順番に「五行の間」を出ていった。順番に意味はないし序列といった概念も存在しない。ただ扉に近い順番に、江取から時計回りに長とその関係者たちは出て行く。
地上からこの地下室に続く階段の段数はそれこそ神社の石段もかくやというべき長さだ。実際、この「五行の間」が彼らにとってはその神社に非常に等しいぐらい、神聖な場所でもある。
弦木家の長、藤十郎の順番が回ってきたのは最後だった。順番が来れば粛々と静かに出入口に戻り、長い大階段を上がっていく。
「……ふむ。やはり、事は儂が思っていた以上に深刻であったな」
大階段を上がっている最中、藤十郎は呟く。
「環菜よ。今、
自身の前を歩く環菜に藤十郎は言った。
「やはり、江取氏は怪しいと見るべきでしょう。滝浪家はともかく、あの場で草薙機関の支援を直に断るという選択肢は私としても解せません。昨日浄化した江取の龍脈から遠く離れた郊外の霊脈ですら、私たちでなければ危険だったのに支援を望まない選択肢を取るとは、やはり何か裏があるかと」
環菜は前を向いたままそのように答える。
彼女だけではなく、あの会議の場にいた者であれば、それは誰でも疑問に思うはずだ。
現時点で環菜たちが仕入れた情報の中に江取家に「帰還者」がいるという情報は今の所存在していない。大抵の「帰還者」ならば、熟練の魔術師に相当する戦闘力を持っていることが多いため、もし戦力として引き込むことが出来れば心強いことこの上ない。
そういった、この世界における
しかしそれでも、環菜は江取家が何らかの形で霊脈の異常を引き起こしているのではないかと考えている。
一度生まれた疑念は晴れないものであり、特に「防人」である彼女にとって街の敵を排除するということは責務だ。特に市民体育館の一件で邂逅した、「ルーラー」を名乗る男の率いる「灰色の黎明会」という存在はあってはならないものと見ている。
「十中八九、裏があると見た方がよかろう。あの
「街の方に今の所被害が出ていないだけまだマシと言えるでしょう。草薙機関の方でも全力で怪異が一般人に危害を及ぼさないように監視を強めていますが、それも限界があります。私たちはこの後すぐにでも犬立区に戻り、調査を再開しますが……」
その先を言おうとしたが環菜は思わず口を閉じてしまう。
「……環菜。お前の言わんとしたことはわかる。あやつらの事は儂に任せよ。この期に及んで下らぬ邪魔をするほど愚かではないとは言い切れぬのが少しばかり癪だが」
「……っ。すいません。私が、未熟なばかりに」
そういう彼女の声はどこか弱々しい。
「……」
藤十郎の後ろ越しに環菜の背中を見る結人は、その姿から目を離せない。
基本的に
胸に燻る“熱”がそうさせるのか、それともただの興味からなのか。明確な答えが出ない以上、結人本人にもそれが何なのかを形容することは出来ない。
“ただ無視できない”
仮に今の結人の感情、理由を表すとしてもたった八文字のみ。それ以上の言葉と理由が見つからなかった。
「確かにお前は未熟かもしれぬがな。儂自身、お前のその心構えは若き頃の儂とそう大差ないと思っておるぞ」
「私が、ですか?」
祖父の言葉に環菜は僅かに視線を彼に向ける。
「ああ。この時代、儂の若い頃の時代と価値観も環境も、何もかもが異なるこの御時世の中、お前は己の責務と向き合い続けている。足を止めず、考えることをやめず、目を背けず。自分の人生の中で誰もが目を背けたり、逃避を選ぶこともあろうことをお前はせずにやってきた。それは誇れるものだ」
「……」
少女は祖父の言葉に耳を傾ける。
いつだって彼女は全力だった。虐げられてきた家庭環境の中から祖父に引き取られて以降、その恩義に報いるために、今後の自分の人生をより良いものにするために、そして何よりも持って生まれた力を活かすために。
責務も後から生まれたであったとしても、環菜はいつだって目を背けずに向き合ってきた。それは虐げられてきた環境であった頃から同じで、幸も不幸にも全て等しく向き合ってきた。
そして「防人」になった後にこなしてきた数々の任務に対しても。生死に関わる大きな戦いに何度も関わってきたこともあったが、それらを全てこなしてきた。
それらを含めて、藤十郎は「誇っていい」と語ったのだ。
「……これは儂の個人的な考えだ。今のお前に言うのもなんだし、聞き流しても良いが、今後のお前のためでもある」
前置きを置き、意を決したように彼は再び口を開く。
「多くの迷い、多くの葛藤をこれからお前は抱き続けるだろう。そして選択する時が来るだろう。……人は誰もが“正解”を選ぶことは出来ぬ。何度も間違いを選ぶことになるかもしれん。だが、お前はいつだって正しきことを成し続けることが出来る。儂は、そう信じている」
「―――――――」
それは、とても心強い言葉で彼女の背中を押すような言葉。
生きている限り、人間は多くの失敗を経て、いつか“正解”にたどり着く。だがそれはあくまで個人だけの話だ。そしてその正解が個人にとって必ずしも幸福になるというわけでもない。
それでも、常に前を向き続け、向き合い続けてきた彼女ならば、例え間違いであったとしても正しいことを成せるという、心の底から孫娘を信じる言葉を彼は語ったのだ。
そうしているうちに結人たちは大階段を上がりきり、地上に出た。外では関係者たちが談笑をしており、先ほどまでの強い緊張感とは裏腹に和やかな雰囲気になっていた。
「
「儂は一度工房に戻るつもりだ。その後は草薙機関などにも少しばかり働きかける。無論、お前の兄たちやバカ息子どもにも発破をかけるつもりだがな」
どうやら工房に戻った後、環菜の兄たちや父親を含めた親類たちに発破をかけるつもりらしい。
「わかりました。ではこの後、私たちはこのまま犬立区に戻ります。必ず調査をやり遂げ、必ず異変を解決してみせます」
環菜は真剣な表情でその意気込みを見せる。
「うむ。葛城君と多々見君と言ったな」
「「はい」」
突然声をかけられ、反射的に返事をした頼孝と、何か言われるだろうと思っていたので内心身構えていた結人の声が重なった。
「……いや、多々見君には言うまでもないな。外面は世を知らぬ若者といった外見だが、その内は別物といった風か。お主に言うことがあるとすれば、こういうべきか。己のするべきこと、優先順位を間違えるでないぞ?」
「―――――――無論。言うまでもなく。オレがするべきことは、例え世界が違えど変わることはありません」
藤十郎の言葉に頼孝はハッキリと、少しの迷いもなくそう返した。
今を生きる現代の若者といったものではなく、何十年もの人生を生きた人間のもの。あまりにも釣り合わない老成した口調とその立ち姿に、彼のことをよく知らない人間には違和感を覚えさせる。
「葛城結人と言ったかな。環菜の協力者ということで助けになっている。市民体育館での戦績も聞いている」
「ありがとうございます」
あくまで事務的に、結人はそう返す。
「だが、今のお主からはその内に多くの迷いがあると見る」
「迷い……ですか」
藤十郎の言葉に結人は首を僅かに傾げる。
「己のために抗い戦うことは悪ではない。お主の苦悶、痛苦、苦悩が如何なるものであれ、己に出来ることには必ず限界が来る。そして……」
大魔術師はその言葉と共に、結人の肩に手を置く。
「今の内に己の手でその業にけじめをつけておくがよいぞ。手遅れになれば、最早貴様はヒトとして正しき死も報いも得ることが出来なくなるぞ」
「――――――――――」
彼の、先ほどまでの穏やかな口調とは異なる威圧感と迫力に満ちた目。
威厳とはまた違うその空気と視線を結人はよく知っている。
それは、異世界で何度も向けられてきた“敵を視るような目”そのものだった。
「貴方に言われるまでもない。俺は、俺自身の事については自分でケジメをつける。それに……」
結人は自身を見下ろす大魔術師を見上げ、口を開く。
「知ったような口を聞くなよ、魔術師。その台詞、よく覚えておいたからな」
憤怒と憎悪、そして侮蔑を込めた目でそのように言った。
「ふん。あえて先の言葉を投げかけたが、その意気やよし。儂が思っている以上に己の内に目を向けているようだ」
藤十郎は結人の肩から手をどけ、そのように言った。
「……少なくとも、アンタのようなジジイは嫌いじゃない」
それに対してそう言葉を投げかける結人。売り言葉に買い言葉である。
そして、僅かに奔っていた緊張感が解けた頃。
「―――――ッ!? マズイ!」
殺気にも似た視線を感じ取った結人は、咄嗟に藤十郎の前に立った。
そして―――――結人の胸を一発の弾丸が貫いた。
「きゃああああ!」
その状況に近くにいた女性が悲鳴を上げ、場が混乱し始める。
「葛城君!」
環菜が床に倒れた結人に駆け寄る。
それと同時に、近くで罵声や悲鳴といった混乱に満ちた声が聞こえ始め、それから数秒の後、銃声や何かが炸裂するような音が響き始める。
「儂の結界を破っただと? ――――――環菜!」
「はい、
「わかっている!」
状況を把握した藤十郎は環菜に声をかけると、すぐに姿を消した。環菜は多々見に指示を飛ばし、彼は「妖切荒綱」を召喚して武装する。
「おい、弦木。いいから、どいてくれ」
「何言っているのです! 早く治療を!」
「心配、いらない」
結人は血を吐きながらそう言うと、体を起こす。
「え?」
環菜は結人の身体に起きた“異常”に目を見開く。
結人の貫かれた胸が、まるで再生しているかのように肉の蠢くような音を立てながら傷口を塞いでいるからだ。やがて穴は塞がって流血も止まった。
「どうやら、弾丸はすり抜けたらしい。あの爺さんも運がいいな」
そう言って結人は体を完全に起こした。まるで撃たれたダメージがないように。
「いや、そうじゃなくて、その能力は……?」
「ああ、これか。これは俺の術の応用だ。
「……」
平気な表情でそういう結人に、環菜は表情をしかめる。
“なぜそんな、あまりにも平気そうな顔で言うのか”
それを言葉にしきれず黙ってしまった。
「それで? 大魔術師を撃ち殺そうとした下手人は広間側にいるというわけか」
「……どうやらそのようです。とにかくこの混乱を収めましょう!」
そう言って、3人は混乱渦巻く弦木家本家から移動を始めるのだった。
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