第二章「鬼と狼」

第1話「新たな任務」

2025年 4月4日 日本某所 草薙くさなぎ機関きかん本部


 日本のどこか……少なくとも表向きには存在しない、地図には記されていない場所に拠点がある、古来より存在する魔術組織草薙機関は時代の経過と共に近代化を余儀なくされた。


 伝統と慣習を維持しつつ、それでいて組織の秘密を外部に漏らさない工夫を施し、そして現在の権力者、即ち日本政府の一部の人間とのみしか繋がりを持たない裏の権力。そういう意味で言えば、草薙機関はこの国を密かに支配する裏の組織とも言えるだろう。


「おいおい。この自販機、モノが入っていねえじゃねえか。業者はどうした、業者は!」


 草薙機関本部の中、自販機でいつも買っている缶ジュースが売り切れになっていることに葛城かつらぎ解斗かいとは小銭を手に苛立ちを見せる。


「明日業者が来るんだから、それまで我慢すればいいでしょ。なに子供みたいな我儘言っているのよ」


 そんな解斗を呆れたような目で見る女性、青木原あおきはら由美ゆみはスマホのメモアプリを見ながら言った。


 彼女は紺色のスーツに身を包み、40代でありながら格好や見た目に気を遣っていることがわかるメイクをしており、外見だけなら20代後半に見えなくもない。髪を引っ張られたら危ないという合理的な理由で耳で切りそろえたショートヘアをしているが、こちらも手入れがされているのか艶があって綺麗に見える。


 一見すると、やや老け顔の解斗とは年が離れているように見えるが、たった1歳違いで長い相棒関係だ。公務員志望で田舎から上京してきたが、周囲に隠していたはずの魔術師としての能力を見込まれて、勤めていた官公省庁から半ば強引に草薙機関にスカウトされたという経歴を持つ。


「くそ、色々あってこっちはむしゃくしゃしているんだ。ったく、面倒くさいったらありゃしねえ」


 解斗はいつも買っていた缶ジュースとは違う、野菜ジュースを買ってそれを一息で飲み干し、愚痴をこぼす。


「もしかしなくても、結人君のことかしら? まぁ、アンタがイライラする理由はわかるけど、それに関してはアンタの自業自得ではなくて?」

「うるせぇ。こうなるはずじゃなかったんだよ。あのガキ、人の恩を仇で返すような真似しやがって。黙ってこっちの言うこと聞いておけば、万事上手くいくはずだったんだよ」

「うわ、完全に責任転換で笑えないんだけど。今一瞬、貴方と相棒組んだ自分を恥じ始めているわよ。……あ、ちょうど呼び出しのメールが来たわ。行くわよ」


 彼の物言いに由実は嫌悪感を露骨に滲ませながら、メールの内容を一気読みし速足で歩き始める。


 草薙機関本部はかなり広い。草薙機関に在籍して20年ぐらいにはなる解斗と由実であったが、それでも施設の全容を理解しているわけではない。彼らの権限では入ることも出来ない区画もあったりするし、そもそも初めから立ち入りが出来ない場所も存在する。

 許可なく無断で入ることがあれば、侵入者は凄惨な末路を迎える。もはや常識ですらある。


 これから向かう場所は「呼び出しがあるまで出入りすることが許されない」と言われている区画。

 日本の魔術世界において「壱級」の階梯ランクを持つ者でなければ個人の意思で出入りすることも構わず、さりとて一度でも無断で使用することあれば、二度と外の日の目を見る事の叶わない、わずかな空間。


 その区画にある、鳥居の形をした扉を開いて解斗と由実は歩みを進める。


「――――――来たか。葛城、青木原」


 扉を開いた先は、どこかの企業のオフィスを彷彿とさせる空間。窓から見える広大な景色にはビルディングが立ち並び、下には様々な人々が道路を行き交っている。


 解斗と由実は、先ほどの鳥居のような扉……「転移門」を通ってに空間転移したのだ。


「百鬼さん、突然の呼び出しってなんです? 本部での仕事が一段落したのにいきなり『転移門』を使ってこいだなんて、こっちとしては嫌な予感の前触れとしか思えないんですけど」


 解斗は目の前の自分の上司にあたる男性……、百鬼なきり見吾けんごに言った。


 白い目玉のような模様のついた真っ黒な目隠しを両目に巻いており、黒いスーツを着ている。髪は後ろに流したロングヘアーで女性と見間違いそうな艶のある髪だった。全体的にミステリアスな雰囲気を醸し出しており、人によっては近寄りがたい空気をまとっている。


「突然と言ってもタイミングが良いと思ってね。この時間帯になら、君たちは自販機で飲み物を買って10分19秒の休息を取ったのを、青木原君のスマホにメッセージを送ったんだ。君たちのスケジュールも予め確認しておいたし、何も問題はないさ」

「また千里眼ですか。それ、見ようと思えば人のプライベート覗けたりしますよね。まさか、“そういうこと”に使ったりしていないですよね?」

「ははは。まさか。そんな低俗な事に私の眼を使ったりはしないとも。何しろ、視えすぎても良くないものを引き寄せたりしかねないからね。っと、まずはそこに座りたまえ」


 百鬼に言われ、解斗と由実は部屋の中に用意されているソファに座る。


 ここは草薙機関が所有する、夜交市にある活動拠点として使用している事務所だ。日本各地にある複数の拠点のうちの一つであり、買い取った際に風水魔術の概念を用いるなどして改装を施し、表向きには警備会社として使われている。百鬼はその警備会社の社長という形で支部長を務めているが、立場と階級は解斗と由実より上で上司と部下の関係にある。


「今日このような形で呼んだのは他でもない。以前の報告……、この街でその姿を現した『灰色の黎明会』についてだ。市民体育館の一件で、現場の後始末に赴いた君にならわかると思うが」

「あー……。やっぱりそっちの話になるわけですか。そんな気はしていましたよ。首魁と思わしき者たちが現れたが逃げられたと言いますか……」


 昨日の夜、自身の甥である葛城かつらぎ結人ゆいとと、「防人」である弦木つるき環菜かんなと「帰還者」の一人である多々見ただみ頼孝よりたかが遭遇した、市民体育館で行われかけた魔術テロを防いだ際に現れた「灰色の黎明会」の首魁と思わしき者、通称「ルーラー」。


 それ以外にも複数人の幹部クラスと思わしき者たちがいたが、その時点では戦闘は行われず、逃げられてしまった。その代わり、結人たちが制圧した「灰色の黎明会」傘下の半グレ集団たちを逮捕することに成功はした。


「いや、その時の戦闘で逃げられた方が都合は良かっただろう。彼らだけでは、恐らく周囲に大きな被害が出ていた可能性が高かった。結果的に見れば、だがなね。贅沢を言えば、連中に関する情報をもっと手に入れることが出来れば良かったのだが」

「そりゃあ、あれだけ出てきて大っぴらに戦闘になったら市民体育館は木端微塵、周辺の街に被害が出ていましたよ。正直、あそこで連中が逃げなかったら現場に急行していた俺はともかく、あの女や弦木がいても犠牲者は出ていたと思います」


 実際その通りであり、もしも市民体育館に現れた「灰色の黎明会」と結人たちが激突して戦闘になっていたら、街にまで被害が出ていた可能性があっただろう。


 現代の魔術師たちは大規模な戦闘を行う際、一般人への影響を少しでも抑えるために現場を中心に認識阻害の術式を組み込んだ結界を構築したり、魔術組織の協力者たちや警察機関、そして「防人」たちを動員して周辺を封鎖や隠蔽、現場に取り残された一般人の発見、救出、記憶消去措置。


 科学文明で成り立つ現代社会において、今を生きる魔術師たちはあくまで日常の陰に潜む存在であり、陰より現れる者たちを排除して守るのが使命なのである。


「北欧、ブリテン、アメリカの魔術組織から取り寄せた情報でも『灰色の黎明会』の活動はより活発化してきているとある。我が国で明確にその姿を現したとなれば、早急に手を打たねばならぬ。既に一般人を意図的に狙った被害が出ている以上、より本腰を上げなければならん。私の“眼”に視えない相手となると、非常に厄介であることに変わりはない。少しでも連中の戦力を削らなければならないだろう」

「現在の我々の戦力、もといのは壱級までですからね。特級が出てきてしまったら、街の一角どころか街一つを更地にしかねないです。そのような事態になったら、“上”の怒りを買うでしょうし……」

「そうならぬよう、手を打つためにお前たちを呼んだのだ。今後、当分お前たちにはここ夜交市を担当してもらうことになる」

「マジか。いや、まぁ、そうなるかぁ……」


 解斗は少し頭を抱えるが、近年の自分を取り巻く状況を思い出して渋々飲み込む。


 結人の一件や前から夜交市での調査をしていた関係、そして「灰色の黎明会」に関係する情報、そして独自に「特殊調査活動部」という名称で自警団活動を始めた結人たちとの関係を考えると、自分以外に任せるよりはマシだろうと考えた。


 彼自身、性格はともかく仕事人としては優秀な部類であり、愚かではあるが無能では決してない。由実のサポートもあるとはいえ、20年以上草薙機関の魔術師として駆け回ってきた経験則と知識から来る実力は折り紙付きである。……あくまで性格を除けばだが。


「“特級”の連中が出てこない内は、文字通りこの国の安全は保障される。だが一度出てきてしまえば我々はともかく守らねばならぬ民の犠牲を許容することになる。例えどれほど平和ボケした国であろうが、我々のやるべきことは一切変わらぬ。葛城、青木原。―――――この言葉の意味が、わかるな?」


 百鬼の眼差しは眼前の部下2人を静かに一瞥する。


 彼の立場であればその眼差しが何を意味するのか。年下であろうがなんだろうが、解斗と由実からすれば立場も上でその実力も特級一歩手前という折り紙付きの能力を持つ百鬼の言葉を誰よりも理解できる。


「無論、言われなくてもわかっていますよ。俺たちがやるべきことは変わりませんし。な? 由実」

「貴方に言われるまでもありません。秩序のために汚れ仕事であってもそれをこなすのが私たちの仕事ですし。それはそれとして、具体的にはどのように?」


 由実はテーブルの上にあった緑茶を一息で飲み干しながら聞いた


「灰色の黎明会がこの街に現れたということは、何かしらの動きが間違いなくある。これはわかるな? 君たちには市民体育館を基点に連中の痕跡を探し、そして連中の行方を探しだし、我々はその情報を基に奴らを捕らえる算段をつける。だが―――――」


 その言葉と共に、真っすぐに葛城を見る。両目に巻いた眼帯代わりの布越しにも伝わる刃物のように鋭い眼差し。


「万が一のことがあった場合、殺すことを厭うな。相手はこの世界の法則ルールから外れた者たち。例外は許されない」


 百鬼の立場上、既に冷徹な判断を求められる。明言はしなかったが、長年の経験から解斗は百鬼の言い分を理解する。


 基本的に「灰色の黎明会」の異世界帰還者たち……怪帰者フォーリナーたちを捕らえる方針であっても、最悪の事態は容易に想定される。彼らの尋常ならざる力が一般人に向けられることがあらば、その場で殺せということだ。


「了解。今回もきっちりと仕事をこなしてみせますよ」


 その一言と共に、解斗はソファから立ち上がって部屋を出て行く。由実もそれについていくように一礼して部屋を出る。


 時刻は昼休みに入る前の時間帯。日々の仕事に勤しんでいる労働者たちにとっての数少ない休息時間。


 解斗たちはそんなありふれた光景を見せる同業者魔術師たちを背に、日差しが降り注ぐ街へと歩き出すのだった。


「ところで昼飯なにする?」

「私牛丼屋で。ちょうど割引券が何枚も余っているのよ。いる?」

「OK。乗った」


 ……朝から食わずで働きづめだった2人はその足で、まずは昼食を取ることにするのだった。

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