第2話 錬太郎(1)

 来るだろうと思っていたら、やっぱり来た。

 俊三としぞうのやつ。

 「俺は野球とはあの日からきっぱり縁を切ったんや。そんなことを言うて俺を困らせんといてくれ」

 そう言うことばに、本音がけていた。

 困らせんといてくれ。

 最初から拒否するつもりなら、俊三ならば、百パーセントのコワモテで

「断る。理由はおまえの知ってるとおりや」

のひと言で拒否しただろう。もしかすると

「二度とこの話をしたら、おまえとの友情っちゅうやつもいま限りにするぞ」

ぐらいは言ったかも知れない。

 「困らせんといてくれ」。

 つまり、それを言われると困る。

 やりたいんやけど、俺に「あの日言うたことを撤回する」とは言えない。

 それで迷っている。それが、おもしろいほど手に取るようにわかった。

 果たして、やつは、けっして軽いとは言えなくなった体で、汗をしたたらせながら俺の乗っているグリーン車に来た。

 あいさつも事情説明もなく

「早よアレ出してくれ! サインするから!」

 で、自分の万年筆でサインし、持ち歩いているらしい朱肉で印鑑をついて行った。

 終わると、「ほな」のひと言も言わず、発車寸前に車両から飛び出して行った!

 発車後、

「発車間際の駆け込み乗車はたいへん危険ですのでおやめください。列車の遅れの原因にもなります」

みたいな、怒気を含んだふうのアナウンスが流れたのは、俊三のやつのせいだったのだろう。

 駆け込み乗車ではなかったので、無効だったけど。

 つまり、駆け込み降車。

 しかも、始発駅で。

 かっこわる。

 でも、それが俊三らしい。

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