白線上のニーナ

鬼灯 かれん

白線上のニーナ

 ニーナには三分以内にやらなければならないことがあった。


 それを果たすために、こっそり持ち出してきた磁石付きタイマーを握りしめ、ニーナは学校の正門に立った。ここから早歩きしなくてはならない。

 ついこの間、先生から渡された成績表を思い出す。それを見て落胆する母親の反応を頭の中から追い払うように、ニーナは頭を振った。


 大丈夫。昨日の帰り道で、ちゃんとルートの確認はした。頭の中のシミュレーションはバッチリ。後は、早歩きするだけ。


 ニーナはスタートラインに立つ。

 それを見計らったかのように学校のチャイムが鳴り響き、ニーナはタイマーを押して歩きだした――校門から外へ伸びる白線の上をなぞりながら。



 ニーナのクラスで流行ってるウワサ、『願いの白線渡り』。

 学校の正門から神社まで伸びる白線を三分以内に渡り切れば、願いが一つ叶うという。クラスメイトは冗談混じりに話し、ニーナも口では同じようにクラスメイトに同調した。

 しかしニーナは、そこで終わる女の子ではない。その話を聞いた日の学校帰り、早速偵察に出かけていたのだ。



 歩きだしてから一分経過。順調だ。

 賢いニーナは自分の想定通りの早歩きに満足した。

 ニーナの見事な白線渡りを、クラスメイトの男子たちが見てドッと騒いだが、ニーナは気にすることなく走り抜けた。


 ニーナには、願いがある。それはとある男子の気を引くことだ。

 彼の名はケン。クラスの人気者であり、女子の大半が好きな男の子ランキング一位として答えている(ニーナのプロフィール帳調べ)。

 ケンがドッチボールで相手を外野送りにするたび、女子たちはキャーキャーと騒いだ。

 だがニーナは違っていた。ケンが活躍するシーンで、わざと目を逸らす。これがニーナへの興味を引き出すことを、計算高いニーナは知っていたのだ。

 一部の女子たちのようにわざわざ話しかけにいくなど、もってのほかである。



 歩きだしてから二分が経過するところで、アクシデントに見舞われた。

 信号機が赤になってしまったのだ。


 ここで引き返してやり直そうか。


 そう思いかけたニーナだったが、白線渡りのルールを忘れたわけではない。

 白線渡りの途中に引き返したり、白線からはみ出たりすると地獄に落ちるという。

 読書好きのニーナは知っている。地獄とはいかなるところか。鬼にペンチで舌をちぎり取られそうになっている場面の絵を思い出し、思わず舌がキュッと縮む。


 ニーナは左右を見渡した。横断歩道の白線は五本。周りには車どころか人もいない。

 大人びたニーナは知っている。

 大人たちは時々、赤信号でも横断歩道を渡っていることを。

 良心が痛むが、意を決して赤信号の横断に足を踏み出した。一歩、二歩、三歩――


「あー! いけないんだあ」


 後ろを確認していなかったニーナは飛び上がった。白線のために飛んでいるのか、驚いて飛び上がっているのか、ニーナには分からなかった。着地と同時にバランスを崩しかけたが、なんとか態勢を持ち直した。

 時間はあと一分を切ろうとしている。神社はもうすぐ。男の子が見ていたようだが、振り返って言い訳をする時間は、ない。


 勇気あるニーナは走り出す。

 こんなに速く走れる自分自身の能力に、ニーナは驚いた。学校の成績というのはあてにならない。ニーナは一つ、学びを得た。



 あと三十秒。赤いランドセルの重さが、ニーナの体力を奪っていく。これは計算外だ。今日に限って算数の教科書を置いて来なかった自分自身を恨んだ。



 あと二十秒。足がもつれそうだ。地獄には行きたくない。白線渡りを始めてしまった自分自身を恨んだ。



 あと十秒。ケンは、気を引くためにここまでするに値するような男子だったのか。そう願った自分自身を恨んだ。

 だけど、ニーナだって、本当は――



 ゼロを知らせるタイマーのアラームは、神社の前で鳴り響いた。

 白線はここまでだ。


 間に合った!


 そう思うのと同時に、


 ゴールってどこなのだろう?


 ニーナは考えた。

 ゴールっぽいところといえば、鳥居をくぐったあとだろう。

 だがそこまで白線は続いていない。それを確認し忘れてしまった。これも計算外だ。


「オイ、新那!」


 ゼロになったタイマーを握りしめたままうんうん悩んでいると、ニーナを呼ぶ声がしてまた飛び上がった。

 声がした方へ振り向くとそこには、息を切らしたケンがいた。


「やっと追いついた……オマエに用があるのに全然止まってくれねぇし……」


 そう、この男子こそ、ニーナの願い。気を引きたい男子なのだ。

 そんなケンが全力でニーナを追いかけてくれたのだ。

 可憐なニーナは、目を輝かせた。


「今日居残りだろ? 先生に呼んで来いって頼まれたんだよ」


 地獄だ。これが本当の地獄だったのだ。

 哀れなニーナはそう悟った。



 約三分前に振り払った記憶が蘇る。

 成績表を見て落胆する母親。体育よりも、算数の成績についてひどく𠮟られた。

 そして算数の小テスト。平均点を下回ると居残りになるのが恒例だ。

 計算が苦手なニーナは、小テストが終わった直後から、結果が見えていた。無意識のうちに教科書をランドセルにしまい、無かったことにしていたらしい。


「行くぞ、新那」


 ケンはいつの間にか、ニーナの手首を掴んでいた。


「オレもなんだよ、居残り」


 『願いの白線渡り』は、本当だったのかもしれない。

 そう考えてにやけるニーナは、いつかまた白線渡りに挑戦しようと思いながら、ケンと共に学校じごくへ行くのだった。

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