【KAC20241】三分間のラブゲーム・デスゲーム

猫とホウキ

三分間のラブゲーム・デスゲーム

 一神いちかみ賢太郎けんたろうには三分以内にやらなければならないことがあった。それは夏休みの宿題(数学、手付かず)を終わらせることである。



***



 50ページ程度の問題集を一冊。どのページもまだ解答欄は新雪のごとき白さであり、夏休みという悠久の時をてもなお、シャープペンシルの芯はおろか、指先の皮脂にさえ触れていない。


 無論、今から──まったく賢くもないのに賢太郎という名の男──俺が取りかかったとしても終わるはずがない。最初の一問すら解けるかどうか怪しい。


 もうすぐチャイムが鳴る。昼休みが終わり、そうなれば数学教師が教室に入ってくる。授業が始まれば、すぐにでも宿題の回収が行われるだろう。


 強面こわもてで短気な数学教師は、この問題集(おろしたてほやほや)を見てどんな反応をするだろうか。


 怒られるだけならまだ良い。補習で済めば可愛いものである。しかし弁明や謝罪の機会すらなく、「リュー・ネン・デスネ」と担任教師経由で連絡を受けてしまった場合、俺の高校生活は留年エターナルと称したタイムループに突入すること間違いなしである。


 残り二分五十秒。俺は意を決して隣の席の左海さかいさんに声をかけた。俺の席は一番後ろなので、今このタイミングで頼み事をしやすいのはりょうどなりの席の生徒だけである。


 左隣の左海さんは数学が得意なメガネガール。知的でクールな(しかも可愛い)才色兼備さんである。言うまでもなく、彼女は解答欄をすべて埋めた完璧な状態の問題集を保持している(はず)。


 その問題集を借りることができたとしても、書き写す時間はない。しかし俺には考えがあった。


「左海」


「なんですか」


「数学の宿題をくれ」


「…………」


 左海さんはおぞましいものを見るような目で俺を見た。その視線は氷のように冷たく鋭く、そして無慈悲だった。


 でもここで退くわけにはいかない。ここで退しりぞいたらリュー・ネン・ナノデス。


「ああ、まずは俺の言い訳を聞いてくれ。俺も馬鹿じゃない。もっと早くに誰かから宿題を借りて書き写してちゃんと終わらせる予定だったんだ。でも午前中は英語の宿題を書き写すのに使い切ってしまったし、昼休みは焼きそばパンを賭けたポーカーに参加したりしているうちに時間が無くなってしまったんだ」


「アホ神アホ太郎」


「くっ、確かにアホだがアホアホ言うな! とにかくだ、左海。お前の成績なら宿題を持ってくるのを忘れたと言ってもなんとか許されるだろう。なんでも言うことを聞く! 俺の未解答問題集バージンとお前の解答済問題集ロストバージンを交換してくれ! 名前だけなら書き直す時間はある!」


「アホ神アホ太郎は語彙ごいまでアホ一色で早くアホ星に帰れと言いたいところですが……そうですね。私が今から出すミッションをクリアできたら、その無茶にこたえてあげます」


「はあ!? ミッションって、もう時間が無いぞ! 無茶を言うな!」


「無茶を言っているのはあなたの方なのですが──時間が無いのでお伝えしますね。ミッション、『今から女の子に告白してお付き合いの了承を得ること』」


「はあああ!?」


 女の子に告白って今から!?


 あと二分くらいしか時間ないぞ!


 俺の席は一番後ろ。声をかけられる距離にいる女子は左海さんを除くと、右隣の席の右山うやまさんだけである。


 迷っている時間はない。このまま目の前にいる左海さんに告白するか、彼女に背を向けて右山さんに告白するか。とにかく行動しなければならない。


 右山さんは無口でなにを考えているか分からない系の女の子である。正直、彼女に好かれているとは思っていないが、あまり関わっていない分、嫌われてもいないと思っている。


 左海さん──たぶん馬鹿な俺のことを嫌っている彼女よりは、右山さんの方が告白に成功する確率が高そう。そう考えて、俺はくるりと振り返って、左海さんの反対側にいる目隠れ無口少女の右山さんを見た。話が聞こえていたのか、右山さんも俺の方を見ていた。


 見つめ合う二人。


「好きだ。付き合ってくれ」


「はいわかりました」


「…………」


「…………」


「…………?」


「…………?」


 俺は首を傾げた。彼女も首を傾げた。


「えっと、よろしくお願いしてよいのか?」


「はい、よろしくおねがいしますね?」


 …………。


 あれ、これってまさか。


 告白成功?


「やったー! 初めて彼女ができたー!」


「おめでとうございます。わたしもはじめてかれしができました」


 しかし喜んでいる場合ではない。ミッションは成功したが、早く左海さんから問題集を奪取しなければ提出に間に合わなくなる。


 俺は右山さんに背を向け、こちらに極寒の視線を突き刺してくる女(なんで機嫌が悪くなっているんだ?)を見た。


「左海、聞いていたよな。ミッション成功だ。早く問題集をクレクレクーレー」


「そんなあなたに追加ミッションです」


「はあああ!? 追加ってなんだよ!? あとから条件を増やすなんて卑怯だぞ!」


「追加ミッションをお伝えします。今、お付き合いしている女性と別れてください」


「無茶言うな!」


「だから無茶を言っているのはあなたの方なんですって。まあ、どうしてもミッションをやりたくないと言うのなら構わないですよ。右山さんと楽しくお付き合いしつつ年度末に留年じごくを味わえばよい」


「くっ!」


 初めて彼女ができたというのにすぐに別れろだなんて、酷すぎる!


 しかし進級は大事である。昼休みはうっかり焼きそばパンの入手を優先してしまったが、今は心を鬼にして理知的に行動しなければならない。


 俺は振り返って、右山さんを見た。彼女はにこにこしている。にこにこしている。にこにこしている。にこにこ、にこにこ、にこにこ──


 この子、可愛いけどなんか怖い。怖いけど可愛いから別れたくはないけど。


 でもごめんな──。


「右山」


「なんでしょう」


「悪いが、別れて欲しい」


「いやです」


「…………」


「…………」


「…………?」


「…………?」


 俺は首を傾げた。彼女も首を傾げた。


 あれ、こういうときってどうすればいいんだ?


 契約してから一週間以内なら契約無効化クーリングオフできるはずだが、どこに連絡すればいいんだっけ。


 俺は首を傾げたまま(ギギギと音が出そうな感じに)ぎこちなく振り返り、左海さんを見た。メガネガールの口元にはクールな笑み。その魅惑の口元から、残酷な現実が告げられる。


「アホ神アホ太郎さんの超絶アホムーブ、とっても楽しかったです。でも残念、そろそろタイムオーバーですね」


 この女、やはり俺のことが嫌いなのだろう。告白しろと言ったり、別れろと言ったり。でも俺はそんな左海さんのことが好きだ。俺は(馬鹿なせいか)頭の良い女の子に惹かれやすい。


 ノーチャンスでも左海に告白してみるべきだったか。まあ、ノーチャンスなのだから無意味だったのだろうけど。アホ神アホ太郎な俺でも、それだけは分かる。


 間もなく始業のチャイムが鳴った。結局、俺の宿題はさらなまま、最期の瞬間ときを迎える──




【おわり】

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