23 マルティーナの鬱憤

 「なんでっ……なんでわたしたちは婚約できないのっ!?」


 マルティーナの悲鳴みたいな声が部屋中に響いた。


「仕方ないだろう? 両親が反対しているんだから……」


「リグリーア伯爵令嬢とは婚約者じゃなくなったんだから、もういいじゃない!」


「……貴族の家門にはいろんなしがらみがあるんだよ」


「ひどいっ……! ダミアンのバカバカ!!」


 ぽろぽろと涙をこぼすマルティーナを、ダミアーノが抱き締めてあげた。

 彼女は小動物みたいにぷるぷると震えながらしゃくり上げる。その様子は愛らしくはあるのだが、今日の彼にとっては重荷で仕方がなかった。


「はぁ……」


 思わず、大きなため息が出る。彼は複雑な思いを抱いていた。ここ一月ほどの怒涛の展開によって、かなり精神力を削られていた。

 キアラに騙され、皇太子に貶められ、両親には叱られ、恋人には泣かれて……。


 両親からリグリーア伯爵令嬢との婚約解消を告げられたときは、頭を思い切り鈍器で殴られたような大きな衝撃で、目の前がチカチカと白黒に点滅して卒倒しそうになった。


 それは彼女と別れることがショックだったのではない。この公爵令息たる己が、たかだか伯爵令嬢如きに虚仮こけにされたからだ。しかも、皇太子という卑怯な武器を使って。


 だが、それはもう吹っ切れた。

 あの性悪女――キアラには必ず復讐を遂げるし、皇太子もこの機会に引きずり下ろせそうだからだ。その計画は地下で着々と進んでいる。


 問題は次の婚約者だった。


 皇太子から金も入って家門は潤ったので、次に選ぶ令嬢は持参金など気にせずに選べると思っていた。

 なのでマルティーナ・ミア子爵令嬢と婚約したいと父親に訴えたのだが、身分が違いすぎると一蹴されてしまった。

 それはただの令息である己には、どうしても覆せない理由だった。


 ならば計画を続行するしかなかった。

 キアラの代わりに来た令嬢に魅了魔法をかけ、操って、汚れ仕事を全部押し付けて、皇太子を廃太子に持って行く。

 皇太子の不貞スキャンダルも握っているので確実に事が進むとは思うが、それでもゴールまでは長い時間がかかるだろう。


 早くマルティーナと一緒になりたかった。

 もどかしい。じれったい。



 ダミアーノは愛しい恋人の涙を優しく拭う。


「必ずティーナと結婚するから。もう少し辛抱してくれ」


「もう少しって、いつよ!」


「なるべく早く君を迎えに行くから。それに、世界で一番ティーナのことを愛しているのは変わらないよ」


「むうぅ……」


 マルティーナはぷくりと可愛らしく頬を膨らませる。果実みたいな唇が強調されて吸い付きたくなった。


 どうやら機嫌は直ったみたいで、彼は安堵した。

 可愛い恋人は元婚約者と違って、素直で感受性豊かで表情がコロコロ変わって、なんて愛らしいのだろう。


「もうっ! 約束よ?」と、彼女は小指を立てて彼に突き出した。


「約束、約束」


 彼も小指を絡ませて指切りをする。

 そして二言三言、愛を囁いて、キスをして、二人は別れた。





 ダミアーノが部屋からいなくなると、マルティーナは途端に寂しさを覚える。広い部屋が孤独を促した。


 ここは密会用にダミアーノが用意した場所で、二人の秘密の愛の巣だった。

 彼女は別荘のように自由に使っていて、部屋は自分好みのインテリアで飾り付けられていた。


 それは将来、公爵夫人になった際の予行練習だった。

 結婚して公爵家に住み始めたら、お花がいっぱいでキラキラで華やかなお屋敷にするの。――彼女はよく恋人にそんな話をしていた。


 キアラ・リグリーア伯爵令嬢が婚約解消をして、次は自分がダミアーノの婚約者になるつもりだったのに。


(あの女のせいで、わたしたちの幸せがまた遠のいちゃったわ!)


 マルティーナは心の中でキアラを呪った。思えば最初から大嫌いだった。

 地味な女。ガリガリに痩せていて、令嬢にしてはひょろりと背が高くて。笑っちゃうくらいに惨めそうな女だった。


 なのに、ただ身分が高くて実家に資産があるだけで、公爵令息の婚約者になっちゃって。わたしよりブスのくせに。

 それは彼女の価値観において、許されることではなかった。


 わたしの恋人を盗った泥棒猫。あの女がいるせいで、二人は婚約できなかった。やっといなくなったと思ったら、また邪魔をして。

 きっと、あの女との婚約さえなければ、はじめから自分がダミアーノの婚約者だったに決まってる。

 あの女がいなければ、最初からわたしがダミアンの婚約者だったのに。


 だから、

 絶対に復讐してやるんだから……!



 マルティーナは誰もが認めるほどの美しい令嬢だ。彼女はその容姿のおかげで、令息たちからチヤホヤされてきた。

 でも、ただそれだけだった。


 令息たちは彼女を持て囃すものの、決して婚約者には置かなかった。なぜなら彼女の家門は子爵家だから。それに目立った財産もない。


 彼女が狙う高位貴族の令息たちは、婚約相手は己の身分に相応しい令嬢と次々に結んでいった。貧乏子爵家の令嬢なんて、所詮はただのお遊びなのだ。


 その現実を突き付けられた彼女は、屈辱と苛烈な怒りで、頭がどうにかなりそうだった。


 そんな中、ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息だけは違った。

 彼は本気で彼女を愛し、婚姻も約束してくれた。それは彼女にとって、小さな勝利だった。


 しかし、現実はむごい。ダミアーノは既に婚約者がいたのだ。


 彼女の積もり積もった鬱屈した気持ちは、だんだんと恋人の婚約者――キアラ・リグリーア伯爵令嬢へと向かっていったのだ。潰された粘土のように、とてもとても歪んだ形で。



(あんな女、不幸になっちゃえばいいのに!)


 キアラのことを考えれば考えるほど黒い感情で身体が侵食されていって、腸が煮えくり返りそうだった。

 公爵令息との婚約者の座だって子爵家の自分には手に入らないのに、あの女は伯爵家に生まれただけで易々と手に入れて、あまつさえ更に条件のいい皇太子オトコが現れると、すんなり乗り換えるなんて!


(絶対に許さないわ……!)


 ダミアーノは皇太子の件で忙しそうだった。彼は自分と結婚するために、今も頑張って動いてくれている。


(……伯爵令嬢のほうはわたしが動かなくっちゃ!)


 マルティーナはおもむろに立ち上がって、サイドボードに飾られてある本を一つ押した。

 ゴゴゴと静かに低音が響いて、小さな隠し扉が開く。


 そこには、ダミアーノが使っている魔女の魔道具が陳列してあった。

 彼女は、その中の一つをそっと手に取る。


(これを使って、伯爵令嬢に仕返しをしてあげるわ……!)


 殿方であるダミアーノが令嬢に手を出すのは、限界があると思った。

 やっぱり、女の敵は女なのだ。

 同じ女である自分が始末をしなければ。


「見てなさい! 今度のお茶会であの女に恥をかかせてやるんだから!」

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もう、あなたを愛したくありません〜ループを越えた物質主義の令嬢は形のない愛を求める〜 あまぞらりゅう @tenkuru99

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