バス停×受験当日×恋する女の子

日向満月

バス停×受験当日×恋する女の子

 あたしはバス停を目指して全速力で駆けていた。


(やばいやばい、このままじゃ間に合わない……!)


 大学行きのバスの到着まであと二分。


 家から一番近いバス停ではあったけれど、歩けば五分はかかる距離だった。胸の内で焦燥感が暴れ狂う。玄関を出てからずっと全力疾走しているせいで、真冬だというのに汗が止まらない。


 ただ学校や何かの予定に遅れそうなだけなら、ここまで焦ったりはしなかった。普段のあたしなら「まあ、いっかー」の一言で済ませられる。


 だけど、今日は特別。


 だって今日は──


(大学の一般選抜があるからね!)


 今日が大学の受験当日なのである。


 それなのに、まさか受験票を机に置き忘れるだなんて。おかげでバス停から家まで戻ってくる羽目になった。いや、あたしが悪いんだけど。


 ぐっと奥歯を噛み締めた。道の先を真っ直ぐと睨み付ける。


 あんなに頑張って勉強したんだ。こんなことで諦めたりするもんか。あたしは爪が食い込んで血が滲みそうなほど、拳を強く握り込んだ。


(それもこれも、すべては片想い中の好きピと、同じ大学に通うためッ!)


 なんのために志望する大学のレベルを一段上げたと思ってるんだ。そう──それは好きピと、ときめきの大学生活を送るためだ!


 細い路地を抜けて大通りに出るとバス停が見えた。スーツを着たサラリーマンや学生が数人並んでいる。


 あの様子だと、バスはまだ来てないみたい。よっしゃ、間に合ったー! と思った、そのとき。


「動くな!」


 突然背後から、誰かに羽交い締めにされた。


「こいつの命が惜しければ、これ以上近寄るな!」

「きゃーっ!」

「なんか知らんけど、事件だああっ!」


 通行人たちがあたしのほうを見て、一斉に騒ぎ出す。


(……なにこの状況)


 恐る恐る首だけで振り返ると、そこにはめざし帽を被った、明らかに怪しい人物の顔が間近にあった。


「ま、待て! 早まるな!」


 制服警官が声を張り上げながら、こちらに向かって走ってくる。


(ははん。これはおそらく、アレだね!)


 刑事ドラマとかで見る、何かの事件の犯人が警官に追われている最中に、その辺にいた通行人を捕まえて人質に取ったりする、例のアレだ。

 だって、そうじゃなきゃ、あたしが羽交い締めにされてる意味がわかんないし、通報したわけでもないのに、こんなに早く警察官が駆け付けてきた理由もわかんない。


 まあ、つまり、アレだ。あたしは、今……とってもピンチのようである。


(って冷静に分析してる場合じゃない! よりによって、こんな日に? あたし、受験生よ!? もうちょい気を遣ってよ!)


「は、放して! はなし……放せやおらぁあああああ!」

「う、うるせぇ! 暴れるなッ!」


 あ。いけない。あたしとしたことが、試験に遅れるかもという恐怖と焦りのあまり、つい声を荒げてしまった。渾身の力でもがくあたしに驚いたのか、めざし帽の目が狼狽える。


「お、お、おとなしくしないと、撃つぞ!」


 その言葉にあたしは動きを止めた。頭に突き付けられたそれは、間違えようもなく、拳銃だった。


「やめろ、相手は子供だぞ!」

「うるさい!」


 警察官の言葉にも、めざし帽は聞く耳を持たない。


「くっくっくっ。ちょうどいい。バスが来たな……」

「え!?」


 はっとする。車道の先から、一台のバスがこちらに直進してきた。


「あのバスに乗って遠くまで逃げてやるぜ!」

「そ、そんな……」

「安心しな。オレがバスに乗り込んだら、お前は解放してやる! ただしオレがバスに乗る、その直前までは付き合ってもらうがな!」


 それは、要するに……。


(あたしは、バスに乗れないってことじゃない!?)


「待って、あたしも乗せて!」

「だ、だから、暴れるなって言ってるだろ!?」


 銃口をこめかみにに押し付けられ、あたしはしぶしぶ押し黙る。


(うう……。このままじゃ、まずい)


 このままじゃ、あたしの受験が……っ。好きピとのハッピー大学ライフが。


 今までの受験に費やしてきた、ありとあらゆる瞬間──その記憶が走馬灯のように蘇る。


 暇さえあればテキストや問題集を開いて勉強した日々。


 休息も大事だと親や先生から言われても、結局不安に駆られて、食事中も、入浴中も、布団の中でさえも過去問が頭から離れなかった一年間。


 遊びまくっていた陽キャのクラスメイトに、心の中で、ものすんごく苛立って、けど実は必死に勉強していたことを知り、気合いを入れ直した二学期末。


 手間のかかる揚げ物料理をあまり作りたがらない母が、最近よく作ってくれるようになった温かいかつ丼の味。


 その全部を思い出し、その全部が記憶の底に消えていく。


(このままじゃまずい、わかってるのに、けど、どうすれば)


 ふと大好きな『彼』の横顔が頭に浮かんだ。自習室の隅っこで猛勉強している、その横顔が。


 同じ大学に行きたくて、今日まで頑張ってきたのに。


 こんなところで諦めるなんて。


(そんなの絶対に嫌……!)


 バスの白い車体がこちらに向かって走ってくる。運転手があたしを見て、ぎょっとした顔をした。

 徐行しようとしていたバスが急速にスピードを上げる。


 当たり前だ。めざし帽被ったやつが人に向かって拳銃を突き付けているこの状況で、バスを停めたりするわけがない。


 けれど、それでも。


(諦めてたまるかああああああぁぁあああッ!)


 そう吠える。


 そして──あたしは覚醒した。


 めざし帽のつま先を踵で踏み付けた。それから鳩尾に肘をお見舞いして、振り返りざまにめざし帽の剥き出しな眼球に向かって、「えいっ」と目潰しを喰らわせた。


 その間、僅か二秒。


「にぎゃー!」


 悲鳴を上げためざし帽の後ろに回り込んでヘッドロックを決めてから、あたしはバスの運転手に向かって声の限り叫んだ。


「止まれ、バス! 止まれええええッ! 止まらないと、こいつがどうなってもいいのかああッ!」

「た、助けてー!」


 通り過ぎようとしていたバスが、ゆっくりと停止する。


 小気味よいリズムの電子音と共に自動ドアが開いた。それを確認してから、用済みのめざし帽を解放して、あたしはバスの中に身を滑り込ませる。


(ふぅ、なんとか間に合ったー)


 一時はどうなることかと思ったけれど、これで受験には間に合いそうね!

 外を見遣ると半泣きのめざし帽が、警察官に取り押さえらているところだった。


 これに懲りたら真っ当な人生を歩んでほしいものだ。あたしみたいに。


(にしても、たった二分ちょっとの出来事なのに、とんでもない修羅場の連続だった。まず受験票でしょ。それから人質に取られて……って、たった二つじゃん。終わってみたら、そこまで修羅場の連続でもなかったなー)


 そんなことを考えながら、あたしは整理券を取り、ステップを上がる。そして空いている席を探そうとバスの車内を見回したところで。


「あ……」


 そこに、あたしが片想い中の好きピがいることに気が付いた。


「……あ。ど、ども……」


 大好きな『彼』は、ドン引きしたような顔をしながら、あたしと目が合うと会釈する。

 座席に座っているところを見るに、どうやら彼も、このバスを利用して試験会場に向かうらしい。


 おそらく『彼』は見てしまったのだ。バス停で、あたしが犯人のめざし帽をボコボコにしたところを。


「……ども……」


 あたしは軽く会釈を返して、『彼』から離れた席にそっと座った。


「………」


 その後、あたしと『彼』と他の乗客並びに運転手を乗せたバスは、それはそれは静かに、あたしたちをそれぞれの目的地へと運んでいった。


 大学前のバス停で『彼』が降りる。あたしもその後に続き、地面に脚を付けた。


 頭上を見上げると、冬の空はどこまでも高く澄み渡っていた。


(よーし、こっからが本番だ! 気合い入れて頑張るぞー!)


 あたしはとりあえず他のことを考えるのはやめた。今は受験に全力を注ぐことにしよう。


 決して現実逃避をしているわけじゃない。


 そして、あたしと好きピは無事大学に合格して、晴れて同じ学び舎に通うことが出来たのだった──






 ちなみにあたしは大学生活初日に『シンプルにヤベーやつ』というシンプルにヤベーあだ名を付けられた挙げ句、以降はその名前で呼ばれ続けることとなるが。


 いったい、なぜこんなあだ名を付けられたのか。そとそも誰が付けたのか。好きピがあたしのことをよくこの名前で呼びやがっていたのを見た気がしないでもないけれど……答えは迷宮入りである。

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