14:朝

 息が苦しい。どこかに閉じ込められている感覚。体は多分折り曲げられているし、どこか窮屈だ。わずかに動く手をなんとか動かしても何も分からない。

 よくわからない声はもう聞こえなかった。

 代わりに、カサカサという何か硬いものが擦り合わされるような音と、木か何かが軋むようなギィという音が俺の周囲を囲んでいる何かから聞こえてくるのがわかる。

 あちこち見回しても、どこもかしこも暗闇で何も見えない。とにかくどうにか助かりたいと手足をもう一度動かすと、手にざらりとした感触があった。見えないけれど、これは砂だとわかった。昔、家族旅行で行った古宿の砂壁を思い出す。アレよりもずいぶんとざらざらはしているけれど。

 砂の中へ閉じ込められているのなら、思いきり押せば崩れるのでは? そう思って指先へ力を込めようとする。

 でも、目を閉じる前のことを思い出して、俺はここにいた方がいいのかもしれないと思い直す。

 なにかとても嫌で怖い目に遭った気がする。だから、ここで眠っていよう。

 息苦しかったのは、きっと目覚めた時、恐怖で焦っていたからだろう。でも、今は怖くない。外から聞こえていてた不思議な音も、今聞いてみると心地よく、落ち着くものに変わっていた。

 出てはいけない。ここは安全な繭の中なのだから。

 目を閉じて暗闇に身を任せる。静寂。自分の姿すら見えないほどの暗闇にいると、自分の形すら忘れてしまいそうになる。

 カサカサギィギィザラザラ……草葉の擦れる音、甲虫の歩くときの関節の軋み、砂の粒が斜面を落ちていく音、ドスドスという軽い震動は行き交う人々の足音だろうか。

 ただ、眠っていたいという気持ちが強くなる。思考の速度が鈍り、それから聞こえてくる音の中に自分の姿が溶けていくような感覚。


「蟻地獄の姉ちゃんは、あんたには生きていて欲しいみてえだ」


 うさんくさい男の声を思い出して、急に意識がクリアになっていく。ああ、そうだ。昨日はベランダに結羽亜がいて、それから玄関からマダラの声がして……。

 どうしてこうなっている? 俺は確か昨日、清野ちゃんが持っていた缶の箱を見つけて抱きしめて……いや、それよりも、今は何時だ?

 自分を覆っている砂の殻をどうにかしようと、手指に力を込める。少し力を入れると、俺を覆っていた何かに穴が空く。白い光が差し込んでいて、外がもうすっかり明るいことに気が付いた。


―――コン。


 一度のノックの音。俺は目を開く。体は汗でびしょびしょになっていた。

 あたりを見回してみるけれど、俺を覆っていた砂の殻なんてどこにもない。あの状況で俺は寝たのかと自分に驚きながら時計を見ると、時計は朝の六時を示していた。


――コンコンコン。


 俺はベッドから這い出て、昨日マダラから貰ったメモを見直して、ノックの音と時刻が規定通りだとわかって安心する。


「おーい迎えにきてやったぜ」


 扉の外からマダラの声がする。


「大変だったんだからな、昨日」


 昨日あったことをどう伝えようとか、あいつはこうなることをどこまで知ってたんだとか聞きたいことは山ほどある。俺はマダラの声に応じながら施錠してあった鍵を開けた。


「家の中で聞いてやるってぇ。なあ、両手が荷物で塞がっちまってるんだ。開けてくれよ」


「仕方ねーな」


 仕方なく、ドアノブに手をかけてから、メモに書いてることを思い返す。


【扉をお前の手で開くな】


「昨日はさ、結羽亜ちゃんのこともあって大変だったろ? 昼から酒を飲んでもバチはあたらねえって」


 扉の外のマダラらしき声はそう捲し立てる。

 そして、昨日から感じている小さな違和感の正体に気が付いた。

 あいつは、マダラは、結羽亜のことを名前で呼んだりしない。セフレちゃんという無礼な呼び方をするはずだ。


「なあ、開けろって」


 ガンガンと強めに扉を蹴られる。ドアノブを握ったままの俺は、ゆっくりとドアノブから手を離して、後退りをする。


「嫌だ」


 そう言うと同時に――バンッ! と鋭い音が響いて、背後にあるベランダの窓ガラスが勢い良く揺れた。

 窓ガラスも玄関も大きな音で何度も叩かれ、開けろという声が部屋の中でこだまする。

 これだけ騒音が聞こえているのなら、ここは普通の住宅街だから異変を感じた住人が通報して、そのうち警察が来てくれるかもしれない。昨日の夜中からこれだけ派手に音を立てているのなら、きっと誰か気が付いてくれるはずだ。

 その場に蹲って両耳をふさいだ。鍵は開いている。開いてはいけない。招いてはいけない。

 それなりに重いはずの玄関扉が揺れるほど叩かれている。頭がおかしくなりそうだ。清野ちゃんが持ってきてくれた缶を抱きしめて落ち着きたいけれど、あの箱は目が覚めたときにはどこかに消えていた。

 もうどれくらい経ったんだろう。鳴り止まない騒音と開けという声に憑かれた俺は、ポケットに入れていたスマホへ目を向けた。


 時刻は、朝の六時を示していた。


「は?」


 慌てて部屋の時計を見ると、そちらの時刻は朝の七時を指している。

 頭の内側から体温が奪われるような感覚がして、指先も冷たくなっていく。嫌な汗が噴き出してくるのを感じながら、俺が視線をあげると音と声がピタリと止んだ。


コン。


 控えめなノックが聞こえる。


コン、コン、コン。


 三回のノック。今度は返事をしない。扉の外は気持ち悪いほど静まりかえっている。

 衣擦れの音が聞こえる。それくらい俺の神経が研ぎ澄まされているのかもしれない。

 ゆっくりとドアノブが回る音がした。心臓がバクバクしている。扉がゆっくりと動いて、外から涼しい風が吹き込んでくる。


「ひっでぇ顔」


 扉から見えたのは、へらへらした表情を浮かべたマダラの顔だった。

 部屋に溜まっていた淀んだ空気が霧散したような感じがして、俺はようやく息が吸えたような気がした。

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