10:知

「あれ? 宇田川くん、お友だちと来るなんて珍しいね」


 マダラを人目のつきにくい奥の席に押し込むように座らせると、お冷やを二つ運んできた店長が呑気に話しかけてきた。


「まあ、そんなところです。ホット二つで」


 少し込み入った話もするつもりだったのに、わざわざ俺のバイト先を選びやがって……と思うけれど、こいつは俺のバイト先を知らないはずだから悪気はそこまでないのだろう。


「ひっひっひ……、宇田川くん、ここは雰囲気の店だなぁ」


 店をグルリと見回したマダラが目を細めて笑う。それから小さな丸サングラスを外して襟元にそっとかけて腕組みをしてからこちらへ視線を向けた。

 店長が素顔を見せたマダラの顔を見て一瞬だけ動きを止めたけれど、すぐにコーヒーを二つ置いて逃げるように作業へ戻っていく。

 まあ、顔だけ見れば化物みたいにキレイだからそうなるのもわからなくもない。俺も初対面がああじゃなければ、似たような対応をしていた様に思う。


「んで、コウのスタジオに一緒に来てたお姉ちゃんが消えたって話かい?」


 バイト先だし、店長にはなるべく話を聞かれたくない。どう話を切り出すか迷っていると、マダラは俺の内心を見透かしたように清野ちゃんの話題を出してくれた。

 しかし、何も知らないにしては的を射すぎている。


「なんでそれを」


「ああ、やっぱりか」


 俺の話を遮るようにして、マダラはそういうと目を細め、口を開かないまま両端だけをつり上げるようにして微笑んだ。それからコーヒーカップを手に取って一口飲んでから「ギリギリ間に合うと思ったんだがなぁ」と漏らすように呟いた。


「何か知ってるんだな? だから俺に声をかけていたのかよ」


「まあまあ、落ち着けってぇ」


 カッとして思わず立ち上がりそうになった俺の肩にマダラは片手を伸ばす。全然力を入れていないように見えるのに、俺はどんなに力を入れても立ち上がれなくなり驚いていると、マダラに落ち着くように促された。声を荒げたせいかチラチラと周囲から視線が送られてくることに気が付いて、俺は咳払いをしながら水滴の浮いているグラスを手に取って水を飲む。


「何も、まだ知らない」


 少し落ち着いたタイミングで、マダラはいつものヘラヘラとした表情ではなくスッとまじめな表情になり静かにそう言った。

 こいつが真顔になると、周りの温度が少しだけ下がるような気がしてくる。背中に妙な汗をかきながら姿勢を正し、俺はマダラにどういうことなのか教えてくれと頼んだ。


「杭のところで見た時に、厄介そうだなと思って口を出した。それで察しの良い杭は気が付いて、悪いことが起きないように何かしたんだろう」


 マダラと初めて会ったときのことを思い出す。ファーストタトゥーを入れる時には一ヶ月くらい考える時間がある方がいいと俺にも言ってくれていた杭が、あの時は時間を空けずに予約を承諾したのはそういうことだったのか……。話してくれればよかったのになと思ったけれど、当時の俺はそんなこと言われても「杭の頭がおかしくなったのか?」くらいの失礼な態度をとったかもしれない。


「でも、杭の努力も虚しく、悪いことは起こっている。おそらく」


「悪いことって?」


「それはオレにもわからねぇよ。あんたの方がわかるんじゃねえか?」


 若干こちらへ身を乗り出してきたマダラの、鮮やかな金色をした双眸の中心に浮かぶ縦長の瞳孔がキュッと縮んで針の様に細くなる。


「なあ、街で何を見た?」


「ええっと……その……セフレの女」


 名字を出した時に、他の店員に知られるのもまずいと思って濁した言い方になったが響きは最悪になった気がする。 


「で、そのセフレちゃんってのは、あの姉ちゃんと関わり合いはあるか?」 


「同僚。オレも含めて」


 コーヒーカップを口に運ぶマダラが、短く「それで?」と言って話を促してくる。同僚という程度の情報では足りないってことか。水をもう一口だけ飲んで俺は話を続けた。


「んで、セフレの方がイジメをしてた……と思う。俺が見たのは一度きりだったけどあいつは同性に対しては行動がカスだから、多分、慢性的にやってた」


 言葉を選びながら結羽亜ゆうあがしたことと、しているらしいことを言うと背もたれに体を預けるようにして座っていたマダラは、眉尻を下げてニタリと微笑みを浮かべ「それだ」と言った。


「宇田川くんはさ、そのセフレちゃんの家って知ってるかい?」


「ま、まあ。二駅先のマンションで一人暮らししてたはず」


「んじゃあ、とりあえずそこに行ってみよう」


 カップをぐいっと大きく傾けて、マダラはカップに半分ほど残っていたコーヒーを全て飲み干した。勢い良く空のカップがソーサーの上に置かれたと同時に、伸びてきた手に腕を掴まれる。


「は? 俺が知りたいのは別の……」


 それにまだコーヒーも飲んでいない。

 俺の言い分を聞かないマダラに腕を引かれるがまま立ち上がり、レジの方へ向かう。へらへらした笑顔で「ごちそうさまでした~」なんて人当たりの良さそうな挨拶をしたマダラは、マネークリップでまとめられた一万円札を置いてレジに向かう店長を待たずにさっさと店を出た。お釣りはいらないとか言われても、レジの計算が合わなくて大変なんだぞ! と心の中で思いながら、マダラに引きずられていく。


「呪いにせよ憑きものにせよ、には贄が必要なんだ」


 駅についてからやっと立ち止まったマダラは、相変わらずヘラヘラとした表情のままそういった。


「まずはセフレちゃんがどうなってるか確認して、そのあとはあんたの家に行く」


「俺の家、ここから歩いて五分くらいだから先に行くんじゃダメなのか?」


「あんたの家に何かあった場合、いくら強い便利屋のお兄さんでもこのままだと対処が出来ねえんだ」


 何かあった場合ってなんだよ……と眉にシワを寄せた俺を見てマダラは愉快そうに肩を揺すって笑う。

 ちょうど電車がホームへ入って来るタイミングで、笑ったマダラが何かを言ったように唇が動いたのが見えたけれど、声はよく聞こえなかった。それに、あんな笑いながら言うことではない気がするので一瞬動きを止める。

 なんて言ったんだよと聞く間もないまま、マダラは電車へと乗り込んでいったので俺も慌ててあいつの後を追った。

 気のせいじゃなければ、あいつは多分「まあ、死んでるだろうな」と言った。誰が……と聞く勇気はなくて、俺はただマダラの揺れる三つ編みを見て、電車が目的地に着くまで気を紛らわすことにした。

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