9:失

 清野ちゃんが消えた。

 バイトも辞めて、LINEを送っても既読にならない。

 連絡が取れなくなってもう一週間くらいになる。アレな親ということだから、何か酷いことをされていないかどうか心配になる。前も清野ちゃんは急に数日バイトを休むってことはあったし……。

 それとは別に、清野ちゃんがいなくなった翌日から妙な夢を見るようになった。

 大きな長いアゴと、それとは対照的に小さな頭を持つ平べったい体をした小さな昆虫が俺の体を食い破る夢。

 それはどう考えても悪夢のはずなのに、夢の中の俺は恍惚としていて多福感で満たされている不思議な感覚で目を覚ます。

 起きてから体を確認するけれど、特に体に異変はない。清野ちゃんがいなくなる前にしたアリジゴクの話に影響されているのかと最初は思っていたけれど、一週間も続けて見るのは何か変な感じがする。


「店長ー、清野ちゃんと連絡取れないんすか?」


 気怠い飲食店のアイドルタイム中、最近どうも忙しそうな店長に探りを入れてみると、目を丸く見開いて意外そうに「え」と言って作業の手を一瞬止めた。


「清野さんからは辞めるって先週くらいに電話が来たけど、宇田川くん知らなかったの?」


 俺が頷くのを見て、店長は伝票を数える作業を再開させた。


「それよりもさー、無断欠勤は佐倉さんだよ。宇田川くん仲良かったでしょ? 何か知らない?」


「は?」


 清野ちゃんがバイトをやめたのはまだわかる。でも、俺に何も言ってくれなかったことには少し残念って気持ちがあるけれど。

 でも、結羽亜ゆうあが来ていないっていうのは意外だった。だらしないところはあるけどバイト先をトぶってのは、あまりしないように思えたから。


「最近、連絡きてないからわからないっすね」


「宇田川くんでも知らないかー。まあ、何かわかったらおしえてよ」


 店長は数え終わった伝票の端をホチキスでバチンと止めてから、レジのお金をまとめはじめた。

 俺は俺で生返事をして、考え事をしていると店内が徐々に混み始めてきた。仕事に戻っている間に遅番のバイトが来たり、早番のバイトがあがったりとバタバタしたまま俺の退勤時間が訪れた。

 最近、この時間にシフトを入れられることが多かったのは清野ちゃんがやめたからか……。この時間なら清野ちゃんと会えるから、会った時に黙って出ていくのは寂しいじゃんって言いたかったのに、辞めたならもう言えねえじゃん。

 スマホを開いてLINEを開く。それから、清野ちゃんとのメッセージを交わしているページを開いた。

 交わしているというか、最近は一方的に送りつけているだけなんだけれど。


『バイト先やめちゃったの? 教えて欲しかった! だって清野ちゃんと会えなくなるの寂しいじゃん! 連絡待ってる』


 それだけ入力して送信ボタンを押したところで、俺は視線を感じて顔を上げる。

 時間は夕暮れ時。日も延びてきたとはいえ初夏のこの時期は十八時にもなると周りが薄暗くなる。

 人混みも多い中、目線が吸い寄せられるように視線の元へと向かっていく。俺が見たのは、遠くの雑居ビルの合間にある見知った顔だった。

 明確な視線を感じるのに、顔が見えないように俯いている。外にいるってのに灰色の地味なスウェットを着ているのも珍しい。裸足だし。

 でも、見間違えるはずはない。ふんわりとした内巻きのミルクティーベージュの髪も、小さな背も体格も……結羽亜に違いない。


「どうしたんだよそんな格好で」


 ホストにでもハマって大変な目に遭ったか? というのが頭に浮かんだ。最近、ホストだかメンズバーだかで人が惨殺されるニュースもあったし。

 バイトを無断欠勤してる話も聞いていたし、放っておくワケにはいかない。

 気が付いていることを示すために手を高く上げながら、ビルのほうへ歩いて行くと結羽亜はぐるりと背中を向けた。

 普段なら名前を呼びながら抱きついてくるのに? ビルとビルの細い路地に入っていった結羽亜の後を追おうとして、いきなり背後から腕を掴まれた。


「お兄さん、そっちは危ないよ」


 聞き覚えのある声だった。


「ちょっと友達を追いかけてて」


 ここら辺は毎日歩いているし、この雑居ビルも変な噂を聞いたことは無い。心配性な知り合いが声をかけてきたのか? 事情を説明するために立ち止まって振り返ると、俺より少しだけ背の高い男がそこにいた。

 へらへらと笑っているそいつは、コウのタトゥースタジオで会ったマダラという男だった。


「そこには、だぁれもいねえよ」


「は? いい加減なことを」


 悔しいことに、この美しい男は小さな丸サングラスをずらす仕草まで様になる。

 細いけれどしっかりと節くれ立って色気のある人差し指が、流れるような所作で結羽亜の消えていったビルの合間へ向けられた。


「な?」


 マダラの指先へ視線を向けた俺の耳元でマダラの得意げな声が聞こえてくる。

 理由を聞こうとする俺の肩にマダラの手が乗せられた。

 ゆっくりと俺の左肩をなぞってから、人差し指と親指で何か薄い膜を剥がすような仕草をしたが、マダラの指先には何もない。

 

「君、零感れいかんってやつかぁ。幽霊の霊じゃなくてゼロの方」


 ひらひらと指先で摘まんだ何かを揺らす仕草をしているけれど、俺の目には何も映らない。なんだか馬鹿にされているような気がしてムッとした表情を浮かべると、マダラは相変わらずヘラヘラした表情を崩さないまま、手に持っている何かを持ち上げて飲み込む仕草をする。

 細い首に似つかわしくない大きな喉仏が上下して、何か飲み込んだようにも見えるし、パントマイムのような真似をして俺を騙しているようにも見える。


「ひっひっひ……疑り深いのはいいことだ」


 表情を隠すつもりもなかったから、当たり前だけれどマダラは俺の訝しむような表情を見て不快になるどころか愉快そうに肩を揺らして笑う。


「恋のまじないから失せもの探し、悪霊祓い……便利屋のお兄さんが力になれそうなことに心当たりがあるだろう?」


 耳元に顔を寄せて、マダラは囁くようにそう言った。

 本当にこんなうさんくらいやつに頼って大丈夫か? と脳裏に不安がよぎる。


「ツボとか変な絵とかローンで買わせたりしないよな?」


「うちは金儲けが目的じゃねぇから心配すんなって。なんなら、金を払う前にちゃぁんとした契約書だって書いていい。恋愛成就のお守りは五百円!」


 馴れ馴れしく肩を組んでくるマダラは、カラカラと笑いながらそう言ってきた。まあ、馬鹿らしいけれど何もしないよりはましかもしれない。


「お守りはいらねえけど、まあ、ちょっと話したいことはあるかもしれない」


 俺はダメ元でマダラに清野ちゃんのことを話してみることにした。


「いいよぉ。じゃあ、場所を移動しよっか。あそこの喫茶店でいいかい?」


 マダラが指差したのは、よりにもよってさっき出てきたばかりの俺のバイト先だった。

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