本の虫と飴と鞭

 ある昼下がりのこと、庭のテラスのテーブルに置かれたいかにも小難しそうなタイトルの本が積み上がっていた。

 それが何故だか無性に気になってクシェルはその本を手に取った。確かに本は高価なもので貴重だが、ここまで求めるのは何故だろう。

 分厚く重厚な装丁の古びた本をパラパラと巡っていく。見たところ魔法植物に関する研究の専門書のようだが。

「何してるの?」

「わっ!」

 相変わらず音もなく現れるオレアンダーにクシェルは身体をビクリと震わせた。

「悪い、勝手に触ったりして」

 クシェルは慌てて本を閉じると、オレアンダーへと差し出した。

 正直彼に茶化されるかとも思ったが、意外な言葉をかけられた。

「本が気になるの?読みたいの?」

 クシェルが驚きながらもこくりと頷くとオレアンダーは口を開いた。

「書庫は自由に入れるようにしておくから、本は好きな時に好きなだけ読んでいいよ」

 書庫はオレアンダーの家の中の地下にある。一度本の整理を頼まれ入ったことがあった。

まるで広々とした公共の図書館の様で、オレアンダーの空間魔法で広げられていると聞いた。

 読書欲が強い今そんな所で本が読めるとは、思わぬ申し出にクシェルは声を上げた。

「へ?いいのか?ありがとう」

「本を破らないでよね」

茶化す様にいうオレアンダーに笑って返す。

「子供じゃあるまいし」

早速本を読みに行こうとクシェルは駆け出すと、遠ざかっていく彼も小さく笑った気がした。


クシェルはその日から任された仕事が終われば、一日中書庫に閉じこもっていた。

 夢中で読書し、気づけば日が落ちて暗くなっているほどであった。

 ぽっと火が灯り周囲が突然明るくなる。

顔を上げると、オレアンダーが音もなく側に立っていた。

「目が悪くなるよ」

「わ、こんなに暗くなってたのか」

 例にもよって気づけば辺りはとっぷりと日が暮れているようだった。

 彼はしばらく何か考える様な素振りを見せたかと思うと、徐に口を開いた。

「ねえ、すごく欲しいものとか俺に無性に強請りたいものはない?」

「へ?なんだそれ?」

 急に突拍子もないことを聞かれてクシェルは首を傾げた。

「君、あれだけお金お金って言ってたのに。ここにきてから全然言わないじゃないか」

 前にもそんなことをオレアンダーは聞いてきたが。金の亡者とでも思われているのだろうか。

「え、だって学費のための送金は済んだから。しばらくは時間があるし、ここでは食べ物にも困らない」

 ここの暮らしは仕事はあるものの食事も出るしクシェルは困ることは何もなかった。

「剣とか装備とかは?」

ファフニールとの戦いで折れてしまった剣も彼に魔法で直して貰った。新品にして貰ったばかりだし特に装備に困ってもない。

「あるものがまだ使える。なんだ?くれるのか?」

「…あげるわけないでしょ」

 顔を顰めてオレアンダーが吐き捨てた。その反応にクシェルは訳がわからず怪訝な顔をした。

「なんなんだよ、さっきから。あ、そういえばこの本の続きないのか?できれば読みたいんだけど。あとこの魔法量子力学ってなんだ?」

 しばらくポカンとしたのも束の間、急にくすくすと笑いだすオレアンダーにクシェルは面食らう。何かおかしな事を言ってしまったのだろうか。

「君って面白いよね」

何が面白いのか。訳がわからずに固まっているクシェルにオレアンダーは説明をしてきた。

「求愛給餌の本能をどうやって満たそうかなって考えてたのだけど」

「きゅーあい、きゅーじ?」

 聞き慣れない言葉にクシェルは首を傾げた。

「オメガは番を得ると潜在的に求めているものを欲しがるらしいんだけど、それをオメガに貢ぐとアルファも心が満たされるの」

「…潜在的?」

「うん。大体モノやお金を欲しがる子が多いんだけど。あとは、そう、身体とか」

オレアンダーは妖しげに笑う。

「なんだよ、それ、なんか怖いな」

 もしクシェルが潜在的に金銭や高価なものを欲しがればそれを彼に集り、はたまた性的な欲求なら…クシェルは恐ろしくなり考えるのをやめた。

「でもクシェルが一番欲しがったのは知識だったみたいだね」

 言われてみてクシェルは初めて気がついた。ここ数日、本の虫の様に過ごしていたがそれは潜在的に知識を求め、そのため本を貪るように読んでいたということになる。

「意外というか、面白いと言うか」

 クシェル自身でも意外だと思う。しかしそれを面白そうに言われると少し癪に触る。クシェルは頬を膨らませた。

「ふん、悪かったなあ」

「俺はそれがなんだか嬉しかったな」

「な、なんだよ、それ」

 どういうことかとクシェルはふと視線を上げる。琥珀の瞳が優しげな光を灯していた。クシェルはそれを不思議に思いキョトンとしてしまう。この男から嬉しいなんて言葉が出るとは思ってもみず驚いてしまう。

「あれだけお金、お金っていってたからガメツイんだろうなって思ってたの。でもそんな事なかった。本当に弟のためだったんだね」

 思い返してみればクシェルが物事を知りたがれば知りたがるほどにオレアンダーは徐々に態度を軟化させていった様に感じた。

金ばかり集られたら嫌だと思っていたのだろう。

「どうせここにいても暇でしょう。なら一緒に勉強しよう」

 突然の彼の提案にクシェルは目を瞬かせた。

「え?」

「字もしっかり覚えて弟に手紙でも書いてやりなよ。泣いて喜ぶんじゃない?」

「…ありえる」

 思いつきのようにオレアンダーが言うものの、弟のノアなら実際にそんなリアクションをとりそうだ。

「なぁ、前から思ってたけどなんで俺の弟のことが手に取るようにわかるんだ?」

オレアンダーはまるでノアを知っているかの様な言葉をたまに口にする。クシェルは常々不思議に思っていたのだった。

オレアンダーは不自然に目を逸らした様に感じた。

「…まぁ、魔術師ですから」

少し引き攣った様な笑みを浮かべながら彼は準備のためにその場を離れて行く。キョトンとしたままのクシェルはその場に取り残された。

 

翌朝オレアンダーに促されるままに二人で場所を庭の開けた所へ赴いた。季節は秋らしくなり随分と過ごしやすくなった。

「うーん。風が気持ちいいな」

 心地よさにクシェルは背伸びする。

 そんなクシェルを横目にオレアンダーが指を鳴らす。するも庭の地面から木のようなものが生え始めた。それは物凄い勢いで成長しうねり、伸び始め丸机と椅子になる。

「う、わっすごっ」

 クシェルは目を輝かせ感嘆の声を上げた。

 さらに丸机から細い茎が伸び始める。それが高く伸びきると大きな赤い蕾をつけたかと思えばたちまち花開いた。巨大な花のパラソルの完成だ。

「さ、座って」

 促されるままにクシェルが座ると、後ろから何かが近づいてくる気配を感じた。

『オレアンダーさま〜』

『よいしょ、よいしょ』

 振り向き、甲高い声が聞こえて来たかと思ったら、キノコの精達が列を成して歩いて来た。彼らは大判の本を力を合わせて担いでいた。

 オレアンダーはキノコ達から本を受け取るとページをめくり始めた。

「うんありがとう。ご苦労様、みんなもう自由時間にしていいよ」

『わーい』

『クシェル〜お勉強頑張ってね〜』

「あ、ああ。ん?お勉強?」

 手を振りながら散り散りに駆けていくキノコ達に声をかけられ、頭の中に疑問符が浮かびながらも、クシェルは彼らに手を振り返した。


「これが言葉の辞典、こっちは魔法辞典、で、これは薬草図鑑、歴史書…」

 オレアンダーは分厚い本を次々と箱から取り出しどんどんと積み重ねていった。

「書庫にあったものを使おうと思ったんだけど、古いのだったからね。新しいものを取り寄せたよ」

 先ほどからぽんぽんと本を出すことを不思議に思って訊ねると、どうやらオレアンダーは書店と契約を結んでおり望んだ本は欲しいままにすぐに手に入る様になっているらしい。

 魔術師の常識は恐ろしい。クシェルは目を白黒させた。

「元々あるのを使えば良かったじゃないか」

「日々常識は変わるんだよ。勉強で使うなら最新のものでなくちゃ」

 言い募るオレアンダーの勢いに押されそうになるが、クシェルも負けじと押し返す。

「こんな分厚い本、俺は使いこなせないし、読んだら知恵熱が出そうだ!」

 積み上がった鈍器の様に重厚な本を目前にクシェルは尻込みしてしまう。普段本を読まないため難易度が高そうだ。

「…それもそうか」

 パチリと指を鳴らした途端どう見ても新品の教科書らしき本が机に忽然と現れた。

 見えた題名から初等部の生徒向けらしいことが見てとれる。

「また買ったのか!?」

クシェルはオレアンダーの思わぬ浪費に素っ頓狂な声をあげる。

「え?何か問題ある?」

 対して不思議そうに声を上げるオレアンダー。

「こんなに買って勿体ないだろう!」

 クシェルは彼の浪費が理解できなくて訴えるも、オレアンダーはその訴えが理解できないようだ。

「本なんていくら買っても困らないでしょ?だって本だよ?必要でしょう?空間ならいくらでも広げられるし」

 どうやらオレアンダーとクシェルの間には決定的な価値観の差があるらしい。

 なんでもかんでも買われるとクシェルは心苦しくてたまらない。そこで話し合いの結果、使いたい本があればひとまず魔法図書館で借りて、本当に必要なものだけ買うということで折り合いがついた。

「一般常識全般に、歴史、魔法学基礎。こんなとこか。興味のある分野がはっきりすれば適宜増やそう」

 ぶつぶつと独り言を呟くオレアンダー。ご丁寧なことに教育課程カリキュラムまでしっかり立ててくれているようで、クシェルは恐縮してしまう。

「なあ、俺なんかに教えて意味あるのか?」

「はぁ?!」

珍しく素っ頓狂な声を上げるオレアンダーにクシェルは肩をびくりと震わせた。

「クシェルが学びたい、知りたいって思いがあるんでしょ?それが立派な理由だよ。逆に勉強をしちゃいけない訳があるなら教えて欲しいんだけど?ある?そんな理由?」

 今度ばかりは凄みのあるオレアンダーの勢いに負けてしまった。クシェルは静かに首を振った。

「求愛給餌の本能も満たされるし、クシェルの知識欲も満たされるし、一石二鳥だと思って。まあ細かいことは気にしないで、勉強を楽しんでよ」

 途端に屈託なく無邪気に笑うオレアンダーを見クシェルは目を丸くした。

 ただでさえオレアンダーは美形なのだ。嫌味のない彼の笑顔が眩しくて、何故か顔が熱くなる様な気がした。

「どうしたの、クシェル?」

 オレアンダーは不思議そうに首をかしげるも、クシェルはたまらず俯いてしばらく顔を上げられなかった。


 貢物というのは高価な宝飾や服を贈るものだとクシェルは思い込んでいたがこう言う形もあるのかと認識を変えさせられた。

 相手に教材を選び与えて手ずから教育を施すなんて、ものを買うよりよっぽど時間も手間もかかる。

 本能のせいとはいえ、クシェルにとってオレアンダーの貢物はどんな高価な宝飾よりよっぽど価値がある様に思えた。


 これだけカリキュラムをしっかり組んだのだ。厳しく教えられると思っていたが、クシェルの予想とは大きく違った。

 オレアンダーの教え方は簡潔明瞭だ。とにかくわかりやすい。

 語彙力の少ないクシェルにも噛み砕いて解説してくれる。もちろん用意した辞典を忘れずに開く。クシェルに学習習慣をつけようと促す言葉も忘れない。

 そしてなにより何度も同じことを聞いても根気よく答えてくれるし、わからない所を聞けば笑わず、懇切丁寧に教えてくれるし、理解すれば軽くだが褒めてくれる。

 しかしわからない所を曖昧にしたままだと、蔓で出来た鞭が飛んでくる。

まさに飴と鞭だった。

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