魔術師としがらみ

 日課となったオレアンダーとの勉強中、クシェルは彼にある提案をした。

「なぁ、庭に薔薇を生やしちゃダメか?」

午前の秋晴れの爽やかな風が吹き、テラスでの勉強は中々捗っていた。

 クシェルは次の季節に植える花を検討していた。四季咲きの薔薇を咲かせるには秋ならまだ間に合いそうだ。

 しかしいつもは一つ返事で了解するオレアンダーがその時は珍しく顔を曇らせた。

「ごめん。薔薇はちょっと…苦手なんだ」

 意外だったが、クシェルはどこか心の中で納得した。これだけ様々な花でひしめく庭に何か欠けていると思ったがオレアンダーの庭には薔薇がないのだ。正直幼かったクシェルが育った家の庭には必ず薔薇が咲いていたのでどこか物足りなく感じていたが、好みは人それぞれなので口には出さなかった。

「いや、驚いた。苦手な花なんてあるんだな」

 オレアンダーの表情は硬いままだ。何か事情があるのだろうか。クシェルがたずねようか迷っているとオレアンダーが重々しく口を開いた。

「ある一族を思い出すからね」

「一族?」

「ギレス領の火災の原因はある一族の人間の魔法暴発が原因であった」

「…っ」

「犯人も燃えてしまい、骨も残らなかったから詳細は不明なんだけど」

 なんでも質の悪い魔法の火だったためギレス領は汚染されその後、人の住めない死地と化してしまったとのことだ。

 そんな経験があればクシェルの魔法暴発も看過できなかった彼の気持ちがやっと理解できた気がした。クシェルは、なぜ彼が魔法暴発を起こした自分へこれだけ真剣に向き合おうとするのかやっとわかった気がした。自分の魔法暴発への認識の甘さは彼の気持ちや思いを踏み躙るものだったかもしれない。

「謝って済むことじゃないのは、わかる。俺は無責任で自分の都合ばかりだった…悪かった」

 オレアンダーの冷たい琥珀の瞳を思い出し、またその瞳に晒されるだろうと思っているとクシェルの心が冷える。

「いや、俺はどちらかというとクシェルは運が悪かったように思う」

「え?」

「だって周りに魔法を教えてくれる人もいないし、弟を育てるのに必死だったんでしょう。オメガじゃ働き口も中々ないだろうし」

 オメガ差別は良い抑制剤のない田舎ほど露骨だった。現にクシェルが通報されたのも結局は良い抑制剤が手に入らなかったのが理由でもある。

 クシェルが騎士団の入団試験を受けたのは十五の頃だった。実技試験を突破し浮かれていた矢先、第二性がオメガと判明し問答無用で失格となり悔し涙を飲んだ過去もある。故に貧しく、幼いノアを抱えるも明日食べるものがないこともザラにあった。

「ごめん、別に君を責めるつもりじゃなかったんだよ。お喋りがすぎたね」

 彼は真摯な態度で謝りを入れてくれるが、クシェルは大きく首を振った。

「オレアンダーはギルドや街や俺のためにもキツく言ってくれたんだよな。ありがとな」

 オレアンダーの心情を計ると辛さは拭いきれない。しかし、それでも少なかならない思いやりを感じクシェルは心が温かくなるのを感じた。

 思い返してみれば、オレアンダーもクシェルの反抗的で無責任な態度から気分を害したことだろう。それならこんな片田舎のことも無知なオメガのことも放って帰ったって不思議ではない。

 この街やクシェルがどうなろうと彼は痛くも痒くもないはずだったろうに。

 それなのに毒舌ながら懇々と魔法暴発の危険性をクシェルに説いてくれたのだ。もしかしたら彼は思った以上に優しい男なのかもしれない。そう思うだけで、クシェルは胸が温かくなる様な感覚を覚えた。

 一方オレアンダーは首を傾げると不可解なものでも見るかのようにクシェルの顔を覗き込んでくる。

「…君、なんでそんなに今日は殊勝なの?調子が狂うじゃないか」

クシェル自身もどうしてか不思議に思う。

オレアンダーの言葉を借りるとすれば番が悲しそうにしていると胸が痛むせいなのかもしれない。

 気づけばお互い切なそうな顔をして、しんみりとしてしまう。空気を変えようと、クシェルは話を戻した。

「それにしても、そいつもどこから来たんだろうな」

「烈火の魔術だからたぶんローゼライン家の人間だと思う」

「烈火?ローゼライン?」

ある一族とはその家のことなのだろうか。

「薔薇を愛する一族でね。家紋にも薔薇が入ってるくらい」

「へぇ、魔術師の世界も色々あるんだな」

少し魔法が使えるくらいのクシェルにとってはまるで別世界の話だ。

「魔術師のこともあまり知らないんだね」

嫌味でもなんでなくオレアンダーは素直な驚きを見せた。

「…ああ、勉強不足だ。歳のとり甲斐がないな」

クシェルは改めて思う。無知は罪だと。オレアンダーに指摘されて痛感することが多かった。

「まだ二十代でなにいってんだか。勉強する暇がなかっただけでしょ?知らないことは学べばいい。遅すぎることなんてないんだから」

「…オレアンダー」

「まったくクシェルがしおらしいとやりづらいったらないよ」

言葉を区切るとオレアンダーは話は終わりとばかりに指を鳴らした。

途端にテーブルの上に模型のようなものが飛び出す。このエディンの国の詳細な立体地図のようだ。

「すごいっ。これも魔法か?」

クシェルはその緻密さと完成度の高さに興奮して声を上げた。

「うん、いつも使ってる地図とはまるで違うでしょ?」

「ああ、地図なんて闇市売ってる適当に模写したものしか手に取ったことがない」

「嘘…」

 目を見開き絶句するオレアンダーを見て、クシェルは羞恥で顔を赤くした。模写した地図なんて普通は使わないらしい。

「…本題に戻そう」

「…ああ」

「まず四大魔法一族の説明から。東の水属性クライネルト、南の風属性ケッセルリンク、西の火属性ローゼライン、北の地属性我がギレス。

それぞれの地方をこの魔術一族が納めてきたんだ」

オレアンダーが地図の西側を指差した。

「彼女らは西の悪しき魔女って言われててね。高い魔力を保持する一族だ。かつて四大魔族を力で統一しようとしていた。手段を選ばず非情なんで他の一族から毛嫌いされている」

 ローゼラインの一族は女系で強い魔力を発揮する。しかし男女で魔力格差が大きくあり、女性だけで血を繋ぐことに拘った。

 そしていつの間にか他の一族にもその技術が伝わり今に至るとされている。

「第二の性は元々はこの魔女の一族により作られた魔法による遺伝子操作の名残だと言われている」

「え?そうなのか?」

 地図の西側を示しながらオレアンダーは神妙な顔で頷く。

 謎に包まれた一族らしく噂によれ男子が生まれれば掟で供物にするとのことだ。

「…供物?まさか悪魔へのか?」

「うん。悪魔と契約しているなんて噂だけど真実はさだかじゃないんだ。ローゼラインの魔女達は強い魔力を持つから余計そう思われている」

 悪魔契約は国を超え、太古の昔に禁止され召喚する手立てもないと言われている。もはや神話や御伽噺の類の話だったが。

ローゼラインの一族の中に男性を見た者はとにかくいないらしい。もっとも女性しか生まれない性質だけかもしれないが。

 この一族は特にオメガの魔法暴発が顕著で、アルファの魔法補正の管理下にすぐに置くため生まれつき番相手を決められているそうだ。いわゆる許嫁みたいなものだろう。

「クシェルがもし女の子ならそこの出身で魔法の暴発も合点がいくんだけどね。ローゼラインのオメガ達は強いヒートでそれに耐えうる高い魔力を持つアルファとのみ番えると言われていた」

 オレアンダーが言葉を濁す。彼の言わんとすることがクシェルにもわかった。男なら供物にされるかしてこの世にいないはずだからだ。

 なので男のクシェルはローゼラインとはきっと無関係なのだろう。

 ふとクシェルは地図の北の方に見慣れた字を見つける。思わず指でなぞった。

「…ギレスって書いてある」

クシェル呟きにオレアンダーは真顔で頷いた。

「…うん。ここがギレス領だ」

 しかし地図上のギレス領は黒く塗りつぶされてしまっている。

「人は基本的に入れないからね」

「基本的には?」

 クシェルが不思議そうに聞き返す。するとオレアンダーは何か決意したように静かに目を開いた。

「せっかくだしクシェルには見てもらおうか」

 オレアンダーに促され二人で庭をしばらく歩くと一部に靄がかかっている部分に気づいた。そこを彼は指差して説明し始める。

「ここが境目なんだ」

「境目?なんの?」

 オレアンダーがその境界を長杖でつくと瞬く間に向こう側に延々と続く焼け野原が広がった。

「え?どういうことだ?」

「ここはギレス領だよ」

 クシェルは驚きで目を見開いた。ここしばらく自分が過ごした場所がギレス領だったとは夢にも思わなかったからだ。

「…なんでここだけ綺麗なんだ?」

クシェル達の生活圏だけまるで切り取られたように植物が育ち、美しく広い庭が保たれている。

 一体どういうことだろうか。何か特殊な魔法でもかかっているのかもしれない。

オレアンダーは静かな声で告げてきた。

「この土地の中央に俺の一族がが埋まっているんだ」

一方その重すぎた事実にクシェルは声を失ってしまった。

 生命力、再生力の強いギレスの一族はその身体にも強い再生魔法がかかっているらしい。

そのため彼らが埋まっている土地の周囲のみ庭の形を保てていた。

そして焼け野原の広がる周囲はオレアンダーの魔法で見えないようにしていたそうだ。

「いつか全てを綺麗な土地に戻せればと思っているんだ」

 オレアンダーがやるせなさと寂しさが混じったような笑みを浮かべているように見えた。少しずつ浄化するも、ギレスの末裔は彼一人だけしかいない。

 オレアンダーほどの力を持ってしても骨が折れる作業らしく中々浄化は進まないらしい。

 彼はどんな気持ちでこの土地で暮らしつづけていたのだろう。想像するだけでクシェルは胸がいっぱいになるようだった。

「なあ、俺も浄化を手伝えないか?」

 気づいた時には口から言葉が出ていた。

「…え?」 

 目を丸くしたオレアンダーと視線が絡み合う。

 仮の番でしかない自分が差し出がまし過ぎたかもしれない。今更気づくも、時すでに遅し。

じっと見つめてくる彼はどう思っているのだろう。クシェルは戦々恐々するも、予想に反して彼は柔らかい笑みを見せてきた。

「うん。じゃあ花葉術がもう少し安定して使いこなせるようになったらクシェルにもお願いしようかな」

 思いも寄らないその返答はクシェルの心をじんわりと満たすように温めた。

彼の役に立てることも嬉しいが、何よりも彼の領域に少し踏み込めた気がしたからだ。


 そこから二人でテラスへ戻るも、勉強もそこそこに気付けば話し込んでいた。

「俺は家族がいなくなったことになにか運命のようなものがある様な気がしてた。家族の死に意味を求めた。そうでなければ挫けそうで。そんなことしたって現実逃避でしかないのにね」

 その言葉にオレアンダーが自身がアルファであることに強く使命感を持つのも、もしかしたら自身の出生、家族の死に意味を求めた結果なのかもしれないとクシェルは思わされた。

 そう考えると彼の高潔な考えはひどく脆いこの男の内面を垣間見るようでひどく耐え難い気持ちになる。

「俺はオレアンダーに会えてよかった。もちろん色々恩はある。でもなによりこんなに学ぶことが楽しいと知れたんだ」

 こんな言葉は彼にとってなんの慰めにもならないかも知れない。そう思いながらも、クシェルの言葉は止まらない。

「クシェル…」

「いや、もっと努力して勉強するべきだった。正直後悔してる」

思わずしゅんとしてしまった。

「もう、なにいってるの?生きるのに必死で、でも弟もしっかり育ててそれだけでも十分すごいと思うけれども」

「違うんだ。その、オレアンダーは論文を書いてるんだろう?」

「そうだけど、それが?」

オレアンダーは意外そうな表情で見つめてくる。

「その論文を俺もいつか読みたい」

「いつでも。なんなら過去のものなら今すぐ見せられるけど?」

 どこか嬉しそうなオレアンダーは指を振ると魔法を発動させようとする。論文を出そうとしているのだろう。

「そうじゃないんだ!ちゃんと意味を理解して、お前が努力して作った研究や論文の価値を分かった上で読みたいんだ」

 しかし読んだところで今のクシェルにとって高等な内容のそれはおそらく見知らぬ解読不能の呪文の様なものだ。それでは意味がない。

 後悔しているのは少しでも勉強していればもっと早く彼の論文を理解して読めたかも知れないからだ。

 何より彼のことをもっと知ればその寂しさを埋めてやれるような気がした。浅はかな考えなのかもしれないが、クシェルは自分にできる一歩を踏み出したかった。

 気持ちが上手く伝わらないのが歯がゆくて、クシェルは声を上げてしまった。

「もっとお前のことちゃんと知りたいって思うのはダメなことなのか?」

しかしオレアンダーが驚いた表情をして固まっていることに気づくと我に帰った。

「…っ」

 琥珀色の目を丸くしてあんぐりと口を開けている。こんな表情のオレアンダーを見るのは初めてだ。呆れられてしまったんだろうか。クシェルは恐る恐る声をかけた。

「なぁ、どうしたんだ?」

 声をかけるとオレアンダーは珍しく取り乱した様子でクシェルへ捲し立てた。

「…そんな真っ直ぐな目でそんなこと言って、君は俺をどうしたいの?」

「は?どういうことだ?何で顔を赤くしてるんだ?」

 クシェルは訳がわからず問いただすも彼は答えてくれなかった。

「勉強熱心も構わないけど、大概にしてよね」

 捨て台詞の様に吐き捨てるとオレアンダーは肩で風を切る様に足早に家の中へと入って行ってしまった。その背中をクシェルは呆然と見つめる。心なしか耳まで赤くしている様に見える彼に首を傾げた。

「一体、なんなんだ?」

クシェルは遠ざかっていく彼をジッと見つめ続けた。

「…魔性?天然なの?末恐ろしいよ本当に」

ぶつぶつとそんな事を呟いていた様に聞こえた。

ましょう、てんねん。

 魔術用語だろうか?クシェルにとっては聞きなれない言葉だ。今度彼に質問しなくては。

 クシェルは覚書にその二つの単語を書き込んだ。

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