決意と渓谷の都市

 ギルドで一晩休むとクシェルは少し元気になった気がした。ライナの言った通りだ。

そのまま依頼をとって仕事に出ようとも思ったが丸腰だ。その上家を飛び出して黙ったままなのもさすがにどうかと思うので、顔を出しにオレアンダーの隠れ家へと向かうことにした。

「ん?なんだ?」

大樹の扉にオレアンダーから渡された鍵を差し込むも一向に回らない。この大樹の扉の向こうに彼の隠れ家があるのに。

『クシェル〜どうしたの?』

慣れ親しんだ門番の仕事に従事するきのこ達が声をかけてくる。

「な、なぁ鍵が合わないんだけど」

『ん〜あれ〜?魔法の契約が切れてるみたいだよ』

「へ?なんだって?」

 クシェルが慌てるときのこ達も顔を出し、ざわざわと騒ぎ出した。

『なんで契約が切れてるの?これじゃクシェルが入れないよ〜』

「契約が?じゃあオレアンダーを呼んできてくれないか?」

『それが、オレアンダー様が今どこにいるのかわからなくて』

 嫌な予感にクシェルの胸が騒ぐ。

『う〜ん。おうちの中にいるのはノアだけだよ』

 その一言でクシェルの心は一気に冷えた。ノアが家の中にいるということは一晩を部屋で明かしたのだろうか。

今までならどこにいたってオレアンダーがすぐ見つけてくれた。昨晩も少し期待している自分がいたのだがオレアンダーが訪れることはなかった。やはり彼にとってノアは特別と言うことなのだろうか。

 ふとクシェルは会ったばかりの頃のオレアンダーの発言を思い出す。もう一度騒ぎを起こしたら契約を切ると言われていたが、まさか。本当に締め出されてしまったのだろうか。

『クシェル〜顔が真っ青だよ』

『泣かないで〜』

 泣かないでと言いながらすでにきのこ達の方が泣きそうな声を出している。クシェルはそんな姿にハッとさせられた。

「お前ら泣くなって大丈夫だよ。とりあえず俺、仕事があるから行ってくるよ」

 クシェルは心を乱したままだったが、空間を越え頭を突き出してくる彼ら一匹ずつ撫でてやる。

「大丈夫、大丈夫」

 その言葉も自分に言い聞かせているようで。どこかぼんやりとした気持ちできのこ達の頭を撫で続けていた。

『クシェル〜帰ってきたら遊んで〜』

『抱っこして〜』

「ああ、時間があったらな。じゃ、いってくる」

 騒ぐきのこ達をなんとかなだめすかし、少し落ち着いて来たのを見計らってその場を後にした。

 また彼らと触れ合える、そんな時間がこればいいのだが。上手く笑顔が作れていただろうか。取り留めない思考が頭を占める。

 この鬱蒼とした森の入り口はクシェルにとっては昔はただの通り道だったのに。いつの間にか特別な場所となっていた。

 いずれうなじの傷が癒えれば、こんな苦悩に苛まれることも無くなるはず。

ほんの少しの希望を頼りにクシェルは自分を律し、行くべき道を模索しながら辿った。


 オレアンダーさんには会えましたか?」

「…ライナ」

「その顔は、何かありましたね」

 正直弱りきっていたクシェルはライナにことの詳細をポツリ、ポツリと話していた。

 本来なら唯一の家族のノアに相談するところだろうが彼も当事者なのだ。今の状況では難しい。

「…私もギルドで働いているので知っています。一方的な魔法の契約解除は、魔術師社会の中では絶縁と同じ意味合いを持つんですよね」

「…絶縁」

 ライナの言葉で石で殴られた様な衝撃を受ける。

 確かに以前オレアンダーから借りた本にもその様なことが書いてあった気がする。

「魔法暴発は罪深いです。でもそんな仕打ち、許せないです」

 強く握りしめていた手をそっと握られ顔を上げると、大きな瞳を潤ませたライナが真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「大丈夫、何も心配ありません。私に任せてください。クシェルさん、良ければ提案があるんですけど」

「提案?」

 意を決したような表情のライナは握った手に力を込め、神妙な態度で口を開いた。



 クシェルがライン領の下町に越して来て一ヶ月が経とうとしていた。

元々暮らしていた街に比べて都会であり、何より美しい女性が多い。というか男性を見かけたことがなかった。

 ライン領は渓谷の都市で高度な魔法技術で栄えてきたそうだ。オレアンダーの授業の地理学ではまだ学ぶことはなかったが、こんな繁栄した都市があるとは。まだまだ知らないことがあるものだとクシェルは感心した。

 街には華やかな商店が立ち並び最初は気後れしてしまうクシェルだったが、ライナの後ろ盾があり支障はなかった。


「クシェル君、クシェル君」

誰かに揺さぶられて意識が浮上する。

「…んっ」

「クシェル君、こんな所で寝てたら風邪引くわよ」

 パチリと目を開き覚醒したクシェルは息を呑んだ。

「す、すみません!オーナー」

 とてつもない眠気が襲ってきたと思えば花屋の店先でそのまま眠り込んでいたらしい。

 晩秋の小春日和は心地よいものと言えどそんな言い訳は通用しないだろう。自分がしでかしたことが信じられず。クシェルはあたふたしてしまった。

「お昼寝してくる?そう言えばここの所忙しかったわよね」

 しかし人柄のいい上品な女性オーナーは叱責しない所か嫌味ではなく本当に心配そうに昼寝を勧めてくる。

「いや、とんでもないです!顔を洗ってきます」

恐縮したクシェルは被りを振ると、店内の手洗い場へと駆けて行く。

 

 花葉術は高度なものでなければまだ使えるようなので、クシェルは花屋に住み込ませて貰えることになった。

 術を用いれば花の寿命も伸ばせるので適材適所だったそうだ。最もそれもこれもライナによる計らいがあってのことだった。


 バシャバシャと冷たい水で顔を洗いようやくはっきりと目が覚めてきた。

「え?なんだこれ?」

しかしクシェルは自分の身体のある異変に気づいた。

 鏡の中の己の赤い瞳を覗けば、薔薇のような模様が見えるのだ。

 いつの間にこんな風になっていたのだろう。

鏡など最低限にしか見ないので全く気づかなかった。

今まで誰からも指摘はないし、もしかしたら目の錯覚なのだろうか。今のところ特に視力にも問題はないし、痛みもなく困ったことは特にないのが救いだ。

 そういえばオレアンダーが花葉術を使い始めた子供の頃、身体から花を生やしてしまった話をしてくれたことをクシェルは思い出した。

 数日すれば元通りになったと言っていたはずだが。

「…とりあえず様子を見るか」

 今はとにかく仕事に戻ることが先決だろう。

居眠りしてしまった埋め合わせをしなくてはとクシェルは階段を駆け降りていった。


 覚醒した後、埋め合わせとばかりにシャカリキに働くクシェルだった。

男の気概を見せようと重い腐葉土の袋を抱えようとするも何故かオーナーに慌てた様子で止められてしまった。非力に見え、頼りないのだろうか。

クシェルは少し自信を失ってしまった。

 しかし店で接客や作業する分にはオーナーもニコニコとしているので、店内での業務に務めることにした。

「クシェル、今日はおすすめのお花はないの?」

 夕刻の閉店間際に茶目っ気たっぷりの少女が赤髪の三つ編みを揺らしながら店先のブリキバケツの中の花々を覗き込んでいる。

「珍しい一重の薔薇が入ったよ、綺麗なお姉さんによく似合いそうだけど」

 クシェルは小首を傾げ微笑みながら淡い桃色の一重の薔薇を差し出した。

「ふふっ、クシェルったら。あ、いいものあげる」

「ん?」

「はい、りんご。クシェルお腹すいてそうだから」

「バレたか」

「ふふふっ」

 来たばかりの頃に比べれば花屋の仕事も板について来たし、常連とも打ち解けつつあった。

「クシェルさん!」

「ライナ、お疲れ様」

 呼ばれて振り向けば、スーツにコートを羽織ったライナが現れた。時折こうして彼女は仕事終わりに顔を出してくれる。

 冬も近くなってきたので辺りは暗くなり始めていた。

 ちょうど閉店時間だったので、少し待って貰ってクシェルの自室で話をすることにした。

オーナーに許可を貰い、住み込みしている自室へと彼女を通して温かいお茶を差し出した。

「クシェルさん、ライン領は気に入って貰えましたか?」

「ああ、もちろん」

 にこやかなライナにクシェルは深く頷いた。

治安が良く美しい街、優しい住人、頼りになるライナ。なに不自由ない暮らしだ。

 不思議なことにここの住民には親近感を感じる。皆猫っぽい顔に赤い髪、赤い瞳。人々はクシェルの容姿とどこか似ている様だった。

「クシェルさんの髪、赤くなってきましたね」

「そうなんだよな。ここら辺はフィリグラと水が違うのかな?」

 元々クシェルは赤錆の様な髪色だったがここにきてからは徐々に髪の色が赤く燃える火のようになってきた気がした。洗髪して色が変わったのだろうか。しかしそこまで気に留めていなかった。

「ふふ、とても綺麗です。クシェルさん」

ライナは満足気に誉めてくれる。すっと伸びてきた彼女の美しい指先が丁寧に髪を撫で付けてくる。

 いつもクシェルの髪を梳いてくれていた手つきと違う。それがどうしようもなく切ない。

違和感に耐えられずさりげなく身を引いた。

クシェルは笑みを作ると不自然にならないように彼女に話しかけた。

「みんな親切な人ばかりで助かってるよ」

実際にそうだった。ライナの伝手のおかげだろうか。

 オメガと知られた自分がここまで歓迎され、差別さえ受けない地域があることは夢にも思わなかった。

「ええ、家族というか一員が増える喜ばしいことですから。当たり前です」

「みんな人がいいし仲もいいんだな」

 差別もない満たされた生活だ。けれどもクシェルの心の中にはぽっかりと穴が空いたままのようだった。

「魔法の暴発も疲れが癒えればきっと良くなります。ここは高度な魔法技術で治療もできますし、いずれ治療を始めましょう」

 クシェルとしてはこのライン領で魔法暴発を起こさない様に治療して、また二人に会いに行くつもりだった。ノアとはまだ家族でいたかったし、オレアンダーにはどうにか絶縁は解いて欲しかったからだ。

 ノアには手紙を送ったので、事情は伝わっているはずだ。簡潔に魔発暴発の治療のために移り住んだことと、ここの住所しか書いていなかったが。続けて近況など当たり障りない内容のものも何通か送ったが、依然ノアからの手紙が届くことはなかった。

 もしかしたらそれが返事なのかもしれない。魔法の暴発で傷つけそうになったのだ。無理もないかもしれない。そう考えるだけでクシェルの胸に暗い気持ちが押し寄せる。

「それにしても、ここまで良くして貰っていいのだろうか」

「大丈夫ですよ。全ての申請は受理されましたから。この地域では花葉術を使える人は貴重なんです」

 詳しくはわからないが、花屋の常連に聞くことにはライナはこの街のギルドの責任者らしい。フィラグラのギルドへは視察目的で訪れていたらしいが詳しくはわからなかった。

『偉い人なのよ、若く見えるけど』

みんなこぞって口する。ここでは影響力のある人物のようだ。それにしても謎に包まれている部分が多い。

やはりここまですんなりいくのもライナの暗躍があってこそなのだろう。

「こんなにして貰っても俺は何も返せないよ」

「いいんですよクシェルさん。あなたが笑ってくれてたら」

 いつもライナはそう言ってくれるが、正直心苦しい。

「でも、何か出来ることはないのか?」

せめて少しでも彼女の役に立ちたい。クシェルは食い下がった。

「そうですねぇ、確かにクシェルさんにしか頼めないことが一つあります」

「何だ?何でも言ってくれ!」

クシェルは目を輝かせた。

「私の子供を産んで欲しいんです」

「…へ?子供?を生む?俺が?」

 クシェルは自分の耳がおかしくなったのかと思い聞き直してしまう。

「ええ、そうです」

 しかし彼女の返答を聞くに間違いないようだ。まるで軽い頼み事でもするようにライナは微笑みながら宣った。

クシェルは予想外の彼女の願いに唖然とし目をパチクリとさせる。

 そもそも二人は子供を作る作らないと悩む間柄ではないと思うが。伴侶でもましてや恋人でもないのだ。クシェルはとてつもない違和感を覚える。確かにオメガのクシェルは男でありながら子供を身籠ることは可能だ。ただしアルファ性の相手限定だ。

 ライナの第二性は人伝だがベータと聞いていたはずだ。一部ギルド内の噂ではその整った容姿からオメガではとも噂されていたらしいが、さだかではなかった。

「ライナ、俺はもしかしたら産めるかもしれないけれど。ライナは…その、子供を授けられないんじゃ」

そして彼女の第一性はもちろん女性なので、どちらかというと産みの性のはずだ。

 クシェルの言葉ににっこりと破顔するもライナは何も答えてくれなかった。

「今日は急すぎましたね。でも私、本気です」彼女の緑の瞳は強い光を放つ。

 射抜くように見つめられたかと思うとクシェルはライナから突然抱擁された。

 予想しない行為にクシェルは身体を固まらせた。

 この抱擁は彼女は恋愛的な意味で自分に好意を示しているということなのだろうか。

彼女の献身は自分への好意ゆえなのか。

 クシェルは頭の中が真っ白になってしまった。

番の本能によりオレアンダーに貢がれ、触れられる日々に慣れてしまったせいで他人の心の機敏に疎くなってしまっていたのかもしれない。

 クシェルは心のどこかで大変なことをしてしまったことに気づいたような気がした。彼女の気持ちには応えられないのに、親切心ばかり受け取るのはあってはならないことだ。

 なぜここまで気づかなかったのだろう。クシェルは自分の鈍さを呪った。

 スラリとしたライナは女性にしては長身で、ほとんどクシェルと背丈が変わらない。シミ一つない彼女の美貌が目前に迫った。紅くリップを引かれた弧を描く唇は扇状的な艶を纏っている。

 芳しい花を彷彿とさせる香りでクシェルの胸は一杯になる。しかしそれは心地よい匂いのはずなのに、少しも心安らがない。

 クシェルの身体はどこまでも自分の番を探しているからだろう。そして強い違和感も拭えないままだった。

 戸惑ったままクシェルが言葉を発せずにいるとライナはすっと身体を離した。

「また来ます」

「ライナ!」

 ハッとしたクシェルが慌てて追いかけるも扉を閉められてしまった。慌てて閉じた戸を開けるもどこにも彼女の姿は見えない。

 まるでオレアンダーが姿を消す時と同じ様だ。

もしかしたらライナは魔女なのかもしれない。魔術師の事柄にやたらと明るかったのも頷ける。

 そして人一倍優秀で何事にも手際よく、統率する力を持つ彼女の第二の性はもしかしたら…。

あらゆる疑念がクシェルの中で膨らみ続けた。

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