求愛給餌

「クシェル、ちょっとふっくらした?」

「……えっ?」

 予想だにしない指摘にクシェルは一瞬固まってしまった。

 公開講義から早数日。クシェルはノアの言葉に関して思い悩む日々を送っていた。

そして間の悪いことにオレアンダーは忙しいらしく中々会えない日々が続き、モヤモヤした気持ちで過ごしてきた。しかしやっと会えたオレアンダーからの思いがけない言葉に悩みも一瞬にしてふっ飛んでしまった。

 太ったなどと言われたのはもしかしたら人生で初めてかもしれない。

「俺、そんなに指摘されるくらい太ったか!?」

 クシェルはあまりの衝撃に前のめりになりながらオレアンダーに詰め寄った。

「いや、元々痩せ気味だったのが普通になっただけだと思うんだけど」

 腹回りを執拗に摘み険しい顔のクシェルに笑いを堪えながらもオレアンダーは宥めるように弁解してくる。

 クシェルを取り巻く環境はここ数ヶ月で激変した。以前と比べれば雲泥の差だ。

 これまでは節約に節約を重ね食糧はほぼ自給自足。一日中獲物を狙い森を駆け抜けるものの一食もありつけない日も少なくはなかった。

 それが今や三食おまけに間食つきの生活。

栄養に富んだ朝昼夜の食事、そこへ更に山盛りの間食が加わることもしばしばあった。

 オレアンダーが嬉々とした表情でやれ庭で採れた果物だの街で買って来た高級菓子だのをこれでもかと与えてくるのだ。まるで親鳥が雛にする様にせっせと食べ物を運んでくるので太るのも当然だろう。

「もとはといえばオレアンダーが食べ物をたくさん食べさせるからだろう」

 逆恨みを込めて頬を膨らませるもオレアンダーはニコニコ笑ってどこ吹く風。

「触り心地も良くなって俺好みになったけどね」

「こら、どこを触ってるんだ」

 ローブの間から、イタズラをせんとばかりの邪な動きの手がすかさず入りこんでくる。クシェルは思わず目の前の不届き者を小突いた。

「痛いなぁ」

 言葉とは裏腹にオレアンダーは嬉しそうにクシェルが小突いてきた手を掴むとその甲に唇で触れてきた。

 触れられるのだって最初の頃は煩わしか感じることもあったが、むしろ最近では心地良く感じ貪欲に求めてしまうほどだ。

「ほら今日は美味しそうなイチジクがなっていたよ」

 どこからかツヤツヤとしたよく熟れた籠盛りのイチジクを取り出すと差し出してくる。

 いつもながらオレアンダーの魔法は鮮やかだ。

 端麗な容姿に夢の様に美しい魔法を扱うそんな彼を惚れ惚れとした様な気持ちで見つめる自分に気づきクシェルは思わず首を振った。

「今日は食べない、また太るし」

「気にすることないのに。…じゃあまた今度ね」

 いつも飄々として余裕のある態度のオレアンダーだが、少しだけ残念そうな男の顔が妙に引っかかる。やはり敵わない。何となくしゅんとしたオレアンダーのその顔に耐えられなかった。

「…少しだけ貰う」

 観念したかの様な気分でクシェルは結局籠盛りごと手を伸ばした。途端にぱあっとオレアンダーの表情が明るくなった気がした。

 クシェルの頭の中に求愛給餌という言葉が過った。オレアンダーがよく口にするすっかり耳慣れた言葉だ。

 これはアルファの番への本能の一つの求愛行動と言われている。そのせいで番いの元へせっせと食べ物などの貢物をしたくてたまらなくなるらしい。彼の行動はまさにそれだ。

 しかし彼がせっせと食べ物を持ってくるということはオメガのクシェルは潜在的に食欲が強くなっているということになる。番が潜在的に欲しがっているものを喜んで貢いでくるはずだからだ。しかしそんなことは一言も口にしていなかったが。

「クシェル、ずっと最近お腹が減ってそうだからついついね」

 どうやら顔に出ていたらしい。クシェルはわかりやすい自分の表情を恨んだ。

 確かにここのところ食事が美味しくて仕方ない。食欲の秋とは言うが、それにしては度が過ぎているような気がする。

 オレアンダーはまた番いの本能に縛られ振り回されているのだろうか。それにしては最初の頃とは違い随分機嫌が良さそうだ。

「今日はお昼寝しないの?」

 小首を傾げたオレアンダーの言葉でクシェルははたと気づいた。ここのところ午後は庭の日向で昼寝が日課になっていたことを。

 最近は午前のオレアンダーとの勉強が終われば午後は陽の温かさが心地よく、気付けば昼寝してしまうことが多かった。

 近頃なぜか寝ても寝ても寝足りない。秋も深まり寒くなりつつあるからだろうか。

 クシェルは思わず自分の堕落ぶりに深くため息をついた。気合いが足りないせいかもしれない。餌付けされ、構ってもらい、庭で昼寝。

 思い返してみればまるで飼い犬の様な自分の生活にクシェルはある種の恐怖を感じた。

 なにが一番怖いといえばそんな生活を悪くもないと思っている自分がいることだった。

ただし相手がオレアンダーならという限定的なことも危機感を煽る要因だ。

「…今日は素振りでもする」

「ほどほどにね」

「どこか行くのか?」

 オレアンダーのローブや装備がいつもと違うことに気づき思わず訊ねてしまう。

「ちょっと仕事で遠方へ。夜中までには帰るから」

「そうか、気をつけて」

「なるべく早く帰ってくるよ」

「ごめん。俺、もしかしたら夜出発の仕事を受けるかもしれない」

先日ギルドへ寄った時、ライナから打診されたのだ。

 番の本能が落ち着いてきたようで、話し合いの結果、オレアンダーが用意した装備を身につければ狩に出てもいいと結論に至ったのだった。

そのことにホッとしながらもクシェルはこの生活も着々と終わりへと向かっていることを感じ、一抹の寂しさを覚えるのだった。

「そっか、入れ違いになるかもね」

 伸びてきた手に頬を撫でられているとオレアンダーの端正な顔が近づきそのまま深く唇を重ねられた。腰を抱き込まれ舌を絡ませられてクシェルの背筋にぞくぞく快感が這い上がってくる。のぼせ上がった様に身体は熱を持ち、思わず彼に縋りついてしまいそうでクシェルは慌ててオレアンダーの胸を押し返した。

「んっ、こらっ」

「続きはまた、…今度ね」

 耳元で熱っぽく囁かれクシェルは思わず身震いした。名残惜しそうに身を離したオレアンダーは長杖を地面にカツンと突く。するとたちまち周囲の花が吹雪のように舞い、彼の姿を掻き消してしまった。

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