公開講義

「…寝過ぎた」

ここのところクシェルは異常な眠気に襲われていた。

 季節の変わり目のせいか、例にもよって夜更けを過ぎてもオレアンダーと事に及んでいるせいか。心当たりが多過ぎて原因を探る気さえなくしてしまう。

 寝室はカーテンで締め切られているが、隙間から入ってくる光はとても明るく感じた。昼近くまで寝てしまったのだろうか、クシェルは日の光を浴びようといつもの様にカーテンを開けるも、予想だにしない光景に声を上げた。

「うえ!?」

 なんと寝室のカーテンを開けるとすっかり外の景色が変わっていたのだ。

 いつもなら長閑で美しい庭が広がるばかりだったのに、今日は高いビルや大型店舗が立ち並ぶ華やかな都会の街並みが望める。クシェルは唖然としその場に立ち尽くしてしまう。

「うん、いい天気だね」

 クシェルの叫び声に気づいたのか隣には

オレアンダーがいつのまにか現れる。すっかり変わってしまった光景も特に気にならないのか、機嫌良さそうに晴天を見つめるばかりだった。


 本来はテラスになっている箇所もバルコニーに変わってしまっていた。

どうやらここは都市部の集合住宅の一室らしい。

 混乱したままのクシェルを気にも留めず、あろうことかオレアンダーはバルコニーで遅い朝食をとろうと言い出す始末だ。

「なぁ、なんでこんなことになってるんだ」

 つい昨晩まで窓の向こうは植物ときのこや精霊しかいない庭が広がるばかりだったのに。

 今日は打って変わって都会の喧騒の中だ。

「元々ここは空間が繋がっているし俺はこっちで過ごす時間の方が長かったんだよ」

「へ?」

 話によると二人が過ごしていた部屋の中は本来はこの都会の中のものだったが、空間魔法でオレアンダーの隠れ家へと内部だけ移動していたらしい。

「クシェルと暮らし始める前はたまにあの隠れ家へ通っていたんだよ」

「そう、だったのか」

 突然のことに驚いてしまったが、彼のことを知りたいと言ったことを受け止めてくれた故の行動なのだろう。じんわりとクシェルの胸を占めるのは喜びとほんの少しの戸惑いだった。

「今日は見せたいものがあるんだ。少し休憩して準備が出来たら行こう」

「見せたいもの?」

「行けばわかるから」

 オレアンダーに腕を引っ張られると、クローゼットの前に立たされる。指をならすと現れた大きな白い箱を手渡された。

「ん?なんだ?」

「ちょっと寒くなってきたし、それを着ていこうね」

 箱を開けると、中には仕立ての良い白のローブと装束が入っていた。

「あ、ああ。ありがとうっ、てこれものすごく高そうじゃないか?」

 しかもよく見ると呪文の様なものが模様のように縫い込まれている。手に取るとほわりとクシェルの手は包まれたように温かくなった。魔力も込められているようだ。見た目、機能性ともにここまで手が混んでいるとかなり高価なものになるはずだが。

 こんな明らかな高級品を貰ってもいいのだろうか。もしかしたら番の本能からの貢物なのだろうか。自身は高価な服など欲しがったはずはなかったが。クシェルは顔を青ざめさせた。

「やっぱり、貰えないよ」

「まあ細かいことは気にしないで」

 クシェルの申し出を軽くいなすとオレアンダーはテキパキと着付けていく。

 こういう面倒くさそうな作業こそ、魔法でやってしまえばいいのに。一緒に食べる食事の用意に関しても、彼は手作業でやりたがることがあった。不思議な気持ちで見つめていると、オレアンダーは可笑しそうに笑った。

「番を着飾らせたり自分の手で手入れするのもアルファ冥利に尽きるんだよ」

 どうやら思っていたことが顔に出ていたらしい。クシェルはそれが気恥ずかしくて目を逸らした。

 しかしオレアンダーはそれが面白いのか。くすくすと笑いながらこめかみにキスを落としてくる。

 その刺激が心地よくてクシェルは目を閉じて身を任せた。

「じゃあ行こうか」

 しかしあっさりと身体を離した彼の声にクシェルはハッとする。いつもの二人なら触れ合いが更に濃厚になりつつある流れだったからだ。

 すっかり毒されてしまったことにクシェルは人知れず羞恥を感じていた。そんなクシェルの心情を知ってか知らずかオレアンダーはにこやかなままだ。

 彼に手を引かれ、外へと促される。扉を開ければ爽やかな風が二人を包んだ。


 外は昼間のせいか、晩秋を迎えているとは思えないほどの陽気であった。

 クシェルは近代的な建物や大型施設や行き交う人々の多さと喧騒に圧倒されるばかりだ。

「迷子にならないでよね」

からかうようにオレアンダーは笑うも、クシェルの手を包む力はどこまでも優しい。

 喧騒を抜けると周囲は少しずつ閑静な雰囲気を醸し始めたのでクシェルはホッと息をついた。

 紅葉が美しく立派な街路樹を抜けると、石造りの豪奢な門が目に入る。

 まるで城や要塞を彷彿と様なゴシック様式の建物に圧倒されてしまった。重厚な門に芸術品の様に精巧に印された文字にクシェルは目を奪われる。

「…エゼル大学?」

 何回も伝え聞いたが、来ることはないと思っていた場所だった。 

「ほら、急いで時間ないよ」

オレアンダーに背中を押されて、共に学内へと足を踏み入れた

「なあ、ここって」

 弟のノアが通う大学と同じ名前の学校のようだが、一体どういうことだろう。また何か変な魔術でもかけられているのだろうか。

しかし建物も整えられた中庭もどう見ても本物だ。クシェルは思考がついていかず目を白黒させた。

「じゃあまた後でね。講堂の中で待ってて」

信じられないことにオレアンダーは背を向けてどこかへ行こうとする。

「おいっどこいくんだよ!」

 こんな所で一人にされても困る。焦ったクシェルはオレアンダーの腕を思わず掴んだ。

「すぐに会えるよ」

 にっこりと笑ったかと思うが早いか、ふわりと花びらが舞うとオレアンダーは姿を消してしまった。

「おいっ!どこへ」

 ふと足元を見ると地面に僅かな煙が上がっていることに気づく。よく見ると木のかけらが粉々になっていた。

「…これって」

 それはクシェルにとっても見たことのある魔術だった。おそらく木傀儡の術だ。オレアンダーが操っていたのだろうがまるで気が付かずに今更ながら驚かされる。

 ということは本体はどこにいるのだろうか。彼が一体何を考えているのかわからずクシェルは首を捻った。

「なんなんだよ、あいつ」

 悪態をつきながらもクシェルは言われた通りに扉を開き講堂へ入る。

 半円を描いた形の部屋の中には沢山の人がすでに集まりクシェルはざわついた雰囲気の中を進んだ。参加者達は老若男女と言えるがやはり若者が少し多かった。

 国内でも屈指の高度教育機関なこともあって純血アルファらしき人間の数の多さに改めて自分の住む生活圏との違いを感じさせられた。

 クシェルが空いている席を探すと何人かと目が合った。同い年くらいなので学生なのだろうか。

 それにしても先ほどから視線を感じる気がした。

 場違いで浮いてしまっているのかもしれない。心配になったクシェルは自分の服装を見直す。多分おかしい所はどこもないはずだが。

 襟を正し、ふと気づけば渡された懐中時計が午後二時を指していた。

 このままでは講座が始まってしまう。オレアンダーは一体何をしているのだろう。

 少し焦ったクシェルが身を乗り出し後ろを窺おうした瞬間、室内の空気が変わる。

 皆一様に静かになり教壇へと注目するのを感じた。

「では、公開講義を始めます。本日は魔法学の成り立ちについてお話しします」

 よく通るその声に幻聴かと自身の耳を疑い唖然としながら振り向く。

 教壇に立っている人物を目の当たりにし、クシェルは度肝を抜かれ固まってしまった。

 そこにはスーツを纏ったオレアンダーが凛々しい表情で講義を始める姿があったからだ。

いつもの魔術師然とした格好とは打って変わってパリッとしたスーツを着こなしている。

 日夜クシェルの目の前で毒を吐いたり、からかったりばかりだった男の全く知らない顔がそこにあった。

『これまでの我が国の魔法は口伝されるものばかりで一貫性に欠けておりました。それを数値化し、根拠を用い、論理立てたものが我々が研究する魔法学であります…』

 厳かな雰囲気を漂わせ、澱みない声が辺りに響く。音響魔法を用いているせいか、クシェルが座っている後ろの方までよく聞こえた。

 粛々と講義を進めていく様はまるで精巧な機械のようで、無駄のない仕切り方にこれが彼がこなす本来の日常なのだと理解した。

 ずっと知りたがっていた彼の現在の日常を見せて貰いホッとすると同時にクシェルは少しだけ寂しくなってしまった。

 あまりにも自分の住む世界とかけ離れていたからだ。

 ふとオレアンダーと目が合った瞬間に微笑まれた気がした。

 意識した途端に頬が熱を持つのを感じクシェルは耐えられずに俯いた。そこからはまるで幻でも見ているかの様な現実感のない気持ちで残りの時間を過ごした。


 講義が終わるとクシェルが気づかない間にオレアンダーは姿を消していた。

 行きは木傀儡と来たことを考えるときっと彼は仕事が忙しいのだろう。そう結論づけたクシェルはそそくさと講堂を抜け学外へと向かっていた。

 しかし聞き覚えのある声が後ろから呼び止めてきた。

「おい、熊殺し」

「ウィリアム、なんでこんなところに」

 振り返れば紺のローブの美青年ウィリアムが腕を組み気怠げに立っていた。

「俺はギレス先生に付いて魔法の研究をしている。ここにいるのは当たり前だ」

 話によると、ウィリアムはオレアンダーの助手として仕事に従事しているらしい。

「へぇー。ああ、そういえばオレアンダーがウィリアムのこと自分の右腕って言ってたぞ」

「調子がいいなあの人は。研究室に案内しろって言われてる。早く来い」

 思い出したかの様にクシェルが言うと彼はいつもの無表情ながら声音は心なしか嬉しそうに聞こえた。

「満更でもなさそうだな」

「一応尊敬はしているからな。先生は魔術師としては一級だ。もちろん教育者としても。じゃなきゃあの人の下で働くわけない…なんだその顔は。お前失礼なことを考えてそうだな」

 あのウィリアムから尊敬という言葉が出るなんて。意外すぎてクシェルは目を丸くするばかりだった。

 

 ウィリアムの魔法で移動するといくつもの扉につながる廊下に辿り着いた。

「あそこの扉だ。俺は仕事が残っているからここで」

 クシェルが礼を言うと、彼は途端に姿を消してしまった。

 ウィリアムに教えられた扉を開けば思いのほか広い室内が目に入った。長い会議机に数脚の丸椅子。それを取り囲むように本棚が囲み分厚い書籍がひしめくように詰まっている。その奥に視線をやると執務机で何かを書きつけているオレアンダーを見つけた。

「やあ」

 スーツのまま椅子に凭れかかり片手を上げてくる。

「こんな回りくどいことして。そのまま話してくれれば良かっただろう?」

 開口一番クシェルは呆れた様に声をかけるも、彼のスーツ姿が眩しく頬が熱くなるのを感じた。

「話したところで冗談にとられるかと思ってね。論より証拠でしょ?」

「そんなこと…」

 確かにないとは言いきれない。クシェルは言葉を詰まらせた。

 もしオレアンダーが真面目な顔をして「エゼル大学で教鞭をとっている」などと告げてきたらきっと笑い飛ばすであろう自分の姿が容易に想像できる。

「あとは、ただクシェルにいいところ見せたかっただけ」

 彼は表情を綻ばせると机に頬杖をついたまま流し目を寄越してきた。

「今さらカッコつけるのかよ」

 クシェルはそんな彼に呆れて思わず笑った。

少なくとも彼の人柄はわかっているつもりだった。ダンジョンで怪物を圧倒したり、ギルドでの不正摘発など度々助けられた。それこそカッコいいところはこれでもかと見せつけられたと認識していたが。まだ足りないと言われるとは思わなかった。

「うん、そのローブも似合ってる。綺麗だ」

 満足気に細められた琥珀の瞳が心底嬉しそうでクシェルは自分の胸がこれ以上にないほど高鳴り続けるのを感じる。

「服が立派過ぎて着られてる感じだけどな」

「そう?それすらも可愛いよ」

 照れ隠しのために目を逸らして謙遜するも、甘く囁かれクシェルは絆されそうになる。

 きっと今自分は腑抜けた顔をしているだろうと思っていると、急にオレアンダーは表情を曇らせた。

「でもあんまり着飾らせるのも考えものだね」

「…なんだよ、自分で着せといて」

 彼の意図が分からずクシェルは悪態を吐きながらローブを脱ごうとする。結局派手すぎて似合わないとでもいいたいのだろうか。

 しかしそんなクシェルをオレアンダーは慌てて制した。

「そうじゃなくて、講堂に入った君のことをチラチラ見てるアルファが何人かいてさ…どうしてやろうかと思った」

「はぁ?」

 思わぬ彼の言葉にクシェルは間の抜けた声を上げてしまう。

「仕方ないか。綺麗でいい匂いのするオメガがいれば若いアルファは気になって当然だよね」

一瞬だけだが鋭い目付きをしたように思えた。その強い眼光は自分への執着ゆえなのだろうか。彼の言葉にクシェルはクラクラと目眩がするほどの言い知れぬ喜びを感じてしまった。

 腰掛けたまま引き寄せられてオレアンダーがクシェルの胸に顔を埋める形になった。彼の瑞々しい花の香りに包まれ、ここが研究室なことも忘れうっとりとしてしまう自分が憎らしい。

「いや、見慣れない奴がいるって思われただけだろ?たぶん」

「そう?結構ギラギラした目つきだったけど」

 彼の不快感を取り除くようにクシェルは答えを返すも、オレアンダーは不満そうに口を尖らせてしまった。

 彼以外のアルファに言い寄られたところで、自分にとっては雑音に過ぎないと言うのに。

 難儀なことだとクシェルは苦笑混じりのため息をついた。


 しばらく二人で話込んでいたが、オレアンダーに急ぎの仕事が入った様でその場で解散することにした。

「送るよ?帰れる?」

「子供じゃないんだから大丈夫だって。少し都会を歩いてみたいし、また後でな」

 心配そうな顔をするオレアンダーにクシェルはつい笑いを溢してしまう。そのまま去ろうとするも引き止められた。

「待って、鍵を」

「え?」

 オレアンダーから百合の花をモチーフにしたらしい美しい銀の鍵を差し出される。

「これがあれば俺がいなくてもいつでも家に入れるよ。向こうの隠れ家でもこちらの家でもどちらでも使えるから。気をつけて帰ってね」

 受け取ったと同時に、気づけば最初の講堂の前の扉に立たされていた。

 渡された美しい鍵をクシェルはぼんやりと見つめる。彼から鍵を渡されたことに、胸が高鳴り仕方なかった。

「やっぱりクシェルだ!」

余韻に浸っていると、人生で一番慣れ親しんだ声が耳に入った。

クシェルは勢いよく振り向く。

クシェルより少し低い背に美しい艶のある赤い髪、ルビーを思わせる赤紫の大きく丸い瞳に小作りの顔、細い首、一見儚気だが子犬の様に愛らしい大事なたった一人の家族。弟のノアがそこにいた。


「…ノア!」

 もしかしたら会えるかもと思っていたが。本当に運良く会えるとは。勢いよく抱きついてくる弟の身体を受け止めた。

「おっと!」

「もう、来るなら連絡してよ!迎えに行ったのに。それにしても、急にどうしたの?」

 捲し立てるノアを落ち着かせる様に両肩に手を置いた。

「ああ、公開講座があって聞きにきたんだ」

「え?クシェルが公開講座を聞きに?」

ノアは不思議そうに見つめてくる。田舎で狩に没頭する日々だった兄がいきなりそんな行動を取れば当然だろう。

 オレアンダーのことを話そうか迷ったが、そもそも二人が顔見知りなのかもわからない。どうしようかと思っているとノアが声を上げた。

「あ、そうだ今期も仕送りありがとう!助かったよ」

 律儀な弟は学費を送金すれば必ず手紙だけではなく直接お礼を伝えてくれる。彼のことだから忘れないようにと早速伝えてくれているのだろう。

「いや、間に合って良かった」

「そうそう!来期は仕送りお願いしなくてすみそうだよ。迷惑ばかりかけてごめんね」

「…ノア、無理してないか?変なバイトでもしてるんじゃ…」

 クシェルが訝しがるもノアは安心させようと思ってか勢いよく被りを振った。

「ち、違うって。でも何をしているかは内緒。また教えるから。クシェルはきっと喜んでくれると思う」

 品行方正な弟のことだ。恐らく心配いらないだろうとクシェルは深く追求しなかった。

 和やかに積もる話をしていたのに、急にノアは表情を固くした。

「…そのローブ。仕立屋テーラーで先生が頼んでた特注の…」

 独り言の様に呟くノアは信じられないものを見る様に顔を引き攣らせていた。

「先生?特注?」

一気にノアは色を失った様に見える。

クシェルはおかしい様子のノアが心配になった。急に顔を曇らせたのが気になって問い詰めるもはぐらかされてしまう。

 先生とはもしかしてオレアンダーのことだろうか。確かにこのローブは彼から貰ったものだ。

なので注文したのもオレアンダーなのだろうから間違いないだろう。

「…ねえ、一体いつの間に先生と仲良くなったの?」

「フィリグラに研究で来ていて、そこで」

「そう、なんだ。確かに、最近そっちの方へ行っていたかも」

 悪い夢でも見ているようにノアは顔を青くさせ、誰に言うでもなくうつろに呟く。明らかに様子のおかしい彼の様子にクシェルは困惑してしまう。

しばらく黙り込んでいたノアだったが、静かに口を開いた。

「…そうか。ごめん、クシェル」

「…ん?なんだ?なにを謝ることがある?」

「クシェルのことは大好きな兄ちゃんだし、大事な家族だ。僕が稼げるようになったら、うんと楽をさせてやりたい。それはこれからもずっと変わらない。でも…」

 言葉を詰まらせ俯いてしまったノアをクシェルは覗き込むように様子を窺おうとした。泣いているのだろうか。

「ノア?」

「これから先、どうしても譲れないことが出てくるかもしれない」

 ぐっと顔を上げたノアの思いつめたような、しかし確固たる意志を感じさせる瞳とぶつかった。ルビーを思わせるほど赤紫の燃えるような瞳は強い決意が間違いなく宿っている。

 そんな顔をする弟をクシェルはついぞ見たことがなかった。

 二人の間に沈黙が走った。

 ノアが口を開きかけたと思ったその瞬間、突然二人の足元に小さな魔法陣が現れ白い狼が召喚される。クシェルの記憶が正しければ、ノアの使い魔だったはずだ。

 ノアの傍らに狼の使い魔が現れ鼻を鳴らしている。しゃがみ込むと彼は狼の口元に耳を寄せ何か聞き取っているようだった。

 ノアはこちらを向くと眉根を下げ、申し訳なさそうな顔をした。

「ごめん。ちょっと先輩に呼ばれちゃって。本当は外で食事でもと思ってたんだけど、また今度。手紙も書くから」

 使い魔の頭を優しく撫でる様はすっかりいつものノアの姿だった。

「いや、急だったしな。ノアも無理するなよ。困ったことがあればいつでも連絡くれ」

うんとお互い頷けば少し色を取り戻しつつあったノアの顔色にクシェルはホッとさせられた。

 その場で別れ、クシェルは一人学外を目指した。

 それにしてもノアは何を話そうとしていたのだろう。

 思考を巡らせるも、それはクシェルの心に釈然としない影のようなものを落とした。

 ノアが話そうとしていたのはやはりオレアンダーの事だったのだろうか。決定的な言葉はなかったが。

 それにしても彼らが顔見知りなら、オレアンダーはなぜ自分にそれを打ち明けなかったのだろう。気がかりで仕方がない。

 外に出れば、すっかり日が沈み始め行きの陽気がまるで嘘のように木枯らしが吹き始めていた。

 最近のクシェルはオレアンダーと少しでも離れれば恋しくなっていたと言うのに。今だけは彼に会うのが少しだけ怖い気がしたのだった。

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