怪しい魔術師


 移動魔法をかけてもらうために、クシェルは街の広場へと出た。

 ロータリー状の広場は消耗品が露店販売されていたり占い小屋が開かれたり、出されている店は様々だ。

 移動魔法は高等魔術でクシェルにはとても扱いこなせる代物ではなかったのでいつも外注していた。

 ちょうど道端に座り込む魔術師然とした人間に声をかけようとするも相手のいで立ちにクシェルは首を傾げた。

 大概は古びたローブを羽織る老人ばかりの現役引退組だったが、その日は珍しく見かけたことのない色のローブを纏った人間が座り込んでいた。

 もしかしたら流れ者だろうか。

 深い黒を基調としたローブの端々には金の呪文のような模様が浮かんでいる。

 目深に被ったローブからは顔が見えないが背は高そうだし、背筋はまっすぐだった。

「移動魔法をお願いしたいんだが」

 クシェルが、財布に手をかけながら声をかける。すると相手の口元が弧を描いたのが見えた。

「いいよ、特別にタダで飛ばしてあげる」

「は?」

 男の声は思いのほか若く、楽しげだが発言が怪しすぎる。

 不審に感じクシェルは身を離そうとするも相手の方が速かった。腕を掴んでくると男は短く呪文を唱え、途端にクシェルの視界が反転した。




「ここは、どこだ?」

 気がつけば男の姿は消え、クシェルの目の前に広がるのは美しく広い庭だった。

 木々やハーブが茂り、整えられた花壇には美しくも満開の花が咲き乱れている。そして曲がりくねった道の先には魔女の小屋を思わせる家屋が建っていた。

 そのあまりに現実離れした美しさにクシェルはぼんやりと立ち尽くしていた。

「え?俺もしかして死んだのか?」

 まるで天国のような光景に思わずそんなことを呟いてしまった。

 どうしたものかと困惑していると、ふとクシェルの鼻を甘い香りが掠める。香りのもとは後ろからきているようだ。クシェルが振り向くと 地面から大きな植物の芽が凄まじい速さで大きくなっていくのが見えた。

「な、なんだこれ?」

 驚き思わず後ずさるも、芽はぐんぐんと伸びていく。クシェルの丈の半分ほど大きな花の蕾がついたかと思うとそれはハラリと綻び、美しい少女達が舞い出た。

 唐突に飛び出した少女達にクシェルは開いた口が塞がらない。

「な、なんなんだ次から次へと」

 しかしどう見ても彼女らは人間じゃない。緑の肌に長い髪にはいくつもの花を咲かせ、纏い、一様に皆同じ顔をしていた。

「アルラウネか!」

 アルラウネは植物魔法に長けた妖精だ。性質は穏やかで人を襲うことはまずなく、むしろ警戒心が強いため人間がいれば慌てて逃げる場合が多い。

 しかしクシェルの予想に反しアルラウネ達は群れを成したまま詰め寄ってきた。

「どうしたんだよ一体」

 突然、皆一様にクシェルに絡みつく。

「え?」

本来大人しい性質のはずのアルラウネが何故このようなことを。

 クシェルは次々と起こるアクシデントに脳が追いつかなかった。

 よくよく様子を窺うと彼女らはクシェルの体臭を執拗に匂いを嗅いでいるようだ。どこか火照ったような表情でまるで酩酊しているようにすら見える。

 異様な雰囲気に混乱してクシェルは暴れようとする。しかし一人が蔓を出しクシェルの身体を拘束するように締め上げた。

「うっ、やめろっ、おいっ!」

その拘束は強く息も上手く出来ないほどだ。

──このままじゃやられる!

 クシェルは一か八かで短く呪文を唱えた。

しかしうんともすんともいわない。

 悲しいかなクシェルは魔法音痴であった。

諦めずに唱え続けると途端に腰の短剣に火が灯り火炎の剣となった。ゴオっと勢いよく燃え上がる。

「きゃあっ」

 火炎を見てアルラウネ達が悲鳴を上げ、遠のいた。

 あれほどまでに焦がれた炎が灯りクシェルは思わずほっとため息をついた。剣を引き抜き構える。さあ形成逆転だと思うもしかし妙なことが起こった。

「ん?」

 灯った火炎がどんどん大きくなっていく。その異様さに怖気付いたのか、アルラウネ達も後ずさるほどだ。

「な、なんだよこれ」

 制御不能の炎は怪物の如く肥大化し、とうとう庭の草木を燃やし始めた。

あっという間に辺りは火の海となる。他の呪文を詠唱をしようとするも煙で咳き込んでしまいうまくいかない。けれども業火は容赦なく攻め立ててくる。熱さと酸素不足のためクシェルは頭が回らなくなりつつあった。


「あーあ、やってくれたね」

 どこからか男の声が聞こえる。しかしあまりに呑気な声音なのでクシェルは幻聴だと思った。回らない頭でどこかぼんやりとその声を聞いていた。 

 ふと流暢な呪文が呟かれたかと思うと頭上からまるで川の激流のように水が注がれた。

「わっわ、ちょ、え!?」

 降り注ぐ水流の勢いが凄まじく、周りが見えない。それどころか押し流されそうだ。流されないようにクシェルが足に力を入れ踏ん張るとぐっと誰かに腕を掴まれた。

 やがて水の勢いがやみ、気がつくと周りの美しかった庭の花壇が焼け焦げているのが見えた。

 全身から水が滴り落ちてくる。掴まれた腕が離されると体の力が抜けてしまいそのままクシェルは座り込んだ。

「げほっげほっ」

 鼻に水が入りクシェルは思わず咽せ込んだ。やがて落ち着き顔を上げるとぼやけた視界に男の姿を捉える。

 黒のローブと見るからに豪奢な装備を纏っていた。先ほどの高威力の魔法といい魔術師なのだろう。

 ふと見覚えのあるローブにクシェルは思わず声を上げた。

「あんた、広場にいた魔術師か!」

 目の前の男はクシェルをここまで飛ばした魔術師だった。

男は長身なようで高い位置からクシェルを見下ろしているが、ローブに覆われ依然として表情は見えなかった。

 徐に男がローブを脱ぐとその顔を露わにした。

 クシェルは目を見開き、思わず息を飲む。

 覗いた美しい琥珀色の瞳とばっちりと目が合った。

見た瞬間にわかった。彼は明らかにアルファだ。オメガのクシェルにこそ分かることだが、彼からアルファ特有の香りがしたので間違いないだろう。

 現れたその貌は容姿端麗な者の多いアルファらしく華やかで整った目鼻立ちに、纏う空気は童話の王子そのものだ。

 男は口元に笑みを浮かべ小首を傾げた。途端にゆるく癖のついたベージュの髪がふわりと肩につき揺れる。

 今までの人生で出会った誰ともまるで違う。目が合っただけで圧倒されそうな錯覚をクシェルは覚えた。

 目の前の男は貧しいオメガの自分とちょうど対極に位置する存在なのだろう。クシェルは考えるだけでも気後れしてしまいそうだった。

 クシェルが美しい目前の男に見惚れ圧倒されていると、彼はにっこりと花開く様に微笑んだ。

形の良い唇を開く。雅な王子の様な貌で何を語るのだろう。クシェルは思わず見入ってしまった。

「ここ、大事な私有地なんだけど。どう落とし前をつけてくれるの?君、体で払ってくれるわけ?」

 前言撤回。口を開けば王子というよりまるで悪魔だ。艶のある楽しげな声なのになんという物騒な物言いなのだろう。クシェルは目の前の得体の知れない人間に恐れ慄いた。

「お、としまえ?は?」

 男の言っている意味がわからずクシェルは困惑した声を上げる。

「君が燃やしてくれたこの庭の一部、俺の私有地なんだけど」

「え?」

 どうやらここは彼の土地だった様だ。少しずつ自分がしでかしてしまったことの重大さに気づき、クシェルは自分の顔が青ざめていく感覚を覚えた。

「はいはい、ご苦労様」

 ふと気づくと彼の周りに数匹のピクシー達が飛び回っていた。労いの言葉をかけられると一匹が小さな麻袋を男に渡した。袋の中を見た途端、彼は華やかな美貌をあからさまに顰めた。

「やっぱりなあ。見るからにお金なさそうだもんね」

 しみじみとクシェルを見ながら言うと芝居がかったようにため息をついた。

 わざとらしい男の仕草と明らかな侮辱にクシェルはカチンときた。

「何が言いたいんだ!さっきから要領を得ないな!」

 その上何がしたいのかわからない彼の行動にイラつき、自分の立場も省みずつい怒りを露わにしてしまった。

 「君、自分の立場わかってる?」

 男は琥珀の瞳を目を吊り上げると射抜くような眼光で覗き込み圧倒してくる。思わずクシェルは俯いた。

 彼の言うとおりでぐうの音も出ない。これ以上相手の顰蹙を買ってどうすると気の短い自分の性分をクシェルは呪った。

 男は麻袋の中身を不遜な態度でクシェルにつき出してきた。

「賠償金に君の財産を使い魔のピクシー達に換金させてきたけど。これっぽっちしかない」

「財産?どういうことだ?」

 訳がわからなくてクシェルは狼狽えた。

「君の住所情報を読み取って、家の中の一切合切を売り払ってきた」

 断りもなく財産を売り払うなんて人としてどうかということもツッコミどころだが、クシェルにとってはあの一瞬でそんなことができるかという気持ちの方が強い。彼の話は眉唾物だ。

「はっ、どうやってそんなこと・・・」

 クシェルは馬鹿げた話だと鼻で笑うも、男は形の良い唇の口角を上げると一つのブローチを掲げてきた。心臓が止まるかと思うほどの衝撃でクシェルは目を見開いた。

 それはクシェルにとって命の次に大事だと言って良いものの一つ、ギルド所属の証のブローチだった。

 赤い宝石が埋め込まれたそれは宝石部から持ち主のギルドメンバーの情報を読み取ることができる。ただし詳細な情報はかなりの魔力を有しないと読み取れない筈だった。しかしこの男にすれば容易いことだったのだろう。

「返してくれ!」

「やだ」

「やだってなんだよ!ふざけんな!」

 あれがないとギルドでも仕事が取れない。ふざけた態度の男にクシェルは苛立ち飛びかかるも軽くいなされ、瞬く間に魔法で逆さに浮かび上がらせられてしまう。呪文発動の速度のあまりの速さにクシェルは目を剥く。男と自分の実力差を痛感した。

「おい!降ろせよ!」

「ふーん。クシェル、Bランク、火属性、男性。ベータ…二十三歳ねぇ」

 逆さ吊りのクシェルには一瞥もくれず男はブローチからクシェルの情報を読み取り続けていた。

 しかしそれすら飽きたのかブローチを手のひらで弄ぶと、ローブのポケットにしまい込んだ。

「はーいピクシー諸君。クシェル君を身体検査して金目のモノ、全部出させて」

 ピクシー達はクシェルの衣服の中に入り込み、容赦なくまさぐった。

「やめてくれ、や、やめてくれ、ふ、ははっくすぐったい」

 ピクシー達が動き回るたびにこそばゆくて、堪えきれずクシェルは身悶えた。身を捩ると懐からボロボロの財布と携帯食がこぼれ落ちる。

 もうこれ以上の所有物がないとわかるとピクシー達は主人の元へと帰っていく。途端にクシェルは真っ逆様に地面に落とされた。

「いってぇ」

 頭から落ちてクシェルが痛みに呻いてた。頭に血が上ったせいかくらくらするし、さっきから散々だ。気がつくと目線を合わせる様に男が座り込んでいた。

「所持金もこれっぽっち。今までどうやって生活してたのさ」

 呆れどころか、哀れみすら覚えるような男の視線に晒されクシェルは居た堪れず俯いた。

「・・・弟に仕送りしたばかりだったから。」

 クシェルにはたった一人の家族である五歳下の弟がいた。弟のノアは都市部の名門大学へと進学していたが、学費に生活費と先立つものが多く仕送りは必須だ。仕送りした後はいつもクシェルはすっからかんになってしまう。

 クシェルの返答に男は腕を組み少し考え込む様な仕草をする。

「ふーん、そう。じゃあ、カラダで払って貰いましょうか」

 爽やかな笑みを浮かべていると言うのに、男の発言はどこまでも不穏だ。

「か、らだって、へ?」

「資産もない。お金もない。頼れる人間もいない。特殊な技能もない。君にあるのは若くて健康な体だけ」

 男はびしりとクシェルの胴体を指差した。

 若さや健康さも喉から手が出るほど欲しい人間いるだろうと思うが。しかし男にとってはそれはあまり意味をなさないらしい。

男がすっと指を動かすと、クシェルの目の前に一枚の紙とペンが現れた。

「まぁ、とりあえずこれにサインして」

まるで酒でも軽く勧める様に、男は明らかにびっしりと書き込まれた契約書を突きつけてくる。

「書けるか!こんな怪しげなモノに簡単にサインなんてできない!」

 差し出されたペンをクシェルは拒否するも、男は憎らしいくらいの余裕の笑みで口角を上げるばかりだった。

「いいんだよ?警備隊に通報したって、それかこのまま君の所属ギルドに怒鳴り込むのもいいねぇ。もしくは、そうだなぁ。君の大事な弟に協力して貰おうか?」

 にこやかな表情に反して脅しの言葉はえげつない。

 どの選択肢もクシェルの人生を頓挫させるものだが、身内に何かしでかされるのが一番きつい。

 弟のノアに危害を加えられたらと想像するとクシェルの顔はどんどん強張っていった。きっとハッタリでもなんでもない。この男の実力ならノアの居所を突き止めることなど造作もないのだろう。

 やがてクシェルは観念した様にその場に膝をつき、差し出されたペンを手に取った。

「なんでもするから。あんたのいう通りにするから弟には手を出すなよ」

 脅すように相手を下から睨みつけるも、本音は祈るような懇願に近い。

「あんたじゃない。オレアンダー・ギレス」

 柔らかい表情とは裏腹に気圧されるような彼の雰囲気にクシェルは黙り込んだ。

「よーく覚えておいて、君の雇用主様の名前だ」








 


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