第18話 エピローグ

 あれから数日たった。


 巳継は自室のベッドで横になっていた。何もする気が起きず、一日中部屋の中に閉じこもっていた。


 渉が心配そうにこちらを見ていたが、反応する気にもなれず、話しかけられるまで天井を眺め続けていた。


 結局、篠原巧は成仏できなかった。娘のことが心残りだったのだろう。


 豊田は翌朝息を引き取ったという。


 捜査は進められ、今は星雲荘が徹底的に調べられているという。


 一号室には篠原巧の刺殺体が見つかり、床下からは二人の白骨遺体が発見された。清美渉と常盤隆二のものだった。昨日自宅に電話が掛かってきて、鑑定の結果が母に伝えられた。


 篠原巧の遺体の下からは、豊田の血が滲んだメモと一緒に、一枚の写真が発見された。若かりし頃の篠原巧と、三億円強奪事件の実行犯たちが座卓を囲んで何やら話している写真だ。メモには詳しい事情がしたためられていた。予め豊田が用意していたのだろう。


 これらの情報は渉が捜査現場を見学しに行って得たものだ。


 便利だなあと思った。


 渉が興味を示したのはここまでで、これらからどのような結論が出されるのかには、興味がないらしい。犯人が死んでいると知っているからだ。


 まあ、巳継も興味はない。


「なあ、佐和ちゃんがこれからどうなるのかは調べたほうがいいんじゃねえか?」

「うん、気が向いたら調べるよ。でも、もう僕にはどうしようもないから」

「そうか。……そうだな」


 あの後、巳継たちは結局家に戻った。


 巳継は佐和を家まで送り、その足で傘を交番に届けた。学校裏で拾い、好奇心で開いてみたら血のようなものが付着していた、ということを伝え、巳継は台風と母が怖いからと言ってそそくさと家に戻った。


 そして家に戻ると、なんと佐和から電話が掛かってきていた。母曰く、「今から行きます」と涙声で伝言を頼まれたという。自殺したのではないかと血の気が引いたが、その後、風のうわさで佐和が警察に行ったという事を知った。


「あ、そういえば、よかったね、お母さんの誤解が解けて」

「本当だよ! よかったよかった!」


 渉が小躍りしている。


 昨日電話で白骨遺体の鑑定結果を聞いた時の母の表情は、今でも頭にこびりついている。母が泣いているのを見たのは今回が初めてではないだろうか。


 まあこれで、世間的にもひと段落といったところだろう。


 そう考えて、巳継はため息をついた。


 ねえ、と巳継は無意識のうちに言っていた。


「ちょっとだけ愚痴聞いてくれる?」

「ああ、いくらでも聞いてやる」


 こういう時、渉はふざける事はなく、いつも真剣な顔をして聞いてくれる。


「豊田はどうして十年待ったんだと思う?」

「十年?」

「豊田が常盤隆二に復讐を宣言した日から今日までで、十年近く経ってるんだよ」

「そういえば、そうだな」

「きっとね、篠原さんが生まれたからだと思うんだ」

「佐和ちゃんが?」

「うん……」


 篠原巧が結婚し、子供が生まれたとき、豊田の心境が変わったのだろう。


 一番気に食わないのがこれだ。


「豊田は、真相を明るみに出すだけじゃなくて、もしかしたら常盤隆二の恨みも晴らそうとしたんじゃないかな」


 知らず知らずのうちに奥さんを奪われ、子供を奪われ、そして自分の命まで奪われた常盤隆二に同情したのかもしれない。加害者側に立っていない巳継でさえ、少し同情したのだから。


「それ以外にも、篠原巧の被害者になった子供たちは大勢いる。そんな皆の恨みを晴らすために……」


「まてまて。豊田がそこまで考えてたってのか?」


 それもずっと考えていた。考えすぎなんじゃないか、と。


 しかし頭の片隅にずっと引っかかるものがある。今までの推理が間違いでなかった以上、佐和がこの事件に関与したのが偶然だとは思えない。


 誰が篠原さんに星雲荘を教えたのか。


 考えないようにしても、結局考えてしまう。天井の染みをいくら数えても、頭の中はそのことですぐに一杯になった。


「篠原巧を殺すための状況を作るくらい、いつでも出来たはずでしょ。校庭から星雲荘まで遺体を移したのが豊田だったなら、あと必要な条件は強い台風だけだし」

「確かにそうだが……」


 だったら早くやればいい。自分なら恐らく待てない。一秒でも早く殺してやりたいと思うだろう。それだけの恨みを、篠原巧は買っていたはずだ。


「十年もあれば台風の条件くらい何回もクリアできるよ。呼び出す理由だって何でもいいんだから。海に遺棄しようでも、違う山に移そうでも、何とでも言えたはずだよ。でもそれをしなかった」


 きっと、豊田は篠原さんが成長するのを待ったのだ。そして今年、都合よく担任の立場になった。この時、ようやく機が熟したのだ。


「つまり、豊田が佐和ちゃんをあの場所におびき出したと言いたいのか?」

「うん。殺害時刻のちょっと前、僕たちは豊田に会ってる」

「ああ、あの件か」


 そう、思い出したくもないあの件だ。小学校に忍び込んだのがばれて怒られた件。


「僕たちは豊田から個別に叱責を受けた。豊田と篠原さんは二人で会話していたんだ」

「確かに簡単に吹き込めそうだな」

「少なくともその機会はあった。こればっかりは偶然だろうけどね」

「まあ、佐和ちゃんと会話する機会なんて、教師ならいくらでも作れるからな……」


 巳継は体を起こした。


 渉が難しい顔をしながら考えている。巳継は考えがまとまっている。


 普通、立場が逆だと思う。


「まあ、ここまで言っておいてなんだけど、多分、機会は作れなくても良かったんだと思う。だって、父親の最悪の過去が公表された時点で、篠原さんの将来はかなり閉ざされたようなものでしょ。小さい頃にそうなるんじゃなくて、思春期に入ろうとしているこの頃にそうなるっていうのが、多分大事なんだと思う」

「多感な時期に深刻なダメージを与えようって算段か」

「そんな感じ」


 少なくとも巳継なら耐えられない。

 

 本来ならそれで十分なはずだが、状況がそろってしまった。呼ばなくてもよかったが、呼べるようになったから呼んだのだろう。これは恐らくその場の思い付きのため、後々、計画に狂いが出た。


「今回、学校に忍び込んだのがばれて親にまで連絡がいったからね。そんな状況で例えば――学校裏の廃墟は学校の所有物で、実は篠原先生は今夜そこでちょっとした作業をしている。そこに傘でも届けに来て、怒られる前に謝ってしまえばいい。天気予報を見て傘を届けに来たと言えばいい。傘を持ってきてくれたこともあってきっとそこまで怒られることはない――なんて感じのことを吹き込めば、お父さんから怒られたくない篠原さんなら飛びつくと思うんだ」

「それが事実だとしたら恐ろしいな」


 きっと刺される前までは、豊田の予定通りに事が運んでいたのだろう。


「あの日、雨は上がってた。誰も傘なんて持ってなかった。もちろん篠原さんもね。雨だって降りもしなかった。なのに、あの現場には傘があった。十年以上使われていないような、古びた傘じゃなかった。誰かが持ち込んだんだよ、あの傘」


 そのうえで、篠原さんが傘を使用したことを考えると、傘は篠原さん自身が持ち込んだと考えるのが妥当だ。そうなると、あんな大人用の傘を持ち込んだ篠原さんの動機はこんなところだろう。


 謝って来いと言ったのが、篠原さんのお母さんである可能性もあるが、しかし、あの場所を知っている時点で、豊田以外にない。


 犯罪に使われた場所を篠原巧が漏らすとは考えられないし、篠原さんのお母さんも、篠原巧が向かったのが星雲荘だと知っていたのであれば、そもそも失踪騒ぎにならないはずだ。


「考えすぎだといいな」

「……ほんと、杞憂だといいな」


 そう渉は言うが、巳継にはもう、そうとしか思えなかった。


 豊田が聖職者を語るのは烏滸おこがましいとも思った。被害者の無念を晴らすために自分の生徒を利用するなど、あってはならない事だ。結局自分の恨みと正義感だけで動いていたのだろう。利用された篠原さんが可哀想でならない。篠原さんを逃がそうとしたのは豊田に残された最後の良心だったのかもしれないが、それでも到底納得出来る事ではない。


「篠原さんを犯行現場に呼んで、父親の死を見せる。父親の死を見たトラウマと、その後の父親の悪行についての情報。それを頭の中で整理したら、今度は父親がその恨みによって殺されたのだと気付く。そこまでのことが起こると、人間はどうなるんだろう」


 渉は首を横に振る。


「わからん。たぶん答えなんてない。……でも、何で言わなかった?」

「どういうこと?」

「篠原巧にそれをなぜ伝えなかったんだ?」

「横に篠原さんがいたからね。自分が狙われていたかもしれないなんて、知りたくないでしょ。それにこれは僕の想像だから。……まあ、他の事は色々言っちゃったけど」


 特に篠原さんのお母さんに関する情報は言うべきでなかったと、今でも後悔している。考え出すと自責の念から自然と俯いて暗くなってしまう。


 そんな巳継を見てか、渉がふっと笑った。


 なんだか父親のような素振りに見えて少し腹が立った。


「佐和ちゃんには優しいんだな」

「僕、優しくない?」

「今回の一件を見てて思った。お前は犯罪者に対して優しくない」


 思い返してみても、確かに巳継は優しくなかった。同情はするが、犯罪を犯した者に対して優しく接しようとは微塵も思わない。


 正直、「何が悪い」と言いたいところだ。


 死んだら霊になるだけだと知っているからこそ、罪は生きているうちに償うべきだと思ってしまう。それをせずに生きようとする人達に、巳継は憤りこそ感じるが、優しい言葉を掛けようなどとは微塵も思わなかった。


「普通の小学生になりたい」

「知ってるか。人の夢と書いて儚いと読むんだ」

「ああそうですか」


 本当に、霊が見えても良いことなんて殆どないなと思う。性格がねじ曲がるだけだ。


「でも、佐和ちゃんには優しいだろ。それで十分だと思うぞ」


 最近、渉が父親ぶってくるのだが、何とかならないものだろうか。最悪の場合坊さんの力を借りる必要がある。


 とはいえ、愚痴を聞いてくれる相手なんて渉しかいないのだ。


「……力になれたかな」

「今はそう思ってもらえなくても、きっと大人になったら感謝される」

「……終わった……」


 渉も遠い目をしていた。


 力になるどころか、警察に突き出したようなものだもの。


「ま、そうだな。お前の恋は終わった」


 ああ終わりましたとも。


 愚痴聞いてんだからせめて否定しろよ守護霊もどきめ……。



**************************************



 僕の知らないところで、社会は勝手に進んでいた。


 豊田の死により一気に捜査が進み、三億円強奪事件を含む篠原巧によって引き起こされた犯罪の数々が社会に露呈することとなり、篠原佐和の全ての供述が正しいであろうことが捜査によって証明された。


 その後の情報は、僕には届かなかった。渉が調べてこようかと言ったが、必要ないと断った。


 そして事件の報道は次第に少なくなり、数日後には報道を見かけることもなくなった。


 篠原佐和が大人になる頃には、きっと世間から忘れ去られているだろう。


 そして実際にそうなった。


 篠原佐和が罪を償い事件とケジメをつけたとき、世間は完全に三億円強奪事件のことを忘れていた。




 その後、篠原佐和が高校生となった春、篠原佐和の母親が自殺する。


 再び報道は加速する。


 テレビに映された篠原佐和の家は、当時のままだった。


 その映像の片隅。


 豊田直人と常盤麗子が静かにこちらを見据えていた。




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犯罪者が安らかに眠ろうなんてゆるしませんよ? 雨風しぐれ @shigureamekaze

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