感傷論

小狸

短編

「自分の感情を誰かに百理解してもらおうって考え方が、そもそもあまりよろしくない気がしますね」


 先生は静かにそう言った。


 それは口調だけに留まらない。先生の近くには、どこか静かな雰囲気というものが付いて回っている。いや、実際にバリアのようになっている訳では無い。ただ、私がそう感じるというだけだ。


 先生は続けた。


「そもそも、感情の言語化をするということが、かなり難易度の高いことだと思うのですよね。喜怒哀楽なんていう四字熟語もありますけれど、じゃないでしょう。例えば、水島みずしまさんが今向き合っている『しんどい』という感情だって、具体的に表現しようとするのは、簡単ではありません」


 そうだろうか。


 私には、簡単なように思えるけれど。


「まず、何も無しに感情は湧いて来ませんよね。何かがあった――何か大きなことを失敗して、衆目に晒されて、『しんどい』としましょう。それは、ただの『しんどい』ではありませんよね。まず『しんどい』の前に、衆目の前に晒されて『恥ずかしい』という、羞恥の感情が先行している。その羞恥は、水島さんの過去の体験を具体的に参照して、ああこれは社会的・一般的に『恥ずかしい』ことなのだ――という社会通念の参照と理解から生じる。参照と理解、です。そこにもまた、過程があるのです。たった一つの『しんどい』という感情ではありますけれど、ただそれだけじゃない。水島さんだって、『ああそっか、しんどいんだね』って、淡々と理解されたいわけではないでしょう?」


 確かに。


 それは。


 その通りである。


「どう『しんどい』か、何が『しんどい』か、いつ『しんどい』か、何故『しんどい』か、その過程も含めて全て分かって欲しい――というのは、どうでしょう、少し重いと思うのは、私だけでしょうか」


 先生の言いたいことが、分かって来た気がした。


「人間は完全な相互理解のできない生き物です。少なくとも現時点での一般化された科学技術では、ね。良くいるんです。『自分は相手の気持ちが分かる』という方が。一見優しい人に見えるかもしれませんが、どうでしょう。でもそれって、相手の気持ちを勝手に代弁してそれを相手のものだと勝手に当てはめてそう思い込んでいるだけの、ただの妄想力の強い人なのではないでしょうか。勿論、相手の心情を推察する――ことはできますが、『分かる』となると、私は違うと思うのですよね」

 違う、のだろう。

 確かにそれは、違う。

 分かって欲しいと何度も思ったことはあったけれど、分かってくれたと思えたことは一度もない。

「先程も述べたように、感情の言語化はかなり複雑です。そこに経験やジェスチャーを含めても、相手に自分の気持ち全てを伝えることは困難を極めるでしょう」


「じゃあ」


 私は、気になって訊ねた。


「――私の気持ちは、誰にも分からないのでしょうか、誰にも、伝わらないのでしょうか」


 それは、何だか寂しいような気がしたのである。


「そうですね。難しいと思います。でも、完全に不可能ともまた違う」


 先生は静かに続けた。


「水島さんの気持ちは、水島さんだけのものです。だから、誰かに伝えようとしなければ、分かってもらおうとしなければ、伝わらないことがある。水島さんのことです、今までずっと感情を抑圧してきて、その蛇口の開き方を、忘れてしまったらしい。少しずつで良いんです。誰かに、伝えようとしてください。分かってもらおうとしてください。そのための工夫をしましょう、そのための努力をしましょう。私は、その創意工夫の例を挙げることくらいしかできません。これは、水島さんにしかできないことです」


「……ありがとうございます」


 気付けば私は、先生に礼を言っていた。


 その日。


 通院先から自宅に帰った。


 大学は病気のために休学している。


 それでも、家族は私を一度も怒らなかった。


 久方ぶりに「ただいま」と言ってみた。

 

 お母さんは、おかえりなさい、と言って、笑った。


 その言葉が、何だか嬉しかった。




(了)

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感傷論 小狸 @segen_gen

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