第38話【一緒にいましょう】

 暫くの間、カメリアと会えていない。


 薄々、ミウリアの体調不良の原因が、自分にあると気付いてしまったのだろう。


 彼と会っていない状態でも、易疲労いひろう感は続き、窓の外から見える雪景色を呆然と眺めていた。その内、眠気が誘って来て、重い瞼を閉じようとすると、体を軽く揺さぶられる。


 眠気に身を委ねたくなったが、揺さぶられては眠る気になれず、半分閉じ掛けた瞼を持ち上げ、自分を揺さぶっている相手を見遣る。


「……カメリアさん」


「…………………………」


 ミウリアが返事をすると、俯いたままカメリアは距離を取る。どうしたのか問い掛けてみるが、彼うんともすんとも言わない。


「……ごめん」


 ぼんやりとしていたせいで、彼が何を言っているのか理解するのに、若干時間を要した。謝られたことに気付いたとき、彼は泫然げんぜんと涙を流しており、俯いたままもう一度ごめんと謝る。


「多分、私のせいだと思う……ミウリアくんがこんな状態になったのは」


「確定、ではないですけどね……」


 そのようにフォローしたが、フォローしている本人も、カメリアのせいだと思っているため、それが彼に響くことはなかった。


「近付かない方がいいと思ったけれど、何も言わないのもどうかと思って──」


 心底申し訳なさそうにそこまで言葉を紡ぐと、首を横に振り、「ああ、いや、違う。これは言い訳か」と、俯いていた顔を上げる。


「ただ単に、勇気がなかったんだ。自分のせいでキミがこうなっていると認めたくなかったから、姿を現されなかっただけだし、キミに会えなくなるのが嫌だから、こんな風に謝ることを言い訳にして、会いに来ようとしている──最低だ」


 実際はそんなことはないが、身長が一四八センチしかにミウリアより小さく見えると錯覚するほど縮こまっているカメリアは、いつも以上に幼く見えた。幼くして死んだのかもしれない。だからこうして涙を流し、どうしていいのか分からないまま謝っている。


 鉛がくっ付いているのかのように重たい体を起こし、ハンカチで彼の涙を拭う。


 カメリアは振り払おうと、ミウリアの手を退かそうとしたが、悩んだ末に、手を引っ込め、されるがままになる。


「……ミウリアくんに会わない方が良いと思っているけれど、ミウリアくんに会いたくて仕方がない──私はどうしたらいいのかな?」


 会うなと言えば、きっと彼は言われた通りに、二度と会わないだろう。会っても良いと言えば、言われた通り、会いに来るのだろう。


「一人は寂しい」


「うん」


「キミと話したい」


「うん」


「一緒にいたい」


「うん」


「けど、それは良くないこと」


「そうかな……」


「どうするべきなのか分かっている筈なのに、全然分からないんだ」


「そっか……」


「だから、はっきり、言って欲しいんだ」


「うん」


「私がどうすればいいのか──私にどうして欲しいのか、はっきり言って欲しい」


 ギュッと、自分の服を握り締めながら、縋るような瞳を向け、泣きながら訴えて来る。


 その気になれば己のことを殺せる存在だというのに、今の彼は全然そんな風に見えない。圧倒的に有利な立場にいる彼が、圧倒的に不利な立場にいるミウリアに下手に出ているというのも、おかしな話だ。


 自分より強い相手が自分に対して下手に出るように無意識に仕組み、そのことに対して全く違和感を抱かない人物だが、今回に限っては何もしていない。


 カメリアに対しては、そうなるように、一切働き掛けていない。無意識に働き掛けるということも、していない。


 だから、普段ならば絶対に言わないことを、口にした。


 意識せず、脳を通さず、口に出していた。


「一緒にいましょう」


 涙を拭うハンカチを持つ手と反対の手で、カメリアの手を掴んだ。包み込むように、上から触れた。カメリアの手の方が大きいせいで、全然包み込めなかった。


 ひんやりとした感覚と共に、気草臥きくたびれが襲って来るが、手を離そうという気にはならない。


 泣くほど一緒にいたいと思うなら、一緒にいても良いと思えた。不思議なことに、誰かの顔が頭に浮かぶということはなかった。眼前のカメリアの存在しか頭に浮かばなかった。


 実際のか弱さより、己をか弱く見せる演技をしないで関係を築いた相手だから、だろうか。


「ミウリアくん──」


 ミウリアの手が重なっていない手を伸ばすカメリアだったが、次の瞬間、空中に手を伸ばしたまま、ポカンと放心することになった。


「……は?」


 脇腹を軽く蹴ったストラーナが、「やっほー」と、ひらひらと手を振っていたからだ。ミウリアの首根っこを掴み、ぐいっと、力一杯自分の方へ引っ張る。


「ストラーナ様……何故ここに」


「何となく、ミウリアちゃんの視界を覗いていたら、エンゲルの姿そっくりの変なのが映っていたから、気になっちゃってねぇ。不法侵入しちゃった」


 ストラーナの異能力、他者視界クリフォキタグマは、他人の視界を覗くというものだ。素手で触れた相手以外の視界を覗くことは出来ないが、一度でも素手で触れたことがある相手の視界なら何度も覗くことが出来る。


 友人への最低限の配慮は存在するらしく、滅多に友人の視界を覗き込むということはしない。人の視界を覗いている間は、自分自身の視界はゼロになるからというのも、他人の視界を気軽に覗かない理由の一つだが、今回は様子がおかしかったせいで、探りを入れるために、視界を覗かれていたのだろう。


(ストラーナ様の異能力のこと、すっかり忘れてた……頭が回らなくなっていたんだなぁ)


 今、ストラーナがカメリアの姿を捉えることが出来ているのは、ミウリアの視界を覗いているからなのだろう。


「この間やったゲーム、まだクリアしてないじゃん。あれ二人以上じゃないと出来ないんだから、今死なないでよ。他にもやっている途中のゲームあるんだし、まだまだミウリアちゃんで遊びたいんだから」


 と、ではなく、で、と言うところが、ストラーナらしい。


「お前が死ぬとユーベルが暴走して手が付けられなくなるじゃん。お前がいるから他の奴でもギリギリ止めに入れるんだよ? 死ぬならユーベルの後にして」


「そんなこと、を、言われましても……」


「ユーベルに執着を増長させたのはミウリアちゃんだよ。増長の方はともかく──少なくとも、放置したことは、自覚して、意図的にやったことでしょ?」


「いきなり…………何を……言い、出すの……ですか……ストラーナ様……」


「我を通そうと思う奴は、同じように我を通そうと思っている奴に邪魔されるってことだよ」


「……?」


 ストラーナの言葉は聞こえていたが、頭に入っていなかった。ミウリアは疑問符を浮かべ、素っ頓狂な表情になる。


 無自覚に行っていることを自覚する言葉は受け付けないのだろう。


「ソイツに着いて行っても幸せになれないよ」


「?」


「死ぬからとか、そういうことじゃなくて、いくら楽しくても、いくら嬉しくても、それが幸せに繋がらないからってこと」


「?」


「どれだけ楽しいと感じても、どれだけ嬉しいと感じても、一度として幸せだと感じたことがない人間が、ソイツに着いて行った程度で幸せになれると思う? 根本が変わらない限り無理だよ」


「………………」


 素っ頓狂な表情のまま、ミウリアはストラーナを見詰める。


「ミウリアくん」


 縋るようなカメリアの声によって、ハッとしたような表情に変えた後、ゆっくりとカメリアの方に顔を向ける。


 おずおずとこちらに手を伸ばすから、自然とミウリアも手を伸ばそうとした──ところで、ストラーナに腕を掴まれた。


「代替品で満足出来るような妥協精神持ち合わせてないでしょ。中途半端な満足感得たところで、余計に虚しくなるだけよ。やめておきなさい」


 このタイミングで、ストラーナは掴んでいた腕を離す。


 ストラーナとカメリアを交互に見遣り、ミウリアは暫く明後日の方向に視線を向けた後──カメリアに伸ばそうとした手を引っ込めた。


「あの…………カメリアさん、少し、待ってくれませんか?」


 俯くカメリアに、ミウリアが声を掛ける。


「待つ?」


「いつなのかは分からないんですけど……私が死ぬまで待って下さい……明日か、明後日か、一年後か、数年なのか、一〇年なのか、いつなのかは分かりませんが、とにかく私が死ぬのを待っていて下さい……ええと、その、死んだら一緒になって下さい」


「……待てばいいの?」


「はい、待って頂けないでしょうか?」


「待つだけなら、まあ…………いっか」


「触られなければ大丈夫だと思うので……会うだけならいいですよ。ただ、一緒になるのは待って下さい……」


「うん、分かった」


 それだけ呟くと、カメリアは霧散するように、姿を消した。


 すると、体が軽くなり、蓄積した疲労が一気に消え失せたような、爽快感と解放感が同時に襲ってくる。


(カメリアさんが連れて行こうとしなくなったからかな……)


 心做しか、取り憑かれる前より健康になった気がする。


「エンゲルのことも、カメリアのことも、どっちも手に入れようとするなんて、強欲だねぇ」


 ストラーナはケラケラ笑う。

 いつもの調子で、面白おかしく笑う。


「カメリアさんはともかく……どうして……エンゲルさんの、名前が出て来るんですか?」


「…………………………難儀な気質しているね、ミウリアちゃん……」


「?」


 珍しく、純度一〇〇パーセント、裏表がない同情を向けるストラーナ。


 それが理解出来ず、ミウリアは終始きょとんした表情を浮かべていた。




If there is no God, then I am God.

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