第32話【キミと話がしたい】

 次の日、ミウリアは風邪を引いた。

 しかも、風邪を拗らせて、入院する羽目になった。


「冬休み早々、運がねえな……」


「肺炎……に、ならなくて、良かったです……正直、入院したことよりも……ええっと、『楽にして欲しい?』と、リベルタ様から……言われたことが、一番、怖かったです……」


「言葉のチョイスにだいぶ問題があるな」


「まあ、その……一応、ふ、普通に、治療、されましたが……そのときは、その、殺されるかと、思いました……」


「昔からああいう人だからね、彼は。ミウリアくんにはそんなことしないよて私か、もしくは、ストラーナくんが生きている内は大丈夫だよ」


「お二人が、私より先に逝けば……どうなるか、分からないですね」


「流石にリベルタの方が先に死ぬだろう。見た目こそ娘と兄弟に間違われるくらい若々しいけど、ああ見えて四〇超えているからね。生物学的には人間である異常、順当にいけば彼の方が先に死ぬから大丈夫だよ。医者とは思えない不摂生な生活をしているし」


「お父さん朝五時から焼き肉食べて、夜中にラーメンを二玉食べるような人だからね。今は健康だけど、五〇超えたら、案外コロッと死んじゃうかも」


 四〇超えているのに、胃が強い。

 聞いているだけで、一〇代のミウリアは胃が凭れて来たというのに。


「そのときは葬式で、『そんなんだから早死するんだよ』って言おうと思ってるのよ〜」


 ニコニコしながらとんでもないことを語る。仮にも実の父親だろう。不謹慎にも程がある。彼女に謹慎という概念があるかどうか怪しい。知識としては知っているだろうが、感覚としては理解していないだろう。


「数日で退院出来るから大丈夫だよ。点滴は打たせて貰うけど、ちょっと風邪を拗らせただけだから」


 早ければ三日くらいで退院出来るだろうと言われた。夕方、病院食が配膳された。最近の病院食は昔より美味しくなっていると聞いたが、ミウリアの口には合わない。普段の食事がありがたいと感じた。飲み物とかで、口直し出来ないかと思っていると、紙パックのジュースを持ったストラーナが病室に入って来る。


「あの……面会時間、過ぎてますよ……」


「お父さんはアバトワール病院の院長だからね、これぐらいちょちょいのちょいだよ」


 言いたいことは色々あったが、言っても無駄だと思い、「……手に、持っている、それは……」と、紙パックのジュースに視線を向ける。


「病院食不味いでしょ? 口直しにと思って。一応お父さんから許可を得ているから」


 それに関してはありがたかったので、普通に受け取った。病院食の後だから、紙パックのジュースが非常に美味しく感じた。


 流石に夜になると、ストラーナも出て行き、個室であることも相まって、余計に閑静だった。ベッドに横になり、目を閉じて、自然と眠気が来るのを待っていたら、眠気ではなく尿意がやって来る。


 病院のトイレに行き、用を済ませ、手を洗った帰り、病院の廊下って雰囲気があるなと思いながら、自分に割り当てられた病室まで戻ろうとしていると──ぼんやりとした人影を、視界の端に捉える。


 誰かいるのかと思い、何となくそちらを注視するが、眠りそうなほどではないが、眠気がそこそこやって来ていたミウリアの視界は、若干ぼやけていたため、人影との距離が遠いこともあり、その正体を正確に捉えることが出来なかった。


 ──それでも距離が縮まれば、相手の姿が捉えられる。


 人の形をしていることは、辛うじて理解出来るが、ぼかし加工でも入れたみたいに、ぼやけて移り、正確な姿を捉えることは出来ない。


 明らかに普通の人間ではなかった。


 Uターンすることは出来なかった。したところで意味がないからだ。横を通り抜けて、ダッシュで自分に割り当てられた病室に行き、ジッとベッドの上で息を殺す。


 僅かに差し込んだ月明かりだけが唯一の光源に近い病室は、とても薄暗い。何かがやって来てもおかしくない暗さだ。眠気はすっかり吹っ飛んでおり、頭から布団を被って丸まっていると、布越しにジッと視線のようなものを感じた。ぞわぞわした感覚が背中を駆ける。心臓が早鐘のように脈打っていた。


 絶対にいる。

 何かいる。


 そう思って、布団の隙間から室内を見回すと、ぼやけた体の一部が見えた。


(あの見た目が異能力とか、病気とかのせいだったとしても、病室に入って来るのはおかしい……何なんだろう、この人)


 見られる以外のことはされなかったが、相手の気配を感じなくなるまで布団から出ることは出来ず、気が付けば朝日が顔を出していた。


 リベルタにこの件について話しみたが、それらしい患者は入院していないこと、外部から誰かが入って来た可能性も考え、防犯カメラなどをチェックしてくれたが、それらしい人物は映っていなかったらしい。


「ウチの病院、他の病院より怨念が集まっているだろうから、それが形になったのかもしれない」


 と、リベルタが冗談めかした声で言ったが、ミウリアはとてもじゃないが笑えなかった。本当にあり得そうだから、逆に恐怖で慄きそうになったくらいだ。


 入院中、それ以外は何ごともなかったが、気が休まることはなく、それが体調に影響したのか、入院期間が伸びてしまった。退院することは出来たが、入院中は生きた心地はしなかった。


 この件についてストラーナに話したとき、「とりあえず、鉛玉ぶち込んでおけば何とかなるでしょ」と言って、拳銃を持ち出し掛けたので、違う恐怖を味わう羽目になってしまった。「処理が面倒だからやめて」と、リベルタが止めたことで事なきを得たが。


 本当にあれは何だったのだろうか。


「本当に……怨霊、だった、のでしょうか?」


「俺様霊とか信じねぇタイプだけど、この世界、普通に異能力とか存在しているし、あり得ないことじゃねぇな……出た場所が場所だけに、妙に説得力があるっつーか」


 アバトワール病院に怨霊が出たと聞けば、幽霊を基本的に信じていない者であっても、「あそこならあり得る」と言い出しかねないくらい、あの場所には恨みが満ちている。


 輸血パックにされた者達と、臓器移植用の臓器にされた者達の、恨みが。


「怖いので……あの、その、えっと……シェーンハイトに、戻るまでは、一緒に寝て下さい……」


「そもそも入院中以外は、ローゼリアに来てからは一緒に寝てるだろ」


「…………そう、ですね」


「ミウリア、お前、結構怖がりなんだな」


「昔から、私は、怖がりですよ……」


 あれが幽霊であっても、ただの異能力者であっても、あの見た目の人物がジーッとこちらを見下ろして来るのは、ホラーでしかない。


 幽霊の仕業なら心霊業であり、人間の仕業ならただのサイコホラー。


「誘拐されたり、監禁されたり、幽霊っぽいのと遭遇したり、災難だな……」


 不幸体質という奴なのだろうか。前世の頃から変な人間に好かれていた。変人に好かれる特殊なフェロモンでも出ているのかもしれない。アインツィヒは真剣にそう思った。


(前世で、ウチのサークルに興味があって、だいぶ後になってから入って来た奴も、変わってる奴だったけど、ミウリアのことは好いていたな。どっちかって言うと、ゼーレの方が気に入られていたけど)


 協調性がないストラーナよりも協調性がなくて孤立していたのに、比較的話し掛け易いゼーレとミウリアに取り入ろうとしていたから、露骨に無視したりこそしないものの、プライベートでは絶対に付き合わないようにしていた。面倒臭いけれど、露骨に無視して騒がれる方が面倒だから、最低限相手にして、後は適度に放置という扱いをされていたのだ。


 毎日美味しい弁当を母親が作ってくれると自分から言い出したのに、それに対して前世のミウリアが素敵なお母様ですねといった発言をしたら、素敵かどうか他人に決められたくないと言い出すような人物だ。


 無視すると面倒とはいえ、よく相手にするなと思いながら、ミウリアとゼーレを見ていた。相手にしない方が面倒だから、渋々相手にしているのは隠し切れていなかったが、相手は気付いていない。あそこまで鈍感だと一周回って羨ましい。


「そういうや入院中宿題やってなかったけど、宿題冬休み中に終わるのか?」


「半分は……もう、終わっています、ので……」


「そうなのか」


「アインツィヒ様……どの程度、終わっているんですか?」


「殆ど手ェ付けてないに決まってるだろ。いつも大体最終日の一週間前にやって終わらせてるんだぞ」


「あの、それ、大丈夫、ですか……えっと、ほ、本当に、終わりますか?」


「前世の頃からそれでも問題なかったんだし、大丈夫だろ。今世でも問題なかった訳だし」


 室内は暖房を付けていたので、寒いということはなかったが、夜になると昼間より冷え込んでくる。ミウリアは暖房の温度を上げようかと思ったが、アインツィヒは今のままで充分らしく、暖房の温度を上げたら熱いだろうと、リモコンに伸ばし掛けた手を引っ込めた。二階に上がり、上着を取りに行くことにした。


「エンゲルさん……寒くないんですか?」


 部屋に入る直前、薄着ではないが、決して厚着とは言えない格好をしているエンゲルと出会う。普段は上にもう一枚くらい羽織るのに、珍しい、と思ったが、「ああ、大丈夫だよ」と、返って来たので、大丈夫なのだろうと判断した。そういうときもあるだろう、と。


 部屋から上着を取り、それを来ながら一階へ降りると──買い物袋を持ったエンゲルが、玄関の方からリビングに来る姿が見えた。


(??????)


 ミウリアは困惑したまま二階に上がり、二階の部屋を全て見て回った。誰もいなかった。


(二階にいたエンゲルさんが、一階に降りて、買い物に出掛けて戻って来たにしても……時間が足りないし、やっぱり──)


 体がフラッとする感覚がして、自分の部屋の椅子に座る。エンゲルが二人いた──片方は本物だが、片方は偽物だ。


(偽物の方は、アバトワール病院で会った──あの幽霊みたいな存在なのかな)


 気分が悪くなりながらも立ち上がり、とりあえずこの件についてアインツィヒ達に話そうと思っていると、背後から、「大丈夫かい?」という声が聞こえた。


 振り返れば、エンゲルの姿があった。


 顔に向けていた視線を下げ、服装に視線を向ける。つい先程、玄関の方からやって来たエンゲルが着ていた物と、全然違う。


 反射的に身構えていた。


「ねえ、大丈夫かい?」


「あの……来ないで、下さい」


 躙り寄って来るエンゲル(偽物)に、そう言えば、一応は止まってくれた。こちらを見ながらきょとんとした表情を浮かべている。エンゲルがしない、幼い表情だった。よく分からないけど、お母さんの言われた通りにしている幼い子供みたいな表情だ。


 一階に降りたかったが、エンゲル(偽物)が立ち塞がっているせいで、それは無理だった。


 暫くお互い見詰め合っている膠着状態に痺れを切らし掛けた頃──エンゲル(偽物)は、どこかに消えて行った。


 すぅっと、霧散するように消えた。


 何でエンゲルの姿をしているのだろうかとか、何で自分のところに現れたのかとか、何がしたかったんだとか、とにかく色々な考えが頭に浮かんで来たが、声には出せず、何故かこの件について何も言わないままに次の日を迎えた。


 何故言わなかったのか、自分でもよく分からない。疲れて気力がなかったのかもしれない。或いは、自分では冷静でいるつもりだったのかもしれないが、実際はそんなことがなかったのかもしれない。


 どうしてなのか──いくら考えても分からなかった。


 朝起きたとき、暗く、光のない真紅の瞳と、目が合い、声にならない悲鳴を上げた。最初はエンゲルかと思ったが、彼が自分を見詰めているときの瞳とは程遠く、すぐにエンゲル(偽物)であると理解する。


 隣にいるアインツィヒは爆睡しているため、全く役に立たない。寧ろ彼女の体が半分乗っかっているせいで、身動きが取れない。


 見た目がエンゲルであるお陰で怖さは半減しているが、よく分からない存在が自宅にいる恐怖がなくなった訳ではない。


「ぁ、貴方……だ、誰、ですか?」


 寝起きだったせいで、蚊の鳴くような声しか出なかったが、一応は聞こえたらしく、「さぁ?」と首を傾げる。


 とぼけているのではなく、本当によく分かっていないといった反応だ。ユーベルであれば、これが演技なのか、そうではないのか、すぐに分かるのだろう。だが、ミウリアにはそのような力はないため、多分本当のことを言っているのだろうと思ったが、完全に信じるのも怖いため、半信半疑といった態度を取る。


「な、何で……エンゲルさんの、姿に……」


「何故と言われても、いつの間にかこうだったから、よく分からない」


「……まあ、その、えっと……怖さは、だいぶ、マシ、になっていますけど……本当に、よく、分からない、ですか?」


「分からない」


「あの……えっと、その、何故、私のところに、来るのですか?」


「…………さあ?」


 話にならない。『分からない』『さあ?』ばかりでは、とてもじゃないが会話にならない。対話を拒否しているのかと思ったが、そのように見えない。これでは暖簾に腕押しだ。


「逆、何なら、分かるのですか……」


「死んでいることと、自分の異能力でこうなっていることは、辛うじて知っているかな? 後は分からない」


「…………アバトワール病院で、亡くなられたのでしょうか?」


 輸血パックにされて亡くなったのだろうか? それとも、臓器移植用の臓器にされて亡くなったのだろうか? もしくは、普通に病気や怪我が原因で亡くなったのだろうか? ──などと予想をしてみたいが、どれも違うらしい。


「死ぬ前のことは、もう忘れてしまったから、確証はないけど、前は全然違うところにいたし、多分違うと思う」


「…………そうですか」


 エンゲル(偽物)は、ジッとこちらを見詰めている。無垢な子供みたいな表情だった。


「貴方は、何が、したいんですか?」


「………………………………………何がしたいんだろうね?」


 それが訊きたいから訊ねているのだと言いたくなったが、困ったような表情を浮かべている彼を見たら、自然と言葉が引っ込んだ。


 彼は暫しの間、考え込む素振りを見せた後に、「キミと話がしたい」と言った。


「邪魔にならないようにするから」


 返答に困った。悪意はないのだろうが、素直に受け入れるのは怖い。悪意なく人を害する存在というのは一定数いる。ストラーナとかはそうだ。ユーベルも、そのきらいがあった。彼に激情や衝動、敵意はあれど、悪意はなかったりする。


「……邪魔をしないで、くれるのなら」


 結局、ミウリアは頷いた。

 縋るような無垢な瞳に抗えなかったのだ。

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